その日はよく澄んだ空気が胸に入って来た。

 11月、深夜0時 -Oushi and N-

 眠れないままの僕は、一度入浴して着込んだはずの寝巻きをベッドの上に放り、まだ洗濯物になりかけで置きっぱなしにされていたジーパンとシャツを身に付けた。その上で、この前出したばかりの暖かなジャケットを着込む。今夜は散歩日和だ、と誰にともなく呟いて、スニーカーに足を押し込んで鍵を手にした。ちょっと近くのコンビニまで、それだけでもこんな夜ならいいアイディアも浮かぶかも知れない。
 僕は歩いて10分のコンビニへ足を向けた。店内は日付変更線を跨ぐまであと数分と言う今でも明るく、暖かい。僕にしてみればこういう場所は羨望の対象でもある。カップルが冷えたビールを手に、つまみを選んでいる。その一方で、身なりの汚い男が一心に今日発売の少年誌を読みふける。雑多で、ごっちゃで、きっとこういう世界は夜だから見えるんだと思った。
 手にしたのは、明日の朝食べるパンが二つ、ストックにするために二つ。それから気まぐれにあたたかい、と書かれた棚から紅茶を一本取り出した。少し寄り道して帰るつもりだ、これくらいの暖を取っても悪くはないだろう。

 ありがとうございました、その言葉を背中に受けながら、コンビニから一歩出る。風が吹き付けて少しばかり寒いけれど、見上げた夜空があまりに高くて気持ち良かった。飛べたら飛んでいただろうな、とほんの少しだけ自分が人間である事に絶望もした。
 回り道、それはコンビニまでほとんどまっすぐな僕の家へ帰るのに、家の裏手にある公園を経由する事だった。公園とはいえ、大きい。背の高い街路樹がならび、少し高台にある所為か見晴しも良い。ただ、そこに入るのに少し寂れたトンネルを通 り抜ける必要があった。隔てられた二つの道路を繋ぎ、その向こうにある公園へ導くその場所は、風が通 り抜け、夏でも涼しい。まるで心霊スポットだと誰かが言ってたのを思い出す。
 僕は事も無げに進む足に任せ、トンネルへと近付いていった。もうあと20歩、そんな時、ジリジリと音を立てて消え掛かっている街灯の光が、トンネルの入り口にシルエットを浮かび上がらせていた。誰だろうか。それほど身長は高く無さそうだし、どうやら底の厚い靴を履いているようだ、ということだけが見て取れた。途端、興味が湧く。一体こんな時間にこんな所で、何をしているんだろう。体からは力が抜けているようにも見えるが、壁に背を預ける訳でもなければ、足を組んでいる訳でもない。誰かを待つ様な、誰か。
 出来る限り、歩調を変えずに近付いてみる。あと10歩。僕はそのままさらに3歩足を進めて立ち止まってしまった。がさりとビニールが耳障りな音をたてる。

 そこに佇んでいたのは、虎の顔をした生き物だった。いや、虎と言えるだろうか。体の中心を通 る縞が一本、それを横断する縞が無数に入っている。街灯の光の加減なのか、普通 の虎よりも茶色っぽい毛並みだった。そして何より、その頭には角が生えている。左右非対称な角はどこか滑稽で、荒れ放題の長い髪の毛から守る様に、根元に黒い毛皮があった。その下の耳は三角形で、猫科だ、ということを思わせる。もう1歩近付くと、その生き物が黒いコートに黒いズボン、そして何故だか白黒のラバーソウルを履いている事が分かった。腰には小物入れのようなバッグが下がっている。
 「やぁ」
 それは声を発した。いや、鳴き声かも知れない。分からなかったので、まずは答えなかった。しかし、すぐにそれが間違いと気付く。
 「散歩かい?」
 声は最初の「やぁ」と同じものだった。全くどうして、こんな生き物が存在するのだろうか。どう猛な獣の顔だというのに、その目は知的な光を持っていたのだ。
 「君は、誰だ?」
 いつでも走り出せる様にしながら訪ねる。いや、走ったところで追いつかれてしまう気もする。
 しかし、その生き物は特に動く事もなく、ただ答えた。
 「僕は悪魔だよ」
 その語尾が笑い声で掠れた。唸るともきしるとも付かない、奇妙な笑い声。幽かに牙で一杯の口の端が吊り上がる。
 「君は暇かい? 良ければ僕に付き合ってくれないかな。こんなにいい夜なのに、僕には友達が居ない。折角ここで出会えたのも何かの縁だし、ちょうどこの階段を上った所に居心地の良い場所がある」
 僕が最初の質問に答える前に、悪魔と名乗るその生き物は少しまくしたてる様に喋った。そして、トンネルの奥を手で示す。公園はそっちの方だった。
 「別に悪魔だからって取って食おうっていうんじゃない。ただ、少しの間でいいから話し相手になってほしいんだ」
 変わった悪魔だ、と思った。人恋しいということだろうか。既にその顔からは微笑みが消え、真摯なまでに交流を望んでいる事が感じ取れた。ますます滑稽だな、と思う。どうだろうか、と首をかしげる悪魔に、僕は首を縦に振って了承した。元々寄り道をする予定だったんだ、それくらいはいいだろう。それに、この生き物が本当に悪魔なのかも気になる。
 「よし、じゃあ、行こうか」
 今度は気のせいでなく、にっこりとその口元が笑った。くるりと振り返って歩き出す背中の後を追い、トンネルを抜けて階段を上りながら隣へ並び、気になっていた事を訊ねてみる。
 「悪魔にも名前はあるのか?」
 口元に笑みを乗せた虎の頭が、こっくりと頷いた。
 「僕ぁ、オウシという」
 少し発音の悪い音だった。聞き取れなくはなかったが、もしかしたら横を向いて喋るのは苦手なのかも知れない。
 「オウシ」
 「うん」
 呼べば答えた。奇妙だと思う。どうみてもその姿形は虎の方に近いのに、名前ばかりは角の持ち主を冠しているのか、牡牛などというのだ。
 「君の名は?」
 もう一段階段を上ったら公園、というところで、オウシが僕に訊ねた。
 「僕の名前は…」

 夜の公園、高い空。少し強い風に煽られる、オウシの髪。ゆっくりと腰を降ろす。夜はまだこれからだった。

 

 

thestrangeshow.comのナガツキさんに
ウチのキャラであるオウシの絵をいただいてしまいました…!
オウシをご存じない方の方が多いとは思いますが
コスサイトの方に姿だけは置いてあるので、御興味があれば見て下さい。

そもそもはナガツキさんのキャラの魅力にメロメロになって
おーこが好きなキャラを描いたのを気に入って下さったのですが、
むしろこちらのキャラとか凄く丁寧に描いて下さって
トキメキまくりです。
ついうっかり小説モドキもくっつけてしまいました(笑
ナガツキさん本当にありがとうございます!