飛ぶのは初めてじゃない。けど、この空を飛ぶのは初めてだった。

Poet  -Thinking & Seeking 『He's said "How about you?"』-

 空は青くて風は心地良かった。今まで飛んだことも見たこともない空と空気。風すらも今まで飛んだものとは全く違っていた。
 きっと気分のせいね。
 逃げ出したような…でも、後ろめたさや惨めさがない、
清清しい気分。何故かしら、今までこうしなかったことが不自然なくらい。
 眼下に大きなお城と広い庭が見えた。森に囲まれたその城は、まるでホワイトランドの純白のそれとは違ったけど、でも、私には魅力的だった。何か幻想的な雰囲気を感じさせる灰色の石で出来た城は、お伽噺の中に出てくる、魔法の掛かった城に似ていた。

 不意に強い風が私の翼を酷く煽る。
 「きゃぁっ!」

 「あー…ユーリ、お客さんッス!」
 「グッドタイミングだねぇ…」

 気が付けば、抱きとめられていた。浅黒い肌のお兄さん。お礼を言おうとして顔を上げると、緑の髪に隠されて眼が見えなかった。
 「いらしゃいませ」
 彼はにこりと笑った。その大きな耳がぴくぴく動いて可愛い。笑った時に見えた牙も、この顔では恐怖にもならなかった。
 「ヒッヒッヒ…アッちゃん、席にお連れしてネ〜…?」
 スタン、スタッとステップを踏むように、私と彼から遠ざかる青い髪の人。水色の髪は珍しくないけど、青い髪を眼にしたのは私は初めてだった。彼はそこに用意されていた椅子を一つ分ずらす。
 そう、そこはさっきまで眼下に見えていたお城の中庭だった。 どこからか焼き菓子の香りが漂い、色とりどりの花が咲く、本物のお城の庭。
 「お嬢さん」
 突然、少し離れたテーブルの所から声が掛かった。…まるで、人をぐっと押さえ込むような、それでいて、心を惹かれる声。
 「どうぞ席へ」
 言葉少なに私を促す。褐色の彼から降りてそちらに向き直ると、そこには白い肌の、まるで彫像より整った顔の男がいた。全体に色素の薄い体で、髪の毛すらも淡い水色。けれど存在が厚く、背に備えた翼の赤い色が、彼を際立って美しい存在に見せる。
 「もし、悪くなけりゃ一緒にお茶でも飲むッスよ。クッキーもあるんで」
 テーブルの周りの四つの椅子の内、一つを引いて褐色の男が微笑む。
 「…御迷惑で、なければ…」
 「迷惑なわけ無いよねェ〜〜〜?」
 私が答えようとすると、横槍が入った。青い髪の…今気付いた。この人、全身に包帯をぐるぐるに巻いている。左目の所にも巻いてあるけど、顔は見える。釣り上がった眉と細められた眼が悪戯っ子の色をして、私の姿を見つめていた。口元は黒いルージュと相まって大きく見え、ヒヒッと笑うと真っ白な歯が三日月の形になる。
 「誘ったのはユーリだしぃ…?ボクは誰がいてもヘーキだしィ〜?アッちゃんも誘ってるんだしねぇ〜…遠慮なんかしなくていいよ…ヒヒッ… 」
 「そういうわけだ。こちらも男ばかりであまり楽しくないティータイムなのでな。華が入れば雰囲気も変わるだろう?」
 クスクスと彼は笑う。明るい人には見えなかったけど、でも…私は、その三人のメルヘン王国の住人に惹かれた。

 「へぇ…じゃあホワイトランドの天使なんスか」
 褐色の、アッシュという自称狼男は…だって、なんか犬みたいだし…私の翼を珍しそうに眺めた。
 「天使って、あれッスよね、人を恋いに落とさせたり、死んじまった人を天国に連れてったり、あと神からの…えーと…なんだっけ、お知らせみたいなの、知らせるんスよね?」
 「うーんと…あのね、死んだ人や物を連れて行くのも、人を恋いに落とさせるのも、大人になった優秀な天使だけなの。でも、大抵の天使はお仕事をするって言うか、幸せを運ぶだけなの」
 へぇ、地球で知られているのとは随分違う、アッシュさんはそう言ってクッキーを一つ頬張った。
  「でも、幸せってサ?配られるものなの?」
 スマイルという、確かにさっきからずっと笑ってる包帯男は、ズーッと音を立ててお茶を啜った。アッシュがスマ、お行儀悪いッスなんて言っても全然聞いていなかった。
 「スマイルが言いたいことも分かるがな。…天使は人間の世界に、地球に幸せを運ぶのだ」
 「ヒヒッ…ユーリってモノシリ〜」
 ユーリは…どう見ても、吸血鬼だった。赤い羽、それに白い肌と長い犬歯。それは天使達が忌み嫌う一族…なのに、この人は、教科書で教えられたような、人の血を吸って天使を虐殺するような人には見えない。
 「しかし、天使はきちんと学校に行って卒業しなければ正天使階級をもらえぬ はずだが…ポエット、学校は良いのか?」
  本当に何でも良く知ってる人。そして…怖い人。
 「…さぼってきちゃった」
 ヒッヒッヒ〜!とスマイルは大笑いした…さっきから、その笑顔が、私には眩しい。
 「いいねぇ〜!天使もガッコさぼっちゃうんだァ〜?」
 「ま、俺はちゃんと行くことをお勧めするッスけど。でもたまには良いッスよね」
 ユーリは薔薇の砂糖漬けを一つ、口に入れた。
 「でも、サボり過ぎるのはダメッス。きっと大変な思いをするスよ。テストとか、出席日数とか、あと実技訓練とか…天使にもあるんスか?」
 いつの間にか軽いお説教は疑問に変わっていた。
 「あるよ、テストに実技に出席日数…でも、あんまり、意味がないかな…」
 口にしたら、少し、目が熱くなった。
 「だって、もう、テスト問題も、実技のやり方も、全部完璧なんだもん…」
 視界はぼやけて、何もかもが滲ませたインクを同じになった。クッキーの甘い香も、花がツンとして届かない。頬の上に熱くなった涙が流れるのをどうしても止められなかった。
 「…ポエットは」
 ユーリが不意に、その声で私を呼んだ。
 「…成長がゆっくりなのだな…」
 頭が、ちょっと揺すられる。
 「泣かないで〜?…何で泣いてるか、ボクわからないケド…」
 手袋は髪の毛に引っ掛かるから、頭が規則正しいリズムで揺れる。
 「…ちょっと位成績が悪かったり背が小さかったりするのが悪いことなんスか?」
 アッシュは落着いた声で続けた。
 「俺だってあんま、背ぇ高くなかったスけど…でも、スポーツしたり牛乳飲んだりして、伸ばそう伸ばそうって思ってたら、ほら、こんなデカくなったッス!それも高校…ええと、十六歳位 からイキナリの伸びたんスよ!だから、ちょっと位憶えたりするのが遅かったって、背が追いつかなくたって、泣くことじゃないッス」
 なんとなく見当はずれの事を言ってる気もした。でも。
 背が伸びなくても、心は成長してるはずだから。
 なんで、伸びないんだろう。
 私の身体は小さいまま。

 「…昔」
 ユーリは、スマイルに抱かれて涙を拭く私を、どこか別の所を見つめる瞳で見ていた。その顔は真剣で、お伽噺を語る口調ではなかった。
 「…遠い昔、一人の吸血鬼が、天使と知り合ったという話がある。ちょうどポエットの様に空から落ちて来た所をその吸血鬼に助けられたらしい。翼が折れていたのを吸血鬼が治療し、自宅のベッドに寝かせ、毎日食事をしながら色々なことを話したそうだ。ことに強く伝わっているのは、その天使の姿はまだ見習いと同じでしかないのに、その話すことが異常なまでに大人びていたということだ。吸血鬼はその天使の傷が癒えた後、ホワイトランドに返したそうだが…数年後に、再開した時には、立派な大人になっていたとか」
 「めっっづらしィ〜…ユーリがすんごい喋ってる…ヒッヒッヒ…」
 スマイルは私の頭の上で笑いながら肩を揺らす。
 「まあ、そんな話もあるということだ。成長の早い遅いは在れど、必ず成長する」
 ユーリは微笑んで、アッシュの方を向いた。
 「そう言いたかったのだろう?アッシュ?」
 アッシュは、何度も頷いた。
 「ヒヒヒ…馬鹿犬〜…そんなの一言で済むじゃーン…?」
 あ、ま、またッ!とアッシュは眉間に皺を寄せたが、スマイルは相変わらず笑ったままだった。
 「…俺はその
…ええと…」
  言い訳もままならない。それでも、言いたいことは十二分に伝わって来ていた。

 「やっぱり、帰る!」

 私は大きく翼をはためかせた。
 「やっぱり帰って、もう少し頑張ってみる!」
 それは、自信を持って言えた。
 すると、アッシュは、にっこり笑って頷いたけど、すぐに真面目な表情になった。それで、一回深呼吸して、私にこう言った。
 「悪いやつも、世の中にはいるッス。いつでもまた来てくれッスよ!俺、いつでもお茶煎れるッスから!」
 今度はスマイルが私を撫でた。
 「ボク、何にも出来ないけド〜…遊んであげるよォ…ヒヒ…」
 「だそうだ。ポエット、いつでも来るといい。私達は歓迎する」
 ユーリも微笑んで。
 「うん、有難う」
 私はそう言って…高く飛んだ。
 「今度は、何かお土産持ってくるね!」
 「期待してるよォ〜…ヒヒヒ〜…」
 スマイルの声を聞きながら、私は、ホワイトランドまで一直線に飛んでいた。

 ホワイトランドではいつも通りの日常しかなくて。

 けれど、誰にも言わない貴重な体験を手にした私は

 誰よりも素敵な気分で毎日を送った。

 例えば

 落ち込んだり、

 悲しくなったりしない限りは。

 

Poet            -Thinking & Seeking 2-

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