まさかこれが現実だなんて
山羊さんの可愛いお髭
その日は平日だった事もあり、深夜に近い時間帯のゲームセンターに人気は無かった。店員もフロントで居眠りをしていたり、せっせとプライズの入れ替えや並べ替えをしていた。
サイレンはそんな日でもゲーセン通いは日課だ。今日も誰も居ないのをいい事に自分が普段は絶対に手を出さない曲をやる。
人の前では失敗を恐れる、非常に劣等感の強い人間なのだ。たとえ相手が信頼できる仲間であっても、彼には常に「もしかしたら…」という臆病な影が纏わりついているのだ。時折自己嫌悪に陥った時に、二人で飲みに行って愚痴を聞いてくれる相手もいるのだが、最近はサイレンが気を使ってしまい、とても話す気にはなれていないのが現状だ。
そういう時に限って、こうしたストレスの解消をする機会は中々ない。ここぞとばかりにサイレンはアナザーを掛け続けた。かといってやはり自分が負けている気がするので二曲分はできる曲をやってしまうのがサイレンは自分で情けなくなってきた。
ちょうど七回目のプレイ、二曲が終わって、Aにアナザーを掛けた。
スピードについて行けない、つまった譜面で慌てる、持ち直しがすぐできない。自分の欠点を一度心の中で小さく呟いてから曲に挑む。案の定最悪の成績で終わった。がっかりして、両替えの為に台を後にしようとして、ふと、リザルト画面 が出ない事に気付く。最後の画面のままだ。
「…What?」
サイレンは、まさかフリーズしたか、と、画面の様子を伺うと、段々と、映像が曲の最初の方へと戻る。逆再生を掛けたかの様だった。
そして、山羊を模した道化が現れる。とたん、サイレンは目を疑う。山羊が笑みを深くしたように見えたのだ。
しかし現実に、山羊は不敵な笑いを浮かべたままIIDXの画面のフレームに手を掛けて、ゆっくりと、三次元へと変貌していく。サイレンが退き、目の前で起きているおかしな現象に身動きもとれずにいる内に、山羊の道化はその尖った爪先を床に付け、微かに鈴の音をさせて完全にその場に降り立った。
「サイレン?」
山羊が彼を呼ぶ。
「どうしたんだい、そんなに怯えて? 私が怖い?」
クスクスと口に指を添えて山羊は笑う。真っ白な顔の中、目は兜とメイクに隠れ、山羊の虹彩 の様な形にしか見えない。表情は不明だ。
「それとも…夢とでも思ってる?」
山羊は一歩踏み出した。背が高い。足も長い。サイレンもいつもの仲間の間では背が高い方なのだが、この山羊の顔は少し見上げなければならない様だった。
山羊が軽く頬に触れる。爪は真っ赤で、先が尖っている。ほんの少し、伺う様な動作でサイレンの頬を掻いた。
「現実だよサイレン? ほら、私はここにいる」
首を傾げるとしゃらりと鈴がなった。
「It...It's not dream? But,But you are game graphic,right?」
余裕の無いサイレンの問いかけに山羊は首を横に振る。
「ただのイラストなんかではないよ。 そうだろう?」
山羊は口元で微笑む。
「私を気に入ってくれてたろう?」自分ができない為に、他の仲間がプレイするのは良いお手本だった。その中で誰かがAをやったときに、何となく、道化師のフォルムや顔を気に入ったのは憶えている。
「聞こえてたんですか?」
少し冷静さを取り戻して、サイレンは山羊に訊ねた。
「もちろん。 サイレンがあの時エリカとセリカに私を気に入ったと言ったら、散々批難されていたのも知っているよ」
また、クスクス笑う。
「サイレンを私も気に入ったよ」
山羊はサイレンの髪に触れた。確かめるように。
「だからね、会いにきたんだ。 今日は今ここに誰もいない」
確かに店内では、ビーマニのデモ音楽、ポップンのデモ音楽に混じってギタフリとドラマニのデモ、プライズゲームの音楽が聞こえ、他のゲームの音が混じり、人の気配は無く、スタッフも随分遠くにいる様だった。
「サイレン、サイレン、君が気に入ったからプレゼントをあげるよ」
山羊はサイレンに緩く握った掌を差し出す。
「ほら、手を出しなよ」
山羊に言われるまま手を出す。そっと、指が開かれ、サイレンの手には銀色の指輪が一つ。
「私は魔法使いじゃないからね。 サイレンがどうしていつも友達といるのに不安そうだったり恥ずかしそうに曲の失敗に舌打ちをするのかは知らないよ。 けれど、サイレンが頑張ってるのは知っている。 頑張り屋の可愛いサイレン、恥ずかしがらないで、不安がらないでやってみればいい」
山羊はそう言って一歩下がった。
「また明日も来るといいよ。 私はいつでもお前が楽しそうにプレイするのを見ているんだからね」
サイレンは何か言おうとしたが、山羊は軽く片足で跳ねると、画面の中に吸い込まれた。
ようやくリザルトが表示され、プレイヤーランクが表示される。彼はそれをぼんやりと見た後に、手の中にある指輪を眺めた。
見れば一匹の山羊が彫られていた。どうも髭が自分に似ている。ふと、指輪の内側を見る。My dear beard
実は顎髭が気に入っただけじゃないかと思ったサイレンだった。