両親は断頭台に掛けられた。
兄弟は俺とあいつを遺して死んだ。
俺は…羅刹国
「親父!お袋!」
叫ぶ声は空しくざわめきに消えた。
俺の両親は、今、たった今首を刎ねられた。
俺もすぐ次だ。
けれど…親父とお袋は、ただ迫る危険を教えに来ただけなのに。
魑魅魍魎や悪鬼はすぐそこに迫っているというのに。兄弟の五番目に生まれた、俺の名前。
兄弟のニ番目に生まれた、兄の名前。
着物の袖に母が縫い付け、最初に憶えた漢字。
兄も俺も、その名前の意味をよく聞かされた。
逆数えの名前だから、無闇に増える事はないと。
無闇に不幸を増やす事は無いと。「六」
不意に兄が名を呼ぶ。
「只では死なんぞ」
その声に決意を感じ、俺は、頷く事しかできなかった。髷を切られた。髪がばさりと落ちる。兄の髪も。
兄は最後の最後まで足掻いた。
ついに首切り役人を二人殺し、何人も怪我をさせたところで身体の自由を奪われた。
「魑魅魍魎も、悪鬼も、羅刹も来るぞ!
母も父も、お前等にそれを知らせに来ただけだったのに!
憎いぞ、貴様等町人が!信じなかった者全てが憎いぞ!」
兄は叫んだ。そして、母と父の血でべったりと濡れた断頭台で、最後に遠くの空を見て、まるで溢れたように笑い声を上げながら息絶えた。
兄の首は落ちなかった。いつまでも皮が繋がっていて、落ちない。
町人がその、張り付いたせせら笑いの様な表情を気味悪がる中、兄の躯は台の横に打ち捨てられた。
そして、俺の番が来る。
兄と父と母の血は、曼珠沙華より紅く咲いていた。
もういい、兄も逝ってしまった。諦めたような気持ちが起きた途端、否定する意志が生まれた。
俺は往生際悪く、無理矢理台につかされる。
死にたくない。
刃が持ち上げられ、一旦停止する。途端、呼吸が苦しくなった。死ぬ間際に来て苦しむのは気分がいいものではない。
深呼吸する。
壱回
おかしな気分だった、全く、死ぬような気がしない。
弐回
深く深く、吸い込む。
参回
視界が晴れた気分だった。
四回
一瞬視界に兄の顔が見える。
伍回
兄は何故笑って死んだのだろうか。また苦しくなった。
六回
段々と落ち着く。死を目前に落ち着いている。
七回
生きよう、そう感じる。俺の身体は何かを欲しているのか。
八回
八回目の呼吸で俺は周りの奴等の目が何か信じられないものを見ているのに気付いた。
それが何かは判らなかったが、いつまでも落ちない刃に、俺は逃走を決意した。
立ち上がる。驚いて刃を落とした断頭手を殴り、近くにいた役人の一人から刀を奪い、逃げ遅れた奴等を斬った。
誰も彼もが逃げ回る。しかし、俺を見ていた奴より、反対側を見ていた奴の方が多かった。
「…羅刹が、来た」
誰かが呟いた。
見れば暗雲が渦巻きその中心から妖怪変化と鬼共が我先にと大地に降り注ぐ。
なるほど、逃げ出したくもなるだろう。
けど、俺は逃げなかった。
幼子が逃げている。
気が向いたので、追い来る鬼を斬り払った。これで逃げられなかったら運が無いのだろう。
手近な鬼や魑魅魍魎を斬り殺す中、羅刹を見つけた。
羅刹は何処かのお偉い様だったらしく、豪奢な着物を着て、金をあしらった刀で行く人々を斬り殺す。土色の肌がそこに立っている様はまるで人間が立っているようには見えない。
「見つけた」
羅刹はにやり、と俺を見て笑った。
突風と共に刃が左右から繰り返し繰り返し振り下ろされ、俺はそれを防ぎ弾き、一瞬の隙を突いて羅刹の首を斬り飛ばした。
羅刹となっても、意識はあると聞いた。非常に好戦的な状態ではあるが、感情もあり、生前大人しい人間であれば殺しをしなかったりする事もある。断末魔は恐怖に彩 られたそれで…人間と同じだった。俺はその声を聞いて薄笑いを浮かべる自分を知る。
「まさか…」
殺した鬼や魑魅魍魎共を見遣る。どれも一刀では殺さずに、急所を外し、二度三度と斬り付けた後が残る。朧月を見上げた。暗雲は既に化け物を吐き出すのを止めていた。恐ろしい程の数の妖怪は全て地に降りた。俺はそれだけの間、鬼も、魑魅魍魎も、羅刹も斬ってきた。
ようやく見つけた濁りのない井戸を覗き込み、水を口に含む。
さて、と、俺は幾つか生まれた疑問を考えた。
俺はこの中で生き残れるほど剣術に長けていただろうか。
先程残頭台に戻ったら兄の遺体は無くなっていた。誰が持ち去ったのだろうか。
羅刹は、何を見つけたのだろうか。
とりとめもない疑問は解決する事も無く。井戸を覗き込み、幾つかだけど答えを見た気がした。
…己の姿は既に修羅と成り果てていた。
黒髪黒瞳であった俺はいつの間にか逆立った色素の抜けかけた髪を持つ、紅い瞳の修羅だった。
羅刹が死人から生まれる。修羅は生きたまま羅刹になった者を言う。憎悪や生への執着、とにかく強い意志を持ったまま死んだ者が、絶望した者が、目的のために妖怪とも人ともつかぬ 何かへと変貌する。それが、修羅と羅刹だ。身体が疼く。斬りたくて仕方なくなっている。
俺は人を斬らぬように必死で自分を抑え付けた。まだ生きている人間が、逃げ出し、這いずり、怯えて、泣き出して、助かろうと必死になっている。
歪んだ者だ、修羅は。生きる為に他者を殺す考えが止め処無く浮かぶ。
只管に妖怪共を斬った。「六」
名を呼ばれる。俺の影の先の死屍累々たる山の上に、紅い髪の、紫紺の瞳を持つ羅刹が仁王立ちしていた。
「修羅となったか」
首に深い傷跡がある。
「面白い、俺と試合しよう。死合え」
兄だった。
「九兄…」
名を呼ぶと笑った。口元を引きつらせながら。
「六、俺は一度死んだか。この首の傷は死んだのだろう。俺は羅刹になった。だが哀しいものだ、羅刹になっても愛しいものは愛しい」
刀の血糊を軽く振払って、手近な人間の死骸の首を落とした。
「しかし人は殺せる。どうだ、俺はお前の様に人を避ける事無く全てを殺すつもりだったぞ」
その人間の死骸は母だった。
俺は刀を兄へと突き付けた。距離など関係ない。
「悪く思わないでくれ、九兄」
「お前とて修羅だ。何時までもつか」
俺が走り出すなり兄も走り出した。見える所に生きる者の居なくなった大地で、
修羅と羅刹は、ぶつかった。
羅刹国 終幕