悪いクセほど直らない。

ト・タカタ・ト。

 「あれ、店長…その指輪、小さくない?」
 閉店も近い時間、夕日の差し込む店内のカウンターで、一人軽い愉悦に浸っている最中に声を掛けてきたのは慧靂だ。しかし邪魔されたと気分が悪くなる事もない。何しろ四六時中この小さな悦楽が身体にまとわりついているからだ。
 慧靂は仕事明けで、軽く目の下に隈を作りながら私の店で服を物色していた。昨日が給料日、今日は彩 葉と遊びに行くらしい。名目は遊ぶだけだが、さて、既に恋仲と囁かれている二人の事だ。何をしているかは周知というより公然の秘密に近い。
 「これ、指に食い込んでんじゃん」
 そういって私の左手中指を人差し指と親指で摘んで持ち上げた。そこには先日原宿のとあるシルバーアクセサリー専門店で購入した荊を模した指輪がはまっている。棘は全て外側を向いているので私の指に刺激を与える様な事はない。しかし、普段よりワンサイズ小さく買った指輪はきつく、私の指を締めていた。
 「ああ、気に入ったのだが、これ以上のサイズが無くてね」
 嘘を吐く。ふぅん、と慧靂は少し棘を弄ってから離れた。無論これ以上のサイズもあった。ピッタリまでは行かなくとも、普通 は少し余裕のあるサイズを買うものなのだろう。しかし私には少し小さいものが丁度良かった。慧靂は気付かなかった様だが、今指に嵌めている指輪の半数が少し小さいサイズだ。右手の小指と薬指、左手の中指と小指。小指は女性用の指輪くらいで十分に、締まる。シンプルなリングだ、別 に気付かれる事も無いだろう。
 しかしそれだけに止まらない…いや、止められなかったのだ。長袖のシャツの下にコルセットの様に編み上げで止めるタイプの皮のリストバンドを付けて、それも可能な限りきつく締めている。上腕にも身体のラインが崩れない程度に皮のベルトを三本巻いて、きつく締めた。それが両腕にある。リストバンドもどちらも自分でデザインしているのだから見た目はただのアクセサリーに見えるだろう。自分がデザイナーを職業にしていたことに少しばかり感謝する。調子に乗ってしまえば足首にも腿にも皮で作ったベルト状のバンドがしっかりと括り付いて、今ではコルセットまで付けている。無論夏前の今だから出来る事だ。もう少しして暑くなったら外さなければならない…別 の手段を考えるか、外すか、だ。
 性欲を刺激し過ぎている訳でも無く、かと言って何も無いのとは違う。中途半端と言えばそうかもしれないが、他人に秘密で一人だけの秘め事、それも性欲に関する事などと言えば背徳心のような何かが、単純な快楽を生んでいく。風呂に入る時や就寝前に外した時の開放感も好きだが、こうして何も知らない客や常連、ゲームセンターの仲間、さらには町中ですれ違う人々全てに、ひた隠しに隠してこっそりと自分だけ一人で愉しむのが堪らない。共有などは必要ないのだろう、さっきの慧靂のように気にする者もたまにはいるが、それも極たまに、だ。そして結局はその意味、その深部を探る事も見る事も感じる事もなく、興味を失ってくれる。知ったらどう言うのだろうな。
 時々不意に襲い掛かる脈拍の音、それに呼吸が少し詰まってる喉、身体を動かすと何処かできちりと皮が小さく軋む。そういったつみ重ねの最後に、自室のベッドで最も感覚の研ぎすまされた場所にきつい皮のリングを、一つ。軽いマゾヒズムだ。チョーカー、ゴム、リストバンド、アンクレット、全てが私の身体を放さない。それが、心地よくて、おかしくなりそう…いや、日常にそれを持ち込んだ事でもうおかしいのだろう。

 「こんばんはー!」
 いつも通りやって来る、赤毛の男。恰幅の良い彼は同じ赤毛でもユーズや鉄火とは見間違わない。アーマーを着ていない事に驚く慧靂に、暑いし仕事休みだしね、なんて笑っている。その後ろから顔を出した彩 葉を見つけると、慧靂は挨拶もそこそこに出ていってしまった。彩葉と店を出た途端に手を繋いで歩く。既にアフターファイブも過ぎて、一度は夕方に少なくなっていた通 りの人影も再び増えてきて、馴染みのゲームセンターに近付けば見つかってしまうのだろう。
 「あーあ、超ラブラブだ。 鉄火に僻まれても知らないぞー」
 半ば独り言の様に呟いてどかっとレジ横の椅子に座り込む。本来はサイズの調整などで客を待たせる為のものだが、常連ともなると店に客が居なければ当たり前の顔で座る。当然になってしまった事を今更注意しようとは思わないし、それを無言で許可したのも私なので何も言わないが…実際の所、彼の為に用意した様なものだ。恐らくは誰にも知られていないと思いたいが、孔雀と私は、有り体に言えば「付き合っている」。それは友達付き合いとか仕事付き合いとかではなくて、恋人として付き合っているのだ。既にキス以上のことも十分にしてきているし、夜の生活だって充分なくらいで、満たされている。ただ時々、孔雀は外にいる時でも私にキスをねだることがあって、それを除けば…という部分もあるには、あるが。非生産的であっても快楽は快楽、私だけの話をすれば良いお付き合いをしている、といった所だ。
 その不満の無かったはずの生活に、今どうしてこの枷にも似た拘束が必要なのか。それは私にも分からない。ただただ首を傾げてしまうが、マゾヒズムに時と場合などというものは通 じないのかもしれない、と勝手に結論付けた。
 「ま、若いカップルなんてそんなものだろう」
 書類をとん、と机の上で軽く打ち付けて、綺麗に揃える。A4用紙には在庫のチェック表が印刷され、その在庫とこれからの予定で棚が埋まる。似た様なものが出ることはあっても、そっくり同じものを二回使うことは少ない。時々多くの再販リクエストを受けた為に再販することはあっても、基本的にはシーズン毎に商品は全部入れ替える。私なりのポリシーだった。ちなみにシーズンを過ぎたものは一日だけ半額で出したりはする。何を言っても売り上げが出ないのでは無意味だからな。
 「んで、おっさんの俺達はどう?」
 けらけらと、それこそ子供の様に無邪気な笑い方をする。その言葉が下品な色を帯びていたってそんな顔だ、本当にそんな時にでもならないといやらしい笑いの一つもない。孔雀は色々な意味でポーカーフェイスが上手い所があった。
 「俺はヤりたい盛りだからまだまだ若者のはずなんだけど」
 年下のカップルをだしにして、暗に今晩のプランを告げる。
 「私だってまだまだ若いぞ、おっさん呼ばわりは御免だな」
 軽く、指輪が机をかたん、と鳴らした。自分の指ながら、動かしてこれだけ音がなるのも面 白いと思う。指にダイレクトに机の硬度が返す振動が伝わった。孔雀はそれに、気付いていない。
 「じゃ、今日セムんちでいい? 理々奈ちゃんいる日だっけ?」
 隠語の一つも使わずに通じ合ってしまう。だのに、こういう部分には…私が努めて隠そうとする部分には気付かない。人に秘密、というのも相乗効果 だろうか、酷く興奮を覚える。例え恋人にだって漏らさない秘密…その言葉だけで甘美な感触だ。
 「いや、今日はナイアの所だ」
 軽く目配せをする。彼はうん、と要領を得ない返事だけして、立ち上がった。
 「そんじゃ、ゲーセンで時間潰して来ようかなぁ」
 閉店までは間もないが、閉店してからが長い。それを見越して識の経営するゲームセンターに行くのは賢い判断だ。私の店のデラ台は電源を落としてしまうし、私に邪魔にされるのは嬉しくないのだろう。
 それじゃ、と踵を返そうとした、その時だった。不意に、孔雀が少し俯いた様な姿勢で一点を見つめたまま動かない。
 「どうした?」
 ゴキブリでも居たのだろうか、と覗き込もうとカウンターに手を付くと、その左手を孔雀ががしりと掴んだ。
 「セム、この指輪、食い込んでるよ?」
 気付かれた。気付くはずがないと思っていただけに過剰反応してしまったかも知れない。自分でも身体がびくつくのが分かって酷く焦ったが、孔雀が手をまじまじと眺めているだけなのを確認して、まだ気付かれた訳ではない、と自分を落ち着ける。見つめられているのは、慧靂が見たのと同じ、左手の中指だった。
 「ああ…気に入ったデザインだったのだが、サイズが無くてね」
 誰にでも使う言い訳を、なるべく自然に口から出す。孔雀はそうか…と納得したのか、手を離した。が、視線は指輪に貼り付いたままで、もしかして本当に見透かされているのではないかと不安になる。気付くな、気付くんじゃない…。
 焦りを知ってか知らずか、結局彼はそれ以上に指輪に関心を示さず、じゃ、行ってくるね、とだけ言い残して店を出た。またな、と背中に声を掛けるが、扉が閉まる音に掻き消された。
 溜め息を吐く。いや、言い訳は完璧だし、相手はあの孔雀だ。これが識やユーズだったら危ないこともあるかもしれないが、孔雀に限って気付くことはないだろう。自分を落ち着けてから、あと数分に迫る閉店時間を示す時計を見た。早めに外して跡を消しておかないと…。

 店の片付けは一通り終り、パソコンに届いたメールをチェックする。まずは企業との連絡をチェックし、それから予約や取り寄せの客のチェックを始める。他のブランドの物も提携していれば入荷するし、最寄りの店がうしであれば取り寄せも行なっている。もちろん私のブランドの取り寄せ希望もあるので、在庫がある時は即座に送る様にしていた。今日は七店舗から依頼あった。なかなか数が多いが、まだ在庫があるものばかりだったので、すぐにダンボールに入れて送る準備を始める。
 「セムー」
 急に声を掛けられ自分でも滑稽なくらいに身体がびくりと固まった。振り返ると勝手口から帰ってきたのであろう孔雀が、小さな紙袋を片手に作業部屋の入り口に立っていた。遊んで来るというからてっきり時間が掛かると思い、まだ何一つ拘束は外していない。まいった、これは不味いな…。
 「さっきの指輪さ」
 大股に近付いてきて左手を取り、もう一度確かめる様に中指の指輪をじっと見る。うん、と孔雀は一人頷くと、紙袋を開いた。
 「これと同じだよね、多分」
 取り出されたのはまさしく同じ指輪だ。恐らく…私が購入した店で買ってきたのだろう。孔雀は人に見せびらかすようなお揃いは好まない。とすればこれを買ってきた理由は…
 「そんな食い込んでたら痛いでしょ、そっちは理々奈ちゃんにあげてさ、こっち着けなよ」
 はい、と握られていた手をひっくり返され、手の平に渡されてしまう。一応は受け取ったものの、私には着け直す意思はなく…しかしじっと見つめられている。そのまま立ち去るとかうろうろするとかしてくれれば良いのだが、こう見られていては着け直すしかあるまい。仕方なく、私は小さな快楽に別 れを告げることにして、薬指と小指で新しい指輪を握りながら、無理矢理に指から小さな荊の指輪を引き抜く。そして、それをパソコンの横に置いてから、緩い…いや、本当ならば丁度良いサイズの指輪を嵌めた。張り詰めた感じがしない、握っても血流を感じなくなった中指。どうにも寂しい。指を揉んでみると少し青くなっていた皮膚がすぐに暖かい肌色へと戻っていく。
 「お、丁度良い?」
 赤毛がひょいと私の手を覗き込む。うんうん、と一人で満足そうにすると、荷物を一瞥した。他の指輪には気付かれなかった様で、少し安堵する。バレたら全部買い直してくれてしまいそうなものだ、孔雀ならやりかねない。
 「荷物送るの? 俺手伝うよ」
 人懐っこい笑みを浮かべ、早速ガムテームを手にする。私は少しだけ息を吐き出してから、じゃあ、と、商品をダンボールに放り込んだ。

 配送する荷物の準備が終り、運送業者に電話して、明日の午前中に荷物の引き取りを頼み、孔雀と夕食にする。、理々奈も出かけると言っていたので一人ならカップ麺かレトルトで済ませる所だが、孔雀が来るとなれば話は別 だ。孔雀はしきりにカップ麺でもいいって、とは言うものの、折角二人きりで居られるのにレトルトなど…寂しいだろうに。すぐに近所のスーパーへ出掛けて、閉店間際で安売りになっている鶏肉と、ミックスベジタブル、それからデザートにアイスクリームを買った。くっ付いてきた孔雀に何か食べたいものがあるか聞いたが、セムの好きにして、としか言わない。気を使っているのだろうがリクエストがあった方がこちらとしては買い物の照準も定まって有難いのだが…ともかく、セールで安くなっていた水菜とピーナッツ、切らしていたマヨネーズを買い物籠に追加して、会計を済ませる。
 帰宅してすぐにケチャップライスを作る。米はいつも多めに炊いておくので足りないと言うことはなかった。ケチャップと鶏肉とミックスベジタブルで適当に混ぜ合わせ、二つの皿に盛って横に置いておく。すぐさま卵と塩と少量 の牛乳をかき混ぜ、フライパンに敷いた。ふわふわになるか確信もないまま、強火で一枚の薄い卵焼きを作り、盛られているケチャップライスにひらりと乗せた。うむ、なかなか半熟の様でいいじゃないか。二つ目に取りかかり、すぐ終らせる。孔雀が手伝いたそうにしているが、今日は無視だ。二つ目を仕上げて水菜のマヨネーズ和えと砕いたピーナッツでサラダを作り、二品目だが夕飯の準備を終えた。
 孔雀は私が手を出すより早く夕食を食卓に運ぶ。手伝いをしない、出来ないというのは、孔雀にとって寂しいと感じることなのだというのは承知していたが、食卓に付いてまで困った犬のような顔をしなくてもいいだろうに。
 手を合わせて食前の挨拶を済ませ、二人でオムライスを口に運ぶ。急いだ為に少しだけ味が薄い。
 「…味、薄かったな。すまん」
 ううん、と孔雀は首を横に振る。
 「俺もしかして何か悪いことした?」
 間をおかず、孔雀はそれこそ苛立つ飼い主を上目遣いに見て消沈する犬と同じに、ちらちらと私を見ては視線を逸らすことを繰り返した。
 「何故?」
 問えば、
 「だってセム、なんか、苛々してるみたいだから…」
 目線をオムライスに下げて、カツンカツンと、スプーンの先で皿を突つく。金属と陶器の音があまりに寂しげに響き、私は溜め息を吐いた。
 確かに少し苛立ったかも知れない。自らの秘密に、それと気付いていないまでも踏み込まれ、快楽を奪われたことは、少なからず私の機嫌を悪くさせている。努めて出すまいとしていたつもりだったが…出てしまったものは仕方がない。それだけ、この奇特な性癖が自分に影響しているというのもどうかとも思わないわけではないし。
 「すまんな…ちょっとさっきの仕事のメールで、な」
 誤魔化しを気取られぬ様に遠くを見て呆れた顔をしてみる。孔雀はそうなの、と顔を上げた。ちらりと見下ろせば既に自分に非がないと知って安堵の表情を浮かべている。単純で助かるよ。
 「ああ、だから心配するな。ほら、冷める前に食べてしまおう」

 夕食が終り、今度こそ俺が、と孔雀はささっと食器を片付けてしまう。洗い物を孔雀に任せている間、風呂を沸かす。出来れば今の内に拘束具は外してしまいたい…孔雀に先に風呂を薦めて、その間に全て外してしまおう。跡は放っておいても三、四十分もすれば消える。それより早く消えるようだと物足りないし、それより長いようだと自分の生活動作がぎこちなくなる…既にこのような事を始めて数カ月、加減まで分かる程になった。好きこそ物の上手なれとは言うものの、ある意味でとても変態的で明らかにマゾヒスティックな欲求を満たすことにここまで器用になる自分を笑う。恐らくはそういった素養もあるからこその行為だろうが、時々外したばかりの痣だらけの自分の身体を見て、他人には見せられないなと思うのだ。気恥ずかしさ、むしろ羞恥か。それすら快楽と捕らえる自らの精神と肉体は確実にマゾと呼ばれる類いの物だろう。時折だが、誰かに見られて蔑まれることを妄想して、その蔑みの視線や言葉さえも悦びに変えている…もし専門の人間、要するにその手のクラブの人間にでも見せたらそれこそ絶頂になってしまうのかもしれない。しかし、そのようなクラブに出入りする程には餓えていないので、今のこの状況…ある意味の自慰的行為で十分なのだ。
 風呂を沸かす間の一人の時間でこんなことをだらだらと考えている。誰かにいずれ見つかりたいなどと言う馬鹿のような欲求を持っていながら、孔雀に見せる気にはなれなかった。純朴な性生活だけで十分、といった彼に、こんな趣向は見せない。秘密にして、私だけが愉しむ…それで良い。

 孔雀に先に風呂に入れと言えば素直に従う。それなりに長風呂をすることは承知、私はすぐ自室へ向かい、すぐにベッド下にある百円ショップで購入したジッパー付きのシンプルなバッグを取り出す。しかしコレ、百円ショップで購入したにもかかわらず三百円もした。最近の某百円ショップの値段設定がおかしいというのは仲間内でもよく話題にする。
 ともかく、そのバッグの口を開き、ズボンとシャツを脱ぐ。トランクス一枚の姿だが手首、足首はもちろん、二の腕、太腿、そして胴にきつく締まって少しだけ青くなった皮膚が見える。その部分にはリストバンド、アンクレット、コルセット…自分で作った皮製の拘束が装着され、私の欲求を満たしていた。それを、一つ一つ紐やベルトを緩めて外し、バッグの中へ落としていく。外した時に開放感…血流が一気にスムーズになり、青かった皮膚が赤味を帯びて軒高な肌の色へとグラデーションしていくのが見えた。…その分、空虚さも感じる。そこに何もないことが寂しい。しかし、孔雀とこれから一晩裸で付き合うのに、着けたままという訳にもいかない。そんなことも既に数回繰り替えされているというのに、葛藤している訳ではないがどこか外すことに迷いを起こしながら、コルセットの紐を解いた。

 順調な流れと言うものはどこにでも存在する。孔雀が風呂から上がる前に私はネクタイと拘束具以外の物を再び身に着けてリビングでテレビを眺めていた。脱衣所から出てきた彼に酒はいるかと聞けば、今日はいらないと言う。お茶が欲しいというのであらかじめ作りおきしておいた麦茶を入れて出してやり、好きに飲んで良いと言いおいてから風呂に入った。その頃には脱いでも痣は無く、健康な肌色だけが見えた。
 風呂も滞り無く終り、髪の毛を適当にタオルで乾かしながらリビングへ。孔雀が用意していたグラスに麦茶をそそぎ、涼しげな薄茶色を飲み干す。もうこの瞬間から始まっているのだ、彼との行為は。
 ふぅ、と、飲み干した唇から溜め息をこぼす。それを狙ったかの様に孔雀の姿がすぐ近くにあった。一度空気を吸ったと同時に、唇と舌に暖かさを感じる。赤い髪に屈強な肉体、こんな外見だと柔らかい箇所は柔らかい。絡み付く舌を絡め返すことで同意を見せ、確認するように離れた顔に、頷いてやる。ようやくそこで、孔雀は少し好色めいた色を帯びる笑みを見せた。目がすっと細くなり、口元に堪え切れない分だけ笑みが乗る。極わずかながら微笑んでいるよりはニヤけていると言えそうな顔になるが、すぐに、ベッド行こ、と小さな言葉をいつもの顔で吐き出す。明るい笑みだ。どうしてこうも人懐っこく、可愛いとさえ言えそうな表情を持てるのだろうか。少しだけ羨ましくもある。ま、私がそんな表情でいたら常連共に気持ち悪がられるだけだろうがな。そんな気持ちと一緒に手を引かれて、一緒に二階の寝室…ベッドの下に秘密を抱えた私の自室へと、向かうのだった。

 行為はさほど急いでは行なわれない。原因に私が孔雀よりも少し年上というのが少々絡んでくる。どうしても一晩に一回以上は無理なのだ。体力を消費するという事もあるし、もとよりそこまで性行為に対して貪欲では無かったものが、歳を重ねる毎にさらに欲求が薄れていく。じりじりと長い行為を楽しみ、最後に射精で終る、そういった相手にしてみれば焦れったいかもしれないくらいの行為で良いと思ってしまっているし、日頃の仕事の疲労もあって、一度シた後はすぐに眠ってしまう。なので、孔雀はなるべく一回の行為を引き延ばし、互いに熱が高めて楽しもうと尽力していた。…そんな自分を申し訳なくも思う。夕方に自分でも言っていたが、彼はまだまだヤりたい盛り、という年齢だ。一度の行為では発散しきれていないだろう。時々、終った後に私が眠るか眠らないかのうちに、一人でシているのを目撃することがままある。寝ていると思っているのか、時々私の顔を覗き込んだり、身体に触ったりしながら、だ。可哀想にもなるが、精力剤を飲もうとは思えないし、今の所は良い解決案が見つからず、一回の行為の長さで我慢してもらっている。
 今晩もゆるゆると時間を掛けた愛撫が行なわれている。首筋から始まる行為は耳へ範囲を広げ、じっくりと胸までやってきた。舌先が掬い上げる様に胸にちまりと付いた突起を舐める。以前ならば多少くすぐったいだけで何ともなかったものが、執拗に耳や首を攻めてから胸を弄ると言う行為が私の身体にある種の進化を与える。環境論だ。彼の舌が、指が、快楽を与える環境となり、そこに置かれた生物は快楽を得るべく性感帯を増やす。…今では服の上からジャックが触るだけで顔を赤らめてしまうほどだ。
 ジャックが私の上に腹ばいになるようにして密着する。まだ下半身はお互いに別 個のものだ。こうやってくっ付いているのが好きなのは私もだが、ジャックはこうして行為の終わりを先延ばしにしようと懸命になる。熱が冷めない様に、しかし熱くなり過ぎない様に…加減が上手いもので、確かに射精前の焦れったい感覚をそのままじりじりと延長していく。最初は私が冷め過ぎてしまったり、ジャックが事を急いで私にお預けを喰らったり(性急な行為の為に腰を痛くして、数週間泊まらせることもしなかった)と失敗もしてきたが、慣れてくると器用なことにほとんどのことが出来る彼は随分前から加減に失敗をしなくなった。お陰でこうしてまた焦らされ、冷めない様にと軽く下半身に刺激を与える為に片手に小さな動きをさせて揉まれながらジャックが上に乗ってきた。思えばこの重さと圧迫感は締め付けにも似ていて、どうして今まで嫌がりもせず彼を上に乗せてきたのかが自分で納得出来てしまう。それでも一応膝は立ててくれているので、圧迫されるのは肋骨の辺りだけだ。
 「聖奈…」
 呟かれる。呼ばれて肘を立て、上半身を起こそうとすると、そのまま、と喉元に息が掛かる。体勢の所為でいつもとは違い、上から顔を見おろせるのがなんだか楽しい。悪戯半分、思い付いて私は急に彼の頭を自分の胸に押しつけてみた。
 「ふぶっ!」
 ひどく間の抜けた声が起こす振動、皮膚の間を空気が抜けていく感触がくすぐったい。私の悪戯と気付いて、上目遣いに私を見て、それから頭を押さえ込んでいた腕をしっかりと掴まれる。

 ぎゅうっ と。まさか、そんな掴み方をされるとは思わなくて。

 「んんっ…」
 ジャックの何事か言おうとした気配よりも先に、鼻に掛かった声が堪え切れずに漏れてしまう。全身から一挙に力が抜けた。普段のような淡く、継続しても問題の無い快楽とは違う。酷く大きな波が砂の城を削る様に、私の力も削られる。
 閉じた目の向こうで、ジャックが息を飲んだのが分かった。そして一度は私の声に驚いて揺るめた手の力を、再び強くして、握る。
 「ん、ぅッ…」
 唇を懸命に噛み締めた。声を出してなるものかと堪えるが、その快感がずるずると全身を這いずっている。締め付けられて、身体が、酷く悦んでいて、止めようがなかった。どうしよう、気持ち良くてならない。ところが、快楽の根源である手首はぱっと解放された。
 唐突に途切れた感触に、どうにか落ちて来る瞼を片方だけ上げてみると、ジャックが私の腕を逃れて頭を上げ、それこそ新しい何かを見つけ、それが何かを観察する子供のように、じっと私を見つめている。手首と私の顔とを交互に見比べ、それからもう一度手首を見る。すると、何かに気付いた様に、あ、と声を上げて笑った。
 「聖奈、こうすると、気持ち良いの?」
 そう言って、私が何かを言う前に、再び手首を握られた。今度はもう止めようが無かった。何を言おうとしたか、質問に答えようとして開きかけていた唇から溢れる声は堪えようが無かった。
 「あぅッ、じゃ…くッ…!」
 あとは溜め息に消えてしまった。肯定も否定も言葉にはなっていないが、どう見てもこれは彼に答えを与えてしまっている。
 「これも?」
 無邪気な問いかけは今度は手首を解放し、指を握る。当然のように声が漏れた。悦びにまともな発音も出来ない様な声…気恥ずかしさが込み上げる。こんな、マゾヒスティックな趣向があるなど、彼は私をどう思うだろう。
 しかし一方でその趣向が露呈したことを悦んでいると言うのも事実である様な気がした。秘密が秘密ではなくなる瞬間、その結果 が蔑みであれ共感であれ、露呈することそのものが私の被虐を刺激する。ルールを破ればお仕置きが待っているのだ。
 「聖奈って…」
 そのお仕置きがどういうものになるか、決定はジャックの言葉にゆだねられていた。
 「結構、マゾっぽいね…こういうの、好きなんだ?」
 再び手首が握られた。普段の様な、自分で固定した強さでは無くて、向こうが思うまま、好きに締め付けてくる予想の付かない快楽。否定のしようもなく、頭をただ縦に二三回振るのがやっとだった。
 「じゃあ、さっきの指輪も?」
 少しだけ微笑みにいやらしさを加えたような笑みを浮かべる。一度気付くとあとの関連付けが上手いのはジャックの特徴だ。さっきの指輪が小さかったことを見落とさない。首を振って肯定すると、ますます笑みが深くなって、うん、と頷く。
 「聖奈んちってリストバンドとかなかったっけ。 嫌じゃなかったら、使ってみたいな」
 にこやかに告げられた言葉のあまりの鋭さに一瞬心臓が抉られた様な気分になった。ここまで来ると確信犯的にさえ見えるが、しかしジャックが私の秘密をそこまで知っている可能性は無いに等しい。
 少し、考えてから、私は結局することに代わりがないなら、と、ベッドの下の拘束具を入れたバッグを取り出した。ジャックは私の手元を覗き込んでいる。その視線に、バッグの中にまで自分の恥じらいがあるかのような気持ちになる。ジャックが相手だと自分の性器だけまじまじと見られても興奮するのだが、つまり、まるでバッグの中にもう一つの性器が入っている様な…そんなおかしな幻想さえ見えそうだったのだ。ジッパーを開く。もちろんそこには革製の拘束具しか入っていない。
 「わ…凄いね、手作り?」
 太い指が伸びて来て、その一つをつまみ出す。足首につけるアンクレットだった。硬い素材、革紐、どう見えるだろうか。
 その底にある、コルセットを取り出した。それを見たジャックが目を丸くし、私が身に付けるのを目で追う。編み上げが前に来る様に胴を通 し、革紐を一回一回ぎっちりと、骨が軋むくらい引き締る。一番上まで紐を引っ張った頃には、私の口の端から一筋唾液がつうと流れていた。それだけでも、もう、嬉しくてならなくて、でも、まだまだ続くと思うとそれも嬉しくて…淫乱呼ばわりされても構わないから、ジャックにもっと締め付けてほしかった。
 いつもより強く締め付けたコルセットの紐。それを、じっと私を見ていたジャックの方へ差し出す。
 「…しっかり…結んで、くれ」
 少し苦しい呼吸の中、なんとかそれを伝えると、ジャックはうん、と頷いてから、少し緊張してるのか、真面 目な面持ちで紐を両手で受け取り、ぐっと引いた。胸が締まる。少し位置がずれて、乳首にコルセットの縁が触って身体がびくりと痙攣した。彼はそれに気付いているのかいないのか、そこに一度結び目を作ってから、蝶々結びで止める。
 「聖奈」
 痙攣と快楽に俯く私に、声が掛かった。顔をあげると、既にリストバンドを持って待ち構えている。にっこりと、それでもどこかイヤらしい顔で私を見ていた。右手を差し出すと、くるり、とリストバンドが私の右手首を覆う。

 一つ一つ、ジャックの手で付けられる拘束具。私が快感の声を抑えられなくなるような、絶妙なきつさで締め上げて来る。リストバンドも、コルセットも、上腕に付けていたベルトも。だのに、アンクレットを付けてくれなかった。
 「ジャック…」
 呼んで、どうしてほしいか伝えようとすると、彼は首を横に振った。
 「ごめんね、このアンクレット、別に使いたいんだ、俺」
 手の中で弄ばれる、幅1センチメートルに切ったアンクレット。ジャックはそれを二つとも手に持ちながら、私の方を見ずに、少し照れくさいのか、俯きがちに微笑んだ。
 「見てたらさ、これ、聖奈のココに似合うんじゃないかなって」
 軽く上目遣いになってから、ジャックは指先で私の足の間でずっと導きを待っている欲望を突ついた。その刺激だけで小さく震えている。
 「でも汚れちゃうよね…」
 既に、濡れて粘液の光がてらてらと頭から根元まで覆っていた。それでは確かに汚れるだろう。だが。
 「いい…着けてくれ」
 作り直す手間も処理にかかる手間も考える暇はなかった。身体が急かす。私の口から出た返答に、にっこりと笑ったジャックは、そっと手を下へ運ぶのだった。

 

 「ね、聖奈、どんな気分?」
 ベッドのスプリングに、ジャックが手を置いたその衝撃すら全身に酷く伝播する。血流の流れが弱まった分と言わんばかりに、皮膚の伝達組織は過敏になってた。他よりもぎっちりと締め付けられて、快楽と軽い痛みに身体が震える。ぐるぐると巻かれて簡単にほどける気配もなく、多少動いたとしてもその拘束が緩くなる事は有り得なかった。
 「ねえ、聖奈?」
 睦言はまるで何事もないかのように囁かれている。私は…まともに答えようとしても、あまりの状態に荒く呼吸を繰り返し、その心地よさを享受して喘ぐ事しか出来ない。息が、きれる。
 そっとジャックの指が縛り付けられ、痛ましいほどに赤くなっている場所の周辺を擦った。背筋がびしっと伸びる。痛みにも似た感覚が研ぎすまされて体中を駆け巡っていた。
 「…俺、少し意地悪してもいいかな」
 うっとり、と言えば良いか、うっすら、と言えばしっくりくるか。とにかく薄ら笑いに何かの感情を滲ませて、ジャックは私の先端をペトリ、と舌先にくっつけた。全身が震える。もう限界に達しそうだった。それでも、戒めがギチギチと締め付けている所為で、達する事もままならない。
 この中途半端な状況。全身で締めてくる全ての感触を受けとめながらも、それを解放に導く事が許されない。ジャックの舌はくっつけられただけで動かず、それももどかしさを只管に増幅する。
 まさに、今、私は罰を受けている。そう思うと、心も脳も溶けてしまいそうだった。
 その震えを頷いたと取ったのだろうか。ジャックはふっとそこに息を吐きかけて顔を放す。鋭敏な器官は先ほど散々触られたと言うのに、今の行為のもどかしさに煽られて、刺激を強く求めて揺れる。その下の方でも、呼吸と共に蠢くのを感じながら、彼の感触をじっと待っていた。巻き付けながら、ジャックは私の中へ入る準備も怠らなかった。片手で不器用に、しっかりと押さえ込む様に巻き付けられたベルト。その上にメジャーまで巻き付けて、彼は笑った。その上事も無げに机の上に転がっていたボビンを手にし、くるくると糸を引き出すと、差程敏感でもないのにしっかりと屹立した乳首に、くるくると巻き付けたのだ。さすがに自分でもここに巻き付けた事はなかった。新たな場所の開拓は、明日の生活の中に取り入れられるのだろうと他人事の様に思う。
 「いっつも、聖奈一回しかさせてくれないもんね…」
 被害者めいた言葉。同意の上であっても、彼には苦痛だったと言う事だろうか。
 引き下がり、しかし、すぐに覆いかぶさるジャックの身体。腕で支えていて、少し距離があるが、その威圧感は並の物ではなかった。いつもよりも強い何か。薄ら笑いの眼に、少しだけ怖い、という感情を持つ。何をされるかなんて大体想像は付いているのに、その眼が、濡れて光の拡散した様な眼が、怖かった。
 ぐっと押し込まれる。身体の中の物が溢れだしていってしまうのではないかと不安になる程強い圧迫感、いつもは絶対にしない性急な動き。本当に一息に押し込まれて、入った、と思った瞬間にニヤリとした笑みが見えた。
 「ごめんね」
 表情とは一致しない言葉。しかしその言葉に滲んだ感情は本物なのだろうと思う。自分の心と折り合いが付いていないのだろうか…考える間もなく、強い衝撃が全身を揺さぶった。一度は空虚さを感じた場所が、一気に埋まる。埋まったと思えばすぐにまた空虚になる。内側からの強い刺激に、目も眩みそうになりながら、それが苦痛ではないのに解放されないという事実に息が詰まった。切れ切れのはずの息が胸に溜まっている様な錯覚、呼吸を繰り返しても苦しい。全身を包む快楽と、ジャックに与えられる快感と、それが解放されない苦しさが思考を混乱させていた。解放を望んでいるのか望んでいないのか…ただただ、ジャックが私の中へ出入りするのを見つめている。少し、苦しそうに顔を歪めているが、少し閉じかけた瞳は細められている様にも見えて、この状況を半ばでは楽しんでいる様だった。しかし、私の肩を押さえ込む腕は、途中で何かを遠慮する様にベッドへ降ろされてしまった。きっと、彼も混乱しているのだろうと思う。同じだ、こういう事になったのが、もしかしたらジャックにも共通 した何かを与えているのかもしれない。
 そう思うや否や、私は自分が動かぬようにベッドを掴んでいた腕を放した。どうせ動いても変わらない。力の入らない腕を懸命に伸ばし、彼の首を捕える。愛しい、と思った。混乱が加速したか、耳元のジャックの声が普段とは違う色を帯びていた。
 「…は、ぁ?」
 何、と言おうとした形跡、しかしそれも互いの呼吸が乱れて掻き消えた。ぎゅうっと、赤い毛の頭を抱き締める。ん、と無理矢理に唇を結んで出した音が、彼にも伝わった様だった。
 私はおそらく今の自分は酷く弛んだ顔をしているのだろうと考えたが、自分で本当にそうなのかは分からない。茫洋といえばいいか、浮遊した様な曖昧な状態では自分の表情すら分からない。それでも、それがジャックに見える事はなかった。
 「くッ…」
 小さく息を堪える音。それと共に、腹の中に小さな衝撃。彼の吐き出したものが酷く熱く感じられた。
 「…ッふー…」
 ずるん、と音がする。強過ぎる刺激の為か、感覚が曖昧になった下半身からジャックが抜けていくのもどこか遠くの出来事の様に感じた。しかし、抜けた途端にそこに風でも吹き込んだんじゃないかというくらいの寂しさを感じて、同時に自分の身体が彼を求めてひくついたのが分かる。
 満足そうな、しかしまだどこか物足りなさを見せるジャックの表情。私の身体をさらりと手の平で撫でながら、じっと見下ろす。
 「辛かった?」
 いつもの、幼さの残った様な口調。伺う様な色がある。顔はそれを隠しているのかもしれないが、声に透けた優しさが嬉しい。
 「…もう一度…するんだろ…?」
 こちらから問いかけると、頬を掻いて、したいな、と微笑む。半ば苦笑に近い。彼の注ぎ込んだ液体で膨らんでいる様な錯覚のある下腹の上を、まだ解放されずにしっかり存在を誇張する私のものを避けながら、指輪の無い指でくるくると撫でられた。
 「俺、聖奈と二回できるなんて、夢みたいで…」
 随分現実的な夢だ。だが切実だったのだろう、というのは、この切羽詰まった行動からも分かる所だった。
 右手を引き寄せて、私の手を舐めるジャック。前々から指が好きだとよく言っていた。きつい指輪から放たれている指を、まるで犬のように舐める。それだけでも勃つ、と彼が笑ったのを思い出した。どれ、と覗き込む様に状態を無理矢理左の肘をベッドについて身を起こせば、確かに座り込んだジャックの股間、足の間からも見える程になっていた。普段、よっぽど我慢させていたのだろうと思うと、少し悪い気もしなくはなかった。もっと私が年若い恋人であれば良かったのに…いや、私があまりそっち方面 の体力がないだけだろう。この歳でそんな状況になっている自分が情けない気もするが、普段仕事に使う体力を考えると当然の結果 にも思える。
 指をしゃぶっている、その顔。まるで赤ん坊が乳首に吸い付くのにそっくりだ。舌をぐるりと指に絡ませ、吸い付ける。確か、赤ん坊はそうするのではなかったか…指の節の一つ一つを口の中で確かめる様には舐めないだろうが。
 愛しくなって髪の毛を撫で回そうとするが、体重を左腕に掛けていて叶わなかった。手首が軋む。見ると、拘束でうっ血しかけた周辺の皮膚は、行為の激しさに弛んだ戒めのお陰で血色を良くしてはいたが、今度は擦れて赤く腫れていた。
 「今度は途中で、コレ、外すね」
 不意に、話し掛けられて、ジャックの方を見る。きちきちと耳障りに肉と革の擦れる音が聞こえてきそうな程の食い込みは、興奮の為に一層酷くなっていて、ジャックがほんの少し触るだけでも過剰なくらいにビクビクと痙攣する。その度に私の脊髄をゾクリと駆け抜けるものがあるのも確かだ。このままもし、快楽を与えられても解放出来ないままにされたらどうなるのだろうか…危険なのだろうがそうなった先を考えるのも悪くない気がした。ちょっと自分にまずさを感じる。
 ジャックはまだ膨らみきっていないにも関わらず、私に身体を押しつけてきた。体勢を変えて、仰向けになって迎え入れようとしていたその時に、彼の腹筋が少しコルセットに引っ掛かった気がしたが、彼が顔に出さないので結局本当に引っ掛かったのかは分からない。ただ、その下でもぞもぞと、成長途中の雄が押し当てられたのを感じた。腰をしっかり手で掴まれて、私が動かない様に固定する。いつもより小さな感触は、あっさりと、拡張された私の胎へ収まった。
 「聖奈、締めて」
 鎖骨に、一度きつく吸い付けた後に囁く。可能な限り首を動かして頷き、下半身に意識を集中して、ゆっくりと、焦らす様に締めつける。
 「うわ、すごっ…」
 はぁ、と溜め息の音。言葉通り、ジャックは私の中ですぐに大きさを増していく。締めたり緩めたりを繰り返してやれば、あっという間に締める事もままならない程の太さと硬さを持ち、下腹はジャックで目一杯に満たされた。少し動けば、熱が身体の深い部分を掻き乱している様な錯覚さえ覚える。呼吸するのも苦しいくらいに胸まで迫る感触、一体それが何かも分からないくらいだ。
 先ほどよりも私がジャックの身体を感じているのに気付いたのだろうか、ふふ、と笑う声がした。
 「すっごく、気持ち良さそうだね、聖奈」
 せな、せな…と、つぶやきを繰り返し、少しずつ、腰を動かしていく。張り詰めたと思っていたジャックの身体は、まだその途中だったようだ。押し上げられる感触に、また抱きつく。すると、ジャックは腰を押えていた手をゆっくり右手だけ放し、そろり、と酷く締め上げられた箇所を触った。そのまま、結び目のように頑強に止められた留め金を探り当て、ベルトの尻尾を探し出すのが、私にも伝わる。激しかった腰の動きが止まり、少しずつ、その戒めが緩められた。
 「二回目だとさ…俺もちょっと、余裕無いんだ…」
 くるくると巻き付けられたものを解きながら、小声で囁く。先走りによるぬるつきと、赤い締め付けの跡、そしてべたべたの革ベルト。それらを見て、ジャックはまた薄く微笑んだ。いいよね、とすぐ脇にベルトを放り、再び私の上にのそりとのしかかってきた。その時、やはり腹に掠り傷があるのが見えた。
 「聖奈」
 ぎゅうっと、その腕に抱き締められた。抱きしめ返すと、安堵した様に背中が一度大きく動き、そして再びリズミカルな動作が再開される。傷は痛まないのかと声をかける前に、どんどん追い立てられていく。解放された事で、ジャックのモノが上に向かって突き上げられる度に、奥の奥まで抉られる感覚が、硬く、幾筋もの跡の残る屹立を震えさせる。内臓の全てが圧迫されて、酸素を吸い込もうとしても出ていく方が多く、いくらか苦しくなってきたが、そうして呼吸の為に吸い込もうとすると全身に巻いた拘束が軋み、また快感になる。
 「く、はぁッ…」
 無理矢理吐き出してから、思いきり吸い込む。最早声を堪えようという気も起きず、呼吸に任せて出てくる嬌声を只管に垂れ流した。
 「はあっ…ジャ、ック…!」
 限界、という事が出来ず、咄嗟にしがみつくと、急激にジャックの動きが速くなる。
 「聖奈…ッ!」
 最後に掠れ気味に名を呼ばれて、鼓動が酷く強くなった。途端、一瞬の内に目の前に火花か閃光がちらつき、下腹に熱いものを感じた。ぎゅっと目を瞑り、瞼の内側でもちかちかする光を堪えながら、余韻に震える。胎内にも腹の上にも熱い液体が放たれて、方やとぽり、と身体の動きに合わせる様に中で動き、方やべったりとくっついて徐々に大気に熱を逃がしていた。まだジャックは私の中に入るが、もう興奮の兆しは見せない。柔らかいのは指で触っていなくても分かった。

 ジャックは一つ一つ拘束を解きながら、ぐったりと横たわる私の身体を丁寧に水で冷やしたタオルで拭っていった。ひんやりとした感触は火照った身体に心地よく、ジャックの手の動きがまた優しく、ついうとうとと眠りかける。
 「聖奈」
 ぽそりと話し掛けられて、はっと目を覚ます。それも束の間だが。
 「俺、聖奈が嫌じゃないなら…また、こうやってしたい」
 もじもじと、左手の拘束具の結び目を弄りながら、私の顔を伺う。答えなんか一つしかないじゃないか。
 「いいに決まってる」
 言葉を叩き付ける。と、ジャックはきょとん、として、一度は動きを止めたが、私の返答の中身を知ると、俄に満面 の笑みになった。
 「うん、またしようね!」
 そういう、無邪気に見える所が私を赤面させているのに気付かないのだろうか…。

 結局、しっかり眠りに落ちてしまって、目覚めた時にはただ自分の身体と、ぐっすりと眠る孔雀が横にいるだけだった。昨晩使われた拘束具は、窓際に全てきちんと汚れを拭っておいてあり、朝日に照らされて合皮やエナメル独特の光を放っている。
 今日は休みで、孔雀と出かける約束をしているが…きっとこれは身に着けていくのだろう。二人の秘密となった、黒光り。それを眺めながら、そろそろ孔雀を起こそうと思った。

 悪い癖ほど、治らない。

 

ト・タカタ・ト。 end

2006/07/23
このところのスランプでようやく出てきたのがコレです。
…ふふふーもうセム=変態の構図ですよ。
これはピヨリ犬様からアイディアもらった「ディラ。」の続編になります。
このお話のアイディアは栗那様にいただきました。
もうこんなんで本当すみません…
とりあえず本編は半分以上エロスシーンです(笑)
途中までが物凄いスランプなので文体がいつもより平素に見えますが、
そこらは気が向いた時に直します。

アイディアをくださったお二人に、作品を捧げます。