『体験のあと』感想めも


 ガイ・バート『体験のあと』(集英社)読了。とにかくよくできていて、読ませる本だ。作者のガイ・バートは18歳のときにこの本を書き上げたということをあとがきで知ってびっくりした。4種類の文体で書き分けることで、一種クライヴ・バーカーの『ジャクリーン・エス』の中にある「腐肉の晩餐」のような極限状態における人間の姿を生々しく描くことに成功している。ぼく自身まだそんなに多くの作家たちに接していないが感覚的にイギリスのホラーはアメリカのホラーとは違って、一味違う作品が多いように思える。バートのこの作品はケッチャムやクライヴ・バーカーに読了後が似ているように思えた。

 イギリスの全寮制のパブリックスクールの卒業を間近に控えた5人の男女高校生が、イースターの休暇のために3日間学校の片隅にある忘れられた地下室に泊まり込みをすることになる。それは頭が切れるがいたずらもののマーティンの発案だった。彼らがこの地下室に篭っていることは発案者のマーティン以外は知らなかったのだ。地下室ははしごがなければ出入り不可能で、さらに鍵を掛けられていたのだ。当初の3日間彼らは気楽に学校のことを話したり、将来について酒を飲みながら語ったりしていたのだが、3日間で出れる約束なのに、マーティンがこない。募る不安に加え、食料の欠乏、果てには水まで止まってしまう。そんな極限状態の中で5人の男女は果たして脱出できるのか?

 あらすじ以上のことが書けない小説。とにかく当初に書かれているようにガイ・バートは4種類の文体をつかって見事にこの小説を書き上げており、なぜそういう技巧を凝らしたのかがラストで明らかに。このラストで、読者は「ギャフン!」とうならされることでしょう。それまでは私(リズ)の一人称による「体験」の追想、リサというマーティンと付き合っていた女性の告白、そしてリズが体験した「ホール」での体験を記述した客観的描写で「ホール」の中でなにが起こったのか、そしてマーティンという人物がどのような性格だったのかが明らかになっていくわけですが、もう一つの記述であるラストで読者はこの「体験」がどんなに凄まじいものだったかを体感することになるでしょう。当初はキングの『スタンド・バイ・ミー』やケッチャムの『隣の家の少女』のように青春を謳歌する高校生たちの姿が描かれているわけですが、それがだんだんと極限状態に進んでいくうちにぞっとするようなものになってきます。5人の男女の会話もだんだんと各人の性格が出てきて、極限状態における人間性とは何かを考えさせられるでしょう。リサの独白もまた不気味で、「人間を玩具のようにしか見ない」(『バトル・ロワイアル』での桐山とでもいうのでしょうか。)というマーティンの恐るべき人間性への告白もぞっとするものがあります。結局この体験にいたるまでにはきっと何かしらの因果関係があったわけですが、読者はラストにおいて「なぜこの「体験」が起こったのか?」を知ることなく、気色悪さだけを残して読み終わることでしょう。その意味では実に後味が悪く、眩暈がするくらいなのですが、あらすじほど単純ではない作品であることがわかり、読者は深みにはまっていくことになるでしょう。

 あまり詳しく書けないのが残念な作品なのだが、これは読んでもらうしかないでしょう。ただちょっと値段が高め(定価1957円)なので、何らかの手段で入手するのがベストでしょうか。好奇心と実験は表裏一体のもので、悪用されるととんでもない結果をもたらすことになるということでしょうか。あとはやはり本当の結末がなんであったのか読者はそのことについて考えるべきでしょうが。彼らの「体験」がどのようなものであったのか?そしてその後の彼らに与えた影響はなんであったのか?マーティンは罰せられたのか?などなど読者に疑問を残しているわけですが、絶対ホラー読みにはオススメだし、ホラー読みでもない人も読んで欲しい本です。。