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書物の帝国
「最終都市」

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Jun.1,1998 (Mon)

ヴァーナー・ヴィンジ『マイクロチップの魔術師』(新潮文庫)

 修士二年になって実はあまり授業を取らないでいいので、修士論文の勉強などを家でしていました。この日は、前から気になっていたヴァーナー・ヴィンジ『マイクロチップの魔術師』を読み終えました。

 この本は薄いながらも、今のサイバーパンクの先駆けになるような作品で実に面白い。この当時はたぶんD&DなどのTRPGがはやっていたのだろうと思うのだけれど、それをうまく使ってハッカーの生き様を見事に表現しているように思えました。(クラッカー的な要素もあるけれど、<砦>の人々はハッカーかな。)主人公たちは<郵便屋>とよばれる強力なハッカーと対峙することになるのだけれど、実は……という話で、大書『心の社会』でも有名な人工知能の大家、マーヴィン・ミンスキー教授が解説を書いているあたり、ヴィンジの作品への思い入れが感じられる一冊になっている。

 実際、チューリング・テストによる人工生命(プログラムされた情報生命体)の判別など、興味深い話もある。この辺りの話は複雑系の話と絡めて、ゲーム理論からのアプローチもされているので、自分としては学問的にもこの小説には興味を持ちました。


Jun.2,1998 (Tue)

司城志朗『ゲノム・ハザード』(文藝春秋)

 なんとなく勉強の合間の休憩時間に呼んでいた司城志朗『ゲノム・ハザード』を読了する。これは結構テンポがよくていい。ネタ晴らしはしないけれど、誕生日を妻と一緒に祝おうとしていた主人公が家に帰ると、妻が何者かによって殺害されているのを見る。しかし自分の妻からなぜか電話がかかってくる、いったいどうなっているのだ?という所から話が始まり、「私は誰?」系のサスペンスモードに突入する。

 ここからは読んでからのお楽しみであるが、確かに大森望先生がいっていたけれど「いまごろフロッピーにデータをいれないよな」というのには納得。それ以外の点は読みやすいので一気にいけます。厳密にはバイオ・ミステリーになるんでしょうけれど。


Jun.3,1998 (Wed)

サミュエル・R・ディレイニー『アインシュタイン交点』(ハヤカワ文庫SF)

アインシュタイン交点

 でもって、今日は伊藤典夫先生の名訳で讀むことができるディレイニーの『アインシュタイン交点』を読了する。これは、凄いの一言。簡単にいうと主人公が突然死んでしまった恋人を自分の手に戻すために旅に出るというはなしである。この旅は実は、もうひとつ隠されたメタファーがあり、ある場所で「あっ、そうか!」と気付き、かつただの引用文だと思っていたものが実は讀んでいくと一つの構造をなしていることに気がつく。

 最初はただの異世界ファンタジーなのかと思ったのであるが、そうではない。実に摩訶不思議な混沌につつまれた作品なのだ。この本はもう一度讀んで、また解釈をしなければならないような気がする。ある意味、『エンパイア・スター』とは異なって、不思議な構造を持っている作品である。読みおえて感じたことは、言葉がこんなに多義なのか、と考えてしまうこと請け合いです。


Jun.4,1998 (Thu)

早川編集部編『題名募集中!』(ハヤカワ文庫JA)

 早川編集部編『題名募集中!』(ハヤカワ文庫JA・上下)を読了する。これはSFマガジンで連載されていた作家のコラムを集めたもので、漫画家の吾妻さんがイラストを書いているという面白いコラム集。内容はやっぱりふるいものの、結構個性が出ていて面白い。個人的には村田基さんと柾悟郎さんのエッセイが面白い。こういう変なセレクションが最近ないのは寂しい限りである。作家の日常やつれづれが分かるので、もっとこういうのを読みたいなあと思いました。


Jun.6,1998 (Sat)

ハネス・ボグ『金色の階段の彼方』(ハヤカワ文庫FT)

 午前中にハネス・ボグの『金色の階段の彼方』を読み終える。ボグを知っている人はたぶん少なくなったと思うが(我々の年代では)、これこそファンタジーといえる秀作。友人に裏切られて牢獄に収容された主人公が、脱走に巻き込まれて脱獄囚の一味として逃げているうちに、別世界への入り口にたどり着き・・・という話。ブルーのフラミンゴ、不思議な狂気の森(別世界で姿を変えた人々の、無残な名残り)の描写、そして謎に満ちた人々の描写は実に素晴らしい。ボグの作品はこれで一応読んだことになる。

水見稜『二重戦士のさだめ』(ハヤカワ文庫JA)

 夜中に水見稜『二重戦士のさだめ』を読み終える。これは面白い。もともとゲームノヴェラを予想して書かれている本であるが、善なる精神と暗黒に惹かれた強力な身体に分裂した伝説の戦士になるべく、善なる魂の主人公が身体を求めて放浪するという話。<回廊世界>というのはどういうところできいてくるのか、それは読んでいくうちに明らかになります。二巻もあるので早く読もうと思っています。


Jun.7,1998 (Sun)

牧野修『MOUSE』(ハヤカワ文庫JA)

 使徒接近……であった。(笑)この日、午後に『MOUSE』(牧野修)を読み終える。これは凄い。ドラック・パンクといえるべき、一冊。面白いのはここでも出てくる<真の名前>である。ネバーランドと呼ばれる島、17歳以下の子供しか存在することのできない、東京湾に浮かぶ小さな島。そこに住むドラッグを使って不思議な能力で闘いを繰り広げる終わりのない子供たちのお話である。短編集であるが、かなりこれはキている。子供たちは場合に応じて、ドラッグをダウナーからアッパーと使い分け、相手を<落として>支配する。その支配の仕方に関連するのが、言葉・注意・名前である。ガジェットの詰まった作品集である。こういうわくわくするような話はとっても好きである。(柾氏の『邪眼』と似ていて好き、ということである。)


Jun.9,1998 (Tue)

高野史緒『架空の王国』(中央公論社)

 夜に長い間読んでいた、高野史緒の『架空の王国』を読み終える。文章の密度が濃くてとっても素敵なミステリー。西洋史を学ぼうとしている主人公のルカ(瑠花)が、フランス東部に位置し、スイスとドイツに境を接している小さな立憲君主国家ボーヴァル王国のサンルイ大学へ留学すべく、未来の指導教官、トゥーリエ教授に会うべくやってきたのであるが、教授は謎の言葉を残して「本の匂い」のたちこめる古い図書館の書庫の中で死んでしまう。その謎を求めて、若きルカが活躍をするという話。王国の若き継承者で史学の助教授ルメイエールとのやりとり、裏にうずめく陰謀などなど、伏線が見事に張られていて読んでいるうちにその濃密な文体と次第に明らかになっていく謎が解けていくうちにだんだんと意外な展開になっていきます。

 なんだか「カリオストロの城」的で自分としては、かなり評価が高いです。途中で議論される「王権神授説」などや歴史的な議論は著者自身の専門の知識が生かされていて実に食指をそそります。あとは書庫を中心とした展開なので、もしかするとジーン・ウルフの『拷問者の影』を読んだことのある方は、セヴィリアンがセクラのために本を調達した先の図書館の雰囲気を思い出すかもしれない。うまく表現することができないかもしれないが、人々の想いや想像力、そして思想などが記された書物があたかも意識を持ったように訪れた人たちに一種眩暈を与えるような、そんな雰囲気を高野史緒は『架空の王国』で醸し出そうとしたのではないだろうか?


Jun.12,1998 (Fri)

ハイネ『流刑の神々/精霊物語』(岩波文庫)

 夜中にハイネの『流刑の神々/精霊物語』を読みおえる。これはキリスト教の浸透によっていかにしてギリシャ神話の神々や英雄たち、そして土着の妖精や精霊たちが異端になっていったのかを具体的な例(グリム童話などの例)を用いて記した本です。短編ながら鋭い分析はファンタジー読みの自分にとっては非常に有効な一冊であります。こういう古典から学ぶことが多いので、岩波文庫の赤は侮れません。


Jun.14,1998 (Sun)

川島誠『しろいくまとくすのき』(文渓堂)

 今日は川島誠『しろいくまとくすのき』(文渓堂)をまず読み終える。児童文学作品であるが、『夏のこどもたち』(マガジンハウス)とは異なる意味で、「川島誠」を理解するうえで重要な作品に思える。主人公は突然変異のくま。色がしろいために小さい頃に母親に捨てられてしまう。しろいくまは自分が何ものであるのかわからないまま、長い年月を生きているくすのきの元で育つ。しろいくまは成長し、くすのきの元を巣立つ。その後の展開が実に見事。

 しろいくま自身は、「くまであるということ」という同族への帰属意識が皆無なために、熊たちの狼たちへの嫌悪感について理解もできない。それゆえにしろいくまは、「熊の襲撃計画」を友人である灰色の狼から知らされたときに、<熊共同体への義務>よりも灰色の狼との友情関係を優先する。しろいくまは狼たちとの戦争が理解できないので、戦いを回避しようとする。しかし、狼によってもう一人の友人であったしましま(イノシシの子供)が襲われて殺されることによって、しろいくまは友人である灰色の狼と戦わなければならなくなる。どうしてこんなことになったのか、狼にもしろいくまにもわからない。こんなことになってしまった理由としては、熊へゲモニーに対する狼たちの反発である。灰色狼は狼コミュニティーに生まれた狼であり、個人的な友情よりも狼コミュニティーへの義務を優先した結果である。しろいくまはもともと熊共同体への帰属意識がほとんどないために、なぜ戦うのかわからない。しろいくまの場合、「個々に対する友情意識」のみだからである。川島誠は、童話によって人間として大切なことを示唆しようとしているのではないだろうか?「なぜ戦争が起こり、戦争をしなければならないのか?」ということ、「個人的な友情と社会的立場について」ということの二点ではないだろうか?

 そしてしろいくまが産みの親である母親熊の言葉に対して「くまに生まれなければよかった」という言葉で応え、「さようなら」と一言述べて立ち去り、くすのきの元へと向かうシーンは川島誠の回答の一つであるように思える。しろいくまはしがらみから解放され、純粋な姿で死に向かう。万物は流転し、しろいくまはくすのきの一部になるのだ、と。(その前日に『エヴァンゲリオン』という超有名アニメを見てしまっていて、しろいくまとシンジ君が重なってしまったのはいうまでもない。つまり一言で要約すれば「そうか、児童文学版エヴァなのね」である。

神月摩由璃『幾千の夜を超えて』(教養文庫)

 次に読み終えたのは神月摩由璃の『幾千の夜を超えて』(社会思想社)である。知る人も知るウォーロックという雑誌でブックレビューをしていた神月摩由璃さんの最初の作品集である。最近はどうしているだろうか?と心配しているのであるが、この本は絶対買いでしょう。まずは「緑なす夢」ですが、この話はとてもいい。すべての知識を吸収しようとしていた老魔術師の最後を描いた短篇。私はこの短篇に惚れました。自然の前には人間は無力、大地に生き、土に還ることがどんなに純粋で素敵なことなのか、感じさせる短篇である。表題作もリリカルなファンタジーで、この話もお薦めである。伝説と不思議が飛び交う島で起こった神秘的な出来事を描いており、ビジュアルに想像できる点が神月摩由璃さんの凄いところだと思う。ファンタジーはどうも苦手、という方にお勧めする作品である。


Jun.16,1998 (Tue)

恩田陸『球形の季節』(新潮社)

 今日は昨日から読み始めた恩田陸『球形の季節』(新潮社)を読み終える。その夏、みのりの学校では不思議なことが次々と起こった。「5月17日、如月山でエンドウさんという子が宇宙人に連れていかれる」などの噂が爆発的に広まり、金平糖をつかったおまじないが流行した。みのりたちを含む地理歴史部員は噂の源をつきとめようと調査をはじめるが、5月17日に遠藤志穂という女の子が行方不明になり、噂は現実となる。そして第二の噂が……。という感じでストーリーは展開される。この作品でいまのところ恩田陸の刊行作品はすべて読み終えたのだが、『球形の季節』を読み終えて最初に感じたのは「勿体ない」という気持ちである。「噂が現実になる」「噂だと思っていたことが実現する」ということを題材に選んで、小説を展開している点は見事なのだが、他の情景描写や人物描写などで筋が分散している点が勿体ない。前作の『六番目の小夜子』(新潮文庫)の方が淡々としていて、怖かったように思える。『球形の季節』は谷津のこまやかな描写が確かに谷津の雰囲気を醸し出しているように思えるが、逆にその描写が多すぎて、プロットを殺しているように思えた。『三月は深き紅の淵に』(講談社)に比べれば破綻はしていないがゥBストーリー自体は大好きなので一気に読むこともできたし、自分の好きな作品の一つに挙げてもおかしくはないのであるが、やっぱり描写がアイディアを殺してしまっている感じがしてならない。その意味で惜しい、という言葉を使っているわけであるのだが……。(谷津の描写自身は視覚で訴えるような感覚があるのだが、余計なノイズが多かったのではないかと思われる。)

 いまのところの恩田陸作品でのオレベストは『光の帝国/常野物語』(集英社)、『六番目の小夜子』(新潮文庫)、『不安な童話』(祥伝社)、『球形の季節』(新潮社)、『三月は深き紅の淵に』(講談社)である。『三月はゥxは好きな作品なのであるが、他の恩田作品と比べるとこういう順序になってしまうように思える。恩田陸の作品は、<不思議な存在>が<不思議な存在>のまま余韻を残す点がいいのではないか?と思っていたりするのであるが。勿論、『球形の季節』には後の作品でも登場していそうな存在もあるので、逆に恩田陸のルーツを知るうえで、この話を今読んでよかったのかもしれない。そういう意味では恩田陸は読者の好みがはっきり別れそうな作家であると思われる。


Jun.20,1998 (Sat)

貴志佑介『十三番目の人格』(角川ホラー文庫)

 主人公の賀茂由香里は、人の強い感情を読み取ることのできるエンパスだった。その能力を生かして彼女は阪神大震災の後のボランティアで被災者の心のケアをしていた。そこで彼女は西宮の病院に長期入院している森谷千尋という高校生の少女に出会う。エンパスの由香里は千尋が多重人格であることを目の当たりにする。彼女とカウンセリングしていくうちに、彼女と由香里は心を打ち解け、彼女の中にある人格と話を交わすようになる。しかし13番目の人格ISOLAの登場に彼女は恐怖を感じることになる。

 これが日本ホラー大賞の長篇佳作だとは思えない出来である。貴志氏は後々『黒い家』で大賞を取ることになるが、本作品でも心理学やゲーム理論などの知識が惜しまなく利用されており、実に面白い作品に仕上がっている。雨月物語の怪談から、分離タンクまで幅広い小道具が見事に物語を形成している。主人公の由香里のけなげさと善の心が貫かれ、そのエンパスの能力への恐怖とその能力を使うことへの自分への自信の過程、そして少女の中に住まう謎の人格ISOLAとの対決など所々絡み合っていて面白い。他にも千尋の中に住まう人格の名前にはすべて意味があり、外からの刺激に対してある種の分業体制が成立しており、個々の人格と話すときに所々変化する所など非常に不気味である。もっと不気味なのは解決後の千尋である。ISOLAが千尋に及ぼした影響を考えるとぞっとする話である。ある種の淘汰論・遺伝子論も人格のレベルにまで及ぼされるのか?と思うとぞっとするわけである。是非読まれることをお薦めする。


Jun.26,1998 (Fri)

ケン・グリムウッド『リプレイ』(新潮文庫)

リプレイ

 今日は何となく前々から読んでいたケン・グリムウッド『リプレイ』(新潮文庫)を読み終えました。この作品は1988年度の第十四回世界幻想文学大賞の受賞作で、読み終えた後の感想は、ソムトウ・スチャリトクルの「しばし天の祝福より遠ざかり」の長篇版(笑)です。
 
 1988年10月18日、午後1時6分、中年の放送ジャーナリスト、ジェフ・ウィンストンは会社のオフィスで心臓発作を起こし、胸をかきむしっていきたえる。ところが次の瞬間、学生寮にいて自分が18歳であることが判明する。記憶と知識は元のまま、体は25年前のもの。こうしてジェフのリプレイは始まるのだが……。

 やりなおした人生の破天荒さは絶品なのですが、かなり冗長かもしれないです。途中ジェフは同じリプレイヤーに出会うのですが、3人目のリプレイヤーの話がまさにソムトウ!(爆笑)。これは両方を読んだ人にしかわからないネタですけれど、グリムウッドはこの短篇を読んでいたのでは?と思います。ソムトウの短篇は1981年ですから、ありえない話ではないでしょう。まあ死ぬ時間が決まっていて繰り返すのはあんまりうれしくないですね。リプレイの世界が仮にヴァーチャルなものだとしても、リプレイヤーは生々しい現実として感じていたわけですから。きちんと科学的に説明できないのが怖いですけれど、だから3人目のリプレイヤーのマカウワンのSF的解釈がかなり説得力がありそうな感じがしましたけれどね。うーん、もう少し簡潔でもよかったかな?と思いました。


Jun.29,1998 (Mon)

ローラ・J・ミクスン『アストロ・パイロット』(ハヤカワ文庫SF)

 夜にローラ・J・ミクスン『アストロ・パイロット』(ハヤカワ文庫SF)を読了。軽いスペースオペラものでなかなか面白い。あらすじはこんな具合です。「暗黒の宇宙を翔け、遥かな星々に人類の版図を拡げるスペースシップ。スペースシップのパイロットは若者のあこがれであった。だが栄光のパイロットになるには、スペースパイロット養成所にて厳しい試験を通過して、過酷な訓練に耐えなければならなかった。そしてここにジェイスンという新入生がエリダニII星系からやってきた。上級生のアンドレア伊藤は、この不思議な新入生が気になって仕方がない。ジェイスンには驚くべき過去と計画を胸に秘めた人物だとはアンドレアは知るよしもなかった……」

 個人的にはこういう感じの人間ドラマ系のジュヴナイルは大好きです。一癖もある謎の新入生のジェイスンと水晶球のような体を持つ異星人のススレイのコンビが実にいい味出しています。そしてヒロインのアンドレア伊藤。スペースオペラのお約束でまあ、恋愛関係になるのですが、ジェイスンを信じるべきなのか、それとも学長を信じるべきなのか、揺れる乙女心が実に鋭く書かれていて面白い作品だと思います。ストーリーがはっきりとしているので、人間の心のドラマを楽しみたい人にはいい作品かと思います。


Jun.30,1998 (Tue)

嶋本達嗣『バスストップの消息』(新潮社)

 嶋本達嗣『バスストップの消息』(新潮社)を読み終える。この作品は西日橋というバス停がある日、意識を持ってバスに乗り込んで旅をするという話なのですが、こういうのをファンタジーというのでしょうね。読み進めていくと実は人間社会へのオマージュになっていることがよくわかります。まあシステム論的な展開になるとは想像もつきませんけれど、バス停をシステムを客観的に見れる存在とすることによって、いろいろな意味の批判を込めているのではないかと思いました。この話も深読みができそうでいいですが、バス停に書かれた目の話やらが混線してしまって分かりづらいかもしれません。