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Feb.3,2001 (Sat)

山之口洋『0番目の男』(祥伝社文庫)

0番目の男

 第10回日本ファンタジーノベル大賞大賞受賞作家山之口洋氏の待望の第二長編。以前日記でも紹介した倉阪鬼一郎氏や西澤保彦氏の作品と同様、祥伝社文庫十五周年を記念しての400円文庫である。『オルガニスト』で用いられたアイディアと現在注目を集めているクローン技術を大胆に融合させたSFであった。

 時は近未来。2010年、深刻な環境破壊の進むウズベキスタンのアラル海の環境を取り戻すべく、苦闘する一人の科学者がいた。彼の名前はマカロフ。彼は妻で優秀な研究者であるイレーナとともに、アラル海の環境を取り戻す計画を実行していた。そんな中、マカロフの下にあるプロジェクトへの<参加>を求められることになる。その計画とは、彼のDNAから彼のクローンをつくり、優秀な人材をクローンで作り出すという計画であった。彼はこの計画に条件付で承諾する。その条件とは、自らをコールドスリープし未来のクローンたちの姿を見ることであった。コールドスリープから目覚めた彼は、自分のクローンたちが様々な職業で活躍していることを目の当たりにするのだが……。

 物語は非常にわかりやすく、30分で読み終えることができた。この作品で面白い点は2点ある。第一点目は、<あり得たマカロフたち>の姿である。我々は時間軸という中で、日々色々な選択を迫られて実行している。その中でもしクローンが存在したら、色々な職業や日々の選択を観察することができるという点。ただ、クローンと本体は別個の人格であるので、あくまでも「あり得たかもしれないマカロフの姿の投影」に過ぎないということを留意すべきである。第2点目はクローン技術のあり方についてである。これは読者自らが確認すべきことなので、この感想文では触れません。非常にポジティブにクローン技術をテーマとしたSFの佳品であるといえましょう。


Feb.4,2001 (Sun)

カーター・ディクスン『魔女が笑う夜』(ハヤカワ文庫HM)

 先日購入した小山正とバカミステリーズ編『バカミスの世界』(美術芸術社)をパラパラと読んでいて、ある本を読むことを決意して実際その本を読んでみた。その本は必ずといっていいくらい密室トリックがとんでもないという作品としてミステリ系のページやこの本でも強く取り上げられている話だった。その作品とは、カーター・ディクスン『魔女の笑う夜』(ハヤカワミステリ文庫)である。ぼく自身はH・M卿のキャラクター−子供っぽさが同居している不思議な名探偵−に惚れこんでしまったのだが、トリックがそんなに衝撃的だったのかと言われるとイマイチぴんとこない。これはぼくがSF読みであることに起因しているのかもしれない。むしろ『バカミスの世界』でも言及されているように<喜劇ミステリ>、すなわちドタバタ活劇としてこの作品を読んだから愉しめたのだと思う。ジョン・ディクスン・カーはこの作品が初体験だが、久々に面白い推理小説を読んだ気がする。たぶんミステリをもっと読まないとバカミスなる定義の作品がバカミスであるということが認識できないのではないかと思ったりもする。

 イングランドの田舎の村ストーク・ドルードで奇怪な出来事が起こっていた。この地にまつわる異形の石像<後家>にちなんだ謎の人物から事実無根の中傷の手紙が次々と村人に送られてきたのだ。そのあまりの内容に自殺者も出る始末。そんな現状を憂えた本屋のレイフ・ダンヴァースは数々の難事件を解決している名探偵、H・M卿(ヘンリー・メリヴェール卿)を半ば騙す形で事件を解決してくれるよう依頼する。H・M卿らは村人に送られた手紙を検討し、事件の解決に向けて動き出す。ところが、そんな中、村のうら若き美女ジェーンのもとに彼女のもとを訪れるという予告状が送られてくる。H・M卿らの防護のもと、鍵の閉められた部屋でしっかりとガードされたジェーンの下に<後家>が無気味な姿をあらわし姿を消した……。果たして犯人は?そしてその動機は?

 面白かったですよ!物語全体から漂ってくる喜劇的な雰囲気がなんともいいですね。冒頭で、犬と競争をするH・M卿のトランク(笑)とかラストのバザーで泥んこ合戦をするドタバタの部分といい、ほのぼのとしていていい感じだったりします。キャラクターの快活さが生き生きとしていて、面白く読めました。H・M卿にいつも抱き合っている姿を見られるジェーンとウェインとか、村人とボクシングをする司祭さんとか。犯人あての方は途中までさっぱりわからず。謎が解き明かされたときはなかなか気持ちよかったですね。H・M卿の活躍をもっと読みたいという気分になった1冊でした。話によると本書も入手困難な1冊ということなので、オススメができないのが残念。

 気になった言葉「……だが、物語を話すことにかけては、こういった作家たちは、どんなやつでも一ぱつくらわして飛びあがらせるほどの力を持っているんだ。」(P275, 5〜6、斎藤数衛訳)。


Feb.5,2001 (Mon)

太田健一『脳細胞日記』(福武書店)

 タイトルに惹かれて読んでしまったという経験がある方は多いと思う。タイトルで読者を惹きつけることに成功している小説というのは今までのぼくの経験上あまりはずれがないように思える。さて、この『脳細胞日記』だが、ブックオフで100円で購入。著者経歴を見ると、海燕新人文学賞受賞作家らしい。でもって、実際読んでみた……。

 やばいよー、電波だよ!表題作「脳細胞日記」を読んでいるとき、自分の体を調べたくなってしまう気持ち悪さがありました。主人公の隼人のような若者が実際周囲にいそうで無気味なのだ。毒電波を回避しようとしている主人公隼人が読者を含む人々にグリーンなる宇宙人から身を守る方法を伝え様と必死になるという話なのだが、無線をジャックしてメッセージを伝えるという描写は今のインターネットありようを予言していたように思える。物語のコアは「唯我論」にあって、自分の存在意義を強調しながらの論理展開はまさに電波。色々と変な話が詰まっていて、面白いです。

 海燕新人文学賞受賞作の「人生は擬似体験ゲーム」はSF。ディック的な悪夢の世界を「ヴァーチャルリアリティのゲーム」の入れ子構造に託した点が面白い。どこかで読んだ感じがしたと思ったら、神林長平の『Uの世界』を凝縮してスピーディーにするとこんな話になるという感じ。主人公がリアルな世界でヴァーチャルゲームをしているのか、それともゲームの世界がリアルなのかが段々と入り乱れて、主人公が果たしてどちらの住人なのかわからなくなる境界部分がいい。

 あまり知られていない作家さんかもしれないですが、古本屋等で見かけたら購入して読むことをお勧めしたい。神林長平、牧野修とかが好きな人にオススメの1冊。

気になった言葉「……四行目は『おれは日記に狂っている、と今日日記に書いた、と今日日記に書いた、と今日日記に書いた、と今日日記に書いた』という具合に無限に反復されていく……」(P133, 6行目)


Feb.6,2001 (Tue)

日野啓三『夢を走る』(中公文庫)

 短篇集だったため他の読書と併読しながら読んでいたのだが、この本はJ・G・バラードが好きな人は超オススメ。氏の描いている世界は硬質で無機質なのだが、そういう世界に共感している自分を感じることができる。『ヴァーミリオン・サンズ』や「最終都市」、「時間の庭」を想起させるイメージの奔流。まさに滅びの美を描いているといえよう。

 甲乙をつけがたいクォリティーの高い短篇集だったのだが、特に印象に残ったのは「石の花」「星の流れが聞こえるとき」「ふしぎな球」「砂の街」「孤独なネコは黒い雪の夢をみる」「夢を走る」の6編。特に「石の花」はバラードの「時間の庭」へのオマージュではないかと思うくらい素晴らしい。森の奥深くで<石の花>を育てる夫婦が、自分たちの子供と名づけた隕石の花を咲かせる瞬間をこれほど美しく、文章の中に永遠に閉じ込めたのはまさに芸術。幻想文学の傑作といえましょう。加藤さんも挙げられている「星の流れが聞こえるとき」は包帯を巻いた不思議な少女と主人公が色々な音を聞くという話で、隕石の落ちる音を必死に聞こうとする主人公の姿が素晴らしい。「孤独なネコは黒い雪の夢を見る」は、病身の父を見舞う主人公の体験する不思議な夢の世界のあり方を描いた作品で、だんだんと現実と夢のハザマが失われていく感じが見事としかいいようがない。ディックへのオマージュであるというのはうなづける。「ふしぎな球」は孤独を感じさせられる。もう1つの世界を見ることができる少年を描いた話で、不思議な静けさが伴った短篇だった。「砂の街」は個人的に好みな話。粗筋を書いてしまうとばれるので是非読んでみてください。「夢を走る」はある動物の行動をモチーフにした話なのだが、ぼくたちの身にも思い当たるふしがあるのではないかと思うと、かなり共感する部分があったと思う。本書自身は品切れなんですが、たぶん別の形で読めると思うので興味のある方はぜひ読んでみてください。

心に残った言葉「僕はもう夢よ覚めよ、と祈らない。(永遠の輪)の至福の感動だけを、現実と思わない。夢は現実で現実は夢なのだ。そのどちらをも、僕らはただ走るだけだ。世界は回るものであるように、僕らは走るものだから。」(「夢を走る」p211, 5〜8 )


Feb.7,2001 (Wed)

ジーン&ジェフ・サットン『惑星ドーンの少年』(角川文庫)

 過去、角川文庫からでていたSFジュヴナイルの1冊で比較的見かけない本。面白いSFだった。主人公の少年は記憶喪失という状態から、自分が何物であるのかを探って行く過程は実にミステリアス。構成もしっかりとしているし、設定もあまり古びていないので、ぜひ一読をオススメしたい。

 主人公ジェトロはなぜそこに自分がいるのかよくわからなかった。それまで自分が何をしていたのか、何物だったのかもわからない記憶喪失の状態だった。彼は意地の悪い夫婦に拾われて、家畜番の仕事をすることになる。そんな状態に耐えられなくなったジェトロは、彼らの元を逃げ出す。そしてある丘にて彼は不思議な老人に出会う。老人はまるで彼を探していた少年だといい、不思議な黒い石を手渡す。老人は危機が迫っているといい、彼に姿を隠し、何事があっても隠れているように伝えてそこから立ち去る。その直後、体に刺青を施した男が老人を殺害してしまう。恐怖に怯えながらも、彼は刺青の男に姿を見られずに危機を回避することに成功する。その後、彼はカーニバルが近くで行われていることを知る。カーニバルの雰囲気にすっかり惚れこんだジェトロはサーカスで職を得たいと望む。そんな折にライオンが逃げ出し、ジェトロはライオンを檻に戻すことに成功する。その力量を認められ、彼はサーカスで働くことになるのだが……。

 というのがだいたい半分までのあらすじ。この後、サーカスの少女との淡い恋と無気味な男たちからの不思議な石の詮索が始まり、彼の素性が明かになってきます。ただの少年の記憶回復ものだと思って読んでいたら、徐々にものすごい謎が明らかにされていきます。このプロットの大胆な立て方と構成のうまさは見事としかいいようがありません。どんでん返しにつぐどんでん返しといい、最後までどきどきしながら読むことができました。古本屋で見つけたら買いの1冊でしょう。

 心に残った言葉「でも、覚えておおき。時間には、かならず限りがある、年を取れば取るほど、時間は早く過ぎていくってことをね。そしてとうとう、死のにおいのする風が吹きはじめたのに気づいた時、残された時間がどんなにたいせつで、かけがえのないものに思われるか……。」(渋谷比佐子訳、P347, 4〜8)


Feb.8,2001 (Thu)

A・D・G『おれは暗黒小説だ』(H・P・B)

 いいよな、こういうストレートなタイトルってオレは思った。タイトルに恥じない破天荒でポップなノワールを読んだのは久しぶりだね。登場人物のガイキチやフリークスがいい味出しているぜ。謎を解くのも結構時間がかかった。まあ、これはオレのミステリ度が低いから仕方がねえと思うんだが、謎ときを含めスピーディでかつその狂いっぷりが今まで読んだノワール(っていってもあまり読んでいねえんだが)の中でベストに近いんじゃねえか。しかし読んだオレがこういうのもなんだけど、こんな状態には巻きこまれたくねえぜ。美味い話には刺があるっていうけどよ、主人公ジェロームにとっては最悪しかいいようがねえな。まあ奴はちいとばかしイタイ目に遭ったとは思うんだが、結果が良ければすべてオーライって感じだとはオレは思ったね。

 そうそう奴がどんな目にあったかっていうことを話してやろう。とにかく奴は家庭が嫌だったんだよ。奴のワイフ(なかなか綺麗なスケなんだけどよ……)とその母親の愚痴を聞かされながらも、奴はノワール作家としてそれなりの地位を獲得していたんだ。でもってクリスマスの日、奴は家庭内のいざこざが嫌んなって家を飛び出したのさ。奴がいうには有り金を使い果たして素寒貧になっちまったときに、糞美味い話がやって来たそうだ。んでもって、実際ゴジャースな邸宅に送られた奴はそこの主人のすげぇ爺いによ、大金を払ってやっこさんの妻を孕ますために一発してくれと頼まれたらしいぜ。こんな美味しい話はねえ。まさにパラダイス状態。でよ、奴は喜び勇んで一発しに部屋に向かったんだ。部屋には奴のワイフ。まちがいねえ、奴の妻だったんだよ。そのときの奴の驚きようといったら悲惨なもんだぜ。あのときの奴の表情を見せてやりたかったな。でやつはどうしたかっていうと、その後の記憶が飛んでしまったらしい。どうも気絶させられて、起きたときには路地裏のゴミ箱の中でゴミまみれ。奴は身包みはがされ、捨てていかれたらしい。奴は近くにいた乞食にお気に入りの靴を売り払って金をつくり、奴の出版エージェントに連絡してまあ事無きを得たらしい。でもな、それで終わるわけはねえんだな、これが。奴はまあ靴を取り返そうと、乞食たちのところにいったわけだが、奴らはすでに逝ってよし状態だったんだよ。つまり連中は襤褸クズのように惨たらしい死体になっていたってわけよ。でもって、奴はのっぴきならぬ状況になったことを察して、奴が何にかかわったのか、その謎を解くべく行動に出たってわけ。その後の話はな、まあすげー面白いから騙されたと思って読んでみな。オレの下手な語り口よりも、訳者岡村孝一氏のポップな訳文で読んだ方が何百倍も愉しめるぜ。

 この後に出てくる奴でな、奴の飲み友達のエドガーの狂犬ぶりがすごいぜ。奴はかみそり使いでな、剃刀の手さばきの見事さ、ありゃー天性モノだ。一瞬にして、耳なんてすぐに切ってしまうんだぜ。それからやつの妹のエドウィージュ。声だけ聞くとむちゃくちゃいいスケだぜと思うんだけどよ、実際あったときの衝撃は(戦略的撤退)だぜ。……とにかくまあすげえ暗黒小説だということは確かだ。オレが保証するぜ。でもよこの本、内容がヤバかったのか入手困難なのさ。興味がある奴は頑張って探して読んでくれ。

 気にかかった言葉「……ちょうどさ、カーター・ブラウンが自分の小説が本になってから読みかえしてね、ページをめくってもちゃんと筋がつながってるんで、ああ、びっくりした、て、眼を丸くしてる、そんなふうだったな。」(岡村孝一訳、P137, 4〜8)


Feb.11,2001 (Sun)

殊能将之『黒い仏』(講談社ノベルズ)

黒い仏

 素晴らしい!読み終えて大爆笑。ぼくはこのオチは好きだなァ。最後の2行がいい意味で衝撃的なオチなので、このオチを読むだけでも760円の価値はある。米田淳一『リサイクルビン』、小林泰三『密室・殺人』、東野圭吾『名探偵の掟』の3作品をほどよくブレンドした読後感。ちなみに巻末の参考文献リストはこれから読む人は絶対に読んではダメ。物語の面白さが半減してしまいます。このことは大森望氏らの日記でも言及されていますが。

 この物語はアンチ・ミステリの装いをしたユーモアSFなのだ。というわけで、SF読みの人なら絶対外れのない1冊だと思う。帯に書かれている「名探偵が世界を変える!」のキャッチフレーズはあながち外れていないわけで、その点を調べたい人はぜひ自分の目で確かめて欲しい。まだ他の部分(名称とか)でも楽しみがあるみたいなので、著者のページを見て確かめてみよう。ぼくは好きなので、オススメ。そういう意味では、ミステリとして売り出してはいけませんね>講談社。

 講談社ノベルズというミステリを主として出しているレーベルから出てしまったために、かなり反発を食らってしまってみたいだ。喩えでいうと、ハヤカワSF文庫でミステリを出してしまったからという感じなのでしょう。


Feb.13,2001 (Tue)

永江朗『消える本、残る本』(編書房)

消える本、残る本

 「出版業界の現状について今一番よくわかっているライターさんを」といわれたときに、真っ先に思いつくのが永江朗氏である。永江氏の最新作は実にわかりやすく出版業界の現状を説明した素晴らしい本であった。永江氏はまず「本の贋金化現象」について指摘する。つまり本の委託制度により、返本分の代金を書店へ返すというシステムが出版社の経営を苦しめ、その資金繰りのためにどの出版社も大ヒットした本のクローンを作り出すという現状と消費者のレベルが下がったという現状を「破鍋に綴蓋」の関係であるという。売りやすい本を手っ取り早く売ってカネに変えてしまうシステムの裏で、多くの本がひっそりと消えていく。このような現状でどのような本が残るのかという点を分析しようというのが本書の目的である。第二章で氏はベストセラーになった本を「宣伝により意図的になブームで作られたクズ本」(生き残れない本)と「口コミなどにより徐々に良さがわかってきた本」の2種類に分類して、過去のベストセラー本の検証をしている。特に当たり前のことを当たり前のように書いた本がベストセラーになっているという現状が実に腹立たしく感じる。どういう本なのかは、ぜひ本書を読んで検証してほしい。永江氏の書評は実に的確で、その本を読みたいと思わせるような本ばかりである。

 第三章は永江朗氏へのインタビュー。ベストセラーになる本の条件、書評について色々と語られている。ある本をけなす書評をするくらいならば、その仕事をしないというコメントが印象的だった。現在の出版状況を省みれば、けなすような本は紹介しないで誉めることのできる本を紹介するという書評の意味を考えるべきであるという。ただ、あまりにも内容が酷いものについてはベストセラーであっても批判すべきだという氏のスタンスには共感する。そして、現在の出版界が余裕が無いために、読書エッセイや書評にも余裕が無いという指摘をしている。読者も書評者がいいか悪いかだけで判断することを気にしていることで、書評者がどう語ったかをきちんと見極めていないという。この点に関して補足すると、現在WEBでは「他人がどのように読んだか?」という確認のための書評がずいぶんとアップされており、ずいぶん改善されつつあるといえる。新刊に関してはかなり充実してきているが、既刊分については今後の書評サイトの動きにかかっているように思える。

 第四章では個性派書店と呼ばれる書店を取材して、その特徴を列挙する。酒屋と本屋の融合した書店、24時間営業の書店、本以外の物品とのリンク販売をしている書店など、それぞれの持ち味を生かした書店があることを知る。こういった書店の特徴は、店主が勉強熱心で、情報収集に力を入れていること。どのようなトレンドで推移しているのか等、しっかりと見極め商売をしたり、模索している姿に希望を感じる。第五章はフリーライターという仕事について永江氏が語る。なぜフリーライターになったのか、そしてどのような仕事をしてきたのか、どのようなこだわりを持っているのかが簡潔だがわかりやすい文章で綴られている。永江氏のライターとしてのプロ意識を強く感じることのできる一文であった。

 第一章〜第三章は出版界の現状を知りたい人には必読の部分。永江氏の文章は非常にわかりやすく、面白い。本当に物事がわかっている人は何が問題点であるのかを十分認識し、どうすればいいのかという処方箋もしっかりとしたヴィジョンを持っているように思える。そういう意味でも、ぜひ手にとって読んで欲しい本である。


Feb.14,2001 (Wed)

時雨沢恵一『キノの旅II - the Beautiful World -』(電撃文庫)

キノの旅II

 颯爽とモトラド(注・二輪車。空を飛ばないものだけを指す)を駆って旅を続けるパースエイダー(注・銃器。この場合は拳銃)使い<キノ>の旅を綴る物語。前作と同様、寓話的にキノが旅先で出会った人々の習慣や文化を喜怒哀楽を交えて語られる。

 第7話「本の国」が印象に残った。立派な図書館と膨大な蔵書が揃った本の国。そこでキノが出会った青年はキノに自分の想いを語る。「この国から出て行きたい」と。この国は本を批評し、感想を確かめあう国だ。しかし、本の批評はされてもこの国の住人が創作をした形跡がない。なぜなら、批評することで十分だからだ。青年は自分の中で溢れ出す創造への情熱を押さえることができず、旅に出ることを決意する。自分の足で。

 前作から感じていたことだが、連作短篇という形式によって作者は時間や空間を気にせずに、<旅>というテーマを大胆に扱うことに成功しているように思える。これが長編であれば、「果てしない旅をしている」という幻想を読者に抱かすことに失敗しているだろう。連作短篇という形式にこそ、このキノの旅という物語のエッセンスであるといっても過言ではないだろう。続きも出ているので、早く読むことにしたい。


Feb.15,2001 (Thu)

ジョン・バカン『三十九階段』(創元推理文庫)

 エスピナージ小説の古典。面白かった。鉱山技師ハネーを主人公としたシリーズものの第1作目にあたるらしい。スパイ小説というよりはむしろ冒険小説的なテイストの小説で、はらはらどきどきしながら読むことができた。本書の存在は小林信彦『地獄の読書録』(ちくま文庫・品切れ)で知り、氏が絶賛していたのでいつかぜひ読みたいと思っていたのだ。ふとした親切心からある男を匿ってしまったため主人公は恐るべき陰謀劇に巻きこまれてしまう。この小説の面白さは、恐るべき追跡者たちとの頭脳合戦にある。主人公ハネーが敵の行動を冷静に捉えながら、あらゆる手を尽くすのがいい。イギリスは田舎になればなるほど、森林のない草原の広がった丘しかなくなってしまう。そんな隠れ場所のないようなところをどのように逃げて行くのかが面白いのだ。いかに目立たずに、追跡者の目をごまかすのか、ハネーが取った方策は実際目で見て確かめて欲しい。タイトルの三十九階段の意味はのちのち重要になってくるのだが、それにしてもこの三十九階段があまり謎に貢献していないような気がするのはぼくだけではあるまい。むしろ一緒にかかれていた時刻の方が重要で、これが意味することを考えるほうが面白かった。

 主人公のハネー自身がこの追跡劇を愉しんでいるというのも読んでいて楽しい理由の一つである。危機一髪のシーンもたくさんあるが、主人公がどんな逆境に陥っても「絶対逃げ切る」という強い信念を持っているので、読んでいて鬱にならないですむ。そういう意味ではバロウズの冒険小説に通じる脳天気さがある。またこの小説は、第1次世界大戦前のヨーロッパを舞台にしており、戦争勃発の危機への緊張感がほどよくミックスされ、巨視的な視点および微視的な視点の二つから物語をうまく練り上げているように思う。200ページもない小説なので、すぐに読むことができるのもいい。一応取り寄せ扱いになっているようなので、下にポインタをつけておく。在庫僅少本だった記憶があるので、読んでみたいと思っている人は早めに入手することをオススメしておく。


Feb.16,2001 (Fri)

J・P・マンシェット『狼が来た、城へ逃げろ』(H・P・B)

 すごい、すごいよ、すごすぎるよ!というのが読み終えての感想。ジェットコースター小説という言い方がしっくりくるノワール小説だった。正直なところマンシェットという作家はちょっとアブナイのではないかと思ってしまうくらい設定の狂いっぷりが見事なノワール小説であった。岡村孝一の訳はA・D・Gの時と同様、冴えていてすごく読みやすいんですが、差別用語がばりばり出てくるのでやばい。だから再版されないんだろうなぁ。しかし本書は1973年度フランス推理小説大賞受賞作で、お墨付きの傑作なのである。フレンチノワールは変だとは思っていたのだが、まさかここまで狂っているとは思ってもいなかった。

 ミステリとしては実に単純なのだが、登場する人物たちの奇天烈さがすざまじい。まず主人公のジュリー。彼女は精神病院に入院中の女性で過去に万引きや窃盗の罪で警察につかまった経験もある。そんな彼女を子守り役として雇ったのが富豪のハルトグ氏。彼は自分の兄の息子のピーターの子守りにと、彼女を雇ったのだ。ところが、このハルトグ氏風変わりな人物で、何かしらの障害を持つ人々を自分の屋敷の召使や執事、秘書として雇っていたのだ。ピーター少年は我侭に育っており、ジュリーも手を焼くが何とか彼に信頼関係を築かせようと腐心する。ところが次の朝、気分転換にと公園へ向かったピーターとジュリーは男たちに誘拐され、監禁されてしまう。犯人たちはジュリーに、ハルトグへの身代金要求の手紙を書かせた後、非常にも彼女らを殺そうとする。それを察知したジュリーは危機一髪でピーターとともに逃げることになるのだが……。

 いやー、かなりちょっとエクセントリックなジュリーと誘拐者トンプスンのキャラが際立っていました。ジュリーは警察という言葉に抵抗感を示すし、トンプスンは神経性の胃潰瘍を病んだ殺し屋という部分が重要。これらの設定がうまく生かされたノワール小説なんですが、逃亡途中に一般市民が怪我をしたり、ぼこぼこにされたりと暗黒度抜群。特にジュリーが切れたときがやばいです。やばさのレベルが半端ではないので、びびります。血まみれ度も高く、見せ場も多いのが特徴的です。映像的な小説です。かなり強力にオススメ。現在入手困難なのが残念。


Feb.17,2001 (Sat)

O・A・クライン『火星の黄金仮面』(創元SF文庫)

 E・R・バローズの亜流作品。物語は『火星のプリンセス』と酷似しているが、クラインの方がややSFしている。『火星のプリンセス』のジョン・カーターが火星にいった方法が夢想によるテレポート(?)のに対し、本書の主人公ジェリー・モーガンはテレキネシスパワーの宇宙船であるからである。本書で感心できる点はその点だけ。

 主人公のジェリー・モーガンは異様に強く、賢い。文章からマッチョ臭がぷんぷんするアメリカンヒーローで、いい加減にせんかい!という気にはなる。そこで美しい王女と恋に落ちるのだが、王家の陰謀に巻き込まれたモーガンは逃亡せざるを得なくなる。それからモーガンは第三勢力の頭となり、対抗勢力になる始末。この辺りの駆け引きは面白いも、有色人種に対する偏見が各所に見られ、げんなり。『火星のプリンセス』の方が『火星の黄金仮面』よりも読むに耐えるし、物語の面白さは各段上であると思った。所詮『火星のプリンセス』の亜流スペオペなので、あえて読む必要は無いと思う。まあ物語の読みやすさ、わかりやすさは抜群なので読んでいる間はそんなに違和感はなく、波乱万丈のスペースオペラに仕上がっている。冒険活劇として読む分にはそんなに悪くはない作品だと思うのだが、SFとしては三流である。


Feb.18,2001 (Sun)

■『SFを読みたい!2001度版』

 購入して読む。雑感等を記しておきたい。全部は読んでいないので、あくまでもざっとしか書くことができないがとりあえず。山田正紀・鏡明・大森望の鼎談は面白かった。クズSF論争の辺りをもうちょっとつっこんでくれればなおよかったのだが。あと1990年代ベストSF(国内編)については入手困難な作品は3つ。『ムジカ・マキーナ』『ヴィーナス・シティ』は少なくとも入手可能にしてほしいぞ。国内はややバランスが悪いような気がする。例えば森岡浩之氏、谷甲州氏、大原まり子氏、神林長平氏の作品を2作入れるくらいならば、佐藤亜紀『戦争の法』(新潮文庫)、北野勇作『クラゲの海に浮かぶ舟』(角川書店→徳間デュアル文庫)、田中哲弥氏らの作品を入れたらよかったと思う。入手困難度は高まるが、多様性を持たせたほうがガイドブックとしては使えるような気がする。ちなみに当方の国内の既読率は5分の1。国外編は3分の1。イアン・ワトスンは2作も入れないでもいいような気がしたのだが、どうか。『スロー・バード』だけで十分なような気がする。ワトスンは長編はあんまりうまくない気がするので、短篇の奇抜さを愉しむべき作家だと思うけどね。あとせめて海外部門でベスト3に入っている『アヌビスの門』くらいは復刊すべきだと思う。スチームパンクを語る上では外せない1冊だし。

 なんと2007年現在、『ムジカ・マキーナ』はハヤカワ文庫JAで復刊。そして田中哲弥氏の作品もまたハヤカワ文庫JAで復刊するという快挙がなされる。さらには『アヌビスの門』も復刊し、『スロー・バード』は名作セレクションとして復活した。SFにとってはなんともいい状況になったものだ、と思う(2007年6月)。

■SFM
 SFマガジンの短篇をちまちまと読んでいる。すべてを読むのはたぶん大変だけれども、単行本に収録されていない短篇も多く、お徳だと思う。とりあえず、できる限り読み終えた短篇はこのページで感想をアップしておこうと思う。先日文生堂でミステリマガジンのバックナンバーを幻想と怪奇特集を中心に10冊以上ゲットしたので、こちらも余裕があれば感想をアップしたい。ということで、最近読んだ短篇からピックアップ。

■ダン・シモンズ「黄泉の川が逆流する」(SFM1987年7月臨時増刊号・柿沼瑛子訳)

 「歩く死体」をモチーフとしたホラーSF。死体再生業者によって"復活"した母親をめぐる相克、生憎を描いた力作。ダン・シモンズお得意の残酷な描写は見られないが、精神的な痛みが見事に描かれている。話すこともなく、ただそこにいるだけの"母親"。その母親を愛する主人公のぼくと良かれと思って再生した父親の痛み、そして生ける屍になった母親の姿に耐えられなくなった兄の姿が見事に描かれている。ラストは痛々しいのだが、読み終えて爽快な気分になれたのはオチの締め方がうまいからだと思った。

■チャールズ・L・グラント「秘密」(SFM1987年7月臨時増刊号・高木国寿訳)

 少女の念をテーマとした情念ホラー。映画「トワイライト・ゾーン」に似たような話があったような記憶があるが、幼心に非常に恐い思いをした。本短篇も非常に恐いものだった。本短篇の恐さはラストの一言につきる。嵐の中、車のトラブルを起こした男女がミリアムという少女の棲んでいる家に雨宿りに来る所から始まる。そこで出会った不思議な少女ミリアムのとった行動こそが衝撃的なのだが、数ページの短篇で恐さを濃縮したように思える。そしてラストの一言がさらなる恐怖を引き出しているように思えた。

■アンソニイ・バウチャー「聖者をたずねて」(SFM1971年11月号・浅倉久志訳)

 残念ながら短篇としてはあまりよくない出来。技術主義が蔓延した世の中で、出会う人々をすべて帰依させたという聖者アクィンの遺体を確認する旅に出た一人の僧侶が出会った奇蹟を描いた短篇ということになるのだが、ある種ギャフン落ちではある。というか、このオチはちょっとどうかと思うぞ>バウチャー。

■ヘンリイ・カットナー「ジュークボックス」(SFM1971年11月号・小森正昭訳)

 面白かった。こういう話ってあり得そうな感じがして、好きだ。身近にあり得そうな存在をうまく非日常的に転換することによる面白さがこの短篇にはあった。酒場のジュークボックスに恋してしまったしがない男が得た奇蹟の秘密を描いた話だが、特にラストのオチがひねられていて、機知に富んでいるので面白い。ラストのジュークボックスの鳴らす曲が面白いのだが、オチは書けないので是非確認して欲しい。

■ロバート・ブロック「ファンの七段階」(別冊奇想天外3・白川星紀訳)

 SFファンがたどる七段階を皮肉を交えて書いたショートショート。いかにSFファンというのがひねくれていくのかがよくわかる(笑)。最終段階まで達したときがまあ完全変態に到達した段階になるわけだが、こういうファンっているのか?って感じだ。まあ、アメリカと日本のファンの違いというのを考えさせられる短編ではあった。


Feb.20,2001 (Tue)

山田正紀『謀殺の弾丸特急』(徳間文庫)

 読み終えて「ジュラシックパーク2」を思い出した。物語の設定、スピード感は文句無し。「ジュラシックパーク2」(見ていない人、すみません)的なご都合主義(登場人物が実は……というのがやや鼻につく)を我慢できれば至福のひとときを愉しむことができた。さらに感じたのは、下手なラブロマンスを入れずに逃亡劇に終始したほうがよかったような気がする。普通の民間人が頭脳を駆使して、プロの軍隊の追撃からどのように逃げるのかという部分が一番面白い。この点は『火神を盗め』でも共通しており、立場が逆転している点を除けば、基本的な設定や枠組はあまり変わっていないと思う。ただ攻めと受けを変えるだけで、こんなに面白い話になるというのは目から鱗が落ちる思いがする。

 舞台は東アジアの小国アンダカム。そこで現役の汽車C57に乗るツアーが開催されていた。ツアーの中には元国鉄のSL機関士や、胡散臭い国際ジャーナリストを名乗る男などがいた。ところが政情不安なアンダカムであろうことにスパイ容疑をかけられた一行は仕方がなしに、命がけで隣国タイへとC57で逃げることになるのだが……というのがあらすじ。

 有栖川有栖の解説に愛がこめられていてよかった。確かに鉄道冒険小説の傑作であることは間違えないし、山田正紀の作品の中でも出来のいい方の冒険小説であることは間違えはない。再度書くのだが、下手なメロドラマを入れるよりはむしろチームワークの点を強調して「いかに脱出するのか」をより明確にすれば安心して薦められる作品になったように思える。昔から感じていたのだが、山田正紀は女性描写が下手なような気がする。今まで読んだ作品を振り返ると、男性はみな魅力的でわかりやすいのに女性はイマイチな気がするのだが如何だろうか。なお、山田正紀に関してはSAKATAMさんの山田正紀ガイドが詳しい。ぜひご一読あれ。


Feb.21,2001 (Wed)

■ハーラン・エリスン「ヒトラーの描いた薔薇」(SF宝石1981年6月号・伊藤典夫訳)

 エリスンが深夜ラジオ収録中に書いたとされる作品。オチもよかった。地獄が壊れて罪人たちが逃げ惑う中、ある一人の女性が捕まらないで天国まで行ってしまった。彼女は無実の罪で地獄に落とされた哀れな女性であった。そんな彼女が昔の恋人に会いに天国にいく……。きちんとまとまった佳品。ラストがとにかく幻想的なホラー度の強い作品。

■佐藤哲也「母の日」(SFM1997年6月号)

 7人の父親と一人の息子。7人の父親たちは一人息子と共に囚われた母親を取り戻すべく準備をしていた。そして決行の日がやってきた……。『沢蟹まけると意志の力』の佐藤哲也氏の世界が戻ってきました!寓話的饒舌さによる父親たちの過剰なまでの言葉での反復、その反復が見事なほどに物語に効いてきています。その過剰なまでの反復の力の凄さがよくわかる作品だと思います。

■グレック・ベア「近ヘスペラス点」(SFM1997年6月号・小野田和子訳)

 宇宙遭難モノ。宇宙船事故に出会って唯一生き残った少女の体験物語。このオチは悪くはないし、うまいと思う。敢えて余韻を残すことによって、もう一人生き残れた老宇宙飛行士が語る物語が引き立ってくるように思える。絶望的な状況の中でも希望が見える気がして、とてもよかった。これも何らかのアンソロジーに収録されないかなと思う次第。

■キット・リード「身変」(SFM1986年6月号・幹遙子訳)

 ある世界的名作をネタにしたとんでもない傑作短篇。気色悪いという一言で終わらすには惜しい短篇。「ある朝、目を覚ますと……」というあの文章から始まる主人公はアレなんですが、このアレがとんでもないアレなので是非読んでみてください。ただ突然アレがこうなったらこういうことを考えるかなとは思ったりしますけどね。ある種、因果応報的なネタではあります。

■ラムジー・キャンベル「身代わり」(SFM1987年7月臨時増刊号・井辻朱美訳)

 巻きこまれ型ゴーストホラー。段々と巻きこまれて行く感覚が気持ち悪い。ただやや日本人には受けにくい感じはする。家の残骸だと思われた煉瓦の塊が思いもよらぬものを導くものであったという点では実に恐い。ホラーらしいホラーといえるが、何回か読みなおさないとオチがわからないというのがちとつらい所。


Feb.22,2001 (Thu)

各務三郎『ミステリ散歩』(中公文庫)

 ミステリマガジン編集長だった氏のミステリエッセイ。初心者にわかりやすく書かれた最上のエッセイの一つといえよう。レイ・ブラッドベリなどの幻想・怪奇系の作家も章を割かれるほどかかれており、食指をそそられる。ミステリマガジンがいまだに幻想と怪奇という特集を組むのは、ミステリがどのジャンルとも相性がいいということを示す好例なのではないかと思った。各務氏の文章はとてもくだけており、面白そうな作家がたくさん取り上げられている。レックス・スタウト、E・S・ガードナーらの人柄なども面白おかしくインタビューを交えて語られており、作品に対する興味をそそられる。

こういうガイドブックは罪作りだとつくづく思うのだが、面白いのでやめられない。面白い本をいかにネタばれなしに紹介するかという点を考えさせられるエッセイだった。ただ、ややパズルストーリー(謎解き主体のミステリ)の紹介が少ないのが不満ではある。ハードボイルドを中心としたミステリエッセイであるといえよう。ガイドブック的なものではなく、その人がどのようにその作品に思い入れがあるのか、そしてどのような興味を持っているのかということが文章から感じられるいいエッセイだった。古本屋で見かけたら迷わず買いだと思う。


Feb.23,2001 (Fri)

ドナルド・E・ウェストレイク『361』(ハヤカワ文庫HM)

 昔、西大井のたなべ書店で入手した本。そのころ漠然とウェストレイクを集めていて、今や早稲田の文英堂書店では2000円とか、3000円で売られていてびっくり。改めてウェストレイクの人気を痛感した。ネット古書店をチェックしても1000円前後のことが多いので、やや入手しずらくなってきたのは事実。ただ、ブックオフなどでたまに出てくる可能性があるので地道に探すのが吉かもしれない。本書はウェストレイク作品の中でも初期の頃に属し、血まみれ度の高い暗黒小説であった。

 主人公レイ・ケリーはドイツでの軍隊生活を終えて、久々にニューヨークへと無事帰還した。ニューヨークへ息子を迎えにきた父親で弁護士のウィラードと涙の対面を果たし、故郷へと車へ戻る途中だった。ところが信じられない不幸に彼らは見舞われたのだ。近距離の車から発砲され、父親は即死。助手席に乗っていたレイは車から投げ出された際、右目を失い、足にも酷い怪我を負ってしまう重傷に陥った。その直後兄ビルの嫁アンも自動車事故に遭い、死んでしまう。度重なる不幸に疑問を抱いた兄弟は、父親の背景にあった出来事を調べ、真犯人を探すために、兄と共にレイは調査を開始するのだが……。

 ウェストレイクの暗黒小説の中でもかなりレベルの高い作品でした。人間関係が複雑に絡み合って、段々とミステリ的な要素も強まってきます。チンケなヤクザから暗黒街の顔役までが揃い、主人公は彼らに翻弄されます。そんな中で、主人公は兄を殺され、何もかも失い、何を信じればいいのかわからなくなってきます。ある手がかりをつかんだとき、実は嘘だったということがわかった瞬間の気持ち良さ!そんな感覚が掴める小説です。物語自身は重く暗い復讐劇なのですが、ウェストレイクの文体はそれを感じさせないところがあり、さくさく読めました。ユーモアではないウェストレイク作品では味わえないシリアスな物語を堪能したい人にオススメします。現在絶版。


Feb.25,2001 (Sun)

リチャード・スターク『悪党パーカー/逃亡の顔』(H・P・B)

 関内の天保堂苅部書店に立ち寄ったとき、多量のH・P・Bが店内で紐でくくられて置かれていた。そのときもしかするとと思ったぼくは、店主の方に恐る恐る「見てみたい」と伺ってみたのだった。そのとき、ポケミスの番号を教えてくれれば調べてくれるとのことで、連絡を待っていたらなんと在庫があった!ということで、長らく探していたリチャード・スターク名義の<悪党パーカー>シリーズもあと1冊を残すところとなり、ようやくシリーズ2巻目に当る本書を読むことができた。今までの感覚からも、悪党パーカーシリーズの中でも特に入手困難な1冊なようだ。

 相変わらずタフで非情な主人公パーカーが仲間たちと現金輸送車を強奪するという話なのだが、前作『悪党パーカー/人狩り』(ハヤカワ文庫HM)と同様スピーディでスリリングな展開が愉しめる1冊だった。もっと長くてもいい!と思うぐらいスピーディで面白く読むことができた。前作でシンジケートを敵に回したパーカーは何と今回、整形手術によって顔を変えてしまうのだ。敵の目をくらましたパーカーは昔の仲間に依頼され、現金輸送車の現金掠奪の指揮を取ることになる。しかしその一方、パーカーの顔を整形した外科医が何物かに殺され、復讐を誓っていた彼のお抱え運転手に犯人ではないかと疑われるというトラブルも発生する。そんな中、果たしてパーカーは現金掠奪に成功するのか?

 パーカーの筋の通し方、仕事への情熱はまさにプロそのもの。犯罪のプロフェッショナルであるパーカーの生き方には共感するところが多い。また特に人間関係においても、かなり実社会の縮図をうまく導入し、人間の本性の汚さや狡猾さを見事にさらけ出すことに成功しているように思えます。文章も軽快で、前作同様渇いた感じの文章がパーカーの非情さを醸し出していて、実によかった。<悪党パーカー>シリーズは最新作を除いてすべて日本語で読むことができるが、読めるのはわずか4冊のみ。特に本書は色々な意味で、ユーモアミステリでウェストレイク名義で発表された『空中楼閣を盗め!』や<ドードマンダーシリーズ>との対比を考える上で、一つの材料を提供しているように思えるのだ。なので、ぜひ何らかの形で復刊してもらいたい。


Feb.26,2001 (Mon)

ローレンス&ナンシー・ゴールドストーン『旅に出ても古書店めぐり』(ハヤカワ文庫NF)

旅に出ても古書店めぐり

 古本集めにはまってしまった夫妻が書いたエッセイ集、第二弾。前作ではまだまだうぶだったローレンス夫妻も本書ではすでに立派なコレクターに。南に古書店あれば電話で予約し、北に旅行に行けば古書市に行く始末。古今東西古書マニアというのは、特に行動様式に変化はないみたいだ(笑)。ささやかな誕生日祝いのプレゼントから始まった本集めをきっかけに、自分たちのこだわりのある本棚をつくろうと古書店巡りをはじめたご夫妻だが、本書では地方の古書市やサザビーズのオークション、MWA賞受賞パーティーにまで出る始末。人間こうなるとますます深みにはまっていくばかりである。

 本書の最大の魅力は、古書店巡りを通じてのちょっとしたアメリカ観光ガイドになっているという点にある。さらに古書を通じて、ブルームズベリーの歴史、ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』の謎、ふたりのチャーチルのちょっとした謎が紐解かれる。この2点はとにかく魅力的で、ただの古書店巡りをした人のエッセイに留まらないのがいい。読者に色々な興味を植え付けてくれる。またなぜ人は古書店を回るのかということについて、ローレンス夫妻の分析は興味深く読むことができた。夫妻の考えは以前よりぼくも感じていたことでもあり、親しみを覚えた。古書を集める楽しみ、古書自体から味わえる充足感、歴史を紐解く愉しさなど、古本はぼくたちに知らない世界を提供してくれるのだ。

 「新しいファンをひきつけ、この分野の生命をたもつためには、古書業界はそんな機会を提供しなくてはならない。この目で本をながめ、この手で本にふれ、教養と情熱のある専門家と話しあい、古書の雰囲気と歴史に酔い、ほんとうの蔵書(自分たちの蔵書)とはどういうものか、という感覚を手にいれる機会を。」(p248, 浅倉久志訳)


Feb.27,2001 (Tue)

黒武洋『そして粛清の扉を』(新潮文庫)

そして粛清の扉を

 土曜日に読了。第一回ホラーサスペンス大賞、大賞受賞作。ワープロ変換の使いすぎで文章に気持ち悪さとぎこちなさが見られたが、それ以外の点ではノンスピードノベルとして読ませる作品だった。冒頭部分がとってつけたような感じがあり、一瞬読むのをやめようかと思ったのだが、とりあえず読み進めてみたら面白かった。物語が進むにつれて明らかにされるとんでもない事実と恐るべき設定。陳腐ではあるが、『バトルロワイヤル』と比較される理由がわかった。本作品は集団的エゴイズムの本質を鋭く洞察しており、社会という集団のエゴイズムを代表する者として主人公が処刑人の役割を果たした物語といえよう。『バトルロワイヤル』は高校生たちが「制度」によって確率的に決められて殺されるという話であり、特定の集合人格である国家による「全体化された」排他的利他主義をテーマにした物語であるといえよう。読み終えて井上達夫『共生の作法』(創文社)を紐解きたくなった。

 卒業式前に地味な女教師が起こした凶行……。それは29人の生徒を教室に監禁し、粛清することだった。緊迫する空気が漂う中、女教師は身代金を要求。用意できない場合はその生徒を撃ち殺すというものだった。あっけなく殺される生徒たち。果たして彼らはなぜ殺されなければならなかったのか?

 最近の若者が何を考えているかわからないという人が読むと愉しいかも。あとオヤジ狩りに遭ったとか、不快な目に過去遭わされたという人はある意味癒しになるかもしれないと思ったのは不謹慎?危険だと感じたことに対して、行動を起こすことは事実「悪事の芽を狩る」行為として正統化される(個人の権利を侵害することに対して、アクションを起こすことは個人の権利である)。その部分をクローズアップしたのは面白いし、個人の権利を考えるにあたっては重要なサジェスチョンを与えているように思える。主人公の女教師によって殺害された生徒たちの何が問題だったのか、それは読めば一目瞭然。確かに粛清されるだけの理由はある。理由があるが上に、集合的エゴイズムが働き、「正義」の概念によって裁かれることになる。社会からの要請なのか、それとも女教師のエゴイズムからなのか、それは本書を読んで判断してみてほしい。色々と考えさせられる作品であった。


Feb.28,2001 (Wed)

クリフォード・D・シマック『マストドニア』(ハヤカワ文庫SF)

 何となく手にとって読んでいたら、読了してしまった。草上仁の短篇にもこんな話があったような気がする。一言で言うとタイムトラベルとファーストコンタクトの融合SFなのだが、これに人々の思惑が絡んでくるのでなかなか読ませる。シマックの作品は善人の好意によって成り立っている社会のため、いささか辟易とするシーンも多かった。「人々の好意によって成り立っている世界」という設定がシマック独特のSF観を反映しすぎて、読んでいてつっこみをいれたくなった。

 ウィスコンシン州の田舎町の農場でサバチカルを取っていた主人公エイサ。ある日突然彼の下に、昔の恋人ライラが訪れる。昔の日々を懐かしむ彼ら。そんな甘い生活を日々をおくっていた彼らに思いがけない物がもたらされる。エイサの愛犬パウザーが新鮮な恐竜の骨を咥えて持ちかえってきたのだ。さらにエイサは何かの墜落で出来あがったクレーター宇宙船の部品とおぼしき破片を発掘する。その場所には以前から不思議な出来事が起こっていたのだ。近隣の狩人から聞いた話によると、キャットフェイスと呼ばれる知性を持ったネコのような生き物がその辺りに生息しているという。ある晩、キャットフェイスを見つけたエイサは銃を持ってキャットフェイスを追跡して、例のクレーターのところに来てしまう。そこでエイサは奇妙な体験をする……。

 キャットフェイスの正体が明かになるにつれて、段々と物語が俗っぽくなってきます。キャットフェイスの持つ不思議な能力によってタイムトラベルができるようになった二人はタイムトラベル商売を始めるのでした。奇蹟によってタイムトラベルの手段を持った人々が独占して世界を分譲していいのか、過去に戻って恐竜を狩っていいのかという疑問が出てきますし、国家の対応も個人の権利だけを尊重している点が気になりました。たぶんシマックは、「過去に存在する事物に何をしても現在には影響はない」という仮定のもとでSFを書いているわけですが、何となく気持ち悪い。時間を分譲するというアイディアは面白いとは思うのだが、登場人物があまりにも善人で、辟易としてしまった。つっこみどころ満載でSFとしてはダメな部類に属する話だと思うのだが、不思議と読ませる。まあ、この作品を読んでのほほんとしたい人にはいいかも。特にオススメしません。