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復刊ドットコムに「夢の国のリトル・ニモ」の復刊をリクエスト。ご協力お願い致します。
メタSF(たぶん)の傑作。個人的にはSFの衣で包まれたスプロール・フィクションと呼びたいところ。というのは、この作品はアドルフ・ヒトラーというSF作家が書いた『鉤十字の帝王』(第二版)という1954年度ヒューゴー賞受賞作だからだ。つまり、ノーマン・スピンラッドというSF作家が創造したアドルフ・ヒトラーというSF作家の書いたSFという入れ子構造のある実に意匠の凝らされた作品なのだ。さらにこの作品の面白い点は、「第二版」ということ。第二版であるので、この小説に対する評論家による批評も掲載されているというちょっとした遊びも楽しいものになっている。この作品はまさにSFのガジェットが作品全体に満遍なく詰められており、非常にスプロール性の高い完成度の高いSFになっている。アポロ賞を受賞している、というのは何となく理解できなくもない。
壮絶な核戦争後の地球。地球全土には放射能汚染が拡散し、正常な遺伝子を持つ人類は滅亡の危機に晒されていた。大半の人々はミュータント(優越種と呼ばれ、テレパシーを持つ)と下等なミュータント、そして交雑種として国家が形成されていた。中でも正常な遺伝子を持つ人間はヘルドン大共和国という国家を形成して、遺伝子を継承してきた。ところが、月日が経つにつれ、ドム(ミュータントの優越種のこと)の策略により、正常な人間とミュータントの交雑が図られ、徐々にミュータントとの交雑化が進行していた。そんな中、主人公のフェリックはそのような国家状況を憂い、憂国の士として国家の再生に力を注ぐことになる。彼はひょんとしたきっかけでヘルドンを支配するという<ヘルドの指揮杖>の所有者となり、総統として成り上がり、国家を掌握するにいたる。そして、彼はミュータント国家に宣戦布告し、人類の遺伝子の純潔を守るための戦いを開始したのだった。
ナチス成立の経緯を知っていると十倍以上楽しく読めるという素晴らしい作品。特に、SAのベームを粛清するところとか、ヒムラーが頭角を表して、収容所を作るとか結構そういう現実と小説内との対応がかなり狂っているので怖い。なんというか復刊がある種難しい(内容はもろ人種差別ネタ)ために、誤解はあるかもしれない。しかしながら、SFという枠内でここまで徹底して、ナチス総統ヒトラーの夢を具現化したという意味では、非常に貴重な作品かもしれない。という意味でも、この作品はあえてタブーを犯したことで人々の心に何かを残す名作に仕上がっているのだと思う。もちろん、構成上の面白さ(物語のメタ性)と物語の奇想天外さの両方があるからこそ、名作だといえるのではないだろうか。ぜひ読んでみて欲しい。この物語はグロテスクな世界の構図ともいえるのだから。

二編の短篇が収録された短編集。デビューから二作目とは思えない才能振りを発揮した傑作。「天帝妖狐」は本当に怖いダークファンタジーなので、一読をお勧めしたい。なんというか、不条理なんだけれども絶対にありえる怖さ、というか。この怖さはキングの『ペット・セメタリー』(文春文庫)で主人公の父親が子供を失ったときに、子供が生き返ることを望んだ後の結果と似ている。我々が願い事をするときに、どんなことを願うのかにも依存する。つまり人智を超えた「何か」に願いを言うことによって、我々は何かしらの代償を払うということである。その「何か」によって引き起こされた怖さ、というのは本書では「こっくりさん」なのだ。
ということで、「天帝妖狐」は本当にお勧めなのでぜひ読んで欲しい。まだ数冊読み終えていないので、今後も彼の作品は読み続けることになるでしょう。楽しみがまだまだあってうれしいです。
なんとも嫌な味のサスペンス小説。読んでいて段々鬱になってくるような内容で、なんというか本当にやるせない気分に陥ってしまった。シムノン作品はこれが初読なのだが、実にうまい作家だと思う。嫌悪感を含めて、ストーリーテラーとしての職人芸を垣間見た気分である。ラストが救いがないので気持ちがめいっているときには読みたくない作品だった。内容は、老境にかかった再婚した夫婦の身に起こった恐ろしい心の妄執と断絶を描いた異色作品。ご主人側のエミール・ブワンにかなり同化して読んでしまったので、その妻のマルグリットの仕打ちと後の行為は全然ほめられたものではないし、赦せないという気持ちが強くなる。なんといっても、主人公の飼い猫を「なつかない」という理由で殺すような女性なのだから。
というわけで、妻が彼の可愛がっていた猫ジョゼフを殺したために、その報復として妻の購入したオウムを羽をむしって殺してしまうことが引き金となって、お互い口も利かず、やりとりはメモだけという冷戦状態(よりも酷い断絶状態)に陥る。お互い毎日が疑心暗鬼で、食事は各人が作り(毒殺されるのを懼れて)、家庭内離婚という気持ち悪い状態に陥っていた。妻の仕打ちに耐えかねたブワンは昔の愛人のネリーのもとに逃げ込むものの、マルグリットの弱弱しい姿をみることで、またもとの場所に戻ってしまう。
老いの怖さが切々と書かれたお話。いざこざの部分はともかくとしても、物語中に心に残る言葉が何箇所かに出てくる。特に45ページの文章は、壮年期から老年期に移り変わる変化をうまく表現していて、ものすごく哀しい気持ちになる。きっと20年後に読み返したら、この話はより現実的に感じられるのかもしれない。なんというか、尊敬しあえない二人がただ寂しさのために一緒になると、こういうことになるのではないか?という感じ。妻のマルグリットは完全にブワンを前の夫と比較し、ブワンを下卑で野蛮な男とみなし、性生活も拒絶するという恐ろしい女性。俺的にはこういうプライドだけが高くて思いやりのないような女性(財産家であっても)とは絶対結婚生活なんかできないでしょうね。なんというか、マルグリットはまるで夫をマスコットのごとく扱おうとしているわけで、そのマスコットの象徴が彼の飼い猫のジョセフだったわけです。彼女に逆らうマスコットは殺す、という手段をとることで、夫を独占しようとした。とまあ、色々な想いが交錯している感じでした。今は入手が難しいようですが、ぜひ一度は読んでもらいたい作品。
並行世界を扱った古典SF。とある事件によって引き起こされた不条理さがなんとも言えずいい感じ。原題が「コスディカンの針」というタイトルで、かなり変えられてしまって、内容と一致していないのはちょっと残念。1953年度の作品だから、丁度50年前に書かれた古典SFになる。なんというか、読まないでいいといえばいいという作品かもしれないのだが、ぼくとしてはファーマー的世界が好きな人には割りとお勧めしたいとSFだったりする。あ、それとキャンベルJrの『月は地獄だ!』みたいなテイストもある。『月は地獄だ!』よりはかなり楽観的だし、悲劇的でもない。『月は地獄だ!』は割と八甲田山的なカタルシスがあるハードSFなのだが、こちらはご都合主義的な並行世界ものだから、というのはあるかもしれない。
当初は物質を透視する機械だと思われていたコスディカン博士による発明が、シカゴの一角に住んでいた人々の運命を大きく変えることになるとは人々は想像だにしなかっただろう。コスディカンの針と名づけられたこの装置は、まさに針のような形をした装置だった。どうもこの装置は生きている有機物を別世界へと移転させる役割を果たすことが、重役の一人が行方不明になり、さらなる4人の警官が行方不明になることでわかったのだった。根本的な解決を行おうと様々な策が練られるが、カルト教団の教団員が機械を破壊してしまうことで、会社を中心とするシカゴの一角にいた人々が別世界へと移転させられてしまったのだ!果たして彼らの運命は?
テクノロジーに関しては当時の時代性のために古びてしまっているが、アイディア的には面白く読めた。別世界に移転した人たちがコミュニティを作り、生き延びようとするさまに感情移入するかも。ラブストーリーとかは抜きとしても、一から生き延びるために知恵を尽くして生き延びようとする人々の姿を描いた、というサバイバルSFの系譜に属すると思う本書は暇つぶし程度に読んでおく価値はあるかも。他に読む本があるのであれば、読まないでもいいかもしれない。#つまらないということではなく、優先度順には低いということでしょうか。とまあ、今述べたことは古典となってしまった作品群に言えることなので、無理して探す必要はないということ。この点については、また後ほど。
表紙だけを見ると絶対ファンタジー・ホラーと思う。かなりご都合主義的なところはあれども、面白いので問題なし。何も考えないで読むのが吉。帯が「サタンvs帝国守護神聖騎士団」と書かれているので、ファンタジー?と思うと読者はびっくりするかもしれません。設定自体にすごくアナクロニズムを感じる人もいるかもしれませんが、
ある種人を喰った設定にびっくりすること請け合い。小川隆氏の解説によれば、ビショフはイギリスに対する偏愛があるので、その設定がこういうヘンな作品につながってしまったのかもしれない、と思ったわけです。ベアらと同じように、SFファン上がりの作家ということで、SFのコードはしっかりと押さえているので、読んでいて安心します。感覚的にはシマックのRPG系列のSFを読んでいる感じでした。
夜の帳が落ちるころ、惑星ステュクスに<ナイトワールド>が訪れる。狼男、吸血鬼、キメラなどの夜の魔物たちが徘徊する恐ろしい世界へと変容するのだった。そんな魔物への恐怖と表裏一体の世界で、ある日うかつにも森の中で夕暮れを迎えてしまった主人公オリヴァーは夜の魔物、人狼に追撃される。殺されると思った瞬間、彼は巨大な馬車に乗った男によって危機を救われる。彼の名前はターナー。帝国守護神聖騎士団の一員で、夜の魔物たちを殺戮することに一生を捧げる恰幅のいい中年男だった。そしてターナーはオリヴァーにある驚愕の真実を告げることになるのだが……。
結構不思議な作風という感じ。キース・ローマーのように決して一流になれないSF作家群に入ると思われるのだが、きちんとSFのコードを掴んでいるので、読んでいて楽しいし、お勧めしたくなる。ご都合主義はあれども、嫌味はないのですんなりといく。もちろん、サタンが人間を誘惑するために利用しているのが、麻薬というのもなかなかいいアイディアだし。ファンタジーの皮を被ったSFの中ではかなりサプライズのある出来のいいSFではないかと思う。古書店で見つけたら買いの一冊(当時の定価ぐらいならオッケー)だと思う。
山尾悠子さんの作品が好きなら、ぜひ読んでもらいたい本。4つの短篇が交錯し、見事なタペストリーを織り成している。まさに日本SFのもうひとつの到達点として、万人に読まれてほしい幻想短篇傑作集。作者による夢の解釈は、4つの短篇がどのような位置関係にあるのかを知る上で、読んでおくとなるほどと納得することは請け合い。なので、先に読んでおくことをお勧めしておきます。
荒巻義雄はこの作品で、人間という有限の器が見る夢を無限の入れ子構造の中に収めることに成功した。それはまるで、合わせ鏡の偽りのごとくに。幻視者としての荒巻義雄はこの作品で十分証明されたのではないかと思う。大傑作。
『グリフォンズ・ガーデン』(早川書房)みたいなテイストなのだが、こちらはより散文的。色々と心に残る言い回しがあり、思わずにやりとしてしまった。村上春樹に哲学問答を加えると小林恭二のこの作品になる?とかちょっと思った。そんな印象の作品である本書は、前回古本屋周りにて小林恭二の大ファンというSTRさんに薦められた一冊。彼曰く、「この本は見つけたら買う。特にクーラーについての描写がいいんだよ」ということだった(笑)。本書は、自分に似た女性を彼女にした主人公の一風変わったラブストーリー。読んでいて、いくつか気になった言い回しもあり、おもわず付箋をぺたぺたとつけて、読んでしまった。
「つまり、まったく別々の男女がめぐりあい、それでもって、一組の完全なペアが生まれるという発想自体が、もともと荒唐無稽のことなのだ。」(p.66)。これはよくわかるなぁ。人間は孤独であるという事実を下敷きにし、婚礼とは妄想であるという小林恭二の態度に共感。つまり妄想の頂点であるのが、婚礼の儀であるということだ。案外、今自分が認識しているこの世界というのは妄想の産物によるもの、なのかもしれないと彼の作品を読むと思ったりする。
この作品はある種、現実と非現実の間にある何か妄想めいたものを考えさせるきっかけを与えてくれる。もしかすると主人公の恋人、朝子は主人公を妄想と現実を区別させない役割を果たし終えたからこそ、ラストにああいう結末が待ち構えていたのかもしれない、とぼくは勝手に想像してしまった。なんというか、非常に思弁的な問いを呈示する野心的な作品だったと思う。

ミステリと名打ったSF。大森望さんが日記で言及されていたけど、これはSF者にはたまらないSF恋愛小説。読後切ない気分になりました。松尾由美さんの作品は『バルーンタウンの魔術師』(ハヤカワ文庫JA)以来、面白いSFミステリを書かれる人だなぁと思いつつ、彼女の作品に注目していました。そういえば、ビーグル犬というと山田正紀さんの『宇宙犬ビーグル号の冒険』(早川書房)を思い出しますが、久々のビーグル犬SFかも。自分が犬を飼っているので色々な意味で作中での描写が、脳裏に残るほど印象的。例えば犬に話しかけちゃうとか(笑)。
初秋の下北沢。主人公の江添緑が愛犬スパイクを連れて街を散歩していると、まったく同じような犬を連れて歩いている青年に出会った。彼のビーグル犬と私の飼い犬、スパイクは、レモンカラーのビーグル。そしてなんと彼のビーグルの名前もスパイクという名前だった。彼の外見、態度に何となく好感を持った私は、彼をお茶に誘い、他愛もない雑談をする。彼の名前は幹夫、フリーのカメラマンだそうだ。彼を好きになってしまった私は、また会う約束をする。ところが、会う当日、待てども待てども彼はやってこない。ショックだった私は、思わず愚痴をこぼすのだが……。するとある奇跡が起こっていたのだった!
非常にうまく作られたSFミステリ。どこがSFなのか?というと、それをしゃべってしまうと面白くなくなるので、ここではあえてぼかしたままで書いていきます。それはもちろん、スパイクにまつわることなのですが、スパイクに起こったある出来事こそが、彼女にある決心をさせ、この物語が書かれるような状況になってしまったという感じです。それは、一瞬つじつまが合わないのではないかと思う人もいるかもしれませんが、ラストで明かされるある事実を知ると「おおお!」と結構びっくりしてしまうかも。きちんとSF的な枠組みで説明できる物語であり、とても切ない話でした。どう切ないかは、二重の意味で切なくなるからです。彼らは決して結ばれることができないのだから。
入手困難なポール・ギャリコの傑作のひとつ。昨年、ガラクタ風雲のよしだまさしさんのご厚意によって譲っていただいた。改めて素晴らしい本を譲っていただいたことに、感謝いたします。本書は、ポール・ギャリコの最後の作品であり、ギャリコという作家の持ち味が最大限に生かされた素晴らしい作品だと思います。テイスト的にはロバート・ネイサンのような「あたたかさ」に満ち溢れた作品でもあり、破天荒なアイディアによる少年の素敵な冒険の部分は『ハイラム氏の大冒険』(ハヤカワ文庫NV)のような魅力を兼ね備えています。ある種、ギャリコ作品の中でも傑作ともいっても過言ではないと思います。また、本書はアメリカを舞台にしていることもあって、ちょっと風変わりなロード・ノヴェルとしても読むことができます。
カルフォルニアのサンディエゴに住むジュリアン・ウェストは9歳半の少年。自分のことを認めてくれないパパに、自分の価値を認めさせるために、自分が開発したシャボン玉ピストルの特許をとるために単身、4000キロ以上離れたワシントンへと旅を試みる。彼は未成年であることを隠しながらも、何とか見つからないように長距離バスに乗り、ワシントンへと旅立つことに成功する。バスには高校生のカップル、逃亡中の殺人犯、ベトナム帰還兵、KGBのスパイ、アメリカ軍の高官、ミュージシャン、幼児愛好者(?)などの人々が乗り合わせていた。ベトナム帰還兵マーシャルはジュリアンの発明に興味を持ち、彼の保護者として彼をワシントンDCへの旅を手助けすることになる。果たしてどんな冒険がジュリアンを待ち受けているのだろうか?
面白い!ギャリコの作品の魅力は、「ひたむきさ」と「誠実さ」そして「真摯な気持ち」にあると思う。「誠実さ」というのは今の世の中では軽視されるようになり、誠実であることが馬鹿であるような風潮があるように思えます。しかし、誠実であるということは物事にしっかりとメリハリをつけるための大切なファクターだとぼくは感じています。人を愛すること、というのはきっと誠実さにつながる何かがあるのではないかと思います。確かに何かを行うときには損得勘定ややましさなどが付帯することがあるでしょう。しかし、無理だと思えることも真摯な心を持ち続けることによって素晴らしい成果が出せるのではないかと思います。本書はジュリアンの子供から大人への移り変わりを描いた冒険譚でもあります。大人の世界のずるさや残酷さを知った少年が最後に得たものとは、友情でした。ラストは本当に泣けます。『マチルダ』の感想を書くときに言及しますが、「ずるしてうまくいくことはない」というギャリコの信念がこの作品ほどよく描かれたものはないと思います。どこかで復刊して欲しい一冊。たぶん東京創元社からかな?
福武海外シリーズの一冊。系統的には、イーガンの「適切な愛」や松尾由美『バルーンタウンの殺人』(ハヤカワ文庫JA)などに先立った感のあるネタ。1989年に発表された本書は、SF仕立てのミステリである。また本書は生殖方法についての倫理的な観点から問題を呈示している重厚なテーマを扱っている。本書の問いは人類が将来直面する問題のひとつである。つまり、代理母や本書のミステリのコアになる謎となるある発明が果たして人類に幸福をもたらすか、という点である。本書こそまさにジェンダーSFのコンテクストの中でしっかりと語られてもらいたい話である。
西暦2016年のドイツ。十七歳になった少年カールは小さいころから、自分が養子であることを聞かされていた。十分情報公開を得られる歳になったカールは、友人のファービアンの母親でジャーナリストであるフランツィスカの協力を得て、自分の実の母親、父親そして代理母の調査を開始する。というのは、彼の出生の秘密が極秘扱いになっていたために、彼の出生には色々な謎が秘められていたからである。調査が進行していくうちに、彼はある重大な秘密を握り、そしてそれが彼を絶望の淵へと立たせるのだった……。
福武海外シリーズは毛色の違う不思議な本を出しているので、本書がSFであることを知らないでスルーした人も多いのではないかと思う。しかし本書は立派なドイツSFであり、この作品がしっかりと日本語の形で翻訳されて世に問われたことは非常に大切な意味がある。本書の面白さは、現実の技術に即した形で倫理的な問題が浮上するというイーガン的なアプローチがとられているということ。ルーツ探しという意味でも、読者はカールの立場に立った場合に、どのように感じるかということである。カールが味わった「何か」は将来我々がクローン技術などを発達させたときに生じるある喪失感にあると思う。という意味でも、本書は様々な問いを投げている作品である。一読をお勧めしたい。

傑作。ギャリコ作品にははずれはない、と思った。ギャリコの面白さは、破天荒な物語を面白おかしく、そして人情味溢れた形で描いていることである。つまり、そんなことはないというお話を身近なものにする魔力がギャリコの作品にあるのだ。その魔力はギャリコ作品を読んでみないとわからないと思うのだが、人間として本当に大切な何かをギャリコは寓話という形で、我々に作品という形で提示しているように思えた。その魅力は時や場所を越えたユニバーサルに大切なものであるということである。だからこそギャリコは色々な年代の人々に読みつがれているのではないかと思う。
ある日、売れない芸能エージェントのピミーのもとに訪れた風変わりな男。彼は元ボクシングチャンピオンのビリーと名乗り、マチルダというボクシングカンガルーと一緒に興行しているという。疑心暗鬼でピミーは彼らと契約を結び、ある地方巡業を行うことになる。そこで、マチルダはなんと運良く世界チャンピオンのリー・ドカディをノックアウトしてしまう。その一部始終を見ていた有名な新聞記者パークハーストによってこの事実は瞬く間に知らされ、大騒動に。ドカディのバックアップをしていたマフィアはかんかんになり、マチルダのタイトルマッチを妨害しようと悪戦苦闘する始末。果たしてマチルダは世界最初のカンガルーとしてのミドル級のチャンピオンになれるか?
結末はあっと驚くわけですが、人間の欲に縛られず天真爛漫にボクシングという競技をこよなく愛するマチルダの純粋な姿が素敵です。ご褒美のハーシーチョコレートをもらって喜ぶマチルダの「アック・アック・アック」が心に残ります。あとは、ピミーと恋人のハンナとのやり取りで、利益を取ることが誠実なのか詐欺なのかというところで喧嘩する部分とかは、ウェーバー的なキリスト教主観が入っていて面白かった。もちろん、破天荒なマチルダの妨害作戦とか、色々とあるんですが、その部分も含めて、マチルダがボクサーを簡単にKOしていくのはとても楽しい。なんというか、最後に感じたのは「人間の欲というのはとどまるところを知らない」というところか。だからこそ、マチルダの純朴さに惹かれるのではないかと思う。お勧めです。
色々と考えさせられた文化コンタクトSF。M・Z・ブラットリーの<ダーコヴァー年代記>的テイストで、今回のジェンダーSF特集で取り上げられていないのが不思議な作品。この作品を読んでいると、男の役割というのは果たして何なのか?ということを感じさせられる。地球と未開発の惑星ジパスの間に起こる文化的相克と、ジパスの謎がミステリアスに絡まり、読者を魅了する展開に。なぜこの惑星には女性だけしか生き残らなかったのか、遺跡にある謎と絡んで面白く展開する。表題の<宇宙生命図鑑>というのは、神父アレクが持った不思議な図鑑にまつわるもの。
二種類の女性系知性生命体が棲む惑星ジパスは、地球人の不法な侵略によって苦しめられていた。それはまるでアメリカの先住民のインディアンが白人に土地を騙し取られたように、地球人たちは彼女らの土地を収奪し、対立を深めていた。そんな中、古代遺跡の調査を兼ねて現地の博物館に採用された主人公のトキ乃は、彼女らの謎を解き明かすために古代遺跡の調査に乗り出す。そんな中、欲丸出しの不動産会社による陰謀が着々と進行していたのだった……。
イラスト買いしてしまった一冊でしたが、内容自体はきちんとした陰謀系ハードSF(?)でした。なぜ女性知性体が二種類いるのか、彼女らが地球の侵略によって危機に晒されたときに、役割が明らかにされます。平和なときは無用でも、一旦外敵が進入した際に明らかにされる謎。この不思議な星のジェンダーの役割にまつわる謎が面白く描かれているので、興味のある人はぜひ読んで欲しい。デュアル文庫という体裁で出ているにも関わらず、しっかりとした骨太のSFだったと思います。
当時の世界の様相をきちんと踏まえた上で書かれた奇想天外な小国の戦略の物語。冷戦時代のアメリカとソ連をユーモアで皮肉った書で、「山椒は小粒でもぴりりと辛い」という諺がしっくりと来る話も珍しい。内容的には古びているとはいえ、今のアメリカ中心の世界秩序を改めて別の角度から俯瞰する上で、一読をお勧めしたい一冊である。今のIAEAのような組織の提唱や、小国による大国の核兵器抑制のシステムの提唱など、政治面から見てもとても面白い。グランド・フェンウィック大公国が財政困窮に対して採用した秘策が実に当時のアメリカとソ連の冷戦関係を使ったうまい策であることはいうまでもない。たぶんヨーロッパ復興や日本の復興のためのマーシャルプランを意識した戦略だといえる。この段階で面白さに引き込まれていったのだが、さらに追い討ちをかけて楽しめたのが、大公国がどのように財源を確保するかという議論。
まずは切手の発行というスタンダードな策に出ようとするが、発行枚数が増えれば増えるほど、市場メカニズムが働き、超過供給になり、切手の価値は少なくとも額面以上にはならない。プライスメカニズムが働ければ、もちろん切手の価値は下がり、ディスカウントが起こる。とまあ、このあたりの議論は面白い。あとは、特産のピノーを薄めて売るということは長期的にブランドを傷つけ、顧客離れを起こすという点の指摘も理にかなう(これを行うか、行わないかで議論が分かれ、派閥が形成されているのがおかしい)。そして、戦争の理由となったアメリカの大企業によるフェンウィック大公国産のピノーの類似品販売については、類似ブランドを売ることによってアメリカの企業がブランド効果をフリーライドする形になるために、理にかなった抗議であるといえる。
とまあ、ストーリー自体はぜひ個々人が読んで楽しんで欲しい作品。ウイバーリーの一流のユーモアが各所に効いていて、実に読ませます。数年前までは在庫があったようですが、現在は完全に品切れのよう。何らかの形で読んでもらいたい一冊です。
傑作ハードボイルド。あるトリックが非常に効果的に使われていて、実に読ませます。現在なかなか入手困難なようです。故・田中小実昌氏の翻訳がノリノリで、楽しく読めました。いきなり人妻との情事から始まる本書は、なかなか好色な私立探偵マーク・ローガンが体験したちょっと奇妙なハードボイルド探偵もの。本書はさらにミステリとして、しっかりとした謎が絡んでいて、表面的な面白さだけではなく、非常に読ませます。とはいえ、誰が犯人なのかはすぐにわかるわけですが(動機がわかりやすい、といえばそれまでになるのだが)、タイトルが" Dagger of Flesh " というところからも、エロティックな響きがあるのかもしれません。
俺の名はマーク・ローガン。私立探偵をしている。俺が好きなものといえば、スタイルのいい豊満な女性たちだ。俺はまあ女性の扱いには慣れているのだが、だんなとの夜の生活に欲求不満だったグラディスが誘惑してきたわけだ。とまあ、しばらくグラディスとの情事を楽しんでいたわけだが、実は彼女のだんなというのが俺の友人ジェイの妻だったのだ。とまあ、流石に友人の妻を寝取り続けるのには抵抗があった俺はきっぱりとグラディスとの関係を断ったのだった。というのは、ジェイが何かトラブルに巻き込まれていて、俺の力を借りたいというのだ。二人のヤクザ者が彼の経営する高級紳士服店をとんでもない安値で売り払えという。それと変な鸚鵡の幻想があるという。とまあ、友人の頼みもあってこの奇妙な事件に首をつっこむはめになったのだが、まさか俺もあんな目に合うとは思ってもいなかった……。
魅力的な女性たちの登場も去ることながら、ヒーローとしてTPOをわきまえているところは流石。ただの女ったらしじゃなくて、敏腕なオブらしくきちんと仕事ができるので素晴らしい。こういう部分は魅力的だなぁと思いました。ハードボイルド探偵の中でも、なかなかかっこいい感じ。もちろん、訳語の印象というのもあるのかもしれませんが、田中小実昌氏の翻訳は原文の雰囲気をかもし出すことに成功しているのではないかと思いました。訳語が死語や差別語を含んでいるので、再び翻訳することが難しい(昭和38年の作品だし、当時のアメリカの世相を反映しているので、そのあたりを知識として知っておくとさらに面白く読めるのではないかと思います。これはハードボイルド一般に当てはまることですけど)。しかし、本書はとても骨のあるハードボイルド作品だと思います。お勧め。

2002年度ブラム・ストーカー賞新人賞受賞作。翻訳家の山岸真さん宅を訪問した際に、山岸さんが「レイプされた殺された女の子が天国から家族を見守る話」と言っていたので、読むのをためらい後回しにしようと思っていました。そのまま本の山の上に鎮座していたので手にとって読んでみたら、これが大当たり。レイプのシーンなどは著者がレイプ体験がある(らしい、と訳者解説にありました)ことも踏まえているために、文章に訴えかける力があるのではないかと思いました。ストーリー的にはディッシュの『ビジネスマン』(創元推理文庫)から邪悪さを取り除いて、ハートウォーミングに仕立てるとこんな話になるという感じ。というわけで、可愛らしい表紙とは裏腹に、内容は相当ヘビーなので、覚悟して読まれることをお勧めします。特に小さなお子様がいる方は、色々と考えさせられること請け合い。
わたしはスージー・サーモン。今もし生きていたら、34歳。そんなわたしが隣人のミスター・ハーウェイにレイプされて殺されたのは、1973年12月6日のあの日、まだ14歳だったの。あいつはわたしを暗い穴の中でレイプし、そしてばらばらにして金庫の中に詰めて、暗い水の中に捨て去ったの。残されたパパ、ママ、そして妹のリンジーと、幼い弟バックリーはそれぞれあたしの存在が消失したことで、色々と苦しむことになったの。あたしは天国から、あいつとわたしの家族のことを常に見守っていたし、わたしがとても大好きでファーストキスをしたあのエキゾチックなハンサムなレイや、クラスメートのルースもあたしのことを常に気にかけてくれたの。事件から何年も経ったある日、わたしはルースの仲立ちである素晴らしい体験をすることができたの。それは本当に素敵なことだったし、まさかそんな素敵なことができるなんて思ってもいなかったの。でも、やっぱりわたしは死者だけれども、そんな奇跡が起こったことも含めてこの本にしたためてみたの。
残された家族や友人たちの切々とした想いが交錯しながらも、きちんとまとめて、感動的な物語に仕上げているのは素晴らしい。死者が生きている人たちを見守るという設定をうまく生かしながら、10代の女の子の恋する心や家族への愛が切々と書かれていて素晴らしい。特に恋人レイと、ある行為を行ったときの奇跡に感動。ミスター・ハーウェイが行ったことが、スージーという素敵な女の子の未来を奪ってしまったことに対して、憤りだけを感じました。少なくとも、あのラストはスージーにとっては満足いく結果だと思いますし、ミスター・ハーウェイにとっては当然の結果だったと思います。アリス・シーボルドは本当に素敵な愛の物語をモノにした、と思いました。感じとしては、シティ・オブ・エンジェルのエンジェルたちのような存在?なのかな、と思いました。

最近は奇想天外古書の紹介者として有名な北原尚彦氏の絶版になってしまった文庫についてのエッセイ。内容紹介もさることながら、よくもまあこんな変な本をたくさん見つけるものだと、あらためて北原尚彦氏の守備範囲の広さにびっくりする。いや、飯島直子の写真集まで紹介されるとは思ってもいなかったものでして。もちろん、当時の世相を加味した黒っぽい本も多く紹介されており、まったくそういう本に興味のないぼくとしては、そのあらすじだけを読んで「当時の風俗や世相は面白いなぁ」と思いながら読ませていただきました。
面白かったのは、ハヤカワ文庫NVの117番の謎。ここで話題にされていたポール・ギャリコの『ハリスおばさんに花束を』を所有しているので、面白く読ませていただいた。このギャリコの本はどうも講談社に版権をとられたようで、その関係上本がハヤカワから出せなくなってしまったという経緯のようである、と北原氏は推測していたのだが、これは知らなかった(気がつかなかった!)ので、納得。他は老舎の『猫城記』(サンリオSF文庫)(傑作!)とかがSF系列で紹介されていた。
基本的に文庫という媒体は好きなので、文庫本に対する愛が感じられるのはいいですね。ただ紹介している大半の本はまーったく食指が動きそうにない本なので、ガイドブックとしては興味の対象によって異なるのではないかと思います。例えば、風俗関連に興味のある人たちにはこの本はかなり面白く読めるのではないかと思います。ともあれ、キテレツ古本記あたりと併読するとたぶん吉。面白さが倍増します。

嗅覚→視覚と続いた<感覚>シリーズの第三弾。今回は、事故によって<聴覚>が異常に発達してしまった男が遭遇する不思議な物語。グレさんらしいファンタジーミステリという感じで、中盤から後半が圧倒的に面白くなる。前半部はややしんどい部分もあるが、それを乗り切れば一気に読めてしまう。たぶん立花のバックグラウンドの説明のところとかが、多少冗長な雰囲気を与えてしまったのではないかと思う。ともあれ、「石の中の蜘蛛」というタイトルにふさわしい幻想譚でありました。
異常な聴覚を得てしまった主人公の立花。彼は新しいアパートである不審なうわさを聞く。前の住人がどうやら二十代の女性で、ピアノを弾いていたという。ところが彼女は一年前から失踪しており、色々な謎が残されていたのだった。部屋の隅々から彼女の生活音が聞こえてくるのだった。好奇心を抱いた立花は、前の住人であるこの魅力的であろう女性を探し当てようとするのだが……。
ミステリ的な謎解きの部分は、結構複雑に絡み合っていて、なんとなく蜘蛛の糸のよう。その蜘蛛の糸の部分の面白さが、後半の面白さにつながっているのではないかと思いました。前半の物語展開が、比較的ゆったりとしているので、一旦中断してしまいましたが、読み続けていくうちに、謎がうまくリンクしていて面白くなってきます。また本書は、音という瞬時的なものを文字という媒体に想像力を踏まえて描いている点が面白いと思います。ともあれ、本書が日本推理小説家協会賞を受賞したのは、ミステリの部分の面白さにあるのではないかと想像しました。ともあれ、機会があれば一読をお勧めしたい本です。

ぴぴるぴるぴるぴぴるぴ〜♪撲殺天使、文庫デビュー!という帯を見て買ってしまい、読み終えた後にはただこのヘンな擬音が頭に残るという恐ろしい状態に。お話自体は、ドラえもんとうる星やつらを二で割ったような押し掛け女房系パロディなんだけど、主人公がかなりダメすぎで、天真爛漫でわがままなドクロちゃんに惹かれていくという感じ。それも撲殺バット「エスカリボルグ」で殴られて殺されしまう主人公は、だんだんそれを自然のものとして受け入れ、この謎の擬音とともに復活するというまるでパブロフの犬のような状態に。なんというか、ドクロちゃんに強くいえない主人公の姿に、現代人の姿を見た気が……。あ、これって「猟奇的な彼女」もダブるなぁ。
あまり語ることはないけど、文章については結構インターネットのコジャレ系サイトの面白い文章を書く人のスタイルに似ているかなと思った。ある種、究極のイロモノかもしれませんな(ほめ言葉)。ということで、ドクロちゃんとの愛と涙の血みどろ物語、楽しんでみてください(笑)。
悪党パーカーシリーズ第15弾。今回のパーカーは名画強奪を数人の仲間たち(それもシリーズ半ばで出てきた信頼の置ける連中)とともにプロの仕事を行う。その前に、ひとつの仕事がパーカーの仇敵ジョージ・アールによっておしゃかにされ、パーカーは敢然と昔のけりをつけるべく、ジョージ・アールを始末するために断固闘う。訳者の汀一弘氏もあとがきで触れられているが、このシリーズの楽しみのひとつに昔の仕事仲間が登場して、一緒に仕事を行うということだ。スタン・ディヴァース(標的はイーグル)、そして仇敵アール(怒りの追跡)というように、懐かしい面子にも出会えるという意味でも、とても楽しい。仇敵アールとのけりは本書でつくのだが、パーカーはどんな形でアールと対決するのか、そういう部分も含めて本書は3つの小さな事件がうまく組み合って、面白い。流石ウェストレイク、という感じである。
母の日の売り上げを狙ったデパートへの襲撃作戦に、たまたまパーカーの仇敵アールが参加しようとしたことで、どこかで歯車が狂ってしまった。アールは襲撃仲間を一人殺害し、この襲撃作戦は失敗に終わってしまった。続いて誘われた装甲車襲撃作戦も、仲間の一人の妻から色目を使われ、不信感を抱いたパーカーはこの襲撃作戦も中止にしてしまう。金に困っていたパーカーはまずジョージ・アールを殺害し、新たな襲撃作戦を行い金を得ることが大切だった。そんな中、不渡りで苦しんでいた絵画ブローカーが、名画襲撃作戦をパーカーの仕事仲間であるエド・マッキーに依頼してきたのだ……。
このシリーズはやっぱりパーカーの安定した仕事振りにあると思った。本書はパーカーシリーズの中でも色々な要素が詰め合わさっていて、面白く読める。もちろん、ラストとしてはパーカー的にはいただけないのだが、本書もまた『怒りの追跡』のように「骨折り損のくたびれもうけ」だった、という印象の強い一冊。ウェストレイクはなかなかパーカーをリッチにさせてくれないようで、そのあたりもまたパーカーを仕事の道から引退させない伏線を張っているのかな、と思いました。
Mさんとの交換本。この素晴らしい本を快く交換してくださったMさんに感謝しております。本書はノンフィクションで、世界でクリスマス・イヴになると唄われる「きよしこの夜」がどんな経緯で作られ、世界中に伝播したのかを語った本。ぼく自身知らなかったことなのだが、この歌はたまたまオーストリアのオーベルンドルフの町のオルガンが一匹の鼠によって壊されたことがきっかけで、作られた曲であったという。作詞は若き聖職者のヨゼフ・モール。そして作曲はオルガン奏者で作曲家のフランツ・グルーバーによった。たまたま作られたこの曲は純朴なメロディと神様の力とも思える偶然が働いて、ヨーロッパ各地、そして世界各国へと翻訳されて、みんなからこよなく愛される一曲として永遠のものとなる。
ギャリコ自身、音楽に関心のある家計の一員として生まれたために、「きよしこの夜」がどのような経緯で生まれたのか興味があったのでしょう。たくさんの名の知れぬ音楽家が、たくさんの音楽を作ってきたわけですが、現在に伝わっているのは非常に数少ない一部の曲だけという事実を踏まえると、本書で取り上げられた「きよしこの夜」の生誕の謎がギャリコによって伝えられたことは本当に素晴らしいことです。ミステリ風味で綴ったドキュメンタリーなので、色々な角度から「きよしこの夜」が語られているということも併せて、魅力的な仕上がりになっていると思います。本書は、新書サイズのハードカバーで、見つけにくい本だと思うので、注意して古書店などを見回るのが吉だと思います。
2巻からの続き。カジノのシーンだけでもう十分この本を読んだ甲斐があったというもの。作者はここを書ききるのに、反吐を吐いたという。そんな作者の想いがずっしりとつまった本書は、読み手に余韻を残す素晴らしい作品だった。シェルの記憶を埋め込んである4つのチップを賭けて、バロットとウフコック、そしてドクターのカジノでの真剣勝負(主にブラックジャック)が始まる。ブラックジャックについては、色々と聞いてはいたのだが、SF作品でここまで濃厚な形でストーリーに関わらせたのは冲方丁氏が始めてだと思う。バロットがこのカードゲームと一体となったとき、奇跡が起こった(というよりも、彼女が引き寄せたという感じ)。この臨場感を活字という形で表現した冲方氏は凄まじいとしか言いようがない。
カジノのシーンがものすごく密度が高かったためか、ややバランスが悪い感がある(カタルシスが結構スピーディに訪れる)のだが、多少の瑕疵はあれども、限定された中で読んだ日本人SFの中でも5本指の傑作に入るのは間違えない。シェルが幼少期に追ったトラウマと記憶の消去の部分は非常に痛々しい。さりげなくバロットやシェルの過去をフラッシュバックさせることによって、うまくキャラクターに感情移入させることに成功させている。そのこともあって、読者は特にバロットのウフコックへの想いとボイルドのそれを対比させて、なぜそういう結末になったのか色々と感じ入るのではないだろうか。特にすべての登場人物が「有用性」ということにこだわり、社会にどのような形で認められるかあがいている部分は、色々と我々にも「有用性」という言葉の意味を考えさせるのではないだろうか。
バロットはカジノの経験を通じて、ただのひ弱な娼婦ではなくなり、一個の強力な個として新たな人生を獲得したのではないかと思う。つまり、自分のレーゾンレートルを見出し、似たような過去を持つシェルに対して「赦し」を与えたのではないかと思う。赦す強さ、というのもあるのだということを感じたのだった。一方で、ライバルであるボイルドは自分自身は生への執着がないために、半ば戦闘機械のよう。そういった意味で、成長が期待できないキャラとして対比されている。そういった意味でも、非常にわかりやすい構図になっており、なぜウフコックがあの最後の決断を下したのか非常にわかりやすい。冲方氏の生き方や哲学がある種、この本に凝縮されているように思えた。素晴らしい作品は、読者に何かを呈示し、考えさせるものであり、本書はまさにそういう一冊だから。ぜひ3冊、読んで欲しい。
ダーコヴァー年代記8巻目(日本語翻訳順)。個人的には『ハスターの後継者』(創元SF文庫)を読んでから、本書を読むことをお勧めする。というのは、『ハスターの後継者』で語られる「シャーラの乱」のエピソードの後の話だからだ。そういった意味では、血縁を大切にするダーコヴァーであるがために、どのようなつながりがあるのか色々と前に戻って読まないとよく理解できない部分がある。そういうシリーズものに特有の欠点はあれども、ダーコヴァーシリーズの中でも傑作とされる本書は確かに重々しいSFとして、色々と考えさせられる。ポイントは地球人とダーコヴァー人とのハーフであるルー・オルトンが、地球から帰還するところからはじまる。
ブラッドリーの作品の中で魅力的なのは、ダーコヴァーという滅びつつある文明国家が徐々に地球帝国の支配を受けていくという文化的な軋轢の部分にあるのではないかと思う。ダーコヴァー人はテレパシー能力などの超能力を持ち、彼らの力はマトリックスと呼ばれるもので強化される。その中でも禁忌とされるシャーラのマトリックスの力を利用して地球帝国に対抗しようとしたわけですが、結局のところ禁忌の力は禁忌であるだけの理由はあるわけで、多大なる代償を支払わなければならないことになるわけです。そのため、ルー・オルトンは片手と妻を失い、シャーラのマトリックスを地球へと持ち帰り、封印しなければならなかったという理由があります。
本書でおぞましいのは、ある事件のみ。これは物語の核心をつくのではっきりとは書けませんが、もしこのようなことをされたら、確かにという感じではあります。如何に権力を持つものが権力を保持しようとしたか、そのあたりの経緯を含めて非常に興味深い物語となっています。どちらかというと救いのない話ではありますし、実際ダーコヴァーをケベックとアングロ・カナダの諸州と置き換えるとある種のアナロジーが見えてくるのではないかと思います。
ヘンな日本人が主人公のSF。つーか、訳がちょっと読みにくくて読むのをやめたくなった。検索かけたら、池澤春菜さん(声優・コアなSFな人)もつっかえたとか。かなり彼女の意見に共感しましたよ!訳者は冬川亘氏なのだが、女工作員のタガートが「ぼく」という呼称を使うので、はっきりいって混乱する。しかも、訳語がちょっとダメな感じなのでいささかピンとこないのかもしれない。まず冒頭からかなりの混乱を起こしてしまい、タガートが主人公の敵かと思ってしまったのだった。ともかく、こんなに頭に訳文がすんなり入らない本も珍しいぐらい。物語の内容自体はあまり酸素男爵という設定が生かされておらず、ダメなスターリングという印象。ルナ共和国と月の裏側、そして地球内部での権力闘争の部分についてははっきりいって、あまり面白くない。前半の大半はタガートと主人公のガルヴァーニッホがテラフォーミングされた月の裏側から逃げる話。後半は、救出された二人のうちガルヴァーニッホに焦点が当てられ、ひたすら権力の狭間に巻き込まれた不運な男の話になる。そういえば、「酸素男爵」というタイトルだけでどんな話か想像するというエッセイがあったなぁと思ったが、想像だけで十分な本かも(笑)。
うーん、詰め込みすぎ。逃亡劇は割りと嫌いじゃないし、楽しく読めたのだが、やっぱり設定がうまく使われていないような気がする。酸素男爵が割拠するのならば、そのあたりをうまく利用して、二人の逃亡劇がよりシビアになるとかして欲しい。あと、タガートとガルヴァーニッホ簡単にメイク・ラヴしちゃうところとか。お前らの関係がよくわからないぞ!ガルヴァーニッホ、お前は同僚をタガートに殺されているんだろ?とつっこみを入れたい。後半は、ちょっとアイディアは面白い。ゴーストコピーの話とかは割りと読めるんだけど、唐突に終わってしまって「!?」な感じ。月の裏側はどうなるの?とか、グローバルな政治闘争についての解決策が呈示されないまま終わるので、煙に巻かれた気分。中田政喜のイラストはちょっと耽美入っていて、怪しいので騙された人もいるかも。いや、タガートは確かに強いし、かっこいい女工作員なんですけど、あんな表紙のような場面はありません。とにかく、突っ込みどころが満載のヘンな日本人を主人公とした「読まないでいい」SFです。解説の堺三保氏も本自体の解説にはとても困り果てた感じだったし。ちなみに主人公の名前は、ユウ・ナガシマという名前。一応日本国籍らしい。
うまいなぁ。「!?」となるようなミステリのトリックだと思うのだけれども、とても面白かった。ボワロ&ナルスジャックの作品の魅力のひとつに、「感情の揺れ動き」が挙げられる。どうしてそのような事態になってしまったのか、その過程にいきつくまでの主人公たちの苦悩の部分が非常に共感できるからじゃないかと思う。本書もまた、愛欲のシュトルム・ウント・ドランクに飲み込まれた夫持ちのシャンソン歌手と若きピアニストが故意とはいえ引き起こした、ある悲劇をミステリとした佳品である。この当時はまだ録音手段として、テープレコーダーがないのでレコードでメッセージや歌を録音するという仕組み。その仕組みが、なんとある恐ろしいメッセージとして甦るという仕掛け。この部分は、今で言うと死者からの伝言になるわけだが、特にレコードという媒体での仕掛けは実におぞましかったりする。アナログだからこそ、逆に針とびでループゾンビになったときの描写とか、怖いですよ!
フォジェール夫妻は作曲家とシャンソン歌手というカップル。妻のエヴはシャンソン歌手としての名声も高く、夫モーリスはシャンソン作曲家として活躍していた。ところが、魅力的な妻のエヴは若き野心的なピアニストのジャン・ルプラと恋人関係にあった。そんな妻の状態に気づいていたモーリスは、三角関係の解消を目指して、罠を仕掛けていた。妻とルプラの浮気の現場を押さえたモーリスはルプラと殴り合いになり、ルプラは殺意はなかったとはいえ、モーリスを殺害してしまう。ルプラはエヴと共謀して、モーリスの死を自動車事故として処理することにする。ところがある日、悲嘆にくれる演技をしていたエヴのもとに一枚のレコードが届く。そこには、死んだはずのモーリスの声が吹き込まれていたのだった。果たしてエヴとルプラの運命は?
面白い!設定も面白い。若きピアニストのルプラのエヴに対する恋がまさに破滅的なもので、エヴに対する嫉妬の気持ちが本当に切ない。ルプラ自身だんだんと猜疑心に苛まれて、だんだんとおかしくなっていく心理過程とあくまでも大人の女性として冷静なエヴの態度のコントラストが面白い。本書はミステリというよりはサスペンスロマンスといったほうがいい話で、ちょっとB級の香りがして悩ましい。感覚的には「火曜サスペンス劇場」といった感じのお話なのだが、レコードの部分だけでももう十分元が取れた感じ。こういうアイディアを練れる二人は凄いと思いましたよ、ええ。そういえば、206ページに文字がしっちゃかめっちゃかになった部分がある。ちなみにぼくの奴は1969年で5刷りなので、後の版では直されているのではないかと思いますけれども、所有している方々の本はどうなっているのか興味があります。
ビジネスや経済などをうまくSFに転換したネタが満載のビジネスSF短編集。10篇が収録されており、表題作「星売り」を含めて、どれもウィットに富んだSF短編のお手本のような作品が収録されている。1990年という年代を考えても、草上仁の先進性が感じられる。特に「在宅勤務?」という短編はSOHOやコミュニケーションのあり方を先取りした話であり、我々の現実がここまで到達したのだなと思ったのだった。気に入ったのは「星売り」「特急便」「最後の信販」「輸出仕様」「ファンタシイ」の5編。他も面白いのだが、この5編は甲乙つけがたいほど面白かった。
面白かったです。かなりお勧めの短編集ですが、ハードカバーでしか出ていない&入手困難ということで、残念な限りです。
発作的(アイディアが先行?)した危険な短編・エッセイ集。エッセイについては、筒井康隆のSF作品を読み解く上でかなり参考になると思う。殊に「アナロジイ」という筒井のエッセイは筒井の発想法がよくわかるので面白い。かんべむさしとはまた異なる方法で、筒井康隆は理論家であると思う。物語がものすごく破壊力を持っているので、結構読んでいくとびっくりするかもしれない。俺は大好きなので、問題ないです。どう危ないか、というのは今で言う差別用語が本の各所に出ていて、これがまさに作品には不可欠という形のために絶対に収録ができないような話がたくさんある。ただいくつかの作品は、『筒井康隆漫画読本』などの本で漫画化されているような話も多く、ブラックユーモアに満ちていて、素晴らしい。このスラップスティックでブラックユーモアに満ちて、エログロもありなこの作品はたぶん色々な意味でベストかもしれない。
表紙もかなりサイケで、色々な色のチェ・ゲバラの肖像画に囲まれた筒井康隆表紙はたぶん今まで見た中でも、インパクト的にはベスト。デザインした杉村篤、恐るべしです。この表紙もあってこそ、この作品の毒がますまず助長されるのではないかと思いました。
入手は難しいと思いますが、とりあえず全集等をチェックすれば入手可能ではないかと思います。印象に残った短編は以下の通り。「パラダービー(障害ダービー)の馬券作戦」は体に障害を馬が……。SFセミナーのときにSF研究家の牧眞司さんがとても楽しく説明してくれたのを記憶していて、この短編が読みたいがために探し続けていたのでした。予想通り以上の出来で、しばらく茫然自失。すごいです。」「女権国家の繁栄と崩壊」はぜひウーマン・リヴな人たちに読ませたい。これはちょっと危険すぎる。ただ自分が男だから共感できる部分もあるのだが。「20000トンの精液」はタイトルが凄いんだけど、結構まっとうなSFで、面白い。ヴァーチャルセックスのさきがけ、という感じの短編で、かなりオチがブラック。他の短編もエッセイも面白いので、ぜひ読んでみて欲しい。筒井康隆のある種エッセンスが詰まっている一冊ではないかと思います。
ジュヴナイルでいくつも賞を受賞しているイェップの久々の長編翻訳作品。ご本人が中国系アメリカ人ということもあって、アウトサイダーの立場を十分よく理解しており、作品にも反映しているように思う。イェップは立風書房から出ている一冊がどうしても入手困難で、地道に探しているのだが、なかなか出てこない。オークションに出ても、凄い値段になるし。それはともかくとして、本書は早川書房の新レーベル<ハリネズミの本箱>の一冊で、ジュヴナイルファンタジーである。イラストを見ると、チャイナファンタジーとか思ってしまうのだが、登場人物を含めると納得。日本人には馴染み深いキャラクターや設定もあるため、一気に読めてしまうと思う。
竜の王女シマーは、ある女魔法使いによって盗まれた故郷の海を取り返すべく、弱々しい人間の老婆の姿に身をやつし、旅を続けていた。そんな旅の途中、彼女は宿敵の魔女シベットの一団の逗留する村で、孤児の少年ソーンに親切にされる。彼は誠実で勇敢な少年だった。シベットのたくらみにより、命を脅かされたソーンを助けたシマーは、そのこともあって少年とともにシベットを探索する冒険へと向かうのだが……。
竜の王女という設定がいい味出していて、竜だけあってかなりわがまま(笑)。というか、タカビーなお嬢様という感じ。一方、ソーンは純朴だけれども一本筋のある誠実な少年という役割のために、コントラストの妙を味わうことができる。こんな二人は旅の途中、いざこざを起こしたり、喧嘩したりするのだけれども、きちんと相手のことを心配して行動しているのは流石。今までは単にプライドの高い嫌な竜だったシマーが徐々に素直になっていくのが、よかった。本書はまた宿敵の女魔法使いシベットにもクローズを当てており、なぜ彼女がシマーの故郷の海を奪ったのかについて、切ないエピソードを与えている。立場が変われば、彼女の言い分は非常によくわかるし、同情してしまう。そういう人情味の溢れる部分も含めて、心がわくわくするような冒険譚に仕上がっていると思います。シリーズとして刊行されているらしいので、ぜひ続刊も翻訳されてほしいものです。
ヒッチコックの映画「めまい」の原作。日影丈吉氏の訳が雰囲気にぴったりで、わくわくしながら読んだ。今のところ彼らの作品を読んではずれはないので、今回の帰国で彼らの作品と出会えてよかったと思っている。これだから人生何が起こるかわからない、と思う。本との出会い、というのはいつどこであるかわからないとつくづく思う。とまあ、ミステリ的なアンテナがなかったときには、かなりスルーしてしまった作家さんだったので、悔しい。もしスルーしていなければかなりのところまで揃えることができたのではないかと自分では思っている。と、やっぱり興味と運とタイミング、というのはあるかもしれない。
元警官で弁護士の主人公フラヴィエールは友人ジェヴィーニの頼みで妻の奇行を監視してほしいと依頼された。ジェヴィーニの妻マドレーヌは自分が自殺した祖母の生まれ変わりと信じており、自殺するかもしれないとほのめかしていたのだ。マドレーヌに惹かれたフラヴィエールは水面で自殺を図ったマドレーヌを救助し、知己となる。そして、高所恐怖症のフラヴィエールを振り切り、マドレーヌは鐘楼から飛び降り自殺を図ったのだ。失意のフラヴィエールはある日、とんでもない光景を目の当たりにすることになる……。
ミステリのトリック的にも楽しく読めました。こういうのを名作というのだろうと思う。失意のフラヴィエールの前に現れたマドレーヌとそっくりな女。フラヴィエールは彼女を見ると罪の意識に苛まれ、どうしようもなくなってしまう。しかし、フラヴィエールはあることからある推測をすることによって、マドレーヌに関する謎を明らかにしてしまうというのがその後の話の流れとなります。この謎にとてもびっくりしてしまったわけで、まだまだミステリを読んでいないから慣れていないのかもしれません。ドッペルゲンガーにまつわる謎のヴァリアントがどれだけあるのかは知りませんが、本書は間違えなくその謎を見事に解決した作品ともいえましょう。主人公が高所恐怖症であるというのも重要なポイントになっているのはいうまでもありません。職人芸を見せてもらった、という感じです。
ハチャハチャ短編集。ハチャハチャSFを書くということは、本当に体力が要りそうだとつくづく本書を読んで感じたのだった。奇想天外なオチと駄洒落を交えた落としどころがなかなか予想がつかないので面白いと思う。本短編集は今までのハチャハチャ短編集同様、オチとギャグの質が高く、印象に残ったものが多い。本書はグロテスクな様相の短編集で、想像するだけでも楽しかったりする。でも当事者にはなりたくないなぁ。
個人的には本短編集は面白いと思うので、興味がある人はぜひ読んでみて欲しい。ハチャハチャで破天荒で、ちょっと残酷な大人のSF短編を読みたい人向けだと思います。
本を交換していただいた本吉さん、筒井康隆の『みだれうち涜書ノート』、それと北原尚彦さんの『SF万国博覧会』が傑作と言っていたので絶対読もうと思っていた一冊。一言、河出書房新社さん、これが購入できないのはおかしい!もう、大傑作。イタリアの筒井康隆という感じの作風で、最高!表題作の「テスケレ」だけではなく、他の短編も毒電波を発しており、いい感じ。本書は我が家の家宝として、大切に保存しておきたく思います。#再読もしたいので、とりあえず長編の『枢軸万歳』を読んでからかな。
すべての短編が非常に高いクオリティに達しているので楽しく読めます。しかし、どこかで復刊してもらいたい一冊かも。今なら十分売れる素地がある短編集だと思います。
冲方丁の短編が収録されているので、ファンの人は探してみるべし。国産ファンタジーのいいアンソロジーで、どちらかというと西洋的なファンタジーが多い。水野良作品はロードス島戦記の外伝だし(単独でも読めます)。まだ冲方丁もデビューして間もないために、あんまりいい扱いはされていない(帯に書かれた彼の文字フォントが小さい、本の方もね)。とまあ、マニア泣かせの一冊ですがブックオフをこまめに周っていたら見つかるんじゃないかなぁ。全体としては、西洋系ファンタジーが2編、東洋系ファンタジーが1篇、SF風アーバンファンタジーが一点収録されており、バランス的にも内容的にもいいアンソロジーだと思った。
ライトノベル系の作家の作品をうまく集めた好アンソロジーだと思います。古本屋(特にブックオフ)を中心にして探すと見つかりやすいかな。
大傑作。こんな変な小説読んだことないよ!SFMのスプロールフィクションのスプロールフィクションリストに入っていた本で、解説を読んで読んでみたいと思った本。表紙がちょっとダークファンタジーっぽいし、ロード・ノヴェル好きとしては読んでみたいと思ったからだった。アーティストハウスは昨今スプロール・フィクションといっても過言ではないような作品をたくさん出版しており、スプロールフィクション者としては注目をし続けたいレーベルだったりします。実際、ずいぶんとアーティストハウスの本は買っているのだけれども、読みきれないで積読になっているので、その中にどんな傑作が混じっているのか!と思うとすごく楽しみだったりする。国書刊行会とあわせ、とても罪作りなレーベルになったなぁと思いました。しかし、アマゾンの読者レビューはひどい。ちゃんと読み込んで欲しい。ベストレビュアーつーのは一体なんでしょうね?
ヒッチハイカーを見つけたら、まずはあっさりと通過して、その背格好を吟味する。主人公イサーリーが探しているのは、二本足で歩く筋肉隆々の雄。痩せて、貧弱な肉体のには用がない。そんな彼女は牛乳壜のような眼鏡をかけたものすごい巨乳の年齢不詳の不思議な女性。獲物の男性を捕らえたと思うと、イップクレスを食らわせて眠らせ、屋敷へと連れ込むのだ。果たして彼女の正体は?なぜ彼女はヒッチハイカーを捕らえるのか、読者は読み進めるにつれて、彼女の秘密が明らかにされていく……。
もうとにかく凄い。ふーん、ただの人身売買(もしくは臓器売買)ものかなーと漠然として読んでいたのだが、徐々に物語の展望が明らかになるにつれ、壮大なSF物語の一部であるということが明らかになり、びっくりします。イサーリーがどうしてこの仕事に従事しているのかも後々明らかになり、なるほどと思います。なんというか、需要と供給のバランスがこれだけでいいのか?というつっこみはもちろんあるんですが、たしかにこういう社会だったらあり得るのかもしれない、と思いました。イサーリーがなぜこんなことをしなければならないのか、色々な意味で考えながら読むことができるので、脳細胞をフル活用して楽しむことができるのではないかと思います。ネタバレせずに感想を書くのが難しい作品なのですが、ホラー、SF、ダークファンタジーの様相のある、SF中心のスプロール・フィクションの傑作といえましょう。この作品が日本で翻訳されて刊行されたことに最大の感謝を込めて。
大きさは早川から出ているJコレクションと同じサイズ。表紙がなかなかおしゃれで、旧版にくらべると圧倒的にいい感じかも。今回は山形浩生氏によるバラード作品論もついており、これだけのために買う価値はあります。山形氏の解説は渾身丁寧で、色々と自分が本書を読み終えた後に感じたもどかしさをうまく説明されていて、納得。やっぱり頭がいい人は違うなぁと思います。氏のバラード論では、バラードの過去・現在・未来をほぼ山形氏のフィルターを通じて、説明しつくしているという感じでした。内容は今まで読んだ印象では、『夢幻会社』(創元SF文庫)から脳天気さを取り去ったお話という感じ。変容する世界に取り込まれた主人公がどうにかこうにかして脱出しようと試みようという閉塞感に囚われたような話だったりします。
たまたま先日、クロネンバーグ監督の「クラッシュ」(J・G・バラード原作)を見たのですが、 「クラッシュ」はフェティシズムとエロスとタナトスと、車のクラッシュというものに対するフェティシズムを感じさせる恐ろしい未来像を映画化した作品でした。一方、『コンクリート・アイランド』は読み終わった後に色々と感じてしまうものが多く、ぼくにとっては恐ろしい作品でした。事故により高速道路の中にあるコンクリートの島に閉じ込められた主人公と、そこで生活する元サーカスの曲芸師とうら若き女性。主人公は何とか彼らをコントロールして、コンクリートの島から脱出しようとする。当初はただ無心に脱出したかった主人公は、コンクリートの島の不思議な魅力に囚われて自ら囚われ人になろうとする。でも、ある事件をきっかけに主人公は彼らの力を利用せずに脱出しようと試みるわけです。世界を変えようとする主人公とコンクリートの島との戦いでもあるのかもしれません。
『夢幻会社』のような世界の完全なる変容はなきにせよ、磁場(山形氏が形容する)の中にある何か、をバラードは色々な形で呈示しているのだと、ぼくは思いました。バラードの作品は身近にある出来事を、バラード流に再構築して再び違った視点にして読者に提示するからこそ、魅了されるのではないかと感じました。NW−SF版が長らく読めない状態になっていたので、本書が再びこのような形で復刊されたことを祝福したいと思います。他のテクノロジーシリーズも帰国時に読もうと思います。
父が非常にいい本だと薦めてくれたので、早速読んでみた。著者の金出武雄教授は、人工知能研究のメッカであるカーネギメロン大で長年教鞭をふるわれている方である。この本の素晴らしいところは、欧米のスタンダートと日本のスタンダードを著者が長年の経験から吸収し、経験したことを本の形でまとまっていることである。特に自分のように海外留学している一学徒としては、金出先生が本書でおっしゃっているように日本とは異なる論理、習慣に戸惑うことも多い。その戸惑いをいかに克服するか、そしてどのように研究活動をするのかという点において、大学院生(あるいは若手の研究者)はぜひ読んでもらいたい。欧米のスタンダードを如何に吸収して自分のモノにするのか、ということにおいては、文系・理系を問わず非常に重要なことである。自分も金出先生と同じように、外国生活をしてから日本が大変好きになったし、カナダ人の論理と日本人の論理との違いに戸惑ったものである。そういったカルチャーの違いを感じ取りながらも、タフに研究活動を続けるかということに対するガイドになっている。
大胆なアイディアやありきたりのアイディアを上品にいかに説明するのか、という点において金出先生は専門分野ではない素人の発想でのぞみ、専門家としていかにうまく説明をつけるかという点を色々な例を用いて説明している。例を使った形での説明は非常によくわかりやすく、分野こそは違えども類推ができるので、本当に理解しやすい。研究の仕方においても、どのような研究が実行可能で面白いのか、不可能なのだが面白い研究などの部分集合をうまく見つけ、うまく考えていくことが大切であるとする。研究において、どこまでやっていいのか悪いのかはセンスにもかかってくるのだが、ダメだと思ったら一旦間を空けて他の関連問題を解いたり、ブレインストーミングをするなどの必要性が生じると思う。そういった意味で、研究は体力仕事であり、なによりもひとつのことをとことん考えるという忍耐力(しかし面白いと感じられる)が必要であるのだ。
また、論文や人を説得する書き物は推理小説と同じである、という点においてはまったく同感である。専門家以外の人たちに自分の論文のイントロダクションを読ませて、理解できるかどうかというのは、ある種構成力に依存してくる。欧米では、論理の方向性が日本とは異なるために、論文を書く際に色々と問題が生じる。今回本書を読んで色々と論文の書き方についても、学ぶ部分が多く今後の論文作成に生かしたいと思った。もちろん、一流の先生方の研究方法を見続けている自分としては自分がどこまで漸近できるかという不安はあるのだが、自分が研究者の端くれとしてできることは実行していきたいと思った。何事も知的好奇心を持ちつつ、楽しいと思える持続力がとても大切である、と本書から感じたのだった。先生の様々な経験のエッセンスが詰め込まれた素晴らしい本である。
色々なメッセージが込められた本書は、本当にためになった。実際、このようなメッセージを伝えてくれるような教授や先生方がどのくらい存在するのかというと、そんなにいないはずである。金出先生は自分の財産というべき、研究者としての心得を本書という形で託してくれた。そんな本書を読めた自分を含めた若手の大学院生、研究者は幸せである。金出武雄先生のホームページは、ここ。