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数学という学問がどのような経緯で発達してきたのかという点に興味があったので、日本に帰国した際にすぐに購入した本である。一巻目は、ギリシャの数学者(ツェノン、エウドクソス、アルキメデス)からはじまり、デカルト、フェルマ、パスカル、ニュートン、ライプニッツ、ベルヌーイ家の人々、オイラー、ラグランジュ、ラプラース、モンジュ、フーリエという17世紀までの数学者を取り上げ、彼らにまつわる人間ドラマと数学的業績について実に面白く書かれたノンフィクションである。この本を中学生のころに読んでいたら、きっともっと数学が楽しくなっただろうなと思う。ともあれ、数学という学問がどのように発達し、どのように受け継がれてきたのかという点を知るに当たって、大変参考になる。実際、自分が数学を学ぶようになって「どんな経緯で数学という学問が発達したのか?」ということをまったく知らなかったように思える。ぼく自身断片的には、彌永先生の数学者の列伝の本を読んだり、小平先生の本や高木先生の本を読んだりして、多少なりは知っていた。本書はそんなぼくの断片的な知識をうまく整理するうえでも大変役立った。特に古代ギリシャから始まる数学の流れについて簡明かつ門外漢でもわかるように書かれているのが素晴らしい。
本書を通じてわかったことは、数学という学問が物理学などの自然科学の要請によって開発されてきた、ということである。特に一冊目においては、物理(特に天文学における軌道計算の発達に関係している)と数学の発展は表裏一体にあるということだった。実際、ラプラスなどの数学者は物理学にも多大な貢献をもたらしている数学者である。ベル自身、数学者ということもあり、本書で挙げた数学者たちに個人的な思い入れがあるのが面白い。評価が高いのは、フェルマやニュートン、ベルヌーイ家の人々、オイラー、ラグランジュ、モンジュであり、その他の学者は何となく評価が低い。というのは多分に学問的な業績というよりも、人格レベルでの問題だからだ。数学外のところでも活躍していた人々にはどちらかというと評価が低く(その能力を数学に振り向けたらさらによかった、とベルは本書内で語っている)、ある種残念がっているようにも思える。特にライプニッツにおいてはそうである。
数学という歴史ある学問がどのような経緯で発展し、天から与えられた能力(とそれ以上の努力)によって数学者たちは自然の中から数式を発見し(あるいは発明し)、色々な問題に取り組んできたのだ、ということがわかる。一番面白かったのは、数学で神の存在を証明しようとしたオイラーのエピソードである。彼はエカテリーナ女王の下でのびのびと研究をしていたのだが、エカテリーナ女王を訪問していたディドロ(百科全書派)に問いかけた言葉が面白い。「閣下、(数式)ゆえに神は存在します。お答えください」というものだ。中世ヨーロッパの数学者たちは殊更、宗教に影響を受けていたのだが、数学的な業績は彼らの信ずるキリスト教的世界観にもかなり関係しているんだということが本書から読み取れたのでした。
ともあれ、あくまでも読み物として数学が門外漢な人も楽しく読める本です。一冊目は、数学のあけぼのという感じで、二巻目以降どのように展開するのか非常に楽しみです。

二巻目は、ポンスレ、ガウス、コーシー、ロハチェフスキー、アーベル、ヤコービ、ハミルトン、ケーリー、ガロア、シルベスタを取り上げる。主に18世紀から19世紀までで活躍した数学者たちの生涯を描く。二巻目の目玉は、ガウスの生涯だろう。本書は運良く大成した数学者と、運悪く志半ばで命を落とした悲劇の数学者たちを語る。数学を巡り、様々な知識の体系が徐々に論理的な厳密性が付加され、現代数学への息吹きが萌芽した時代をベルの闊達な語り口調で語る。一巻目同様、才能を浪費したとされる数学者には厳しい評価を与えているのが印象に残った。列伝の中で印象に残ったのが、アーベルとロハチェフスキー、ガロア、ガウスである。
ロハチェフスキーは、ユークリッドが当然の如く仮定していた平行線の原理を置き換え、非ユークリッド幾何学の基礎を唱えた人である。ロシアのカザン大学で長い間数学教育、学校運営に携わった学者である。地球は平面ではない、という常識を数学という言葉で語った凄さは、すごいと思った。またエコール・ポリテクニークに入学しようとして、運悪く落とされ、最終的にエコール・ノルマルに入学し、決闘で命を若くして失ってしまったガロア。彼の理論はガロア理論と呼ばれ、抽象代数学で重要な一分野として色々な人々によって研究されている。多項式がRadicalによって解け得るかという条件を提示したのがガロアである。彼の生涯はまるで流れ星のごとく、過ぎ去ってしまった感がある。天才を理解できない鈍才により、潰された感がある。しかし彼が生前に残した遺稿は、後の数学の発展に多大なる貢献をしたのだった。ガウスは最小二乗法の発見と17角形の作図問題、そして物理学への多大なる貢献にロマンを感じる。
フランスは天才を生む素地があるのかどうかわからないが、とにかく数学においてはドイツと並んで凄まじい業績を上げている国である。天才が生まれる素地(まるで誰かの生まれ変わりのように)がどこにあるのだろうか、と大変不思議に思った。そのような人々においては、きっと小平邦彦先生の言う「数覚」を生まれながらにして天から授かり、空気を吸うように自然界に存在する数の神秘について感じ取れるのかもしれない、と。数学という学問は、つながりが見えてくると不思議と色々な相互関係が見えてくる学問のように思える。例えば代数構造を位相に入れて、空間の中で加減乗除などの計算法則が成り立つようにできたりする。ある種パズルのような感覚で、数式自体がヴィヴィットな形で意味を成してくるので、大変面白い。
栄光と悲劇が折り合わされたエピソードに包まれた二巻目。数学という知の体系に挑戦した人々のロマンに浸ることができて、とても幸せでした。

二巻目は、ワイエルシュトラス、コワレフスカヤ、ブール、エルミート、クロネッカー、リーマン、クンマーとデーデキント、ポアンカレ、カントールの列伝。一巻目・二巻目で偉大な数学者たちによって発見・発展してきた数学という知の体系が三巻目に出てきた数学者によって、理論的な厳密性が与えられ、今の現代数学の基礎を構築する形になる。本書で取り上げられた数学者たちは独特の個性に満ち溢れた、実に勤勉な人々である。本書で印象に残った数学者は、ブールとリーマン、ポアンカレ、カントールである。
イギリスの下層階級に生まれたブールは、ブール代数と呼ばれる集合演算を構築し、数理論理学の礎を作った人である。彼自身の勤勉かつひたむきな心が偉大なる発見を成し遂げた、という感がある。我々の言葉には恣意性があり、その恣意性が時として大きな障害になりうることがある。ブールはその困難さを代数演算で置き換えることにより、新たな数学の一分野を築き上げたのである。実際、ブーリアンテストという方法が計算機科学でも重宝され、非常に重要な役割を果たしている。独創的な天才がなせる業である。リーマンについては、病気で亡くなったのが悔やまれるということ。彼が残したゼータ関数におけるリーマン予想は二十世紀最大の問題として、現在も多数の数学者たちがしのぎを削っている。リーマンが偉大なのは、リーマン幾何学という新たな分野をも築き上げたことであり、彼がもしもあと10年生きていたら、数学の世界はまた違ったものになった、と思われる。ポアンカレはガウス型の天才で、こういう人もいるんだという凄さを見せ付けられる。彼にもまたトポロジーにおける難問であるポアンカレ予想という予想が残っている。彼の業績は保形関数論など、多義にわたっており、啓蒙書の多さとも相俟って、いったいどうやったらあの超人的な仕事量をこなせたのかという意味でも凄い人であると思った。
カントールについては、同情を禁じえない。人間という有限の存在が無限を数学的に取り扱うに当たり、初めて無限というものを数学的に定義した偉大な人物である。ある数学的な集合が可算であるかどうか、というのは大変重要な問題である。無限というコンセプトを数学に導入し、新たな方向性への基礎を見出したのが彼の最大の業績である。クロネッガーが無限を忌み嫌ったのもわかるのだが、それにしてもカントールを精神病院送りするのはいただけない気がする。
数学という学問がギリシャから大きな知の体系として受け継がれ、発展していったさまがよくわかります。西洋の場合、学問体系が古来から強固に作り上げられており、そういった意味でも、知を財産としてしっかりと取り扱う術を西洋の人たちは持っているのではないかと感じました。そういう意味では方法論がしっかりしている西洋が羨ましいと感じることがあります。本書はそんな知の歴史の一部を垣間見るのにふさわしい三巻本になっていると思います。意欲的な高校生に読ませたい一冊です。

自分が最近数学を勉強しているせいもあり、最近は数学者の書いたエッセイに食指が動く。決して小説が嫌いになったわけではない。自分の気持ちが空想よりも現実に囚われているからだと感じる。その点、ノンフィクションやエッセイというのは、自分のやる気を高めたり、その人となりから何かを学ぶことができるので、重宝する。本書は1906年生まれの著名な数学者、彌永昌吉先生の書かれたエッセイをまとめたものである。昔大学の図書館で『数学者の世界』(岩波書店)を読んでえらく感動した記憶がある。本書は個人的な思い出を語ったものが多く、彌永先生と個人的に交流のあった豪華絢爛たる著名な数学者たちへの追悼文や想い出が掲載されている。ブルバキの一人であった、クロード・シュヴァレーとの偶然の出会い、数十年ともいうべき付き合い、そして最後の悲しいお別れ。特に後半は、小平邦彦先生、吉田耕作先生、岩澤健吉先生、鈴木通夫先生との今生のお別れとなる想い出を語り、何となく一抹の寂しさを感じる。ヴェイユが最後に彌永先生に語った言葉、The next time perhaps in another world.に涙した。
彌永先生の文章は明朗闊達。大変分かりやすい文章で、読者も先生の語り口の世界に引き込まれていくのではないだろうか。殊更、ブルバキと呼ばれる一流の数学者たちの集団との交流(特にその中でもシュヴァレーとは別格の友人づきあいをしていた)の様が面白い。数学者の世界がどのようなものか、普段接触のない我々としては、このようなエッセイにてその姿を感じ取ることができるのは大変ありがたい。また彌永先生はドイツ語、フランス語が大変堪能で、言葉に対するこだわりを感じられる。そのこだわりを感じたのが、森鴎外と夏目漱石の比較のエッセイである。数学者から見て、なるほどこういう風に感じるのかという面白さがある。
大変重要なのは、第二次世界大戦という惨劇を経験された先生が感じることは、平和の重要性である。日本の今後の方向性を憂いつつ、平和国家として戦争の惨渦から復興した日本の行く末を見守ってきた彌永先生の言葉は、今後の日本を支える我々が語り継がねばならない大切な思想なのではないかと感じた。特に彌永先生が高木貞治先生の門下生であり、彌永先生は小平邦彦先生と同様、高木先生の数学に対する思想をしっかりと受け継ぎ、優秀な門下生を輩出した、という事実がすべてを語り尽くしているのではないか?とぼくは感じた。知を引き継いでいく、ということがどれだけ難しいことか、改めて色々と考えさせられたのだった。
翻訳者の山岸真さん宅で存在を知った本。のちハードカヴァー版をさっくりと見つけるも、文庫でも欲しくなったので、ネットの古本屋にて購入。色々なところの感想を後々見ても納得の大傑作ミステリーでした。現在入手困難なのが非常に残念。本書の面白さは、タイタニック号の事故という巨大なテーマを扱いながらも、しっかりと物語が構築されている点にある。豪華巨大客船タイタニック号の惨劇と同時に過去と未来の殺人事件が複雑に交錯し、エヴァ・ライカーの記憶に収斂する部分が素晴らしい。全世界を又にかけて、人々の想いと欲望が織り成す重層なタペストリーの物語に何もかも忘れて、至福の瞬間を味わって欲しい。
1912年4月14日、豪華客船タイタニックが大西洋上にて、氷山に衝突して沈没。多数の犠牲者が出た。それから約20年後、ハワイにて兇悪な殺人事件が発生する。主人公ノーマン・ホールはこのとき、クライン夫妻の死体を別々の場所で、第一発見する人物に。そしてこの殺人事件が彼の一生に大きな影響を与えるとは、このときには知る由もなかったのだった。それから20年後、大富豪ウィリアム・ライカーがタイタニック号の引き上げを宣言。彼はクライアントを通じて、小説家として名を馳せていたノーマン・ホールにタイタニックの引き上げに関するルポを依頼する。順調に取材を続けるノーマン。しかしノーマンがは調査の過程でタイタニック号の沈没の裏に隠されたとある真実とハワイでの事件との関連を発見する。果たしてその謎とは?
タイタニック号というモチーフを扱いながら、想像力豊かに架空の登場人物を挿入し、真実とフィクションをうまく組みあわせている点も非常に素晴らしい。タイタニック船上でのやり取りなど、緊迫感があり、著者の筆力のすごさを感じました。あとは、タイタニック号沈没の生存者であるエヴァ・ライカーの記憶がどこで結びつくのか、そしてハワイでの殺人と現在起こっている連続殺人とどう結びつくのかなど、点と線がうまく結びついたときの気持ちよさも本書の魅力の一つです。とにかく長さを感じさせない、すごい作品です。古本屋で見かけたら即買い!の一冊です。とにかくオススメの一冊です。