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復刊ドットコムに「夢の国のリトル・ニモ」の復刊をリクエスト。ご協力お願い致します。

不思議なテイストに溢れ、とらえどころのない雰囲気に満ちた物語。生理的イヤ度はかなり高く、小さいころにこれを朗読されて、お話として聞かされていたら多分トラウマになっていたのではないかと思われる話ばかり。5月ごろ読み始めて、ようやく今になって読み終えた。つまらなくはないんだけど、気分的に乗れない話ばかりが詰まっているので途中騙し騙し読み流していたというのはある。硬い翻訳のせいもあって、いまいちのれなかったというのは事実。収録された短編群はどれも幽霊譚や、人間内部にある悪意みたいなものを主題としたものが多く、どちらかというとホラーや超自然系読み物に分類されそうな話。まさにスプロールフィクションの王道を行く物語、と感じた。
生理的なイヤ感を引き出すという意味で、著者の意図は成功していると思う。人々の中に潜む情念を幽霊や超常現象という形で表現した、というのは面白い試みだと思う。どの短編がツボになるのかは、人それぞれだと思う。ある種読者を選んでしまう短編集であり、解釈の余地が多いので多人数で話し合う読書会などのスタイルで、各人の感想を聞いたりするのはいいかもしれない、と感じた。面白かったんだけど、人には積極的に薦められない短編集だなぁ。あと、表紙がちょっと地味すぎで、書店で手に取られない可能性の方が強いかも……。

ログインなどに掲載されていた神林長平のまとまっていなかった小説群を一冊にまとめたショートショート傑作選。久々に氏の短編を読んだのだが、当時の息吹きを感じられるアイディアの奔流の快感に身を任せることができた。人間であらざるもの、特に無機質な機械内に目覚めた知性というべき生命の取り扱いなどの思想が感じられる。印象に残ったのは「射生」「麦撃」「マシン・チャイルド」「過速」の4編。他もスラップスティックあり(「とんでもない猿たち」「怒髪」「和の君」)、ハートウォーミングあり(「炎帝朱夏」、「God be with you…」)など、この当時の神林長平氏のスタンスがよくわかる一冊になっている。小説技巧はともかくとして、氏の天性の感性を再び味わうことのできる作品が収録されている。
神林長平の魅力は、世界と自分の対位にあるのではないかと思う。世界はすでに出来ているが、ある種のほころびがある。そのほころびをたまたま奇跡なり、偶然などのファクターによって見つけてしまい、世界が段々と崩壊していくという展開を感じることが多い。ファクターの中でもっとも重要な位置づけにあるのが「愛・情・好奇心」である気がする。「好奇心は人をも殺す」という諺があるように、人々は好奇心によって世界を変えてきた。神林長平氏の場合、「理解しえないものたち」「異形のものたち」とのファーストコンタクトによって、世界が変わっていくことが多い。それは、AIであったり、蜘蛛型ロボットであったり、サルであったりする。そういった意味では、ガジェットの使い方がとても面白いように感じた。特に麦撃機という奇想天外なアイディアには舌を巻いてしまう。全体的に言葉では表せないセンス・オブ・ワンダー感が漂っていて、SFっていいなーと思わせる力がある短編が収録されているとだけ書いておく。
『プリズム』(ハヤカワ文庫JA)などの初期にモノにした傑作が好きな人はぜひ読むべき傑作集。神林長平ははじめて、という人でもこの素敵な装丁とイラストが入った本を一目見ただけでほれ込むこと請け合い。ちなみに、版元はこちら>ヒヨコ舎。値段的にも悪くないし、装丁のよさも含めて堪能すべし。
架空の街<オクスランステーション>を舞台としたオカルトホラー。性格の悪そうな(偏見)女司書が旦那を無くし、何となく日常からずれていく話。旦那が殺されたのは実はとある秘密からだった!というもの。オクスランステーションという架空の閉鎖的な空気に満ちた街が舞台となっているのだが、何となく土着的に気色悪い感じ。そういった意味では土着ホラーの系譜に属するものであり、どろどろしているといえばどろどろしているといえる。200ページまではなんだか主人公の女司書の話ばかり。彼女は典型的な自立した強い女を装っていて、最後のほうに恋人に頼り始めるあたりに限界を感じ、読んでいてつらくなってきた。物語的には、後半100ページを切ってから謎が解決に収束していくので、ミステリのコードが入ることもあり、割と楽しめる。
殺され方がスーパーナチュラルな存在によるものなので、秘密を知ってしまったものたちは消されていく。主人公ナタリーと恋人マークはオクスラン・ステーションの街が特殊なトリックを利用して、よそ者にわからないようにしていることに気がつく。このあたりのトリックの使い方は、ぼくにとっては斬新。村ホラーというと隔離した山奥(特に日本においては、Sirenのようなケースを見るとわかるけど)が舞台のことが多いからである。とまあ、サプライズこそはないものの、B級ホラーに出てくる感じの静かな展開の物語とは思える。
まだシリーズ一作目だけしか読んでいないけど、シリーズの登場人物の間で少し相関が出てくるようなので(本筋には関係しないようだ)、そういう遊び心を見るためにも、後の二冊を読んでみたいと思う。ちなみに解説は東京創元社の長谷川氏。この方が創元ノヴェルズのホラー仕掛け人と記憶しているが、売れたのかなぁ……。
野田大元帥のあとがきがとにかく素晴らしい。ノースウェスト・スミスに対する愛情溢れた名解説に読者ものめりこむこと間違えない。実は、ムーア単体での読書ははじめてで、今回読み終えてみて大変ジャック・ヴァンスに似た感じで、ちょっとシリーズ全体を読んでみようと思った。本書に出てくる美女たちのイラストは、松本零士さんの手によるもの。そのためか、このシリーズを読み終えた後に、脳内で映像化するとすでに、松本零士漫画の世界になってしまうこと請け合い。このシリーズほど、松本零士のイラストがふさわしい作品もないだろう。4篇が収録されており、実に悩ましいばかりの幻想譚が詰め込まれており、感動してしまうこと請け合い。
古典となってしまったとはいえ、絶対読むべき話がある。「シャンブロウ」である。この話は、赤毛の魔女シャンブロウの恐怖の物語を描く。男性の精力を吸い尽くす恐ろしい生き物である。そんな生き物に遭遇した主人公ノースウェスト・スミスの運命を描いた話である。同情を持って助け出したはずが、逆に魅了されて彼女の虜にされ、破滅に向かう……そんなシーンを想像するだけでも、ぞっとするものがある。本書は特に「シャンブロウ」が印象的だが、他の3短編も「シャンブロウ」に劣らない(あるいはそれ以上の)幻想的な冒険物語である。
美女の国に入ってしまったノースウェスト・スミスの前に現れた美しき女性。彼女に秘められた秘密を描く「黒い渇き」はラストが切ない。もちろん、恐ろしき状況もさることながら、彼女に秘められた秘密こそが最大の恐怖だったりする。よくまあこういうことを考えたなぁと感心する次第。ヴァンスと読み比べてみたいものです。「真紅の夢」はノースウェスト・スミスがとある露店で買った一枚の真紅のショールがきっかけとなって、異次元世界に迷い込むという話。ショールの中で展開される奇妙な神権世界。このイマジネーションの凄さに、ぼくはしばらく圧倒されたほどだ。グロテスクの中に美がある、ムーアのイマジネーションに完全に魅了されてしまった。ラストの「神々の塵」は冒険譚。古き邪心の灰を集めて欲しいという依頼を受けたノースウェスト・スミスとその相棒ヤロール。洞窟の中で見た、怪の古の神々の姿。そんな圧倒的な神々の姿を見た彼らは、とある行動を取る。意外性をつく展開が、この物語の魅力なんだとぼくは感じた。読んでいない人は今読んで絶対損のない一冊。

引きこもり系文学でブレイクしている滝本竜彦の処女作。チェーンソー男と戦う美少女に恋した主人公の山本の奇妙な日々を綴る。青春時代に読んだら絶対感化されたと思う。
、チェーンソー男の意味するものが一体何なのかを考えながら読むと、青春の昇華されないもやもやした思いを代表しているのではないかと感じる(ものすごくスタンダードな解釈だけれども、モンスター=打破すべきものなんだろうなーとぼくは感じた)。ヒロイン、雪崎絵里が何で闘わねばならなかったのか、悲しみを超越した謎の戦いに読者は一気に引き込まれるはず。
チェーンソー男の意味するところは強調するように「目的のない青春」そのものである。それを打破しようとする山本と絵里は、終わりなき青春の日常を打破しようとする行為を繰り返している。だからこそチェーンソー男は不死身であり、何度も彼らの前に出てくるのだ。そして、絵里も山本も死にかけることはあれども、決して死ぬことはないのだ。そのことが、普通に生活することを象徴しているのではないかと感じる。しかし、チェーンソー男は不死身なのだが、いつか終わりが来なければいけない。それが主人公の移転であり、それを知った絵里が山本の想いに気がつくことになることで、打破されることになるわけだ。しかし、山本は根本的にネガティブな考えの持ち主なので、そのあたりが世界観として含まれていることにより、物語世界に毒が注入されているのは確かである。
主人公のアンビエントな想いをうまく親友の死や、友人の作曲に絡めて切なく甘すっぱい気持ちにさせるのは、流石。不条理の中にも愛がある、そんな作品でした。

<プラチナ・ファンタジー>の一冊。『不思議の国のアリス』のパスティッシュもの。言葉遊びがたくさん入っていて、翻訳はかなり大変だったと思われる(だから以前から刊行予定になっていて、刊行されなかったという感じ)。物語はナンセンスで、グロテスク。まさに不思議の国のアリスのバリアントで、言葉遊びが好きな人は必読。翻訳もその当たりがよく訳されていて、よかったと思う(やや強引な部分もあれども、全体としてはよくやった!という感じ)。アリスが頭悪いのがちょっと気になるのだが、未来のお話になるので、アリスが理解できないのも納得はできる。
失われたパズルピース12片、おばの鸚鵡を追いかけて、アリスはグロテスクな1998年の世界を旅するというもの。シロアリ型コンピューターとか変なやつらがたくさん出てくるのでおもしろい。ともあれ、グロテスクな未来図の世界にいるので、アリスがまさに非現実性に飲み込まれてしまい、世界のパズルピースの一部に変化していく様相が面白い。ただ、主人公のアリスが頭悪いのがちょっと気になるのだが、未来のお話になるので、アリスが理解できないのも納得はできる。ジェフ・ヌーンは完全に楽しんで遊びながら書いたという雰囲気が物語中に満ち溢れていて、十分に読者に伝わってくる感じ。奇妙な殺人事件とパズルピースとの対応、そしてラストのカタルシスなど、オリジナルを換骨奪胎している点も、不思議の国のアリスに対するヌーンの愛が十分に感じられる。また、意外なものと意外なものが接点があるという、言葉遊びの点の作り方に注目してほしい。
といった意味では原作とどこが対応しているのかを確かめながら読むと楽しいと思う。内容は説明しにくいけど、スラップスティックで奇想天外なファンタジー作品の佳品として、ハヤカワのプラチナファンタジーから出たことを素直に喜びたい。好みは分かれると思うけれども、楽しく読める一冊であることは確か。

やながわさんの読書メモを読んで、面白そうだったので読んでみた。実際、おもしろい!男を魅了してやまないキャンディは、まるでバービー人形を具現化したような女の子。ダンディで博識な男たちに弱く、彼らの影響をもろにうけてしまう傾向がある。そんな彼女はまた妙な母性本能に満ちていて、それがのちのちの災いにつながっていくことになる。専門職や知性、そして男らしさにめろめろになっちゃうキャンディは、いつも貞操を奪われそうになるのだが、うまいタイミングで邪魔が入って貞操を奪われずにすんでいる。そんなキャンディのちょっとエッチで不思議な冒険譚を描いたのが本書。1960年代後半のファッションが代表されていて、何となくコミカルな感じを受けた人は多くないはず。ちなみに映画版のキャンディはスウェーデン出身の女優エヴァ・オーリンが熱演。キャンディのイメージそのままでした。
当時はかなり問題作として評判になった本書。今読むと全然過激ではないのが、時代の流れを感じます。ともあれ、キャンディのアイデンティティのなさがちょっとイヤ。根本的に男はスケベであるという前提で物語が語られるので、楽しい。キャンディは凄く美人で、どんな男でもめろめろになってしまうという感じ。自我がない彼女の体のみを目的に適当な口実でヤろうとする男どもは情けない。その当たりの当てこすりもあるんだろうなぁ。ラスト周辺からすごく胡散臭くなって、大爆笑。やっぱり、インドとか神秘思想とかヨガとか入ってくると、ものすごく妖しくなってくるんだよなぁ。それはまたキャンディの美貌があるから、本当にますます妖しくなってしまうという始末だし。
映画版は小説版をベースにしてアレンジを加えているので、随分と幻想的な話になっていたり。うまい具合にセックスのシーンや、ヌードシーンを回避していて、映像的に大変面白い作品だったのは事実。割と東洋系の思想に影響を受けているのは、多分にヒッピー文化の産物だったからというのはあるかもしれない。サザーンもまたヒッピー文化になじんでいるので、十分そのあたりは原作に生かされていると思う。特に怪しげな新興宗教での性の修行のシーンでは、インドのヨガと「汝のすべてを与えよ」の思想(たぶんすべてをシェアするというヒッピー的な共同体思想?)が十分に活かされていて面白かった。キャンディ自身が「与える」ことが「自分を与える」ことだと信じきっているので、なんだかヘンになってくる。キャンディはある種、男性にとっては理想の女なのかもしれないと、イドの奥底から感じたりする。
映画版と併せて見ると大変楽しめます。映画版がシュールで幻想的なのに対し、原作はややエロチックコメディに仕上がっている感じです。両方ともかなり違う物語になっている、ということは指摘しておきます。

河出の奇想コレクション第4弾。今回はエドモンド・ハミルトンである。ハミルトンといえば随分前に早川書房から出ていた銀背版『フェッセンデンの宇宙』があるが、長らく入手困難で、ハミルトンのイメージがスペオペの人という別のイメージを植え付けていた気がする。ぼく自身、この奇想コレクションにハミルトンが入ったことを素直に喜びたい。なぜならこの短編集はベストともいうべき、理知的で奇抜なアイディアに溢れた短編が収録されているからだ。収録された9編はどれも外れがなく、読者を興奮させ楽しませてくれることは請合おう。
全体的にファンタジーとSF、ホラーとうまくジャンルミックスされたハミルトンという作家を知る上でいい短編集。特に「フェッセンデンの宇宙」はオリジナルバージョンを読んでおいて損はないと思う。ものすごい衝撃だったから。中村融さんのセレクションは的確で、奇想コレクションの中でもいいセレクションとして残されて欲しい一冊だと感じた。イラストも女性に手に取ってもらえるファンシーで美しいもので、色々な意味でこだわりを感じさせた。マニア受けだけではなく、普通の人たちにも普通に読んでもらえる短編集だと思う。ぜひ売れて欲しい。この本が読めることを素直に喜びたい。
YAとか思って読んだら、骨太のSFでした。ちょっと、イアン・ワトスンの『エンペディング』を彷彿させる感じ。言語のひしめき合いと、大国のコントロールを受けながらも安定を望む小国の政治状況をうまく連結させ、原住民にだけ発動する謎の病気という大きなコードが絡み合って、スケールの大きなSF大作として仕上がっている。氏の作品は初めてなのだが、過去に読んだ大作と比較しても引けを取らないスケールの楽しいSFマインド溢れる傑作。
舞台は大小の島々から成る南洋のメソネシア共和国。グローバル化が進行し、共和国の共通言語が英語に切り替わっていく過程で、絶滅危機言語の調査に当たっていた主人公の高遠。彼は共和国の反政府勢力のリーダーと現政府との仲介役として活躍し、和平プロセスを軌道にのせつつあった。ところが何者かによるテロリズム、反政府勢力のリーダー、チャーリイもまた不可解な死を遂げる。そして現れる全身いれずみの謎の美少女。つぎつぎと暗示される謎めく存在と、Cantorというキーワードが示す出来事。実はこのことが高遠の運命を大きく変えることになる。バベルという言葉が示すように、言語的混乱とうまく地球外の侵略を絡めたのが発想的に新しい気がする。その言語的混乱と政治的混乱の二重の混乱の部分にセンスのよさを感じた。
原住民にだけ起こる発動の謎と地球規模の災厄。その謎が明らかになったとき、すべては元に戻り、また円環へと戻っていく。そんな壮大なSFの書き手として氏のSF作品に今後も注目して行きたい。ハルキ文庫ということもあり、ちょっと書店に見つけにくいので注意が必要。むしろネット書店で注文したほうが早いかもしれません。
最後の一文がまさにさむけをもたらすロス・マクドナルド渾身の一冊。私立探偵リュー・アーチャーシリーズの一冊で、ロス・マクドナルドの中では傑作と名高い。実際、本書は小林信彦氏によれば「ハードボイルドが本格に変化する」という展開を見せる。実際、読んでみてハードボイルドから本格小説に変化するのでびっくり。あれとあれといううちに、ただの失踪事件だと思われた事件が過去と現在と交錯し、驚くべきリンクを作り上げる。一見関係のないと思われる事象が、アーチャーの地道な捜査と推測によって明らかになっていく様は、まるでマジックを見ているよう。ハードボイルドの風味を残しつつ、しっかりとした骨太のミステリに仕上がっている。
新妻が失踪したという男性からの依頼を受けて彼女の調査を開始する、リュー・アーチャー。しかしその捜査の過程で、とある女性が殺害されたことから、アーチャーは、単なる失踪事件を調査するだけだったはずが、過去と現在が交錯する恐ろしい事件に絡み採られていく。閉鎖的な大学町で起こるスキャンダル、父娘の愛憎、そして過去に起きた不気味な殺人事件と、品のよい老婦人とその息子。そして訪れる驚愕のラストに、戦慄せずにはいられない。
前半200ページまでは盛り上げ。人物関係や背後関係をクリアにしていく作業が続きます。ところが300ページを過ぎたあたりから、徐々に背筋にぞくぞくと来るものが。段々と謎が解けてくるわけだが、犯人が実は!ロス・マクドナルド恐るべし……。これは傑作だなぁ、本当に。途中で鋭い人は犯人がわかるかもしれないけど、意外な点と線が結ばれていくのにびっくり。こういうのがミステリ的な面白さなんだろうなぁと感じた次第。アーチャーのストイックさもいいけど、物語にさりげなく挿入されているイェイツの詩とかも素晴らしい。ロス・マクドナルドの教養の深さが感じられる。総体として、なんともお洒落な物語であることよ。僕自身はそんなにミステリ読みじゃないけど、面白い物語はどれも面白い、ということだなーということを改めて感じました。

第二回小松左京賞受賞作家、町井登志夫氏のデビュー作。第3回ホワイトハート大賞[エンターテイメント小説部門]優秀賞作品。選評も本に収録されており、どのようなプロセスで本書が賞を獲得したのか、選考のプロセスもわかるのが嬉しい。1997年という発表当時を省みれば、本書が受賞した意味は大きい。ネットゲームを通じた汎アジア的な少女たちの友情を描く物語だからである。町井登志夫氏のヴィジョンの壮大さを感じさせる作品である。少女向けであるが、十分普通に読ませる物語である。
オンラインゲーム世界の到来を予見したという意味では、『ヴィーナス・シティ』とも比較しうる佳作。発表媒体がYA女性向けということもあり、やや友情物語に偏ったてらいはある。現在から見れば古い描写もあれども、近未来でのゲーム空間を予見したという意味でも、楽しむことができた。<ゴミマリア>のときも思ったのだが、氏の作品は現実にありうる可能性を秘めたSFアイディアに優れていると思う。そういった意味では、本書もアジアと日本の関係を考慮に入れながら、十分ありうる可能性を最大限に物語設定に生かしつつ、作り上げられた物語といえる。例えば、主人公麗子はフィリピン人の母親と日本人の父親とのハーフで、アイデンティティの問題で苦しんでいる。そんな彼女がネットゲームに活路を見出したのはごく自然な成り行きで、同年代の少女たちと交流を結んでいく。彼女らとの交流を通じていくうちに段々と現実とヴァーチャル世界との境目がなくなっていくのを感じられる。
2人の個性的な少女が友達の身を心配してリスクを背負いながらも、電脳空間をさまよい、友達のメッセージを探し出す。現実世界ではアウトサイダー感をぬぐいきれない彼女が、ヴァーチャル世界では親身になって友達のことを考える姿がいい。このあたりのモチーフは『今池電波聖ゴミマリア』(角川春樹事務所) でもうまく利用されているネタであり、大変面白い。多分氏の作品の根底のテーマにあるのは、「友情」なんじゃないかとちょっと思ったりした。総体として、未来のあるべき姿を呈示してくれているという意味で面白かった。

小川隆氏が特集したSFマガジンのスプロール・フィクション特集で取り上げられていた本。本書は6編の短編が収められた短編集で、どの短編も「すでに決定している絶望的なスキームの中で、主人公たちがあがく話」という根本的な流れがある。で、物語の肉づけを変えていくことで、読者に様々な視点を与えることに成功しているように思える。それが架空のテーマパークで働く人あったり、自己啓発セミナーに啓発されてしまった男だったりと、手の品を変えて読者に提示される。また主人公たちの妄想や独白が多いのが特徴で、多分に登場人物たちの内的世界の妄想を小説化しているのだろう。世界は基本的に変わらないので落ちはない。訳も十分こなれていて、大変読みやすかった。
総合すると「パストラリア」と「シーオーク」が素晴らしい。あとの物語は面白いけど、ふーんで終わってしまうような物語かも。特に「シーオーク」はこれでもか!と嫌な設定を繰り返しながらも、何も落ちがないという閉塞感がたまらない。これは「パストラリア」もそうである。資本主義のもつ本質をきちんと理解しつつ、SF的設定を利用しながら、個人の内面に焦点を当てる手法はまさにスプロール的じゃないかなと思う。お勧めの一冊。

巻末に小谷真理氏のテクスチュアル・ハラスメント論が掲載されている。さらに結果がでた山形浩生氏とのアノ裁判についても色々と言及されている。裁判についてはゴシップ的であんまり興味がないのでふーんと思って読んだ程度。日本版オリジナルで面白かったのは抹消された俳人沢田はぎ女について。彼女の俳句を夫が作ったという誹謗の噂が流れ、俳壇の世界から抹消されたはぎ女と自分の姿を投影して語る小谷真理氏の説明は面白かった。
ジョアナ・ラスによる本文を読んでいてなんだか陰謀史観を読んでいる感じだった。はっきりいうと、本文はつまんない(笑)。ラスの性格の悪さが出ている本というか。本文中で色々と挙げられている本や例も多いけれども、男性社会が女性作家を殺した例をたくさん出す。女だからということで不当な評価しかされていないというのは、許されざることである。しかし、ラスの文章を読んでいると「女性という立場」を強調するあまりに男性を敵視しているように感じるときがあった。これはマイナスでしょう。とにかく引用や、男性社会へのルサンチマン(&ラス自身のルサンチマンも含めて)に溢れた憎悪の書ともいえる。攻撃的フェミニストの悪い癖だと思う。
当時の社会諸相や教育レベルなどを考慮すると、多少仕方がないかなとは感じる。またすべての作品を網羅することは不可能であるし、割合からいうと当時比率が少なかった女性作家を多数名作に入れろという感じになってくる。その理由として、彼女は書いたが…(書くべきではなかった、手伝ってもらったなどなど)という男性社会(特に男性批評家やアカデミズムによる)に封殺が行われたとする。確かにそうだったとは資料より読みとれるのだが、いかんせんラス自身が攻撃的なので、価値が減じている気がする。もうちょっとやり方はある、と思う。頭のいいフェミニストが陥る罠臭い。もし現在の文壇で「彼女は女性だから、云々」という具体例があればぜひ知りたいので、識者の方は情報をください(本文では多少挙げられているけど、少ない気が)。運動がそれ自身目的化するようなことがないよう、たぶんラスが頑張ったんだと思うけど、読んでいてあんまり気持ちはよくない。ま、歴史上色々な人たちが不当に扱われ消えていった事実があるので、局地化を大局化する方法論は何となく微妙な気が。
そういった意味では本文のエッセンスをうまくまとめている小谷真理氏の解説の方が面白かった。ラスの部分は本当に冗長で、読んでいるときに眠くなった。アノ裁判を行った理由付けなどを知るにはいい本かなと思う。ただ高い(3600円)もするので、フェミニズム運動に関係したい人以外、買わないでいいでしょう。フェミニズム文学、論争史をやる人は多分必読。書き忘れたけど、日本は比較的西洋と比べると女流作家の地位は高かった気がする。その当たりの事情は小谷真理氏も述べているけど、日本は恵まれた環境だったのかもしれない。一方、ラスは日本のような状況じゃないから闘わなきゃいけなかったのかな?と思うと、同情してしまう。しかしその一方、過去の文学史上、なぜ女性作家が抹殺されたかという経緯を知るにはよくまとまっており最適の本なので、そういうことを学びたい人にはお勧めしておく。
11の短編が収められたかんべむさし氏の初期短編集。どの短編も外れがなく、安心してお勧めできる短編集である。特に表題作の「俺はロンメルだ」はロールプレイゲームの先駆けというべきサラリーマン小説の傑作なので、ぜひ読んでもらいたい。かんべむさし氏の小説は、日常からあまり乖離せずにちょっとしたアイディアのひねりが素晴らしいと思う。それゆえに読者との距離があまりなく、解説で堀晃氏がいうように「読者がかんべむさし氏の人柄を知りたくなるような作家」という形容はまったくもって同感である。
特によかったのが「ならやま審議会」「まわる阿弥陀仏」「俺はロンメルだ」「道程」の4編。SFというよりは、サラリーマン小説あるいは奇妙な味の物語と分類される作品群である。例えば「ならやま審議会」は広告会社で働くかんべむさし氏ならではの発想だと思う。リストラできない以前功績のあった人々を「ならやま審議会」という怪しげな略名の委員として飼い殺しにする。そしてそれに真っ当から反論してしまった青年の悲劇を描く。この作品で面白かったのは「組織の奇妙さ」にある。巨大な組織になればなるほど分けの分からない組織が出来上がっていく。それを皮肉ったという意味では先験的な物語である。また「まわる阿弥陀仏」は、広告という媒体の威力をうまく利用した奇妙な味の物語として非常に面白い。この短編はまた日本人の性格をよく皮肉ったという意味で、大変面白い。「俺はロンメルだ」は流石表題作だけあって、読ませてくれる。やはり成り切りの効果で業績を伸ばした広告会社のとある物語。ラストのオチはロンメルから想像できるものの、とても面白い。発想力とかアイディアを重視しているという意味で、大変面白い短編でした。「道程」は色々なアンソロジーに収録されるだけあり、かなり不条理の入ったホラー味の短編。ある日起きたら自分だけが逆転する状況になったら?という、不思議な味わいがある。
本質的にSFというよりは、日常ぼくたちが感じていて知らないことに対する不安みたいなものに対するアンビエントな思いをうまく形にした短編集といえる。そういった意味で、発想の転換を味わいたい人にぜひオススメしたい短編集である。

やや冗長で混乱したと思われる部分もあれども、面白く読めた。ウェストレイクのドートマンダーを意識して書いたピカレスク物語。登場人物が釣り屋という設定が浅暮さんご本人の趣味を生かした形で利用されていてよかった。病床の父親のために山魚女を釣ってくれという依頼から、奇想天外な犯罪物語に変わっていく。釣り屋<<ラストホープ>>にある日突然舞い降りる奇妙な依頼。多摩川の山魚女を病床に伏せている父親のために釣ってくれという。そこでラスト・ホープを経営する二人、東堂と刈部が苦労して入手したこれらの山魚女が何者かによって奪われる。そして彼らは奇妙な一億円強奪事件に巻き込まれていくのだが……。
面白いのは小道具の使い方。あひる、山魚女、地蔵(!)、お守り、車。これらの物品が別人に移ったり、所有者にもどったりと面白い展開。夢の部分はやや幻想めいて、リアリティを薄める(読者を混乱させる)役割を果たしており、微妙な感じ。刈部と東堂のコンビはなかなか面白くて、静と動というお約束をしっかり守った感じなのがいい。ドートマンダーを意識していることもあり、基本的にスラップスティックな展開。そ、そんなという展開も含めて元気な老人パワーに脱帽します。というかおばあさん方元気すぎだよ!タフなお祖母ちゃん、特にマツ婆さんのタフな生き方と人生訓には脱帽です。
ただストーリー展開が追いにくいので注意して読まないといけないかも。大雑把にいうと二パートから構成されているのだが、のちのちさらに複雑になってくるので注意して追わないとわからなくなってしまう。まあわからなくなっても面白いのでそのまま一気に読めてしまうのだが。しかし浅暮さんはヘンな小道具が好きだと思う。メインプロットよりも寧ろ物語の隅の部分の方が印象深いというのが面白いかなとは思いました。今後もこの方向性でいくのかなーと思いつつ、次回作品に期待。
当初はサラリーマン小説でいつものパターンで終わるのかと思いきや、実はSFファンへの階梯をベースにした自分改良物語。きまじめだけど、どこか融通の利かない主人公の香取。新婚ほやほやで、大手自動車会社に就職し、一生懸命働いていた。でもどこか抜けている彼。休みの日はまじめに勉強するのだが、資料を読み込むだけで終わってしまう。そんな融通の利かない彼を見て、上司の堀江がいびりを開始した。堀江にいびられている香取の姿に耐え切れなくなった桐生が、直属ではない上司西川に相談したことから物語は始まる。西川が香取に「蚊取り線香の研究をせよ」といったことから、彼のきまじめ人生にどこかゆとりが出てくるようになる。
うわーっ、なんだか自分の姿を投影してもだえてしまうような物語。この話はそのまま指導教官−学生の姿に当てはまるので、学ぶところが多かった。主人公の香取の場合、ゲットしてきた知識の体系をどうつなげるのか、という点がわかっていないので、その知識をつなげるための過程のやり方を与えれば大丈夫という感じ。その当たりについて具体例(蚊取り線香の蒐集と研究)を交えて説明していくので面白い。流石独自の発想法を持っているかんべむさし氏だけあり、知識蒐集と整理の方法論がしっかりしている。そう、読者はこの小説を読むことにより知識の体系をどのように学び取るかということも同時に学んでいるのだ!そういった意味でも、大変面白い。
またコレクター心をくすぐる描写(珍しい蚊取り線香ゲットだぜ!)も多い。何かをコレクトしている人、体系の整理に悩んでいる人、蚊取り線香のトリビアを知りたい人は必読。かなり面白いです。徐々に蚊取り線香を蒐集していくうちに、香取は自分が変革したことを身をもって体験する。そしてそのコレクションの蒐集の過程で重要な人に出会い、導かれていく。これはまさにインターネットのコミュニティに近い感じで、趣味を同一とする人たちが集まってお互いの知識を集積していく過程に似ている。本書の場合はよりプリミティブだが、昔はきっとこうなのだろう、というのがよくわかる。また足で稼ぐ知識というのが、より身につきやすいということはあるかもしれない。
知識のリンクをどうつなげようか、と悩んでいる人にオススメしたい。ちなみに表紙は亡きナンシー関。彼女らしいデザインでした。

先日お邪魔した際に、柴野先生が一押ししていた本。久々にハードSFを読みたくなったこともあり、読んでみることにする。本書は2003年度星雲賞・日本長編部門を受賞した本で、SF読者層の支持も高い。本書は所謂「より科学公証に沿った形で現実にありえるような物語を構築できるか」に視点が置かれているため、アイディアの面白さに注目して読むことにする。それがハードSFの愉しみ方だとぼくは思っているからだ。ということで、本書は太陽軌道にリングを形成するという破天荒なアイディアからはじまり、あっと驚く物語展開になっていく。
ざっくばらんに言えば、異星人とのファーストコンタクト物語。ある日突然、異星人が水星に建造していたと思われるプラントからナノマシンを作り出し、軌道にリング状の物質をばら撒き、ドックをつくりはじめる。それに業を煮やした人類が、解決策を求めて苦闘するという話が前半部。そしてドックを破壊し、主人公の宇宙飛行士白石亜紀たちは、柔和派と強硬派の二つの間に挟まれて、なんとか解決策を探ろうと腐心するのが後半部。果たして亜紀たちは宇宙人とファーストコンタクトし、お互いの意志を疎通できるのか?という展開。この部分が後半を盛り上げていて、面白かった。
ファーストコンタクトものとして、大変楽しめました。ハードSFの担い手として活躍されている野尻氏の意欲作だと思った。ちょっと疑問だったのは、世界が滅びることがわかっていればデフレになるのか?とか。そういうところが気になってしまったのはある。またあの状況はプレイヤーのタイプがわからない不完備なゲーム構造なので、プレイヤーのタイプを決定しないといけないと思ったわけですが、とりあえずそれは学生との質疑応答という意味で大丈夫なのかな。SF的なアイディアの部分はとても面白かったので、宇宙塵に掲載された「沈黙のフライバイ」を近々読んでみたいと思いました。

SFの愛を強く感じられる素晴らしいガイドブック。久々に読んだ「個人が書いた熱い紹介本」である。あらすじを面白おかしく自分流に解説し、エッセンスを抽出し、読者に楽しませ、読ませる気にさせる。先人たちから「SF魂」を継承した人として、今後もがんがん活躍して欲しい。「と学会」読者をSFへ引き込もうという意図も見受けられ、自分が愛しているSFへ誘導する当たりも確信犯的ではある。その点が本書の意図したところであり、十分に目的は達成されていると思う。また古来のSFファンに対しても十分挑発的な本であり、非常に面白く読めると思う。
こだわりとか愛というのは、伝わればいいわけで、ぼくたちがもし感化されたのなら、自分でリソースを操って、探せばいいだけのこと。ここ数年SF古書を漁っていた身としては、本当に読みたければ本は見つかるということ。殊更現在、環境は十分整ってきているわけだし、今から探してでも読めばいい。そんなこだわりや面白さが本書中に溢れていて、SFに興味ない人でも読みたくなる話ばかり。そういった意味でのSFへの愛があって本書はガイドブックとしていい本だと思う。
例えば、ジャック・ウィリアムスン「火星ノンストップ」。火星へプロペラ機で行く話なんだけど、どうやっていくのか知りたいでしょ?あと、ラインスターファンの山本氏の「宇宙震」の解説はまさに魂を揺さぶられる名解説。銀背をひっくり返してきましたよ、ええ。前書きに山本氏のスタンスが明確に現れていて、面白い。「バラードは小難しいから嫌い(笑)」とか「SFの本質はバカである」(よくわかってらっしゃる)、文系と理系では読み方が違うとか、本質をよくついてらっしゃる。ハードSF作品に対する読み方の解説は秀逸。かゆいところに手がとどく解説というのはこの本のことでしょう。
福島正実の名前が間違えていたのが気になったけど、それ以外は貪欲な読者を十分に煽る本として楽しかった。ネタバレがあるので、作品を読んでいない人はそれを避けて読んだほうがいいかも。とりあえず本書を読んで、古いSFマガジンのバックナンバーを漁る読者が増えてくれることを願ってやみません。
先日訪問した際に、小隅黎先生が一押ししていた本。先日本を整理していたら出てきたので早速読むことにする。著者の石川英輔氏によれば「自分の本で最も売れなかった本」らしい。最近の石川氏は江戸時代の研究家として有名だが、当時は企業マインドに富んだSFをたくさん発表しており、現実感覚に優れたSFの書き手として期待されていた感がある。とまあ、氏の<株式会社>シリーズの一冊なので期待して読んでみた。
世界初の家庭用ロボット「マイボット」を作るために挑んだ自動車メーカーの苦闘を描く物語。昭和58年に書かれた物語とは思えないほど、予言性に富んだ物語である。特に自動車メーカーがロボットを開発する(のちに本田技研がAsimoを作ったことは周知の事実である)こと、ロボット制御技術、駆動系に焦点が置かれている点が大変面白い。デバイスの限界に対応するために、アナログ制御系とデジタル制御系を組みあわせるところなど、工夫に富んでいる。
あと、本書は企業の利潤最大化行動に則った形で、ロボットが開発されているのも興味深い。石川氏はアシモフのロボット三原則を実際に即した形で変更している。人造人間工学の三原則+影の一原則の四原則が提唱されるが、なるほどと納得する内容だったりする。企業にとってはマイボットに愛着をもたれるとまずい。その当たりの微妙な心理をついた影の一法則は素晴らしい。
あとがきで著者が述べているように、産業小説ではないとはいえ、現実におけるコスト−ベネフィットを踏まえた上でかかれた本であり、開発したものが独占的利潤を得られるという創業者利潤、競争者の存在などを含めて物語作成しているので面白い。またマイボットの登場により、日本の社会、文化にどのようなインパクトを与えるのかも、きちんと論じているの面白かった。殊に男女の労働、育児の問題について語られた点が興味深かった。
本書は石川英輔氏の本の中でも見つかりにくい一冊だと思う。興味のある人はぜひ図書館等で探して読んでみて欲しい。Asimoが現実となった今、石川英輔氏の小説は示唆に富んだ素晴らしい本だと思うからだ。

読了。そのついでに一章だけが掲載されていたSFJapanのVol.9を引っ張り出して読んでみた。自分が読み終えた後にまっさらな気持ちで選評を読みたかったというのもある。ガジェットは断然イイ!SFへの愛が込められていることもよーくわかるし、仕掛けが楽しい。火星テラフォーミング、ナノテクマシンの汚染、唯我論、パワードスーツ、量子力学などのトピックが詰められているという意味で、「ああ楽しい、SFって」思わせる作品でした。そういった意味では日本SF新人賞の趣旨に沿った作品だったといえる。
序章から終章までの間は、ナノマシンで変容(汚染)した火星でヒロイン、ユンを捜索し、奪還することに終始する。捕物劇は大変楽しかったのだが、だんだんと遠征軍の意味がなくなっていく(反乱軍の存在は一体……)ので肩透かしを食らわされた気分。戦闘のときに、存在を消してしまうような大技とか、(自分の理解力不足もあるかもしれないが)もうちょっと戦闘部分にも力を割いてよかった気が。ぎくしゃく感がややある(口調の問題など)のも含めて、タイトに出来る部分をタイトにすれば問題ないんじゃないかと思います。もったいないなーと思ったのは主人公がクローンであることが、後半であんまり活かされていない気が。まあ前半部のためだけにあると思うんですが、クローン同士でシンクロニティがあるなどのねたがあってもいいかなとは思いました。
という意味では、ニール・スティーヴンスンの『ダイヤモンド・エイジ』(早川書房)のいい意味での日本版後継者のようなお話だったかなーと思います。それと、猫の話のところで脳裏に浮かんだのがうる星やつらの<ビューティフル・ドリーマー>でした。読んだ人はきっと納得してくれるはず! 総合すると、物語はきちんとSFのガジェットもしっかりと押さえていて、普通にSF初心者でも楽しめる本だと思います。SFマインドが感じられた一冊でした。
タイトルで惹かれて購入。戦争とは何かを、nursingの視点から捉え直した意欲作といえる。SFの系譜として、マレイ・ラインスター<メド・シップ>シリーズやテッド・ホワイトらのSF系譜はあるものの、多分現実世界を踏まえての救出モノ、というのは過去あまり見かけない(自分の読書範囲での中で、ということで)ような気がする。本書は特にその中でも戦場で働く看護婦たちの奮闘と苦悩を描く。極限状態下における看護婦たちの心理を描き、彼女らの苦悩を通じて、人間たちのエゴや憎悪、そして愛を描き出そうとした野心作といえる。
16年の長きにわたり隣国ココンに資源奪取の侵略戦争を続ける先進国フレナーダ。国民も軍隊も疲弊している中、傷ついた兵士たちを治療する医療チームがいた。巨大な空の戦艦<メデューシン>である。絶望的な状況下で、ナースたちは一人でも多くの命を救うために苦闘する。ところがあるとき、とあるココンの村で唯一の生き残りの少年を救出したことから、物語がはじまる。彼は奇妙な病気に冒されており、彼の病気の原因の解明のためアルテを中心としたナースたちは苦闘する。しかしその間にも戦争は激化し、徐々にフレナーダは不利な状況におかれていく。
上巻は三篇、下巻はエピローグを含め四篇が収録されている。連続短編なので、さくさく読める。主人公は多分アルテとヘリオ。彼らの視点を中心として物語は語られる。侵略される側と侵略する側。どちらにも言い分があるのだが、本書では徹底してフレナーダを悪役として描く。徐々に戦争の狂気に自分の正気を犯されていく彼女ら。ある者は男に走り、ある者は逃亡を試みようとする。しかしそんな彼女らもまた「一人でも多くの人々を救う」という理念に沿って生きているのだ。だからこそ彼女らは看護婦稼業を行っているのだと。ミクロレベルでは、国境を越えた職業の崇高さを説いた物語となっている。そしてマクロレベルでは、腹黒い政治家たちの恐るべき陰謀。彼らの悪辣ぶりを、一人でも多くの人々を救うために、人種を超えて協力し、暴いていく展開は爽快感があった。ポリティカルSFとしても面白く読める一冊。


<文学の冒険>シリーズの一冊。ロシアでもっとも危険な作家、ソローキンが世に問う衝撃作!読了後、しばらくあっけにとられてしまう。たとえていえば、力石徹と戦い終えて真っ白になった矢吹ジョーの状態になってしまった。19世紀ロシアの穏やかな田園描写、素敵な隣人たちに囲まれて幸せな主人公ロマンの世界が、一転して驚くべき位相へと変換される。この衝撃は読んだ者にしか味わえない!
2巻の途中までは美男子ロマン(19世紀ロシア文学の主人公!)と伴侶タチアーナの恋物語と結婚にいたるまでを描く。美しいロシアの小村の風景描写、そして、美味しそうなロシア料理の数々(水漬けリンゴは食べてみたい!)の描写。そして、主人公ロマンをとりまく穏やかで理知的で、素朴な人々との交流。ああ、なんて素晴らしいんだろう!とうっとりとしながら読んでいたら、主人公ロマンが婚礼の夜、引き出物の斧を手にしたとたん、一気に物語が反転。恐るべきちゃぶ台返しが行われる!それと同時に、テキストの解体も進行していく。
修飾語をふんだんに使った19世紀ロシア的な文体で彩られた風景や人物描写が解体され、コンテキストが主語と述語だけの荒々しい描写になっていく様は筆舌に尽くしがたい。以前読んだ短編集『愛』(国書刊行会)で幾分慣れてはいたが、反転した本書の部分は『愛』の一番酷い部分を何度も読まされているような気分にさせられる。村人を虐殺していくロマンとタチアーナはまるで殺戮機会のよう。そして教会に入った後のロマンたちの行動は、謎めいているばかりか、19世紀的ロシア文学の主人公に振るかかった突然の災厄としかいいようがない。ロマンたちへの呪いはソローキンの意図するところの芸術であり、読者は彼の意図した「コンテクストの解体作業」に強制的に付き合わされることになる。それこそがまさに、「読書という行為に対する究極の呪い」なのではないか?と読み終えて感じた。
そういう理由もあって、ぼくは「『ロマン』読みましたよ」(ニヤリ)としかいえないのだ。もし本当に興味がある人は、この魔書を紐解いて欲しい。その勇気がある者だけが、本書の呪いを味わることができるのだ。読み終えたものこそ、この本の真の恐ろしさがわかるはずである。読書という行為を問い直す本であるといえる。読み終えた人とこっそりとどこかの場末の飲み屋でウイスキーをちびちびやりながら、語りたい本である。

文学の冒険シリーズ。帯にある「少年は欲望する未来へと飛び立つ」というキャッチフレーズに惹かれて読んでみた。この物語はスペインの中で常に抑圧されてきたバルセロナという街の再生と成長を描くと同時に、一人の貧民街の少年の成長をも描いている。という意味では、バルセロナという街を舞台にした、ピカレスクロマンであると同時に、バルセロナという街のランドスケープを描いた意欲的な作品である。映画でいえば、City of Godというブラジルのストリートチルドレンの抗争を描いた物語に似ている気がした。主人公オノフレが伸し上がっていく過程とバルセロナが困難を含みながらも雑然と成長していく過程が螺旋のように重なりあい、ジャムセッションのような物語となっている。
大変貧しい家庭で生まれたオノフレ少年。彼は夢を求めてバルセロナへと旅立つ。そしてそこで、宿屋の娘と運命的な出会いをする。占い師によれば、3人の女性が彼に幸運をもたらすという。その漠然としたお告げのもと、才気溢れるオノフレは徐々にバルセロナの街の顔役として伸し上がっていく。それと同時にバルセロナの街も、だんだんと成長し猥雑な街へと変貌していく。人々の欲望と希望を込めて、街は変容し、少年もまた変化していく。そして読者は一人の少年の成長譚を味わうだけでなく、バルセロナの歴史を同時に味わうことになるのだ。その過程こそがまさに幻惑ともいえる美しさを秘めている。バルセロナとオノフレの姿が徐々に重なり合い、魅惑的なクライマックスへと収束する。まさに奇蹟の物語である!
いずれ感想を挙げたいと思っているメキシコの作家、C・フェンテス『アルテミオ・クルスの死』(新潮社)と本書はテーマが似ている。フェンテスは臨終間際のアルテミオ・クルスという権力者の死の数日間と彼の過去を交互に織り交ぜることにより時系列をめちゃくちゃにすることにより、幻惑的な世界を作り上げたのに対し、メンドサはバルセロナという都市を舞台にすることにより、バルセロナ=オノフレの和合化に成功していると思う。ともに素晴らしい作品なので、機会があればぜひ読んでいただきたい。テキストの語りの魔術に酔いながら、読書の秋に読み進めるのにぴったりの小説である。