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夏はラノベ!ということで、6月からちまちまと読みはじめ、ようやく読了。読み終わるのがもったない気分と同時に、早く終わってほしいというアンビバレントな気分に囚われつつ、読み進めた。
マコンドという村が街に変遷し、そして廃墟になり、塵と化していくまでの過程をマコンドの創設者であるブエンディア一族の興亡とともに描いていく。ホセ・アルカディオとウルスラの夫妻から始まる一癖もふた癖もあるブエンディア一族の幻想的な物語が饒舌ともいえる文体で書き記されていく。読んでいるときの感覚としては循環している物語の集合体があって、それをまとめる冪集合があって、その冪集合が収束していくという感じだった。
大半の物語が恋と愛憎の物語で占められる。どの色恋もせつないほど、孤独と空虚で占められている。恋心を紛らわすために、娼婦や他の女性たちと寝る一族の人々。文章から痛切に伝わってくる孤独の悲鳴がずんとぼくの心に響き渡る。特に痛切に、一人の男や女を愛してしまった恋人たちの姿がなんとも生々しく、共感する部分もあるだろう。
そしてマコンドが変遷・流転するとともに、一族の人々もまた翻弄されていくという感じ。特に一族の母ともいえるウルスラの存在がどちらかといえば、風変わりな一族をまとめるストッパーとして働いている間、彼女の運命も含めてどうなるのかはらはらどきどきしながら読んだ。この物語においては、女性の存在が安定枠としての働きをしているので、大変重要だと思える(それはアマランタにしろ、そう)。なんだか、時間と人物名の感覚が読んでいるうちになくなってきて(絶対家系図が必要)、自分まで循環の輪に囚われてしまった感覚があった。あとアウレリャノ大佐はすごい。あと、C・フェンテス『アルテミオ・クルスの死』(新潮社)の主人公のアルテミオ・クルスの話がちょっと出てきて、にやり。こうやって物語の間の相互リンクが成されるのもまた妙なることかな、と。
どの人物も個性的で、個性的なキャラクターたちが自由奔放にパワフルに動き回っている感じ。自分たちの欲望、生きるままに生きていく、野性的なパワーを感じた。その中で一人自制を保っていたウルスラがほぼ最後まで一族を見たのは、ちょっと不思議な感じ。ラストは、ポオのアッシャア家の崩壊を彷彿させるようなラスト。こういう風に人生というのは綴られるものかもしれない、と思ってしまったのでした。こういうすばらしい本に出会える機会があるから、読書はやめられない。

第二回『このミス』大賞受賞作ということで、とりあえず帰国前に購入。軽めの日本人ミステリが読みたくなったので、帯のキャッチコピーを見て読んでみた。代理母、インサイダー株取引、ハッキング、サヴァン、家庭内暴力、美容整形、胎盤利用、そして誘拐劇というこれだけの要素を詰めこんだにも関わらず、スキゾにならず物語を収束させている点では、大賞をとったのはよくわかった。ただ文句を言うとするとその分、人物描写に偏りが出でしまい、いまいちリアリティを感じない登場人物もいたのが残念。その点を除けば、デビュー作としては文句のない出来だと思う。誘拐劇の動機は、過去にこういう作品を読んだことがなかったので、結構いいと思えた。
代理母として生計を立てている良江は、ある日自分が代理出産した息子をひょんとしたきっかけで誘拐してしまうことに。そのことを知った良江の元恋人たちは、ある計画を立てる。誘拐先の息子の父親が経営する投資ファンドを利用して、株式を大量購入し、株価操作をするというものだった。その作戦はうまく行ったかに見えたのだが、ちょっとした出来心が仲間の団結を崩すことに。そしてその裏には恐ろしいハッカーの魔の手が潜んでいたのだった……。
どうしても特殊な能力を持った人物(良江や俊成)が重要な役割を果たしてしまうのは仕方がないのだろうか。そういう意味ではあまりリアリティがないので、残念。ただ、株価操作のからくりについて(期待を形成させて、株式市場をコントロールする部分)は、経済学をやっている身としてはとても面白く読ませてもらった。パーフェクトだと思えたプランが実は暗躍するハッカーの身によって、おかしくなっていく過程やちょっとしたトリックの部分はよく出来ていて、実際にあってもおかしくはないというリアリティがあった。プロットのまとまりがいい分、人物描写がわざとらしいのでそちらの点が瑕疵となっている気がした。そういう意味では、プロットがよくて、人物描写がいまいちという点でややもったいない気がした。今後の作品に期待、というところかな。
ちまちまと読んでいた高木貞治『近世数学史談』(岩波文庫)を読み終えた。ぼくは数学者のエッセイが大好きで、特に数学者の伝記は過去、今なおご存命の彌永昌吉先生、フィールズ賞を受賞した小平邦彦先生のもの、そして最近ではE・T・ベルのものを読んでいる。特に勉強をしている際に○○の定理という感じで、様々な数学者の名前が出てくる。そんな数学者たちがどんな苦闘をして、定理を発見(または編み出したのか)したのかを知りたくなったのだ。特にオイラーやガウス、ワイエルシュトラス、伊藤清、ナッシュなどの名前は経済学において頻繁に出てくるからだ。そんな彼らがどんな風に数学に貢献してきたのか、一学徒として興味が出てきた。
数学の体系は物理学などの要請によって自然と発展してきたものだといえる。今回、高木先生のエッセイで数学におけるガウスの貢献、夭折の天才アーベル、ガロアらなどの姿を知ることが出来た。高木先生のエッセイでは、読み物として読ませると同時に、重要な節目にはきちんと原典からの引用があり、重要な定理をわかりやすく素人にも説明しようとしているところにある。特にガウスによるレムニスケート函数の発見の項はアーベルの楕円函数との対比をしっかりしていて、面白い。どのように円周を等分するのか、という問題から派生して、レムニスケート、楕円函数の等分問題、そしてそれがその後、リーマンによって発展させられることなど、流れがよくわかる。
特に本書では、高木先生の専攻でもある代数学に関して重要な役割を果たしているアーベルとガウスについて詳しく触れられている。アーベルはノルウェーの数学者で、27歳で夭折した天才数学者。ところがちょっとした誤解がもとで、ガウスとアーベルは出会うことなく、アーベルは不幸続きで亡くなってしまう。特にアーベルの場合、コーシーがアーベルの論文を引き出しにしまったまま彼の論文を掲載しなかったがために、アーベルの運命は暗転してしまうあたりに、運命の皮肉を感じる。もしアーベルがもっと名声を得て、安定した生活ができれば数学の世界はまた違ったものになっただろうと思うし、ガロアが決闘で死ななければ、数学の世界はまた豊穣なものになっていたのではないか?と感じることもある。運命の女神は皮肉なものである……。
高木先生自身もまたドイツに留学され、20世紀の数学の巨人の一人であるヒルベルトに私事していた。ヒルベルトとの出会いから、高木先生自身が完成された類体論(杉浦先生による解説が巻末に掲載されているが、ややテクニカル。抽象代数学の勉強をしないと少しわからないと思う)が如何にしてできあがったのか、ということもわかる。そのほかにもヒルベルトのちょっとした面白いエピソードなど、実際にあった出来事がまるで目の前に現れたように、楽しむことができる。
数学の不思議なところは、一見関係ないように見える研究が実は深いところでつながっているというところにある。素数がどのように分布しているのか、という問題は長年解くことができないまま数学者の頭を悩ませている。この問題は、解析学、抽象代数学の諸定理と結びついて、今でも多くの数学者が解決をしようと試みている。数学を少しかじって感じたのは、無限をいかに有限という枠組みに収めるかということにある。そういうことを再び考えさせてくれる本書を読んで、現在活躍されている先生方が数学の道を歩まれたのは納得のいくところである。数学が好きな人、数学を志す人はぜひ読んでみてほしい。新たな発見があると思う。

『第六大陸』(ハヤカワ文庫JA)で星雲賞を受賞した今が旬の作家、小川一水のリアルフィクション。架空の大都会で地震後の復興劇を生々しく描いた作品。読者が読んでいて感じるのは、関東大震災後の日本の姿。という意味でも我々に馴染み深い設定になっている。殊更、大都会に住んでいる自分としては作中の描写は現実味を帯びて恐ろしく感じる。特に地震後の混乱、情報の伝達不足、人手不足、連絡網の断絶など様々な要素が絡み合って、混乱が混乱を呼ぶ具体的な災害の描写は読者に色々な想像をもたらすことに成功していると思う。
突如レンカ帝国の首都トレンカに襲い掛かった大地震。要人たちは死亡し、国を司る上皇もまた地震の災厄によって死去してしまう。そんな中央不在の中、植民地の参与だった内務省の官僚セイオはトップとして、地震後の首都の復興に携わることになる。しかし、植民地人の襲撃のデマ、軍部の台頭、政治家たちの暗躍、そして民の反感など様々な勢力と関わりながらセイオは復興院総裁として首都トレンカを復興するプランを作り上げていく。
というのが一巻め。地震がおきてから、地震直後の混乱を見事に描き出した一巻目は地震大国に住んでいる我々にとってはとても生々しく思える。特に生きながら焼け死ン出しまうケース、命令系統がうまく統制されていないがために救助が遅れてしまうケースなど、巨大都市ならではの脆弱性を見事に小説の中で展開している。そんな状況のもとで少しでも秩序をもたらそうとしている人々の姿を様々な角度から描いている。そういった意味で、SFというよりも復興劇に携わる人々の内面を描いた小説といえる。特に官僚のあるべき姿を本書に託した形で小川一水は本書で描こうとしたのではないか、と感じた。