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岡崎京子版とハヤカワepi文庫版。岡崎京子の漫画のおかげで、読みきることができた。それにしてもこの翻訳はひどい。当時、日本にはなかった概念を無理して日本語に直したという感じ。新訳版(新潮文庫)はアマゾンのレビューを見ると悪くなさそうなので、今後読む人はそちらで読むことをお奨めしたい。翻訳の悪さを除けば、こんなに切なく悲しい物語はない。さらにコレクターの蒐集癖の究極の姿を書ききったヴィアンのすごさに尊敬の念をいだく。うたかたの日々を読んでいてマニアの欲の恐ろしさに戦慄しましたよ。岡崎京子版はうまく翻訳をダイジェストしていて、お奨め。
胸に睡蓮の花が巣食ってしまった妻クロエを助けるために、主人公のコランが全力を尽くす話。そこにバルトル(これはサルトルを多分意識している?)の蒐集家の友人シック、その恋人アリーズ、幼馴染のイリスとコランの住み込みの料理人ニコラらとの関係が絡んでくるというもの。特に重要なのはシックとアリーズ。バルトルのコレクターであるシックは、バルトルのものなら何でもほしいという人。そのため結婚資金として友人のコランが贈与した莫大なお金もすべてバルトルのコレクションに費やされてしまう。シックを愛しているのに結婚できないアリーズは、結局シックの崇拝の対象であるバルトルを殺害するに至る。ちなみに、コランの崇拝するバルトルは哲学者サルトルがモデルになっている。なぜならヴィアンは実生活でサルトルにGFをとられてしまったためにサルトルのことを相当恨んでいたらしい。
この物語で切ないのは、愛するものへの無心の愛だろう。アリーズも、コランも、シックもそれぞれ愛するものは異なれでも、その愛を成就させる、あるいは続けるために自分の身を犠牲にしてまで奮闘する。当初は幸せの絶頂にいた人々が徐々に破滅に向かって突き進んでいく姿はなんとも切なく悲しい。
翻訳の悪さはあったけれども、心にずしん、と響く一冊。岡崎京子版も徐々に絵が壊れていく過程での岡崎京子作品なので(それはヘルダースケルターと同じ)なんだか妙に生々しい迫力がある。ヴィアンの小説は何冊かあるので、帰国したらちょっと読んでみようかな。
岡崎京子版のリンクは以下に貼っておく。
うたかたの日々<

ホラーだと思って読んだら、梶尾真治さんを彷彿させるなごみ系物語だった。物語が進行していくうちに、徐々に泪坂にまつわる秘密が明らかになっていく。そしてその秘密が明らかにされたとき、あっと驚く展開が待ち受けている。様々な手法でいつも驚かせてくれる氏の作風に改めて驚嘆する一冊。ホラーミステリに慣れ親しんでいる読者はきっと氏の作風の変化に驚くかもしれないが、本書では氏の多面的な一面を見る事ができたという意味で、きっと楽しく読めると思う。特に本書では伝統工芸という世界を扱っているために、物語が真のベールをはいだときの驚愕があるのかもしれない、と感じた。
主人公は江戸指物師である橋上清次。彼は嫁ぎ行く娘のために精魂を込めて、姫鏡台を造っていた。ほぼ完成ともいえる姫鏡台を前に彼は苦悩していた。娘は手の届かないところに行ってしまったからだ。娘の思い出を胸に、姫鏡台の完成に全力を注ぐ清次。彼の唯一の慰めは、泪坂に住む住人たちとの交流だった。
物語の最後で、えっとびっくりさせられる一冊。江戸小物の世界を舞台にした父と娘の奇蹟の物語で、泪坂の住人の人達の語り口が人情味溢れていて、下町の風情を思い起こさせる。日下三蔵さんの解説は的確で、今後氏の作品を読みたいと思っている人への絶好のガイドではないかと思う。光文社文庫の薄い本なのであんまり詳しくかけないのだが、氏の作品を読んだことがない人は特に読んでみてほしい。
オウム真理教が事件を起こす前に書かれた本で、オウム真理教が起こした一連の事件を予言していたという意味で、びっくりする。いとうせいこう氏は著作を含め、今回が初読だったのだが、本書を読んでヴィジョンの鋭さにびっくりした。カルトを題材にした小説は昨今多いと思うのだが、人がいかに言葉の曖昧さ・多義性によって支配されるのかという点を論じたところがユニークだと感じる。
時は近未来の東京。東京の一角が章平という強力な指導者のもと、ムスリム風に設計され、アーティストやミュージシャンたちが惹かれて住み着く場所となっていた。異国風に変容したムスリム・トウキョウに共生し、コミュニティを拡大しようとしていた若者たち。そんな状況下において、突如、ムスリム・トウキョウに現れた片耳のない浮浪者をアーティストのサキミが保護したことから、世界は徐々に彼のコトバに支配され、ムスリム・トウキョウ内部、そしてコミュニティも変容していくことになる。果たしてこの男は何者なのか?
洗脳においてのプログラム、デプログラムの描写がなまなましい。以前、オウム真理教の女性信者をデプログラムした苫米地氏の著作にあった方法を思い出した。また本書においては、心の闇と向き合うという意味で、アーシュラ・K・ル=グィンのゲド戦記における自分との戦いを彷彿させる部分もある。預言者の男が名づけることによって、シンボルが真実化していく過程は、「名づけること」によって人々が枠組みに「規定されていく」ことをいかに望んでいるか、という意味でコトバによる支配から人間がいかに逃れられないのか、ということを強く感じる。そしてその結果、箱庭的な世界で起こる終末。人々は毒を盛られた金魚鉢の中の金魚のごとく、徐々に毒に冒され、自らを失い、変容していく。そして、秩序ある世界はほんの些細なことによって、カオス化して、バタフライエフェクトに支配される。それはまさに墨汁の一滴のごとく、全体に広がり、システムを変容させてしまう力を持つのだ。本書の墨汁の一滴はまさに「コトバの曖昧さ・多義性」であった。本書はまさに走馬灯のごとくムスリム・トウキョウが出来て、消えていくまでの過程を描写した物語であるといえる。入手困難なのが残念。
この本は短編集なのだが、どれも印象深い話ばかり。早川の異色短編作家集として出してもおかしくはない話ばかり彼自身はアルゼンチン出身の作家で、死ぬまでフランスで暮らしたという。本書を読んだ限りでは、普段自分たちが気づいていない世界を見てしまった話(ある種、日常からのズレを体験してしまった話が多いかな)、ちょっと奇妙な味の話が多いと思う。幻想色が強い短編というと、表題作の「悪魔の涎」で、確かに傑作。ふと二人の男女を撮った写真が、実はその写真は非現実の世界を映し出したものだった、という話。
個人的なお気に入りは「南部高速道路」「ジョン・ハウエルへの指示」「すべての火は火」「占拠された屋敷」の5編。「南部高速道路」はその名のとおり、高速道路を舞台にした物語なのだけれども、絶対ありえないシチュエーションでこういうことを考え出すことがすごいなぁと感じる。高速道路上で立ち往生してしまった人々が、数ヶ月の間共同生活を強いられるようになるという話で、とにかくヘンな話だったと思う。コミュニティが形成されていく過程、そして高速道路が再び復活したときに人々がばらばらになっていく過程が何とも対称的でいい。「ジョン・ハウエルへの指示」は、観客だった男が、突然劇の主人公になり、劇を演じることになるという話なのだが、オチが怖い。ある種カフカ的不条理の世界を感じてしまう。「すべての火は火」は二つの違った時間軸が交じり合って、「火」という事象で終わるところがすごい。「占拠された屋敷」は、何者かによって自分たちの住んでいる屋敷が何者かによって占拠されていく過程を描いた話で、閉塞感が周囲に立ち込めていて、息苦しさを感じる話だった。
コルサタルには、そこはかとなくバラードと比較できる、日常からの乖離・不安という点において類似点があり、興味深かった。今後コルサタルはチェックの必要がある作家の一人になりそう。