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復刊ドットコムに「夢の国のリトル・ニモ」の復刊をリクエスト。ご協力お願い致します。

ブッカー賞・ハメット賞受賞作。既知の方も多いと思うが、マーガレット・アトウッドはオタワ出身の作家で、現在トロント大で英文学を教えている教授でもある。去年の冬に講演会があったのに、行けばよかったと後悔。また本家の方にまとまったものを書く予定だけど、20世紀を生きた女性たちの姿を描いた回想記であると同時に、主人公アイリスの妹のローラの死の謎を描いたミステリでもある。
日本語翻訳で660ページもあり、内容が内容だけに一時期読むのを中断していた本(2年前に200ページほど読んでいて、自分の健康状態が悪いときに重なったため、精神衛生上よくないと思い、読むのを中断してしまった)。鴻巣友季子さんの翻訳は素晴らしく、アトウッドの魅力を存分に引き出している。内容もさることながら、文中に引用される文学作品(コウルリッジ、オマル・ハイアームなど)のセンスのよさ、カナダの変遷を描いた流麗な描写など、どれをとっても一絶品。その美しい文章の世界に浸りながら、重厚なタベストリの織り成す世界を堪能できたことは、まさに物語と戯れる行為だったと思う。
物語は主人公のアイリスの回想記という形をとりつつ、25歳という若さで事故死したローラの遺作「昏き眼の暗殺者」という小説、そして新聞記事によって構成される。老齢の域に達したアイリスは、心臓に爆弾を抱えながら、自分の一族、妹、夫、夫の妹、自分の娘について語っていく。その過程で徐々にローラの身に起こったことが「昏き眼の暗殺者」の物語と、アイリスの回想記から明らかになっていく。
物語の内容上、ネタバレになってしまうので、詳しくは書けない。最後の最後まで気の抜けない小説で、関係が交錯するために、段々と誰が誰と関係していくのかが明らかになるにつれ、輝いていた世界が徐々にくすんでいき、醜いものに変遷していく。釦によって成功した地元の名家チェイス一族が没落して、ライバルのグリフェン家に吸収されていく様は、何とも複雑な感情にさせられる。その過程で、古いしきたりの中で生きなければならなかった主人公アイリスが語る自分史は、まさに悲劇としかいいようがない。つい最近まで「女性が抑圧されている」社会がカナダでも当然だったということも含めて、当時の世相を知る上でも貴重なフェミニズム文学であるともいえる。そしてまた、物語内での対話(コンテクスト内での対話)もこの物語の魅力であり、それぞれのテキストに知の相互関連がなされているので、読者は決して油断できない。
「言葉」で伝えたことによって、その人を殺してしまうことだってある。「真実」は時によって暴力となりうるし、良かれと思ったことが実はマイナスの効果を与えてしまうこともある。語り手の事情がどうであれ、時には伝えてはならないこともあるのかもしれない、と感じる。まさにメタな構造をうまく利用した、一つの神話であり、波乱と抑圧をしのんだ一人の女性の物語とも言える。ラテンアメリカ文学を読んだあとの余韻が今もまだ僕の中に残っている。機会があればぜひ読んでみてもらいたい一冊(特にカナダにいる人はアトウッドのことを知っておいてもいいと思う)。

創元SF文庫から出たエドモンド・ハミルトンの短編集。エドモンド・ハミルトンというと<キャプテン・フューチャー>やスペオペのイメージがあるけど、彼のSF短編は奇想的なものが多くて、発想の転換がなされたものが多い。そういう意味で、この短編集はエドモンド・ハミルトンという作家を知るに当たっていい入門短編集になっていると思う。ちなみに本書はSF編で、怪奇・幻想編も予定されているとのこと。とても楽しみ。
印象に残った短編は表題作「反対進化」「超ウラン元素」「審判のあとで」「呪われた銀河」の4編。他の短編もよかったけど、特にこの4編はあっと思わせるものがある。特に言及しておきたいのは「呪われた銀河」と「反対進化」で、普段 ぼくたちが考えてもいなかった方向性で、物語が進行するのでびっくりする。実はぼくたちの存在というのは、別の生命体から見たら、単に呪われたものかもしれないし、反対進化の結果なのかもしれないということ。
「審判のあとで」は、滅び行く人類と、人類のメッセージを託したサイボークたちの物語。メッセージインアボトルじゃないけど、もし人類が滅びる事態になったとしても、こういう夢があれば、滅びても悪くはないなと感じさせる叙情性がある。
「超ウラン元素」は何となくウィルスものを想起させるもので、これまた面白かった。オチもしっかりとしていて、ぼくはかなり好き。もしかすると人類は、知らぬ間に禁断の領域に入ってしまい、何か災厄を知らぬ間に起こしてしまうことがある、ということ。そういう恐ろしさを肌で感じさせる短編。
他の短編では「アンタレスの星のもとに」がE・R・B風のヒロイックファンタジー風味のスペオペ。転移装置によって移動した地球人の冒険家が、転地先の惑星でヒーローとして活躍。美しい姫と結婚するというまさにストレートな展開のファンタジーSF。これに似た風味の短編として「失われた火星の秘宝」が挙げられる。こちらは集団冒険して、火星の宝を見つけるというもの。宝の正体が意外なものなので、ちょっとサプライズがあると思う。あと幻想譚として読むと面白いのは、「異境の大地」。東南アジアのとある熱帯雨林のジャングルで出会う神秘的かつ恐怖溢れる体験について描いた話。SFというよりも奇妙な味わいの話だったと思う。
編者の中村融さんがじっくり選んだだけあって、ハミルトンのエッセンスがよく抽出されていると思う。河出書房新社から出ている『フェッセンデンの宇宙』とともに読むとさらにハミルトンの短編のよさがわかると思う。

久々の青背(最後に読み終えたのが、コニイ・ドクトロウ)で、P・K・D賞受賞作ということもあり、期待感大だったのだが、いまいち。理解し得ない異星人の精神意識を読み取るために、とある辺境の惑星に派遣されたPSY能力を持つ日系日本人の天文学者が主人公なんだけど、彼女の存在自身がつくりものという感覚があって、感情移入が出来ない。この点でいえば、ヴァーナー・ヴィンジやジャック・ヴァンスには劣るし、今まで翻訳されなかったのは何となく理解できた。
時は未来。超高速航法の発明によって、銀河系に進出した人類。そこで彼らは人間の想像を超える異質な存在に出会い、交戦状態にあった。想像もつかない存在を理解するために、人類は手がかりをもとめて、とある辺境の星に調査隊を派遣した。敵とみなされる異質な存在が作り上げたとされる星系で、軍隊の管轄下のもと、調査が開始される。そこに派遣されたのは天文学者でPsy能力のあるドーシー。彼女はこの星系にある植民惑星の生態系を調べていくうちに、奇妙な出来事に巻き込まれていく。
ストーリーライン自体は悪くないと思う。奇妙な生態系を理解していくうちに惑星に潜まれた謎がわかっていくという流れはよく理解できる。この点では、ヴァーナー・ヴィンジの『遠き神々の炎』(創元SF文庫)におけるネタとジャック・ヴァンスの『大いなる惑星』(ハヤカワ文庫SF)にあるグロテスクな生物層を彷彿させるものがある。トラブルに巻き込まれたドーシーが以下にサバイブしていくのか、という部分は多いに楽しんだし、ラストでの異星体とのコンタクトの部分は文化人類学的にも興味がある。いかに人類のスタンダードが自分たちを中心においているか、というエゴの問題にもつながっていくからだ。
でもね、ラブロマンスとかいらないですよ。この物語の瑕疵は不要だと思われるセックス描写と彼女の生い立ちについて(前半部分は導入として必要なので、否定はしません)。確かに彼女の生い立ちの部分は最後の最後で異星人を理解するうえで役立つけど、大半はちょっと苦痛。特に後半部分のところはあんまり必要はないと思う。あと、大ブラジル帝国の設定は別にどうでもいいかなと思う。この作品では多分男系社会VS母系社会の対立軸を想定しているのだと思うけど、そういう余計な部分は詰め込まずに、異世界ものだけに絞った方がよかったのではないかと感じる。
最近感じるのは、つまらない作品は別に翻訳されないでもいいかなということ。結局、商業ベースになったときに売れるという期待があって翻訳されていくわけなので、ある種出版社にとっては博打ということ。ただ読者にとっては商品バラエティが増えるので、選択の自由空間が与えられるのはありがたい。本書が決して悪いというわけではないけど、処女作ということもあって、力みすぎという印象を受けたということを記しておきたい。

北国出身の大柄な剣士ファファートと小柄だが俊足のグレイ・マウサーのコンビが送る冒険譚第二弾。「凶運の都ランクマー」でそれぞれの恋人たちを惨たらしい死によって失った二人が、二人のことを忘れるために呪われた都ラングマーを出て、外の世界へと冒険に向かうというのが大体のあらすじ。皮肉なことに再び彼らはラングマーに戻ってくるはめになるのだが、悪徳の都ラングマーを中心として物語が進行するのは当然の成り行きかなと感じる。二人の性格の違う凸凹コンビが、お互いの特性を知りつつ、助け合い(特には敵対しながら)困難を解決していくスタイルは、読んでいて胸がすかっとしてくる。本書もまた時系列に冒険譚が並べられているので、さくさく読み進めることが出来る。
「円環の呪い」はウラナとイヴリアンを失い、失意の二人がネーウォン世界を旅するにいたるまでの物語。ここで彼らは後々重要な役割を果たす<目なき顔のジールバ>と<七つの目のニンゴブル>と出会うことになる。この話は導入の物語なので、特に目新しいということはない。タイトルが示すように、彼らには円環の呪いがかかってしまっているのが皮肉。彼らの意図とは異なる形で円環の呪いが掛けられているのが皮肉。
「森の中の宝石」は、ラングマーの南にてファファートとグレイ・マウサーの二人が巨大な石の館にまつわる莫大な財宝の謎に挑む。一見何の危険のないように見える石の館。ところが館の中には多数の冒険者の白骨化した死体が。近所の農家の娘によると、石の館には何らかの魔法の力が掛けられているという。果たして彼らは無事に財宝を見つけられるのか?というのが大筋。館に掛けられた呪い(あるいは魔法)の謎が面白い。実際そういうネタはあるとは思うけど、まさかこういう形でやられるとは思っていなかった。それなら、冒険者たちがやられるのは無理もない。普通に冒険物語として面白い。
「盗賊の館」は、再びファファートとグレイ・マウサーが悪徳の都ラングマーに戻り、盗賊たちの依頼に応えて、髑髏オーンファルという無数の宝石が散りばめられた髑髏を盗むというもの。ところが、ファファートとグレイ・マウサーは罠にはめられ、一命を失う寸前までに追い詰められる。さらに盗賊ギルドの地下には恐るべき存在が潜み、髑髏オーンファルの返還をファファートに詰め寄る形に。この短編集では読むべき物語。迷宮世界さながらの盗賊ギルド内部で彷徨う二人の冒険者たちの冒険譚を楽しめる。美しい赤毛の美女イヴリスの存在もまた、物語に華を添えている。
「凄涼の岸」は、酒場で呪いにかけられたファファートとグレイ・マウサーの二人がそのまま荒らぶる海へと冒険し、運良く助かるまでの話を彼らと同乗した4人のミンゴル人の水夫の一人オウルフが語るというもの。ストレートな冒険譚なので、特筆すべき点はない。
「七人の黒い僧侶」は、邪神を祭る黒い僧侶たちに遭遇したファファートとグレイ・マウサーの二人がうまく切り抜け、彼らの財宝を手にするも、逆に呪われて大変な目にあうまでの物語。スキーをはいて黒い僧侶と戦うシーンが非常にかっこいい。ひっきりなりにあらゆる手で襲撃してくる黒い僧侶たちが不気味。
「夜の鉤爪」は、ラングマーの地で貴婦人たちの高価な装身具が鳥たちによって奪われていくという怪事件の謎を、ファファートとグレイ・マウサーが解決するというもの。意外な人物が犯人なので、最後まで目を離すことができない。黒き鳥が人間を襲撃するシーンはグロテスクかつ不気味。ちょっとホラー風味の短編だったりする。
「痛みどめの代価」は、この短編集の中でもベスト。イウリアンとウラナの亡霊から逃れるためにファファートとグレイ・マウサーは偉大なる二人の魔術師<七つの目のニンゴブル>と<目なき顔のシールバ>に永遠の忠誠を誓う。そして彼らが要求したのは<影の国>に住まう死神の所有する死神の仮面。彼らはそれを求めて、危険な旅へと向かうというもの。再び生ける二人が昔の恋人に出会うシーンは、切ない。ただ、このあたりは日本神話のイザナギと黄泉の住人になったイザナミの話と似たところがあって、興味をそそる。
「珍異の市」は、ラングマーに突如現れた不思議な市の正体を二人が暴くというもの。貪婪団による市には恐るべき秘密が隠されていた、というもの。がらくた市が実際がらくただらけで、経済的信用が置けないという状態をいかに彼らが解決するかという点が見もの。市の真実の姿がグロテスクで、おぞましい。ここでもファファートとグレイ・マウサーの性格の差が出ていて面白い。
玉石混合している短編集なのだが、玉の方が多めだし、『魔の都の二剣士』で彼らの活躍が気に入った人はぜひ読みすすめることをお勧めしたい。十分に傑作がつまった短編集だと思います。

山之口洋さんの久々の新作。『瑠璃の翼』(文藝春秋)以来だったので、ほぼ2年弱ぶりになる。過去、山之口さんの小説はすべて読んでいるのだが、今回は日本ファンタジーノベル大賞を受賞した『オルガニスト』(新潮文庫)の流れを汲む音楽ファンタジー。究極の選択を突きつけられたときに、物語の状況から自分がどの選択をするか、ということがテーマになっている。完璧な演技を求めることには常に何かを捨てて、自分を昇華させていかなければならない、ということだろうか。そんな問いかけをニューヨークソーホーに行き、新鋭のバンドに運良く加入した日本人の大学生の男の子を主人公に据えた物語になっている。実在の人物たち(デヴィット・ボウイが出てきたり)も登場し、年代設定がいつなのか悩むことになるのだが、読みすすめていくうちに納得。
主人公の修はミュージシャンを志す平凡な大学生。日本の大学バンドでは物足りないと思っていた矢先、恋人となるサラと出会う。アルバイト先のレコード店で、ロックとオペラが混合した不思議な音楽に出会う。それが、トータルパフォーマーとして活躍するクラウス・ネモとの出会いだった。サラの励ましを受けて、修は単身ニューヨーク・ソーホーへと向かう。そこで修が出会ったのは、いままでの音楽の枠に囚われない完璧なる音楽とパフォーマンスだった。運良くネモのバンドに入った彼は、完璧な演技を求める彼らの一員として激しい訓練に取り組むことになるのだが……。
『オルガニスト』と比べるとよりアダルトな物語に仕上がっている。例えば、Boy meets girlという歌のシーンは、かなりセクシーでエロチック(実際、海外では男女が出会う場を隠語でMeat Marketという)だ。トータルパフォーマーのユニットの一人、ジェニファーもセクシーな「女」で、過去の山之口作品に比べてもエロスが漂う感じになっている物語の性格上、セックスシーンは蠱惑的なのだが、ある種幻想的なので酩酊感があるといえる。バイオレンスあり、エロス、ドラックありなのだが、それらの目的がすべて「完全なる演技」を求めるための手段であり方法であったわけだが、その当たりは『オルガニスト』のテオ、『われはフランソワ』のヴィヨンが求めたものと共通しているといえる。ぼく自身は、修の選択と同様にするだろうなぁ。山之口さんの作品の魅力はかっちりとした物語のスキームがあって、その枠組みの中で登場人物が葛藤して目的に邁進していくというのが実に魅力的に書かれていることにあるんじゃないかと思う。お勧めの一冊。
久々にユーモアミステリが読みたくなったので、本棚から出して読む。夏に少しだけ読んでいたのだが、時間切れになって読み終わることができなかったので、今回時間がとれたので集中して読むことに。第二次世界大戦末期のイタリアの小さな村を舞台にした死体探しのミステリで、ファシストとアメリカ派の二つが入り乱れて、ファシスト派の金貸しルチアーノの死体を捜索するというのが大筋。色々な人物が登場するので、カヴァについている登場人物一覧を見ながら読んでいかないと、どちらがファシスト派であり、どちらがアメリカ派なのかわからなくなってくる。
イタリアの寒村ストラモレットでは、ファシスト派と反ファシスト派の二つの陣営に分かれて、村人たちが対立していた。戦火が激化した1943年末、互いの陣営は双方ともどもが有利であると信じてやまず、対立は激化していた。そんな折にファシスト派の金貸しルチアーノが殺害され、その死体が行方不明になってしまう。そこで近隣よりファシスト派民軍のブタフォキ警部とその部下たちが死体の行方と犯人を追って村を調査するのだが……。
ロミオとジュリエットを意識した恋愛が軸になっているので、なかなか面白い(この恋愛がある種伏線になっている、ともいえる)。イタリアが舞台なので、恋を中心に据えたユーモア・ミステリになっているという意味で新鮮。死体を見つけたと思うと、どこかに蒸発してしまうことが繰り返されるので多少やきもきするけれども、ラストの種明かしでえっと思えるからくりが待ち受けているのでなかなか楽しい。あと、ファシストと反ファシストの村長と元村長の対立とか、色々と細かいところのドタバタしているのが楽しかったと思う。お勧め。ただ、本書はかなり入手困難なのでお勧めしたいのだが難しい……。

第十二回日本ホラー小説大賞受賞作。表題作「夜市」もよかったけど、もう一本収録されている「風の古道」が傑作。過去の大賞がくすんでしまうくらいインパクトがあった。「風の古道」を読み終えたあと、しばらく脳がセピア色に染まり、自分の心が哀しみで包まれたのを感じたのでした。物語を読みすすめていくうちに、その物語内の情景がはっきりと脳裏に浮かび、それがかつ何か心の奥底にある原始的で懐かしい気持ちを喚起させ、かつ自分自身が徐々に主人公の少年に同一化していくという感覚を味わえたのはまさに至福の体験でした。恒川氏の文章は無駄なく洗練されており、幻想的な世界観を見事に支えている。
「夜市」は、百鬼たちの集まる不思議な市に入ってしまった二人の大学生が味わった不思議な体験譚を描く。主人公のいずみが、高校時代の同級生・裕司につれられてきた場所は岬の森。そこでは妖怪たちが市を開き、様々な品物を売っていた。そこでは「何でも切れる剣」など、様々な品物が妖怪たちによって売られており、人間界のルールでは理解不能の値段がつけられていた。そして裕司が買おうとしていたのは、小学生のころに「野球の才能」と引き換えに人攫いと交換した自分の弟だったのだ……。日本のモノノケたちの市を舞台としたホラーとして長く語られるべき一作。途中夜市で出会う老紳士の正体が明らかになったところで、やられた!と思いました。市のルールが面白くて、このルールが定められたところが、妖怪たちの市が人間のルールに縛られない別物であるということを如実に示している。その部分のズレこそが、この短編を傑作にしていると思う。
「風の古道」は文句なしの傑作。小金井公園近くにある古道。実はその古道は、百鬼夜行のために利用されるモノノケたちの通り道だった。ある日、友達のカズキと一緒にその古道へと旅すると、どうも様子がおかしい。偶然立ち寄った茶店で、彼らは<古道>の秘密を聞くことに。彼らが出るためには、<綻び>と呼ばれる現世と<古道>をつなぐ穴を探さなければならない。親切な青年レンにつれられて、彼らは<古道>と<現世>をつなぐ<綻び>まで向かうのだが……。どんな形でもいいので、絶対読んでほしい話。<古道>のものは<古道>のもの、というルールの中で、生きなければならなかったレンの話が秀逸。この物語はたぶん冥界から自分の妻を連れ出すオルフェウス神話や黄泉から自分の妻であるイザナミを救出する話がベースになっており、日本土着の要素が加味されて見事な仕上がりとなっている。
この「風の古道」(あるいは「夜市」)の幻想性と悲哀は、過去の受賞作では決して味わえない。そういう意味で、本作品が日本ホラー小説大賞を受賞したことは、日本ホラー界に新たな一石を投ずるという意味でも、大変意義深いことだと思う。恒川光太郎氏の幻視界を体感してもらいたい。


現時点では最強のSF・ファンタジーガイドブック。まず面白かったのは、SF・ミステリ・ホラー・ファンタジーの分類。これ、目からうろこでした(回天編のあとがきは必読)。こういうガイドブックがきちんとした形でまとめられたことが重要で、特に今後「SFって何だろう?」とか「SFって読んでみたいけど、何から読んでみたらいいかなぁ」という人への一つの指標になるのは間違いない。これと、ハヤカワ文庫SFから出ている『SFハンドブック』(旧版をお勧めする。新版はいまいち)で、ある程度現在出ているSFを読んでみたり、網羅することができる。大森望さんのスタイルは、雑誌連載(本の雑誌等)の形式をとっているので、短評が多い。
もし短評ではなくて、さらに詳しい解説を読んでみたいという人であれば、森下一仁さんの『現代SF最前線』(双葉社)もしくは伊藤典夫編『SFベスト201』(新書館)、あるいは野田昌宏『SFを極めろ!この50冊』(早川書房)がある。信頼度が高いのは森下一仁さんの本で、国内外を問わず本を紹介しているのでぜひチェックしてみてほしい。SFには割りと他にもたくさんのガイドブックの類はあるのだが、結局こういうガイドブックを買っているのはコアなSFファンのみという感じを受ける。現在ガイドブックがよく売れているというのは、ある種膨大な出版点数の中でどうやって自分の読書の方向性を定める意味でも、こういうガイドブックが存在する意義がある。ただ、どちらかというとマニア向けの記述も多いので、初心者にはお勧めが難しいように思われる。
読書が好きな人はぜひこのガイドブックを読んでみてほしい。書評のあり方、本の関連付け、知識の相互リンク、本の紹介の仕方など、自分が感想文を書くときに大変参考になる。さらに、当時のSF出版状況(SFの冬など)の歴史なども読めるので、90年代以前のSFを知らない人達は「あー、こういうこともあったんだ!」ということを知るのもいいかもしれない。データインデックスを含め、大変お買い得な本になっている。過去色々とガイドブックだけは読んでいる(多分大半のガイドブックは読んでいる気がする)ので、著者特有の紹介の仕方や傾向を比較することが出来て、面白かった。特に大森望さんの奴は、イーガン好きというのがよくわかる(笑)(本人も書いているけど)。

2005年の終りに読んだ本。ぼくは物理学が苦手なためで、読み終えたあとにわからなかったことは板倉さんの頁を見て理解に努めた。特に次元が5次元など高次元の話になってくると自分の想像力を超えてしまって脳内でイメージを膨らませながら読んでみた(のだが、やはり高次元のことは想像力の範疇を超えてしまっているので、無理でした……)。ただ、数学で一般的に利用されている記号や用語から何となくではあるが、例えばU(Universal Setの略と思った)などで、どういう空間を想定しているのかを想像することができるあたりが、イーガンが数学ハードSFの人である所以かな(特にヤドカリのあたりですね)。
冒頭は巻末の膨大な訳注と専門用語を対応させて読むとおぼろげながら全体像が掴めてくる。冒頭は電脳空間における人工生命の発生ネタで、イーガンが『順列都市』(ハヤカワ文庫SF)から追究しているもので、『順列都市』から読んでいる読者はすんなり受け入れられるものだろう。当初は特殊な専門用語のため物語のイメージが難しかったのだが、ポリス内でヤチマが自我を形成していくシーンがよかった。この仮想空間における壮大なヴィジョンと、電脳空間の中で生を受けたヤチマが自我を獲得していくプロセスが実に面白くて、徐々にイーガンの壮大なヴィジョンに引き込まれていくのは請け合い。もし自分が肉体の生を受けたとして、果たして大災害が襲ってきたときに自然死を受け入れるべきか、それともデータ転写してポリス内で永遠の生命をはぐぐむことを選択するのか、非常に難しい。ぼくの乏しい数学的知識の視点から見てこの物語は、離散と連続のどちらをとるのかということにつながっているように感じる。我々自身連続時間内に住む離散的な住人であると考えれば、電脳空間で生をはぐくむことは連続性を獲得することなのかもしれない、と思った。
物語の後半の展開は比較的わかりやすいので、そのまま読んでいくといいと思う。後半は地球崩壊後のディアスポラ(離散)の物語になっていく。このあたりの壮大なヴィジョンは小松左京『果てしなき流れの果てに』(ハルキ文庫)と通ずる宇宙規模の広がりを見せていく。小松左京と比べるとイーガンの場合よりハード寄りなために、とっつきにくい部分もあるが、その部分を根気よく読んでいくとイーガンの壮大なヴィジョンに圧倒されることだろう。難解な部分はたぶんワームホールの理論のところで、途中理解ができたかどうか疑問。イーガンが数学科出身ということもあり、リーマン幾何学やミンコフスキー空間など、数学的なコンセプトがたくさん導入されているところが彼らしい。イーガンが数学な人ということがよくわかるのは、惑星の名前の付け方。ポアンカレ、ワイルなんてつけるところはお茶目。真実の鉱山でぼくも連結とか連続とかの復習をしたいと思ったのでした。ストーリーラインと、ハードSF的ガジェットのラインの比重がどちらかというとハードSFガジェットラインなので人によっては読みにくい部分があるとは思う。
ちょっとつらいなーと思った人は、巻末の大森望さんの解説を読むと吉。素晴らしい解説です。ともあれ読み終えて、「SFっていいなぁ」と思わせる作品なので、機会があればぜひ読んでみてほしい。訳者の山岸真さんの名訳で読める日本の読者は幸せだと思う。