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May.12,2006 (Fri)

J・G・バラード『コカイン・ナイト』(新潮文庫)

コカイン・ナイト

J・G・バラードはぼくが敬愛する作家の一人で、デヴィッド・クロネンバーグが映画化した「クラッシュ」やスピルバーグが映画化した「太陽の帝国」などで知っている人も多いはず。彼の小説の多くは、SFの準拠枠の中で人間内部にある思弁性を追究したものが多い。『コカイン・ナイト』も一般小説の体裁をとりつつも、予言的であり、ありうる可能性を呈示しているという点で、非常に面白い小説だった。

 バラードは常に、テクノロジーや廃墟、ビル群などに注目する。そしてそこで生活する人々の変化や思考法、心理的不安などをテーマに小説を書いてきた。特に(どのような形であれ)共同体の一部になったときに、なぜそのような選択をせざるを得なくなるのかを鋭く描く。過去の傑作では、ハヤカワ文庫SFから出ていた架空のリゾート地を舞台とした連作集で、気だるいリゾート地の雰囲気と登場する女性たちの内的世界が対応する傑作。この傑作が現在入手困難なのが呪わしい。

 例えば長編『コンクリート・アイランド』(太田出版)では、自動車事故により高速道路の中にあるコンクリートの島に閉じ込められた主人公。どうにか脱出しようとするも、コンクリートの島に魅了され、自分もまた一部と化していく。本作品もまた、スペインのリゾート地を舞台にしたカフカ的な不条理感が漂う奇妙な殺人事件の謎と、リゾート地を舞台にした人々の情念が複雑に絡んだ多層的な物語になっている。

 弟のフランクが5人の人間を殺害した放火事件の張本人として逮捕され、その無実を信じてスペインのリゾート地に入った主人公のチャールズ。調査をしていくうちに弟の無実を信じるものの、彼自身もまた徐々にリゾート地の雰囲気に飲み込まれていく。

 実に面白い。美徳は倦怠と沈滞を生み出すが、悪徳が文化を生み出すという考えが色濃く反映されている。文化が活動的になるためには常に刺激がなければならず、それはどのような形であってもよく、手段はあくまでも方法であって、結果ではない。それがどんな手法でもあれ、結果がよければ、文化は活性化され、人々も長き睡みから解放される。しかしそれはあくまでも劇薬であり、常に人々は生贄を神々に捧げなければならない、という点は現代社会のシステムであり、そのシステム内で生きる我々は常に何かを捧げているのかもしれない、と本書を読んで思った。この点は南米の作家、フリオ・コルタサルの傑作「南部高速道路」でも取り上げられているテーマでもあり、興味深い一致がある。

 第二作目に当たる『スーパー・カンヌ』(新潮社)も実家にあるので、帰国した折にでも読まねば。


May.20,2006 (Sat)

梶尾真治『OKAGE』(新潮文庫)

OKAGE

 もともとは早川書房から出ていた本。『黄泉がえり』の大ヒット効果で、新潮社が割りとホラー色の強めの作品を中心にここのところ復刊している。アスペクトから出ていた『スカーレット・スターの耀奈』が復刊されるとも思ってもいなかったし、夢野久作の怪作『ドグマ・マグラ』をベースにした病院を巡るホラー『ドグマ・マ=グロ』も復刊されるとは思わなかった。

 梶尾真治はもともとリリカルな嗜好のある人で、女性に対するイデアみたいなものを持っている。彼の根本はジャック・フィニイやリチャード・マシスンにあるので、ラブロマンスについてはややノスタルジックな面もあると思う。その嗜好が伺える作品として<エマノン>シリーズという長い過去を生きるNon-nameの逆読みをしたエマノンと名乗る女性と、彼女とであった人達の不思議な体験を描く連作短編。徳間デュアル文庫で全部復刊されたので、こういう話が好きな人にはお薦め。個人的にはハヤカワ文庫JAから出ている『有機戦士バイオム』と『地球はプレイン・ヨーグルト』の2短編をお薦めする。一本目の表題作は、某漫画家が同じような話しを書いていたが、それの元となるような話。あまりにもくだらないので、10年前に読んだのにストーリーラインを覚えているという(ほめ言葉)。「地球はプレイン・ヨーグルト」は、味覚でしかコミュニケーションが取れない宇宙人とのファーストコンタクトもの。他にも短編集では『チョコレートパフェ浄土』あたりがおもろい。

 今回の『OKAGE』は熊本を舞台にした700ページを超える長編。ある日突然、子供たちがハーメルンの笛のごとく、何かに導かれるように失踪していく。その裏には実は恐ろしい災厄を前にした予知システムの作動にあったという話。

 スティーブン・キング『ザ・スタンド』(文春文庫)や彼の長編『ジェノサイダー』(朝日ソノラマ文庫)を組み合わせたような感じの話しで、旧人類と新人類の差というのをうまく意識した、サイキック最終戦争ものといえる。当初はホラー?かと思ったら、後半で急にSF的展開になるのは梶尾真治らしい。熊本県に詳しい人は多分「あー、あの場所使っているよ!」という地元ローカルネタで楽しめるという本でもある(彼は、『躁宇宙・箱宇宙』というエッセイを書いているが、熊本新聞社からローカル版を出していて、これまたお薦め)。このあたりは、阿蘇山を舞台にした『未来のおもいで』(光文社文庫)での自然描写などに詳しい。

 北上次郎の解説はいただけない。北上次郎の解説は悪くないものもあるのだが、今回の文庫解説はあんまりよくない気がしたので、解説は読まないでもいいかもしれない。


May.25,2006 (Thu)

■角田光代『キッドナップ・ツアー』(新潮文庫) (参照URL: 角田光代『キッドナップ・ツアー』(新潮文庫))

キッドナップ・ツアー

角田光代さんのことは、岡崎武志氏との共著『古本道場』(ポプラ社)を読んで以来ちょくちょく気になって本を買ったり読んだりしていた。エッセイも含めて、大変共感できる話が多くて、こういうことを考えている人もいるんだ!と思って彼女の作品をもっと読みたくなったのはいうまでもない。

 『空中庭園』はバラバラになっている家族の実態を描いたオムニバス小説で、娘、息子、母親、母親の母、父親、父親の愛人の視点から描く。内部では痛々しくバラバラになっていながらも、「家族」という形を保つためになんとか演じている人々の姿が、生々しい。この小説を読んで以来、他に読みたいと思っていたところだったので、今回この児童小説が読めてよかったと思っている。

 ある日突然誘拐される主人公の女の子。誘拐したのは実の父親。彼とともに主人公の女の子は色々なところを放浪するのだが、なぜ父親が彼女を誘拐しなければならなかったのかなど、一切説明なしに物語が進行していく。日常から乖離していくのと同時に、年頃の女の子が感じる恥ずかしさや、やるせなさが文章からにじみ出ているのもいい。楽しそうにしている反面、結局なぜ父親が彼女を誘拐しなければならなかったのかというところもわからずじまいで、謎はそのまま残されて物語は終わる。

 そういう点では最近新潮文庫に入った藤野千夜『ルート225』と似ている部分がある。ルート225はもっと嫌な話なのだが、日常から非日常を彷徨うという点では、似通った点がある。そういった意味でこの二冊が文庫の形で読まれて比較されるのは面白いと思う。


May.30,2006 (Tue)

スタニスワフ・レム『ソラリス』(国書刊行会)

ソラリス

国書刊行会版。帰りの列車の中で読み終えた。先日鬼籍に入ったポーランドのSF作家スタニスワフ・レムの代表作で、今まではハヤカワ文庫SFで翻訳が販売されていたのだが、当時の社会世相もあって、原稿用紙にして40枚分が削除されていたものを新たに沼野先生がポーランド語の完全版から訳したもの。

 新たにソラリス学についての様々な論議や、夢の項目が加わり、ソラリスという小説が以下に形而上学的にも複雑なのかがわかる一冊になっている。メタ的な要素もあれば、そうでもない要素もあり、人類が異質な生命体と遭遇したときに、どのような反応をお互い引き起こすのか、という点に焦点を置いていることがよくわかり、タルコフスキー版、ソダーバーグ版のソラリスがいかに原作者の意図から外れてしまった映画だったのかも理解できたと思う。

 惑星ソラリスを調査するチームの一員として、地球からやってきた主人公のケルヴィン。彼は恩師のギバリャンに会いにきたのだが、彼は数時間前に事故死をしていた。そしてそこで出会った二人の科学者たちも、振る舞いがおかしく、何らかの謎を隠しているようだった。彼らによれば、「何か」に気をつけろという。ギバリャンの部屋などを調べているときに、謎の太った黒人女性がギバリャンを求めて彷徨う姿を見たケルヴィン。そして彼の元にも「お客さん」が現れる……。

 レムの小説は一筋縄ではいかないものが多い。彼の小説は存在と非存在の境界というものがいかに曖昧なものかを呈示する。本小説においても、ソラリスの海という不定形の生命体の海と人間とのファーストコンタクトを描きつつ、ソラリスステーションで起きている事象との関連を紐解いていくSFミステリ的要素もある。そして面白いのは、今回新たに翻訳されたソラリス学の系譜と、ケルヴィンの夢の話だと思う。ソラリス学の系譜は、ソラリスという惑星を色々な学問体系からアプローチするもので、様々な説が乱立して、ソラリスという実存を紐解く手助けをしてくれると同時に、読者に謎を提示する。

 ケルヴィンの前に現れた死んだはずのハリーの存在。ソラリスの海がなぜハリーを複製したのか、そしてケルヴィンがどのような反応をしめしていくのか、非常に興味深い展開になっていく。そして最終的にケルヴィンが選んだ道、そしてハリーが選んだ道はそれぞれ物悲しさに包まれる。ソラリスの海のイメージは非常に難しいけど、想像するだけでもぞくぞくする。それはレムの想像力の成せる技だと思う。SF的古典という意味でも、哲学的な本としても非常に面白く読める本だと思う。