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フリオ・コルタサルは南米アルゼンチン出身の作家で、フランスで一生涯を追えた幻想作家。彼の作風は、ポーの影響を受けたものが多く、本質的には短編の名手として名高い作家である。長編の『石蹴り遊び』(集英社文庫)は代表作として有名なのだが、大変読み手を選ぶ話と聞く。
彼の短編は過去に『悪魔の涎・追い求める男』(岩波文庫)を読んだけど、日常をふと斜に眺めると思わぬ非日常の世界が繰り広げられるという不気味さがある。本作品集でもまた、終りなき日常から突如一転する世界の位相が感じられるのが素晴らしい。特に登場人物の視点を変えたり、語り手を変えたりすることによって、眩暈のような衝撃を読者に与えることに成功する。それはまさに、幻想作家としての力量が問われる部分でもあり、読者にそのようなヴィジョンを与えることに成功している。
本作品集では以前言及した「光の加減」「貿易風」「二度目」「ボビーの名において」「ソレンティナーノ・アポカリプス」「赤いクラブとの会合」「通りすがりの男」「マンテキーリャの夜」があっと驚く展開で、読者は唸ること請け合い。ひねりが入っているので、びっくりする。特に南米の過去の現実を知っている人には「ソレンティナーノ・アポカリプス」を読んで戦慄してほしい。このあたりはマジック・リアリズムの手法が用いられており、まさにカルロス・フェンテスやガルシア・マルケスが長編でやったことに通じる部分がある。以下印象に残った短編を短評してみる。
「貿易風」は二人のマンネリ化した中年の夫婦が、お互いが別人の不振りをして「貿易風」というホテルで新たな出会いをして、アバンチュールを楽しむという話。ラストは見事としかいいようがない展開になり、非常に後味の悪い日常を読者に提示する。
「二度目」はカフカ的不条理世界を描いた気色悪い短編。南米の政治的な状況を省みれば、このような小説が書かれた理由もよくわかるのではないかと思う。なぜ二度目というタイトルがつけられるのか、それは読んだ人にしかわからなく、なんとも後味の悪い気分にさせてくれる。
「ボビーの名において」は思春期の男の子が感じる母親への愛憎の気持ちを夢という形で提示し、その提示の仕方に気色悪さを感じさせる短編。ボビーの見る夢がどのような形で語り手である私に影響を与えたのか、オチを想像するだけでも戦慄する。
「ソレンティナーノ・アポカリプス」は本作品集では傑作だと思う短編。本人の南米旅行の楽しい思い出の裏に込められた恐ろしい現実。スライドに写る現実と異なるグロテスクな南米像に、南米の政治的な現状、民衆の気持ちを代弁した素晴らしい短編。このあたりの手法は、キューバの作家レイナルド・アレナスも『夜になる前に』で行なったように思える。
一番の傑作だと思ったのは「赤いクラブとの会合」。旅先でふらりと入った人気のない地元のレストラン。何となく物悲しい雰囲気の漂うレストランで出会った一人の女。その女の行方が気になった私は、彼女の姿を求めて外へと向かうも……。これはまさにポーの系譜を継承した正統的な幻想・怪奇小説。ラストまでへの展開が見事としかいいようがない。優れた短編は、読者をあっと驚かせるのが常なのだが、この短編はまさにそういったものだった。
僕自身はスペイン語が読めないので残念ながら翻訳で読むしかないのだが、どの短編をとっても見事としかいいようがない。以前、某氏がお薦めしてくれた『遊戯の終り』は実家にあるので帰国の折に読もうと思っている。いやー、素晴らしい短編集でした。

途中から夢中になって読んでしまった。物理学博士のダーマン氏が理論物理の世界から離れて、ベル研究所→ゴールドマンサックスというビジネス界に転進していった経緯、物理学とファイナンスとの関係などを記した本。特に株式のポートフォリオの基本式となるブラック=ショールズ=マートン式の発見者で97年に咽頭癌で鬼籍に入ったフィッシャー・ブラックの話が興味深い。金融工学とコンピューター、クオンツとトレーダーの関係など、色々なことが回想を交えて語られていく。特にダーマン氏の理論物理学者としての考察により、金融市場の事象を鋭く見極め、様々なモデルが構築されていく過程は大変スリリング。
ぼく自身はあまり金融工学に深入りしているわけではないので、流れだけしか知らないのだが、こういう面白い本を読んでいると勉強してくなるなぁ。株式市場よりも実は債券市場の方が色々と金融派生商品をつくるのが大変だとか。ご存知の方も多いと思うが、ファンドの基本戦略というのはどのような金融派生商品を運用するかによって、利益率が変化してくる。さらにポジションの違いによって、運用益が変化してくるわけだが、ある種どのポートフォリオを組むかによって、運命は変化するということ。常に勝ち続けることができるのならばそれはそれで越したことはないのだが、大抵は難しいはず。ま、大抵悪いことをしているのが常でしょう。
この本でさらに面白く感じたのは、実務と研究の狭間で苦闘するクオンツの生活について。トレーダーが大雑把な理論と野性的な勘で市場を見極めるのに対し、クオンツは冷徹な目で事象を見極め、理論モデルを構築し、トレーダーに理解できるようなシステムを構築する役割を担うことをはじめて知る。どのようなニーズに沿って、どのようなモデルを構築するかということによって収益率が変化していく業界において、いかに理性的に振舞うかということの大変さを著者はこの本で語っている。
市場は生き物のようで、人間心理が集まるからこそ予測ができないということで、経済学が自然科学と異なり社会科学に属するのは納得がいくなぁ。物理学を修得した博士だからこそ、自然科学と社会科学の相違について語る部分が実に説得力がある。
物理学においてはすべての理論を一つの公式によって説明できるという万物理論の考えがあるが、金融の世界においては万物理論が存在しないということは僕が常々感じていたことと合致する。モデル化の限界についてもダーマン氏はよくわかっていて、ブレイクの言葉を引用して納得させる。社会科学、特に経済学においてはモデル化においては、単に個をモデル化したということを常に念頭に入れておくということが大切だということかもしれない。常識と盲目的崇拝との間の線引きをどうしていくのかという課題は常に学問を修めている身として、常に心の中にとどめておきたい言葉である。
モデルの構築に際し、直感から事象を見つけ出し、それを考察し、構築していく過程は芸術と科学の融合が必要であるという考えには強く共感。直感や科学を利用することで、定性的、定量的な分析が可能であるという見方は工学者らしい推察かもしれない。ややテクニカルな部分があるのだが、物理学から実務に移行した人の評伝として大変面白く読んだ。