「書物の帝国」リンクフリーです。リンク許可等は要りません。
復刊ドットコムに「夢の国のリトル・ニモ」の復刊をリクエスト。ご協力お願い致します。

この本を購入したのは1997年。以後積読のまま月日が過ぎ、9年後の今になって読んだのは、正解だったのかもしれない。当時の僕はまったくこの分野に興味がなくて、何となく経済学に関連している読み物として買っただけだった。とまあ、今になってこの本を読むと、政治と経済がいかに結合して、絡み合った蛇のごとくなっており、相互に切り離せないということを感じる。
本書は明解に日本のODAを主に合理性の観点から検討・評価している本である。著者の草野氏は政治学者なのだが、多分に渡辺利夫氏との共同研究から、経済的な視点でODAを評価するということを十分に念頭に入れたに違いない。PKOなど制約のある人道支援とODAを意識的には一体化させて「戦略的」に利用することによって、日本が国際的プレゼンスを高めることが出来るという流れは、現状を見ても了解できる。
日本のODAは円借款などの有償資金協力も多く、諸外国のODAとは目的や用途、戦略が異なる。日本の場合、開発途上国の経済的インフラを整えることにより、賛否両論はあれ、周辺環境を整えていくという戦略をとる。日本の場合、その環境がインフラや技術協力などに重点が置かれており、その部分が人的教育や無償援助を中心とする諸外国のODAとは異なってくる。日本のODAの意図が、諸外国とは異なるということを、草野氏は諸外国(主に主要諸国)とODAの質の評価を比較・検討することによって明確にしている。
日本もアメリカからの資金、世界銀行からの借り入れにより経済的なインフラを整え、戦後の経済発展を成し遂げてきた。そういう経緯もあり、過去の経験から日本は「経済発展」による漸近的な社会の変化を身で体験している国でもある。国土が荒廃した中で、日本が現在のように先進国として成長できたのか、それはやはり援助の有効利用だったからだと思われる。ちなみに世銀からの融資は1990年に支払い終えたということで、意外と最近だったりする。そういった意味で、経済的なインフラなどの環境整備を整えることなど、市場からの発展により社会を豊かにしていくという見方は、日本の過去の経験から来ているように思われる。
経済的な合理性から草野氏の議論を紐解いてみると、ごくごくまっとうなことを述べているに過ぎない。援助国がいかに有効なODAを利用し、それが地元の人に還元されているのか、そしてその評価法がどのような基準からなされるのかなど、考えさせられる。草野氏はここで非常にナイーブな問題を提起する(大多数の幸福か、それとも少数の人々の権利を保護するのか)のだが、この点については大変難しい。この点は多分後に触れる「現場主義」に絡んでおり(ダーウィンの悪夢での世銀を想起してほしい)、大多数の貧しい人々が貧困にあえいでいる中で、どのようなニーズに応えていくのか、そしてそのニーズに応えられるのが先進国としての日本の役割であり、今後重要な課題になるというのはよくわかる。
大多数が幸せになるのなら、少数が犠牲になるというのは多数決原理を採用している民主主義ではどうしても起こってしまう悲劇である。その際にどのような対話がなされるのかが重要であって(それは権利配分などの問題につながる)、日本と援助先である政府がしっかり案件を見据えて評価する体制が重要であるということだ。少なくとも日本は途上国の自助努力を手助けする方向で、経済的援助をしているという目的があるからこそ、賛否両論はあれど、現在に至ったのかもしれないと思う。
ODAは政治の道具であって、戦略的な用途に使われるのはいた仕方がないことかもしれない、と思う。援助をするということは、日本と西洋において異なるコンセプトで動いており、日本的な論理では「自助努力を促す方向性での援助」「自らの利益に即した援助」であることが多いと思う。援助を続けていくことにより、国際的な評価が上がり(これはどの国でも同じ)、プレゼンスが高まるという意味でもStrategic用途は国家戦略として重要になってくるように思われた。本書の後、イラク派兵など、PKOの分野でも日本は徐々に国際的なプレゼンスを高めており、ODAだけではなく人道支援も大きな配分になってきているのは流れとして草野氏の本の通りになっている。
ということで、ODAを経済的合理性の観点から見直すにはいいまとめの本だと思いました。あくまでも基準は経済的合理性ということを念頭において読むのがこの本のポイントだと思います。