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何となく読み始めたら、何となく読み終えてしまった。北欧神話(ウォルスング・サガ)をベースに、SFの装いをまとわせて、濃厚な復讐譚に仕上られたもの。ジャック・ヴァンスの<魔王子>シリーズ的な耽美な雰囲気がなんともいえない感じで、読んでいるうちにぞくぞくした。ロンドンはSFやファンタジーの舞台になることが多く、この小説もその系譜に属する。
治安を失い荒れ果てたロンドン。ロンドンは外界から隔てられ、強大な二つのギャングたちがロンドンを仕切っていた。ロンドンの周囲を囲む境界で、遺伝子改造された獣人たちに対抗するために、二つの家は同盟を結ぶことになる。双子の姉弟であるシグニーとシギー。その姉であるシグニーは戦略的に敵であったコナーと結婚することに。万事がうまくいくかと思われた矢先、コナーはだまし討ちをしてシグニーの一族を殲滅してしまう。そんな中で唯一生き残ったシギーは、一族の復讐を誓いつつ、姉と連携してコナーへの復讐を誓うのだが……。
豪華絢爛な冒頭に圧倒される。圧制者たちの気まぐれ、神々へのいけにえがつるされた高層ビルディングのエレベーターシャフト。なんとも不気味な光景の中で、起こる奇跡。スパイ嫌疑をかけられて殺された一つ目の大男が復活し、ナイフを突き刺し「このナイフを抜けたものに与える」と言って立ち去っていく。この冒頭シーンだけでぐいぐいと引き込まれていくわけだが、その後は急転して実に血なまぐさい復讐劇へと変化する。
オペラや神話的展開なのだが、うまくSFの装いを利用して不思議な効果を与えている。遺伝子工学技術の進歩により、動物と組み合わされて強化された人間たち。特にロキの分身として活躍する猫娘チェリーはトリックスターとしての役割を見事に演じ、神々によって物語はすでに作られていてその枠組みを壊すことができないということをきちんと示してくれる。そういう意味では、デウス・エクス・マキーナなんだろうなーと思う。
500ページという重厚な物語なので、気合入れて読むといいかも。ただ、シギーが途中まで情けないのでそこら辺でいらつく人は多い気がする。あとは女性の怖さがよく書かれていて(特にシグニー)、読んでいてその業の深さに戦慄したのは確か。
メキシコを代表する作家、フエンテスの日本オリジナル短編集で、木村榮一先生訳ということもあり、さくさく読めてしまった。読み終えてからの全体的な印象としてはゴチックホラー的な展開が多く、のちに戦慄してしまう話が多かった。嫌なもの、なりたくないもの、見てはいけないものなど、一般的に禁忌とされている事象をメキシコ土着の文明(マヤ文明)とキリスト教との対比で展開させていく。そして物語ではキリスト教の存在によって一見消滅したかと思われたマヤの神々たちがメキシコの隅々に潜伏しており、その力に畏怖することになる。
メキシコの歴史も複雑な経緯を辿っているために、その政治的な様相を知っておくのは、収録された短編「生命線」を読む上では欠かせないと思う。これは長編『アルテミオ・クルスの死』(新潮社)でも取り上げられているテーマでもあり、政治的渾沌が文学作品に影響を与えている事例として興味深く読むことができる。収録作の中では唯一、政治的事例をテーマにした暗い話なのだが、あえてこの作品を入れることによってフエンテスが何をテーマとして作品を書き上げているのか考える鍵になったと思う。この当たりは、編集者のセンスによるので、短編アンソロジーは作家や編者の意図を読み解く上でいい練習になる。
老いをテーマにした傑作が二編収録されている。遡行ができない時間軸の中で、若い女を買って自分を慰めるものの、自分の老いを痛感させられる「最後の恋」や輪廻転生を追求する老婦人の執念を描く「アウラ」は自分が30代に入ってから読んでよかったと思う作品だった。特に「アウラ」はゴチックホラーとしても傑作で、年老いたコンスエロ夫人の世界が実にグロテスクで、ラストのシーンに震撼する。「雨月物語」の影響を受けているという解説に、納得する人も多いだろう。「最後の恋」はもともと長編『アルテミオ・クルスの死』の一部からの抜粋なのだが、この部分は老いとエロスが入り混じり、麝香が香るような美女を抱くことにより、自分が老けていくという現象を感じざるを得ない、老いることへの恐怖を描く。
ゴチックホラーの傑作としては「チャック・モール」「女王人形」。前者はメキシコの土着文化をベースにしたホラーで、神々の力は気まぐれで恐ろしいということを感じさせる。この手の展開は、ラウクラフト的ではある。「女王人形」の方が百倍怖い。この展開はまさに禁忌とされる現実を見てしまい、そのショックで凍ってしまったという感覚に囚われる。この物語は木村榮一先生の名解説があるので、あまりかかないのだが、見てはならないものを見てしまった、という怖さが見事に描かれる。日本では「黄泉」を見てしまった人ということになるだろうか。
僕の中では「アウラ」も傑作だったのだが、それよりもまして「純な魂」が恐ろしかった。兄妹の愛情溢れるやり取りから、一転してラストに襲ってくる衝撃。僕自身が留学している人間として、こういう展開になったとしたらものすごく嫌だなと思う。メキシコとヨーロッパの狭間で、どう主人公が洗濯しようとして、その選択を祝福するのではなく、むしろ憎悪する妹の執念が恐ろしい。
フエンテスの時間に対する捉え方はこの作品を読むとよくわかる。過去に読んだラテンアメリカの作家の時間に対する捉え方は、西洋の価値観とは相反するということを感じる。これは『百年の孤独』(新潮社)でガルシア・マルケスが行ったように、西洋による線形的な時間に対するアンチテーゼとして物語が進行するために、スキゾ的にループしていく感じを受けた。時間はメビウスの輪のようにつながっているのかな?と思ったのだが、もしかすると彼らの時間観はトポロジー的に見てもループしてスムースなのかもしれない、と感じた。
面白かったので、帰国した折にもう少し彼の作品を読んでみたいと思った