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年内一冊目の読みはじめとしては、大変心地のいいものだった。2年前に頂いて、なんとなくもったいなくて読めなかったのだが、意を決して12月よりちまちま読みはじめ、先ほど読了。前半部がややストーリー展開が遅く、このままどうなるかと思ったのだが、最後の300ページは一気に読んでしまった。訳者解説にもあるように、この本に詰められているアイディアだけで長編が数編かけてしまうような内容で、SFの楽しさを再認識させられた。
第二部の半ばぐらいから急に面白くなるので、長いと思って挫折した人は『順列都市』(ハヤカワ文庫SF)同様、がんばって読んでほしい。とはいえ、『順列都市』よりも第一部は魅力的であって、内容的にもこれで一冊かけてしまうようなアイディアが惜しげもなく詰められている。翻訳はこの難しい本をよく平素でわかりやすい日本語に訳された、と思われる訳で、違和感なく読むことができたのだが、読者にも内容面では知的チャレンジが要求される本ではある(『ディアスポラ』ほどではなかったのだが)。SFを読んでいてすごくよかったと思える作品というのは本当に少ないのだが、今のところグレッグ・イーガンはその要求に応えてくれている、と僕は思う。
前半部がややかったるいと思われたのは、イーガンの男女描写にあると思う。どうも男女関係のストーリー展開や描写についてはイーガンは巧いほうではないと思う。その点では内容的にも難解な『ディアスポラ』(ハヤカワ文庫SF)のコンピューターないで生きる人工生命体たちとのコミュニケーションの描写の方が好きだったりする。セクシャリティを扱った話では、短編では解消されてはいるのだが、どうもイーガン自身があんまりセクシャリティの部分には触れたくない部分があるような気がしてならない。
この本は色々な意味で知的好奇心を刺激してくれる。人間存在のあり方、存在論、唯我論、唯物論、観測者と神、特異点と安定、均衡の考え、思想の選択、情報物理学など。直接は関係ないのだが、常にこの本を読んでいて感じたのはゲーデルの不完全性定理(現代の数学の公理体系には無矛盾性を含まない)が、物語の根本のどこかにあるような気がした。イーガンは『万物理論』の中で、様々な自分の主義思想をうまく組み込み、読者にこれでもか!と提示することにより、うまく知的好奇心を刺激しているように思えた。
万物理論(TOE)だけではなくて、人間が世界をどう認識しているのか、ということがこの物理学の究極理論でもあるTOEの話とリンクしてから、ぐっと面白くなる。TOEをめぐって3人の学者が自分たちのTOEをディフェンスするために様々な団体を交えて論議を交わされるわけだが、このあたりは経済学の新ケインズ学派と新古典派、ポストケインズ学派などの学派が色々な仮説を提示し、お互いがぶつかりながら成長していく過程と似ている。僕自身、TOEをめぐる一連のごたごた騒ぎは人事に思えず、巻き込まれたしまった主人公に同情してしまった。
SFとしてのアイディアはある種、トンでもなんだと思うのだが、認識の問題は通常から我々が常に考えている問題であり、イーガンはTOEと認識の問題をうまくつなぎ合わせ、原題のディストレス(という謎の精神病)ともつなげていくのですばらしい。主人公の科学ジャーナリストと様々な主義・主張を持つ人たちとの会話を通じて、読者はTOEと情報物理学、人間の自我との関係を考えさせることになる。数学・物理で武装された理論はもしかすると、究極のところではカルトと通ずる部分もある、ということを思い知らされる。こういう点を面白く感じるのが文系SF読みとしての限界だと思うのだが、その点は容赦してほしい。
第三部・第四部はなんだかすごい展開になり、SF謀略ミステリ的な様相になってくるので、ミステリ読みの人にもお勧めしたい一冊だったりする。この内容で、十分楽しませてもらえるイーガンには今後も目を離すことができない。素晴らしい日本語に翻訳された訳者の山岸真さんに感謝して、このまとまっていない感想文の筆をおくことにします。

ウォーウィッグ・ゴーブルのイラストつきの新訳版。中村融さんによる解説は、『宇宙戦争』が書かれた経緯がわかりやすく説明されていて、色々な意味で勉強になった。ちょうどカナダに戻る間際に、『宇宙戦争』の上映にあわせて新訳が出された形になっている。なんとなくそのまま放置していたのだが、最近知り合った方のプロフィールを読んでいたら急に読みたくなって、そのまま読んでしまった。
SFというとタコ型の宇宙人が宇宙船に乗って地球を侵略する、というイメージが多々植えつけられていると思う。実際ぼくもその1人だったわけで、宇宙人=タコ型というのはこの作品から来ているということがこの作品から来ていることがわかった。侵略SFは色々な形で昨今のSFで取り上げられているが、ウェルズの『宇宙戦争』は思想的にも物語的にも非常によくできた作品だったと思う。特に人間中心主義を戒めるという点において、こんな早い段階から物語が書かれていること、そしてその先見の明に驚かされる。
火星人は実は人間の血を吸うという部分が興味深い。最近の映画版の宇宙戦争においても火星人が人間を刈り取り、食餌として吸血する場面があるのだが、このアナロジーは現代の家畜と人間の関係に当てはまるともいえる。また中村融さんが解説でも触れているように古典となるブラム・ストーカーの『ドラキュラ』との関係も注目に値する。方法論(SFかホラーか)の違いはあれど、実は弱点もある異形の怪物が圧倒的な力で人間に襲い掛かり、人間は家畜と同じ状況になるという方向性は同じだったりする。
この映画では徹底的に人間は無力なものとして描かれる。生き延びるために何事でもしようとする人々、逃亡生活と飢えで気がおかしくなる人、そして主人公もまたその手前まで追い詰められる形になる。最後にはあっと驚く結末になるのだが、地球の生物多様性を考えれば、あの展開は当然とはいえる。インディペンデンス・ディのようなことはありえないのだ、と僕は感じる。むしろ、トマス・M・ディッシュ『人類皆殺し』(ハヤカワ文庫SF)が提示するグロテスクな展開こそが現実なのかもしれない、と思う。『宇宙戦争』的なネタをうまく利用している日本人作家では今日泊亜蘭先生や横田順彌氏らがおり、彼らの作品と比較するのも面白い。今日泊先生のスタンスはどちらかというとウェルズに似ている気がしたのだが、専門ではない&すべての作品を読んでいるわけではないので、あくまでも今まで読んできたものだけを中心に印象で書いているのをお断りしておく。
途中、火星人の襲来から生き延びた砲兵が主人公に語るせりふがあるのだが、そのせりふは強烈な印象を僕に与えた。この論理はまさにイラクやソマリア、アフガニスタンで進行しているリアリティにもつながってくる。圧倒的な近代兵器をもって侵攻するアメリカ軍となすすべもなく家畜のごとく殺される人々。思想面においても、色々と考えさせられるものがあった。さらに宇宙戦争は戦争によるテクノロジーの発達も予言していたり、熱線やら飛行機など未来の武器も予言しており、その先見性に改めて驚愕する。
宇宙戦争は1898年に出版された本だが、設定は古びても思想はまったく古びていない。むしろ現代だからこそ読むべき一冊だと思った。機会があれば、ぜひ読んでほしい。

カバーしているのはロッキード事件以降に起こった腐敗の問題を主に扱っている。本書はヤクザ、右翼、政治家、私企業のキーパーソンを中心にしていかに人脈が形成され、裏金が企業から政治家、政府から企業、企業からヤクザ、ヤクザ(もしくは右翼)から政治家へと流れ、政界癒着が起こっていたのかを共同通信社会部の記者たちが取材をもとに描いたノンフィクション。扱われているのは田中角栄が関与した国際的な汚職事件であるロッキード社事件、平和相互銀行を経営難に陥れ、合併を余儀なくさせてしまった事件誠備事件、右翼とヤクザがかかわった竹下登にまつわるスキャンダル事件、皇民党事件など。
この本を読み終えて感じたのは、すべてがひとつに癒着して消費者が享受するはずの利益が賄賂を渡した企業やヤクザ、政治家に回ってしまっているということ。日本の風土や慣習からも賄賂が露見するリスクは意外と低く、リスクを負ってでも献金して政治家とパイプラインを作っておき、仕事を受注するインセンティブは存在する。私企業の人たちが「保険」といっている理由もよーくわかる。企業自体になにかあったときの手打ちであり、保険であるという考えは確かな感じではある。現在の銀行業界の甘やかされぶりを考えても(あれは相当金が動いているに違いない、と思う)、政治家を動かして、官僚を動かし、政策を自分たちのやりたい方向に誘導するという方向性はどの事件でも見受けられる。
多少の賄賂で大きなプロジェクトや利益が得られるのなら、権限のある人々の言うことを聞くインセンティブは企業にある。期待費用と期待利得を考えたときに期待利得が大きければ、個人は期待利得が大きくなる行動を選ぶ。この本ではそのような事例が具体的に乗せられていて、すごく面白く読んだ。もと稲川会会長の石井進をキーパーソンに裏社会と政治、裏社会と企業のつながりが非常にわかりやすく書かれていたのが、大変素晴らしかった。もちろん賄賂の対象は官僚にも含まれていて、金銭的なものではなく、接待という形で行われていたのが興味深い。
これだけの巨額の金が裏社会や政治家、一部の人々のために利用されていたことは、結局納税者である国民に付けがまわっているということで、金の流れをチェックしていかないといけないなぁと思う。

面白かった。ストーリー展開はストレートなスリラー小説。あまりの幸運ぶりに、ありえないよ!と突っ込みを入れながら読んでいたのはいうまでもないのだが、後半のためにあるのだと思うと、納得はいく。主人公キャルは僕の善悪基準では、いけずで小心者なので、報いを受けるのは当然だと思っていたのだが、ラストまで読むと知らぬ間に主人公キャルの状況に感情移入してしまっているあたりに作者の力量を感じた。物語自体は、まさに映画的で、悪い方向に物語が進行していく。あれよあれよといいことばかり進行したかと思うと、前半での伏線が効いてきて(レスのキャラクターを考慮すると、十分故売屋に売ることも考えられる。)、徐々にスリラーテイストになる。
僕は個人的にはスチュアートに同情してしまった。一番貧乏くじを引かされたわけで、ラストまでなんともいやな気分になる。確かに一人の女性をめぐる愛憎にもつながるわけだが、ラストでのジャネットの変遷には唖然とする。もちろん終わり方としては、大変心地よいし、大団円ともいえるのだが(これは徹底して下卑な恐喝者として描かれていたレスの終盤でもいえることになる)、違った終わり方もあっていいと思う。僕自身はどちらかというとキャルが罰せられる展開の方がしっくりきたので、ラスト周辺での収束の仕方は許せない部分はある。
そんな好みは分かれる部分がある作品かもしれないけど、栄光を求めて売れない芸術家たちが苦心するシーンや、法学の学生として小説家の夢を捨てられないスチュワートの描写や敏腕エージェント、ブラッキーのキャラクター造形はよくできていて、いい導入がなされていると思う。一発当てれば、大金持ちという小説の世界のばくちさや、その金に群がる人々、そしてお金にはあんまり執着していないキャルの姿がクールに、対照的に描写されているのもまた、物語に華を添えている。
北上次郎の解説は的を得ている部分もあれど、ジョン・コラピントの略歴ぐらいはつけてほしいなぁと思う。ちなみに作者はカナダトロント出身の作家なので、物語の中にケベックの描写やフランス語が出てきたり、カナダに在住の僕としては親しみやすい部分があったのはいうまでもない。