魔法の本棚
Hojotoho, Hojotoho! Heiaha!
書物の帝国
最終都市

Hojotoho, Hojotoho! Heiaha!


「書物の帝国」リンクフリーです。リンク許可等は要りません。

復刊ドットコムに「夢の国のリトル・ニモ」の復刊をリクエスト。ご協力お願い致します。

 Amazon.co.jpアソシエイト

Generated by nDiary version 0.9.4

Feb.6,2007 (Tue)

恒川光太郎『雷の季節の終わりに』(角川書店)

雷の季節の終わりに

日本ホラー小説大賞受賞作の『夜市』(角川書店)の世界を継いだ感覚ではあり、実にうまい。物語の構成も面白いし、日本古来より存在する、異世界やモノノケの雰囲気などを生々しく書き出していて、色々と忘れられないシーンが多い。僕自身、読み終えてビジュアル的脳裏に浮かんだのは安部吉俊画伯の古街。文章やストーリーラインなど、読んでいて心地がよかったのはいうまでもない。

人知れぬ存在する世界、穏。そこは現世から離れて存在する世界で、死者の世界と下界(我々の世界)の中間にある地だった。主人公・賢也には、雷の季節の終わりに失踪した姉がいた。穏での雷の季節にはよく人が消え、それは仕方がないことだ、という伝承があり、姉はそうやって失踪した。なんとなく仲間外れになりかけていた賢也を仲間に迎え入れてくれたのは、名家の生まれの穂高という中性的な美少女だった。賢也には「風わいわい」という物の怪が取り憑いており、そのことは彼にとっては秘密だったのだ。墓町と呼ばれる禁断の場所に惹かれた彼は、闇番と呼ばれる屈強な男と懇切になり、穏にまつわる禁忌などを理解していく。そんな蜜月も長く続かず、賢也がある秘密を知ったときに、彼は穏から逃亡せざるを得なくなる。「風わいわい」とともに穏を出た彼の運命は?

同年代の作家としては圧倒的な文章力と幻視力を持つ作家だと感じた。恒川さんの文章のすごさは、読み手に文章から映像のようなビジュアルを引き出してくれることにある。だからこそ、映像の如く本が読めてしまい、この本自体も実際すぐに読めてしまった。穏を日本の伝統的な寒村に脳内変換しつつ、墓町は羅生門の世界のように思いながら読むと、ぞくぞくする。自分が穏の住人であるかのごとく、主人公賢也の目、ときには風わいわいの視点から物語を楽しむことができる。

人が人知れず失踪すること、そして鬼というのは身近なものであって、僕らが気がついていないうちに何かが進行しているではないか?と思われるときもあって、そういうことを考えることができただけでも、僕はこの小説にめぐりあえてよかったと思う。後半からはちょっと違った風味になるのだが、物語がきちんと収束し、なんともいえない余韻を残してくれるのがとてもいい。考えるだけでも恐ろしいシーンもたくさんあるのだが、僕の言葉では説明できない。風俗や土着をベースにしたホラーにはDNAレベルで染み付いた怖さがあるので、まずは読んでみてから感じてほしいと思う。

ということで、久々に読書至福体験をしたのでした。


Feb.16,2007 (Fri)

飛浩隆『グラン・ヴァカンス』(ハヤカワ文庫JA)

グラン・ヴァカンス

 もともと早川のJコレクションに入っていたものが文庫落ちしたもので、ようやく読むことができた。読了感は、山田正紀&J・G・バラードの作品のようで、実は士郎正宗の世界も包含しているというものだった。読んでいるうちに感覚が研ぎ澄まされて、読み手もまた<数値海岸(コスタ・デ・ヌメロ)>のリゾート世界の中に溶解して一体化していく気分になる。物語は破滅と苦痛の一瞬一瞬をまるで硬質な水晶体に取り込まれた感覚に囚われる文体で、僕自身もまたグラン・ヴァカンスに登場するAIの一人一人の視点を映し出した万華鏡を覗く傍観者として、世界に同質化したような感覚に襲われた。

 ヴァーチャルリアリティの中にある仮想リゾート、<数値海岸>の一区画である<夏の区界>。南仏をイメージしたその世界では、人間の欲望を満たすために配置されたAIたちと世界があった。<大途絶>という事象が起きてから、1000年間人間のビジターが訪問することなく、永遠とも思える夏をすごしていた。ところがそんなある日、区界を整理する<蜘蛛>たちに異変が起こり、彼らが変容して<夏の区界>は崩壊していく。ビジターたちをもてなすAIたちは、<蜘蛛>たちの侵略によって虐殺され、わずかに生き残ったAIたちが<鉱泉ホテル>に集結して、生き残りをかけて知恵を振り絞るのだが……。

 前半の穏やかな雰囲気からがらりと変化して、世界には徐々に暗雲が立ち込め、おぞましいものへと変容していく。このリゾート自体のレーゾンレートルを想像するだけでもおぞましいわけだが(人間の欲、とはおぞましいものだと感じる)、禁忌によって様々な事象が均衡状態にある、という考え方や超越するヴィジョンというのはバラードの作品的だし、山田正紀の<宝石泥棒>などの作品に見られる方向性でもある。後半部分はグロテスクさながらの様相が展開され、あまりにもおぞましく、目をそむけたくなる反面、その意図するもののグロテスクな美に惹かれてしまう。

 登場人物たちもまたさまざまな闇を抱えており、その想像を絶する過去やエピソードによって、与えられ、そして封印された事象が実はAIたちの人格をかたどっているというのが、色々と物語を読み解くキーになるので、改めて読み直す機会があれば、それぞれの登場人物に課された影が何かを考えながら読もうと思う。

 僕の足りない語彙でどこまでこの作品のすごさを説明できるかわからないけど、とにかく圧倒される作品であることは事実だと思う。僕自身もまた、読了後に世界とは何かを考えてしまった。世界は実は流れ硝視(ドリフト・グラス)の中身のようなものであって、プログラムされたものなのかもしれない、と。


Feb.22,2007 (Thu)

牧野修『月光とアムネジア』(ハヤカワ文庫JA)

月光とアムネジア

 最後に読んだ牧野修作品は『アシャワンの乙女たち』(朝日ソノラマ文庫)だったので、ほぼ1年ぶり。アマゾンで調べたら、もう品切れだったのでびっくりした。朝日ソノラマから出ている牧野修作品はすべて読めないのか……。牧野修という作家はジャンルを超えた境界作品が多くて、ホラー色が強い人なのだが、彼の言語センスによって構築された世界は、読者に大きな衝撃といえるフレームシフトをもたらす。そういった意味で、牧野修は読み手を「言霊」という呪縛に捉え、僕たち自身をも世界の一部にしてしまうことのできる、恐るべき感染力をもった作家だと思う。

 前置きが長くなったのだが、本作品『月光とアムネジア』はホラーとSFの境界作品で、日本に似通った並行世界を舞台にしたデンゼル・ワシントン主演の某ホラー映画&小川洋子の超有名作&ストーカーを牧野修風に調理したら、こんな異形の作品が出来上がってしまった、という感じ。

 <レーテ>(ネタはマイミクさんならご存知だと思うので秘す)と呼ばれる特殊空間は、3時間ごとに自分の記憶がリセットされ、重度の認知障害を起こす場だった。そんな場に、60年間一度も捕らえられることもなく伝説的な殺し屋として君臨した町田月光夜が逃げ込んでしまう。そんな月光夜をレーテ特殊対策班の県警のチームが追撃するために、彼らも特殊措置を施されて、<レーテ>に突入するのだが、彼らもまたとてつもない事象に巻き込まれることになる。

 解説で風野春樹氏が言及しているように、どうしても気になるのが彼の造語。ゆずず飯、アガタ(Agatha)原中県、イディオ・フィールド(愚空間)など、言語の音の響き、陰伏的に暗示された言語のもつ意味などが集大成され、妙なリアリティを提示する。僕の中では、モノトーンな灰色空間のイメージのある<レーテ>での奇妙な事件は、ある種忘却した記憶の断片としてアナログ化されたもの、だったのかもしれない。3時間で記憶がリセットされるという設定を利用して、チームメンバーが突然消失していたり、亡くなっているという点は、ミステリ的でもある。

 主人公の他山の忌まわしい過去と<レーテ>のレーゾンレートル、月光夜の正体の謎がうまく絡み合って、最後に衝撃的な話になっていく。<レーテ>がなぜ突如現れたのかなど、謎も明らかにされていく。このあたりは『屍の王』(角川ホラー文庫)や『だからドロシー帰っておいで』(角川ホラー文庫)あたりにも共通するフラッシュバックの技法をうまく組み合わせて、他山の過去とが見事に絡み合って、ミステリ的にも面白く読めたと思う。後半、ゆずず兵みたいな強化兵が出てきたりとSFファン的にも楽しめる要素もあり、さすがだなと思う。

 ということで、僕は楽しめました。