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May.2,2007 (Wed)

G・カブレラ=インファンテ『煙に巻かれて』(青土社)

煙に巻かれて

飛行機の中で読み終える。 あまりの面白さに、ページが進み、500ページほどある本を読み終えた。長旅のときには普段読まない本を読むというのは悪くないかも、と思った。

読み手を選ぶ本というのもあるけど、 この本の場合特にある程度のレベルがないと読めない本だと 僕は感じた。特に映画、文学、キューバの政治事情が 複雑に絡み、ニコチアナ・タバクムにまつわる物語、 すなわち葉巻とシガレットの歴史と文学作品、映画などをインファンテ独自の視点でジョイス風に軽妙に 洒落た形で語っていくというもの。

このエッセイを読んで、ハバナと呼ばれるキューバ産の最高級の葉巻を吸ってみたくなるのはいうまでもない。葉巻の歴史からはじまり、それにまつわる薀蓄、そして人々の欲望や想いが交錯していく。さらに、 フィデル・カストロと対立して政治的亡命をせざるを得なかったキューバの文学者インファンテの祖国キューバへの想いが文章から感じられ、僕自身エッセイを通じて、その思いがまるで煙のごとく身体に染み付いていく感覚がある。

キューバといえば葉巻が有名であり、そのキューバの葉巻を通じてキューバの政治事情を語っていくさまは、生々しくもあり、重い。このエッセイを読んで、僕自身彼のほかの文学作品も読んでみたくなったのは事実で、他出版社から出ている彼の作品も読むつもりではある。

このエッセイで語られている葉巻とシガーの文学や映画での役割はすごく面白い。特に三馬鹿兄弟で有名な喜劇役者グルーチョ・マルクスの葉巻が果たした役割についての解説には目からうろこが落ちた。さらにオールディスの一言で有名になったもう1人のマルクスである、カール・マルクスもまた葉巻とシガーを愛好しており、二人のマルクスがどれほど葉巻やシガーに取り憑かれていたのかがわかり、これまた面白い。さらにフロイト学派的な立場からインファンテは、キューバのフィデルがなぜ葉巻を愛好するのかを説明しており、なるほど、大変わかりやすい。

この本に似た本として、過去読んだ本では琥珀にまつわる薀蓄を語る楽しい本であるキアラン・カーソン『琥珀捕り』(東京創元社)がある。インファンテのエッセイが奔放闊達なのに対して、カーソンの本はハイパーリンク的な構成の本ではある。が、ひとつの事象をつなげて論ずるスタイル的には似ているのでインファンテのエッセイもまた僕の好みである。知的好奇心に油を注いでくれるいい本でした。

訳者の若島正先生の苦労のほどが 忍ばれる本で、日本語でこの本が読めることを素直に喜びたい。


May.3,2007 (Thu)

ミッチ・カリン『タイドランド』(角川書店)

タイドランド

昨日偶然同じ系統の本を読み終えていて、なんとなくいやな気分になったのだが、この本を読み終えて朝からブルーに。いやな話なんだけど、ダークファンタジーとしてよくできている一冊。テリー・ギリアムがこの話を映画化したはずで、DVD化したようなので、映像版を見てみたくなったのはいうまでもない。ちなみにタイトルは、ローズ・イン・タイドランドで本書の世界がどのような形で描かれているのか興味深い。

あたし、ローズ。父さんと一緒にデンマークに行くはずだったんだけど、あたしがきたのはテキサスのおばあちゃんの住んでいた家。ピーナッツバターとクラッカー、そしてあたしの親友クラシックがそばにいれば怖いものはないの。あたしにはほかにもたくさん素敵なお友達がいて、いつも手助けしてくれる。

でもね、父さんは眠ったままで、うごかないの。たいくつしたあたしはクラシックと一緒に、あたりを散策した。そうしたら片目のない<幽霊>の女の人があたしに話しかけてきたの。でもね、幽霊じゃなかったの。その幽霊だと思っていた女の人は、デルっていうとなりに住む人であたしに食べ物をご馳走してくれた。

そしてそこには沼男だと思っていた水中眼鏡をかけた変な男の子で、デルの弟がいたの。その男の子の名前はディキンズ。潜水艦をもって、サメ退治をしている、とーってもクールな男の子。いつかサメ退治をどかん!としてくれるって。そんなわくわくする瞬間がいつくるか、彼の話を聞いているととてもうれしくなったの。

父さんは日々膨れ上がっていって、顔色もよくない。おならばかりするし、困ったのでデルに話したの。そうしたら、デルが父さんを手術してくれたんだけど、以前となんだか違う。

という感じの展開。もうね、とにかくブルーになります。恐ろしい現実が少女の純粋無垢な妄想のフィルターによって完全に世界が変な方向にゆがめられていく。主人公のローズはものすごくポジティブだし、ディキンズともロマンスもあるけど、基本的には「アメリカの片田舎ならありえる」設定。物語はテキサス・チェーン・マサクールの舞台と同様のため、ダークな雰囲気が見事に出ているのは納得する。

ラストのカタルシスがもう本当、この物語にトドメをさす感じ。ここまで徹底してやられると、もう本当にすごい。換骨奪胎というけど、二つの世界がグロテスクに交差して、読み手に違った世界を提示している点がこの物語のすごさだと思う。この徹底ぶりと救いのなさは、注目に値したい。


May.4,2007 (Fri)

アントニイ・バージェス『どこまで行けばお茶の時間』(サンリオSF文庫)

 不思議な国のアリスをベースに、アントニイ・バージェスが作り上げた不思議な不思議な夢物語。授業中、歴史の授業を受けていた主人公のエドガーが、ふとコンパスでつついた穴を見て「この穴に入っていくと痛快だな」と思っていたら、次に気がついたときにはすでに穴を抜けて船に乗っていた……。こうして、Edgerの夢の世界の冒険が開幕する。

 不思議の国のアリスが好きな人はぜひ読んでほしい奇想ファンタジー。この系統でいえば、浅暮三文『ダブ(エ)ストン街道』(講談社文庫)っぽい感じのテイストかな。授業中に出てくるたくさんのエドワード王たちが、出てきたりする。注目すべきは、Eの頭文字。出てくる人物、事象にどれだけEがついた名前が多いことか。このあたりを含めて、大量の言葉遊びが入ってきたりしているので、一筋縄ではいかない物語だったりする。

 変な登場人物がエドガーがなんとなく弄んで行く設定は鏡の国のアリス的な感じで、彼らの会話も雲の中にいる感じで要領がつかめない気分に陥るのはいうまでもない。なぜか夢の中でエドガーが、アルフレッドという鼠から相対性理論の説明をうけ、理解するシーンとか、なんともいえない感じではある。そういった意味では、この小説を語るのはなんとも難しく、つかみどころがない面白さがあると感じる。ただの夢物語の中にたくさんのメタファーが挿入されているので、何を意味するのか考えながらよまないと表層を追っているだけになる可能性がある。

 サンリオSF文庫という体裁もあり、入手はやや困難なのだが、購入する価値のある一冊。読者の知識レベルを問われる小説でもあり、かなり挑発的な一冊だと思う。サンリオSF文庫には珍しく、挿画が挿入されているのも悪くない。


May.5,2007 (Sat)

ジョン・バーンズ『軌道通信』(ハヤカワ文庫SF)

軌道通信

正統派のジュヴナイルSF。13歳の多感な少女、メルポメネーを主人公に、彼女の日々の生活を「地球に居住する人々」に伝えるという日記形式の物語。現在、インターネットが発達し、ブログという形で日々色々な人たちの生活の一部を垣間見ることができるようになったこともあり、この本でのスタイルは今だからこそ違和感なく読めるのかもしれない。著者のバーンズはSFという舞台設定であえて多感な少女を主人公に添えることにより、1人の少女が精神的に大人になっていく過程を見事に描くことに成功した。

新種ウィルスの汚染により人間居住が困難になった未来。地球-火星間の小惑星改造船で居住する主人公のメルポメネーは、改造船の中で厳しい訓練を受けていた。そんなある日、地球から数学がよくできるテオフィラスという男の子がやってきたことにより、なんとなく均衡状態にあったクラスの雰囲気が変化していく。彼の数学能力に嫉妬した優等生のランディがテオフィラスを殴ったことから、クラスの雰囲気が変化していくことになる。

面白いのは船内教育を受けている子供たちの描写。課題にグループで取り組むシーンや、問題を解いていく描写はなんとなくではあるが、ハリーポッター的ではある。なんとなくグループが分かれて、変化していくさまはある種わかりやすい気がする。後半でランディとメルポメネーがとある秘密を発見するのだが、地球が災厄状態に陥っていて、回復状況にあるという点を考慮に入れれば、納得する読者も多いだろう。

大きな事件もないし、基本的にはメルポメネーの心の動きなどがつづられる話なので、派手さはないのだけれども、中学生や高校生に読んでもらいたいSF小説だと思うのは、嘘ではない。問題解決のためには時にはグループを変えたり、大胆な発想も必要だということ、そしてチームワークこそが困難に立ち向かう大切な要素である、ということをわからせてくれる一冊でもある。

個人的にはお勧め。


May.6,2007 (Sun)

スタニスワフ・レム『宇宙創世記ロボットの旅』(ハヤカワ文庫SF)

 レムのお茶目さがよく出ている連作短編集。読んでいるときにげらげら笑うしかないシーンも多くて、なぜもっと早く読んでおかなかったのか?と後悔した。サイバネティックスをベースにした哲学に精通したレムだからこそ、こういうハチャメチャな展開でも、物語が破綻せずにSFとして楽しめているという印象。今回この作品を読んでつくづく感じたのは、有限と無限を取り扱いながらもうまく無限を有限の中に落とす([0,1]区間のような感じ)方法がうまく働いている様相。その落とし方がブラックなのが、なんともレム的ではある。

 今回は二人組の宙道士トルルとクラパウチュスが独自の哲学で、様々な難題を機転を利かせながら、解決していくというもの。援助の手を差し伸べる割には、彼ら自身もがっちり報酬をせしめるあたりは、人間味を感じさせる部分がある。この作品はなんとなくアニメ化したら面白いような気がするのだが、僕の中では絵柄がすでに決まっていて、タイガー立石。この人の絵でぜひアニメ化してほしい、と思っている(コンニャロ+デジタル商会という恐ろしい漫画があるのだが、僕の視覚イメージとしては彼の絵がふさわしいと思う)。

 二人の気性の違う宙道士がある種漫才をしている様相で、結果は割りとデウス・エクス・マキーナ的であるのが面白いといえば面白い。色々な薀蓄や哲学がそれぞれの短編につめられているとはいえ、一見カオス的に見えても実はある程度のフラクタル的な規則があって、ミクロではカオスでも実はマクロ的にはフラクタルという部分がレムの作品の妙味だと僕は感じている。それは一見壮大なほらに見えても、実現可能に思えてしまうのはレムの語り口のせいかもしれない。虚構を現実に変える力を持つ稀有な作家としての彼の力量が垣間見える作品だと僕は思う。


May.8,2007 (Tue)

滝本竜彦『超人計画』(角川文庫)

超人計画

 大爆笑しながら読むと同時に、あとがきを読んでブルーになった一冊。引きこもり作家滝本竜彦が、ニーチェの超人思想に取り憑かれて脳内彼女レイの助けを借りながら、引きこもり脱出、彼女をつくろう計画を赤裸々に語る話。それだけの話なのだが、瓢箪から駒が出てきて、実際に滝本氏はこの本がきっかけで結婚してしまうというなんとも夢のような結末が待ち受けていたのにびっくりする。

滝本氏の文章は流れるような文章で楽しく読めるので、ネガな部分を除いても、本人は気苦労しているとはいえ、読者から見ると実に素晴らしいエンターテイメントとして、彼の一挙一挙に読者もネガティブでもポジティブ、ひやかしなど様々な反応が返されるはず。男性と女性でも感覚が違うためにどうこの物語に反応するかどうか、知ってみたいところ。

生身の彼女というのがどういうものなのか、ということを知るのはなかなか興味深いので、この滝本氏の本を読んで「俺も超人になる」「彼女をゲッツする」など、少しは鼻息を荒げてもいいのかもしれない、とちょっと自分自身を振り替えて思ったのでした。


May.9,2007 (Wed)

ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア『たったひとつの冴えたやりかた』(ハヤカワ文庫SF)

きっかけは浅倉久志さんのエッセイ。「たったひとつの冴えたやりかた」「グットナイト、スイートハーツ」「衝突」の3中篇を収録。書物の帝国の中の人はぬるいSF読みのために、「えっ、そんなものも読んでいないの!」という作品が多々あるので、その点はリアルタイムで読めてないために起きた悲劇、いうことでご堪忍を。極限下における究極の選択をテーマに、ティプトリーは実に冷徹で、知性的な立場から物語を綴ることに成功している。あまりにも衝撃的で、やるせない気分にさせる作品だったりする。

表題作「たったひとつの冴えたやりかた」はあまりにも悲しく、衝撃的な作品だ。主人公のコーティは16歳の多感な少女。彼女は誕生日に買ってもらった宇宙船を使って、辺境地域へと秘密裏に冒険に出かける。順調な宇宙旅行だったのだが、とあるメッセンジャーを回収した際に胞子型宇宙人とコンタクトし、自分の脳内へと寄生させることに。

行方不明になった二人の宇宙パトロール員を追って、コーティとシロベーンは<失われた植民地>へと向かうのだが……。この作品は16歳の少女コーティの徹底した冷静な判断に脱帽する。究極の状況下において、コーティが選んだ選択は、読者をはっ、とさせるものだし、涙もろい読者なら泣いてしまう恐れがある。彼女の選んだ「たったひとつの冴えたやりかた」の衝撃はSF界にはかりしれない影響をもたらした、と思う。

「グットナイト、スイートハーツ」は表題作よりもインパクトは欠けるものの、昔の恋人で女優業をしているイリエラに再びであった主人公のレイブン。彼は偶然、彼女らの船を襲った奴隷商人たちから、彼女たちを救うと同時に捕囚の身であったイリエラのクローンであるレーンを救出する。ほんの一瞬奴隷商人にスキを与えてしまったレイブンは危機に陥るものの、その後、とある行動を選ぶことになるのだが……。ラストにレイブンがどのような選択をしたのかは、小説を読んでからのお楽しみ。僕ならば、あの選択をするはず。その意味では、ラストに選択肢を与えることによって、物語に余韻をもたらした作品であると思う。人の好みは分かれるかもしれないけれども、きっと僕のような選択を選ぶ人は多いはずだ、と思う。

「衝突」は人類と未知のエイリアンとの遭遇を二つの種族の立場から描いたもの。二つの種族が誤解によって衝突し、犠牲によって友好関係を築き上げていく過程は、大航海時代のヨーロッパ人とアフリカ人とのやり取りにも似ている。言語や文化習慣が違う種族がどのように友好関係を構築していくのか、なかなか興味深い方向性で物語が綴られていくので、面白い。この中篇集ではややど・ストレートなファーストコンタクトもの、という感じで、これはこれで楽しめる。

 いやはやクオリティの高い三篇が収録されたすごい中編集でした。死ぬまでに読めてよかった、と感じました。


May.10,2007 (Thu)

紅玉いつき『ミミズクと夜の王』(電撃文庫)

ミミズクと夜の王

 第十三回電撃小説大賞<大賞>受賞作ということで、読んでみた。読み終えて感じたのは、日本で80年代から90年代にかけて活躍した女性ファンタジー作家の系譜をしっかりと受けついた作品で、電撃文庫というレーベルでこの作品が大賞を受けたのは、素晴らしいと思う。人物造型、物語設定はストレートであれど、うまく登場人物を配置、利用することで、うまく物語を収束させているように感じる。

 主人公のミミズクは虐待を受け、村では過酷な労働をさせられる幼い少女。彼女は魔物がはびこるとされる「夜の森」に単身訪れる。そしてそんな彼女の唯一の願いは、「夜の王に食べられること」だった。そんな彼女の切実な願いはかなうことなく、日々が過ぎていく……。

 ミミズクの設定は素晴らしい。トラウマを持ち、生きることに絶望する娘が、頑なに人間を嫌う<夜の王>に食べられることを願ううちに、彼女も<夜の王>も変化していくという展開が実にいい。この流れと、<夜の王>を退治したい外世界の王の事情が絡んできて、うまくミミズクの物語と調和していく。ミミズクのキャラクターには好みが分かれるかもしれないが、物語の進行・展開は正統的なファンタジーの流れだと思う。ミミズクとの交流によって心を開く四肢が不自由な王家の跡取りの王子と不憫な息子のことを想い、<夜の王>の力で彼を治療しようとする王やミミズクを保護する聖騎士など、他にも魅力的なキャラクターが登場し、読者を魅了する。不満な点は電撃文庫というレーベルのせいか、やや文章が稚拙であるということぐらいで、このあたりは他のレーベルから出ていたらきっと違っていたのかもしれない。

 電撃文庫はシリーズ化して、追いつけなくなるものが多いのだが、著者の紅玉いづき氏にはぜひ単品で勝負してもらいたい。骨太のファンタジーが書ける若手として期待したいところ。


May.11,2007 (Fri)

ジョン・ザコーアー&ローレンス・ゲイネム『プルトニウム・ブロンド』(ハヤカワ文庫SF)

プルトニウム・ブロンド

 色物だと思ったら、そうでもなかった。訳文の一人称が「わたし」だったのが気になるけど、それ以外は普通に楽しめるユーモアハードボイルドSF。設定がとにかくおかしくて、えっと思えるようなギャグが出てきたりする。そういう意味では、解説で堺三保さんが「スベリ系」ユーモアSFと述べている作品であるのが納得する。地球最後の私立探偵である主人公ザガリーを補佐する人工知能のハーブが、ダグラス・アダムズの『宇宙ヒッチハイクガイド』(河出文庫)に出てくる人工知能マーヴィン的で、なんとなく無気力っぽい雰囲気が出ているのが僕にはとてもおかしかった。

 主人公のザガリーは地球最後の私立探偵。そんな彼のもとに世界最大の電子機器会社の社長で、ストリッパーとして名をはせた魅力的な美女B・B・スターから依頼をうける。その依頼は彼女の亡き夫がB・B・スターをモデルにした精巧なアンドロイドを作り、そのアンドロイドが逃亡しているという。さらにそのアンドロイドはプルトニウム核融合を原動力とする強力でセクシーなアンドロイドだったのだ。早速ザガリーは手がかりを求めて、相棒のハーブとともに調査を開始するのだが……。

 色々な意味でげらげら笑えるユーモアSF。イーガンなどのハードSFを読み終えた後に読むと、息抜きになると思う。ブレードランナーで出てくるフォークト・カンプフ検査のパロディは出てきたりと、SFをたくさん読んでいる人ほどこの作品でのパロディは楽しめると思う。色々なガジェットが詰まっている割には、物語自体は発散せず、きちんとハードボイルド的に収束させているところは、見事としかいいようがない。ラスト周辺で唖然とするネタになってくるのだが、むちゃくちゃ強い女性たちが八面六臂に活躍するので、ある種男性の立場がないように思えるのもまた、痛快。そしてSFにはお約束のマッドサイエンティストは出てくるし、超能力者も出てくるので、そこまでやるか!と思いつつも、とても楽しんだのはいうまでもない。

 ハリイ・ハリスンやダグラス・アダムスなどのちょっと軽めで、面白いSFが好きな人には普通にお勧めできる一本。SFとハードボイルドの相性がいいのを証明した作品ともいえる。


May.12,2007 (Sat)

マイクル・イネス『アララテのアプルビイ』(河出書房新社)

アララテのアプルビイ

読書会向けに読んだ久々の海外ミステリ。思ったよりも読みやすく、結構満足して読むことができたのはいうまでもない。マイクル・イネスは初体験だったのだが、本作品はイギリスの知識人(イネス自身がかなりのインテリ)の書いた正統的な冒険ミステリで、結構びっくりする展開が続く。それはありえないだろう!という突っ込みも入れたくなるも、ラストではきちんと予定調和的に物語が収束していく。そういった意味では、冒険小説好きにも割りとお勧めできる話ではある。横田順彌さんの<天狗党>シリーズの一連の大冒険ものに近い読了感だったので、SF系の人たちにも割りと普通にお勧めできる作品ではある。総体として、頭のいい人が書いたミステリだなという印象を受ける作品ではある。

乗船していた船が突然難破して、そのカフェテリアが救命ボートの代わりをして、南海の孤島に漂着。そして6人の男女が苦労して孤島で生き残りをかけている矢先に起こる恐怖の事件。人類学者でインテリだった黒人のウヌムヌ氏が何者かに殺害され、岸辺に打ち捨てられる。主人公のアプルビイ警部は彼を殺した犯人を見つけるべく、孤島での調査を開始するのだが……。

登場人物たちのたわいもない会話はある種、佐藤哲也的なナンセンスさに近くて、その手の作品が好きな人には悪くはない気がする。冒険小説的な要素が詰められつつ、ミステリとしてアプルビイ警部が頑張る話だったりする。この物語を読んでいて、ふとブラックジャックの某エピソードを思い出したのが、ありえない話ではないとは思うわけで、そういった意味では興味深い感じではある。ただ正統的なミステリを求める人にとっては、ちょっと微妙な感じがするのだが、僕はミステリに詳しくないので、勘違いがあるかもしれない。万人には薦められないものの、時代を考えても読むに耐えうる冒険ミステリであることは確か。


May.14,2007 (Mon)

古橋秀之『冬の巨人』(徳間デュアル文庫)

冬の巨人

 古きよきSFの魂を引き継いだ作品をモノにしている古橋秀之氏の最新作。今回は氏自身の才能を「浪費」することなく、ど直球のSFジュヴナイルを描きつつ、成功したといえる。ロシアのような極寒の地を想定した冬の世界で、ミールと呼ばれる都市型巨人の上で生活する人々を描く。まずこの小説を読み終えて思い出したのは、アースコット&マール『凍結都市』(教養文庫)や浅暮三文『夜聖の少年』(徳間デュアル文庫)などだ。ぼく自身がこの手の作品が好きということもあり、古橋氏の作品もまたお気に入りになりそうだ。『凍結都市』は抑圧的な独裁政治で人々の心も凍結している都市を舞台に、父親を探している主人公の少年が幻の地底都市を求めてさまよう話。後者もまた遺伝子による差別で抑圧される少年たちの物語で、方向性は違えど、古橋氏の作品に近いテイストだとぼくは思う。

 ミールの片隅に住むオーリャ少年は明朗闊達な性格が受け入れられ、神学院教授のディエーニンの助手として、「世界」を観察・分析する手助けをしていた。絵画の才を認められたオーリャは、気球に乗ってミールや世界を空から俯瞰し、正確な絵を書き取るという役割を与えられ、見事に成功する。しかしながら、上流階級による抑圧は社会不安を呼び起こし、オーリャが空でであった不思議な少女の存在とともに、ミールも変化していくことになる。

 古き秩序を壊し、新しいものへと再生していく物語だった。その過程は、ミール内の熱源を独占している上流階級層への不満が巨大化すると同時に、ミール自身もまた変化していくという流れが、自然に描かれていて見事。藤城陽さんのイラストと詳細な設定集がまた、読者を物語世界にいざなうのに成功していると思った。SFは絵という部分もあるけど、この話は古橋&藤城のコラボレーションが見事に成功しているとぼくは思う。ユニークな設定を用いて、古橋ワールドが展開されているので、むちゃくちゃ面白かった。普段の古橋ワールドとは一味違う、ど直球のSF作品なので、擬音などで圧倒する系とは違うかも。傑作なので読むべし>読んでない人たち。


May.15,2007 (Tue)

片山恭一『世界の中心で、愛をさけぶ』(小学館文庫)

世界の中心で、愛をさけぶ

 読んだのはハードカバー版。ベストセラーということで、あんまり期待していなかったのだが、想定していたよりは悪くない感じ。片山恭一氏がもともと純文学畑の人なので、情景描写なども綺麗。川西蘭や片岡義男っぽい感じの話で、きっと高校生時代に読んでいたら、普通に感動して彼の作品を読み進めていたんじゃないかと思う。現在はぼくも大人になって、それなりの経験をしているので、この作品で綴られる恋人の死が主人公の立場になって読めなくなっているというのは事実。帯にある柴咲コウのコメントを見て、逆に「こんな歳になったらこんな恋愛をしたくない」と思ったのはいうまでもない。そういった意味ではこの小説は高校生や大学生に薦められる小説であって、30代の大人が読んでこんな恋愛をしたくはないと思ったのは事実。

 この小説のいいところは、ヴォネガット的な淡々さ。確かに肉体関係もなく、愛するものが難病で死んでいくのを傍観しなければならない主人公の朔太郎の姿に痛々しさは感じられない(これは文体のせいもあるかもしれないけど)。むしろアキを思い出として相対化することによって、きちんと再生していく過程を強調しているのがこの小説のいいところだと思う。万物は流転し、人間は経験していくことによって、様々な事象を記憶の奥底に封じ込めながら、日々成長していく。大恋愛をしたとしても、時にはそれがうまくゆかず、そのまま流されることもある。しかしそれはそれで人生のひとつの形として受け入れることでもある(それは朔太郎の祖父の話で暗示されている)。だからこそ、アキの死は彼の記憶の王国の一部になり、彼の人生の刹那として続くであろう彼の人生に影響を及ぼしていく。そんなもんだ。

 人の心の動きや恋愛をテーマにしているため、普段本を読まない層(殊更、女性に受けがいいと思う)に語り掛けることに成功したというのはある。古来人は悲劇を好む性質があるため、この物語もまたその系譜として成功した(それとハーラン・エリスンの小説のタイトルをうまく改変したこともプラスに働いた、といえる)。小説自体は割と理性的に構成されていて、祖父のパートが割と面白い。言いたいことは大体これくらいで、純愛ものを読んで泣ける歳でなくなったことを感じさせる一冊だった。もしぼくが20代前半だったらきっとこういう恋愛にあこがれていたんだと思う。ちょっと青臭いのだが、齢を重ねると恋愛に対する現実と理想がいかにかけ離れているかわかってしまったからだと思う。あー、なんとも嫌な歳のとり方をしたものだ、と思う。


May.16,2007 (Wed)

K・H・シェール『オロスの男』(ハヤカワ文庫SF)

 <ペリー・ローダン>シリーズで有名なK・H・シェールの単独長編。昨今ではあまりドイツSFが翻訳されなくなり(昨今ではアンドレアス エシュバッハぐらい)残念なのだが、1958年に書かれた本作品はなかなかの読み応えのある、異星人パニックコンタクトものとして、なかなか興味深い設定のSFとして仕上がっている。異星人コンタクトもの、としては過去たくさんの作品が上梓されているのだが、この作品は印象深い設定が加味されており、260ページぐらいの薄いSFながらも楽しく読むことができる。人類は優れているという奢りが主人公で冥王星(いまや、微妙な扱いになっているが)探検隊司令エルドロン氏に体現されており、本人の性格の悪さがなかなか物語に影響していて、シェールのストーリーテラーとしての力量を感じさせる。この作品を読み終えて思ったのはローダンの一巻めの作者であるシェールの芽吹きを感じさせる作品だったということ。

 小惑星との事故で運悪く多数の死者を出した第一次冥王星探検隊の一行は、冥王星に不時着し、仮設基地を設置し、救助船を待つことになる。優秀だが冷徹な隊長エルドロンのもとで、生存のために全力を尽くすことになる。そんな中、冥王星に高速に近づく物体があり、それは地表へと激突してしまう。その物体を調査するため、エルドロン司令を含む数人の探検隊が結成され、現地へと赴くことに。そして、彼らは異星の宇宙船を発見することになる。しかしそこでエルドロン司令が遭遇したのは、ゼラチン状の不定形の異星人だったのだ。
彼はその生き物の精神的な操作に対抗することができず、そのまま虜となり、身体を乗っ取られてしまう。エルドロン=異星人はある任務を遂行すべく、地球へと赴くのだが……。

 身体を乗っ取られた後のエルドロン=異星人の行動は、大変合理的で納得する。確かにどのように同化していくのか、というプロセスが興味深かったのだが、知性的な宇宙人によって身体を乗っ取られるという設定でこういう方向に向かうのであれば、面白いと感じた。もちろんエルドロンの性格の悪さは、人種差別(能力差別)を象徴していて、何事も偏見で物事を見るなという点において、かなり風刺を利かせているというのは読んでいて感じた。それはラストにおける人類の思い上がりを諌めるような台詞(ラストのモンスター諸君という言葉は重い)にもつながっていて、当時の世相をある程度反映したものになっているのではないかと思う。僕自身はあんまりドイツSFを読んだことはなかったのだが、この作品は大当たり。ヴォークトの『宇宙船ビーグル号の冒険』(ハヤカワ文庫SF)の興奮を彷彿させるものがあり、シェールのほかの翻訳作品を読みたくなったのはいうまでもない。白背という体裁および、ドイツSFということもあり、なかなか入手が困難だと思うのだが、ぜひ機会があれば読んでみてほしい。


May.17,2007 (Thu)

■M・Z・ブラッドリー『ハスターの後継者』(創元SF文庫)

 ダーコヴァーシリーズの中でも、貴族に生まれた少年たちの内面の葛藤を描いた傑作。ボリュームだけではなくて、読み終えた後に色々と考えさせられる一冊。ダーコヴァーシリーズで描かれる世界は現代社会のアナロジーとして物語が構築されているため、ブラッドリーが物語内で主張したかったことは何か、シリーズ内での位置づけはどうなっているのかなど、読み終えた後に深く考えてしまうことが多い。特にダーコヴァ人、地球人、地球人との混血、超能力者と非超能力者など、様々な階層内で軋轢と和合が交互に織り成され、物語は重層的に展開され、重みが加えられていく。デコレーションケーキのごとく、一筋縄ではいかない小説だ。

 この物語の後半にあたる『オルドーンの剣』を読んだのが数年前のこと。特に本書は上下合わせて800ページ以上のボリュームがある本のため、気力があるときにしか読もうと思っていた。本書ではダーコヴァーに大きな大惨事をもたらした<シャーラの乱>に至る経緯が描かれている。本書ではルー・オルトン、そして若きダーコヴァーの摂政レジス・ハスターを軸に、力をもった少年たちの心の葛藤などを巻き込んで、物語は大変力強い展開となっていく。『オルドーンの剣』の前日譚はまさに、人々の欲望と憎悪、嫉妬の気持ちが投影され、シャーラのマトリクスの悲劇にとつながっていく。

 もう少し詳しく書くと、本書ではハスター家のレジス(ラランとしてまだ覚醒していない)、ルー、そして男色家のダイアン卿など色々な人々がドラマを展開。因習やしきたりに捕らわれた旧世代と新世代の対立、少年たちの内面の葛藤、シャーラのマトリクスを利用して旧習を打ち砕こうとした若い世代が落ちいる悲劇を、情緒感溢れる文体で描いていくのが素晴らしい。ダーコヴァーの世界は色々な意味で興味深いので(現実社会のアナロジーとしても)、時折思い出したように読むとすごく刺激になる。本書は、少年たちの成長を描くと同時に、社会が変革していかないという停滞感との狭間で浮揚している感覚がある。つまり大きな力を操るためには常に何かしらの代償を伴う、ということなのだろう。それは、ルーの右手であったり、多くの命だったりするのだ。

 大変面白いのだが、入手困難なのが残念。本書単品でも十分楽しめます。

ハスターの後継者〈上〉
ハスターの後継者〈下〉


May.18,2007 (Fri)

ロジャー・ゼラズニイ『われら顔を選ぶとき』(ハヤカワ文庫SF)

 ゼラズニイのストーリー展開のスタイリッシュさは健在で、読み進めていて心地がいい。黒丸尚訳は、ゼラズニイのかっこいいストーリー展開と物語描写をうまうルビなどを利用して訳しており、読んでいてとにかくかっこいい、と思える作品だったのが収穫。「天使のアンジー」が苦闘してファミリーに敵対するスタイラーを殺し、自分のクローンを作り上げ、19の植民惑星を庇護する<翼(ウィング)>として存在していた。ところが<一族>たるクローンが何者かに殺されたことにより、一族のクローンたちが謎の犯人と対決するまでが第二部。ここまで読めばなぜタイトルが「われら顔を選ぶとき」なのかがよくわかります。

 イタリア系のマフィアで、殺し屋として名を馳せた「天使のアンジー」はマンハッタンのクラブを出た際、何者かに狙撃され、そのまま絶命した。だが運よく冷凍処置が施された彼は、そのまま冷凍保存され、再び甦ったのは未来だった。ファミリーの子孫のポールはアンジーの殺しの腕を買って、彼にファミリーと対立するスタイナーの殺害を依頼する。苦難の末、スタイナーが居住する惑星アルヴォに到達したアンジェは、スタイナーの激しい抵抗をすり抜け、見事に彼を殺害する。そしてアンジェはスタイナーの研究成果を利用し、<ウィング・ヌル>となる基礎を身につけたのだが……。

 第二部は<翼・19>にてクローンのファミリーが謎の人物に殺されていく、という展開でその謎解きのために、<ピン>が抜かれて記憶が転移していくという設定がとてもユニーク。だからこそクローンはネクサス(結節点)となるキーパーソンから記憶が転移していく。ただしそのためには<ピン>を抜かなければならず、人格がまるで憑依していくような形で物語が進行する。その部分はイタリアのマフィアに見られる<一族の絆>をSFという形で表現したゼラズニイならではの題材の選び方、だと思う。そして転移されていく人格が徐々に始祖に回帰していくうちに、雰囲気までも変わるという部分が個人的にはツボ。傑作とまではいわないけれども、ゼラズニイのかっこいい物語が読みたい人はぜひ読んで見て欲しい。ある種、フレンチノワール的で、映画を見ているような物語だったと思うのだが、ストーリーラインを追うのがやや難しいかも。


May.19,2007 (Sat)

■アンナ・カヴァン『ジュリアとバズーカ』(サンリオSF文庫) とAsylum Piece(Peter Owen)

Asylum Piece

 アンナ・カヴァンの本は軒並入手困難本が多く、色々な人に彼女の作品の素晴らしさを知ってもらいたかったので、今回はまとめてカヴァンの作品を紹介していみたいと思う。長編『愛の渇き』(サンリオSF文庫)は所持しているものの、まだ読んでいないので近いうちに読みたいと思う。

 潔癖な世界を求めた彼女は、他人との距離感をつかむことができない。そしてその一方で孤独感に苛まれ、人を恋しがる。孤独からの脱出の手段が、彼女にとってはヘロインであり、そのため彼女自身はヘロイン依存症になってしまう。カヴァンにとってはバズーカ(注射針)は欠かせないものとなり、彼女を変革させる物体になる。ヘロインに依存しなければならなかった彼女は、自分が本来ありうる姿と潔癖さをむき出しにして、読者に彼女の自然の姿、あるいはイデアとしての彼女を提示する。そのイデアを象徴するのは白であり、白によって昇華され、理想像へと漸近的に近づいていく感覚をこの短編集を読んでいて感じた。

僕の中ではカヴァンの描く世界は、キリコの世界のような感じで、表情のない人形たちが灰色の世界を動き回る感じで 色彩をまったく感じることができない。彼女の作品世界は、まさにモノトーンだ。潔癖すぎる人間性のない人形たちが、静かに狂っていく感じだ。これは、未訳の短編集(一部翻訳がNW-SF社より出ている)であるアサイラム・ピースにおいても感じることだ。一見普通に見える世界も実はどこかで歪んでおり、自分がいる世界が狂気なのかそれとも正気なのか判断する基準点を歪ませていくことになる。それはまさに「まぼろしの市街戦」での心優しい精神病患者の人たちの仲間入りをした主人公とは逆で、この世界から脱出したい、けれども脱出できない閉塞感が充満しており、息苦しさだけが残る。脱出したけれども、必ず迎えがやってきて、再びもとの状況に戻ってしまう。それがアサイラム・ピースという短編集に凝縮されたエッセンスであって、あまりの衝撃に打ちのめされる人も少なくはないはずだと思う。

アサイラムピースは、The Birthmark(あざ)という短篇からはじまる。14歳のときに同級生になった冷徹な知性を持つ少女Hには薔薇のようなあざがあり、彼女の秘密を知ってしまったことでHは主人公を疎んじていく。その後Hとは音沙汰がなかったのだがが、主人公が大人になり、ある国を旅していたときに、とある観光地で鉄柵の中で閉じ込められた女性の姿を見てしまう。その女性は……。この短篇を読み終えてからすでにいやな予感は当たったのだが、徐々にパラノイア的様相の展開になっていく。「敵」という短篇では、やはり自分が敵によって破滅させられていく不可避な「閉塞感」を感じさせられるし、「終りはない」という最後の短篇は救いもない。

そして8篇のピースからなる「アサイラムピース」は、カヴァンの代表作といっても過言ではない、8つの精神病棟に関するお話がちりばめられている。若い男性だったり、若い人妻だったり、高貴な出の女性だったり、精神病棟で働く農家の娘だったりと、様々な角度から精神病棟にいる人間たちの心理状況を描く。8つの短篇に共通するのは「終りはない」ということであり、8つのパズルピースがつながったときにミクロ的なピースがマクロ的にあてはまり、見事に隙がなく完成する。当時の精神病棟の事情を考えれば、狂気に陥っていないのに入院させられる患者もいたりで、「気が狂う」ということがどういうことなのか考えさせられるのはいうまでもない。カヴァンが「アサイラム・ピース」で描写した8つの物語は、個々の短篇だけではなく、一つ一つの短篇が組み合わさることにより、「バズーカ」のような役割を果たし、読者に狂気を見せ付けることに成功する。我々の中に潜む狂気を、純化して提示したことがこの短編集の恐ろしいところだと僕は思う。そういった意味ではあまり精神的に弱い人は読まないほうがいいかもしれない。カヴァンという毒はあまりにも強いから。

Asylum Piece: And Other Stories (Peter Owen Modern Classic)
ジュリアとバズーカ


May.24,2007 (Thu)

彌永昌吉『若き日の思い出 数学者への道』(岩波書店)

若き日の思い出 数学者への道

 類体論(抽象代数学の一分野)の発展に貢献した東大教授だった彌永昌吉先生の最後のエッセイ。大変素晴らしいエッセイで、 数学者の世界、数学者の20世紀と続けて読むと、彌永先生の交友関係、数学に対する真摯な態度などがよくわかる。彌永先生は100歳で鬼籍に入られたのだが、90歳代でも精力的にご活躍なされ、ガロアの著作の翻訳などをシュプリンガーフェアラーグ日本から出版されていた。

先生のエッセイを読んで感じたのは、当時の教育システムと一高(旧制東大教養学部)の雰囲気というのが、自由な気風を作り出して世界で活躍される先生方を輩出したかということを感じさせるもの。彌永先生自身がかなり裕福な家に育ち、中学の先生の教えから数学への道を目指したという流れもあり、優れた師、学友との出会いが彌永先生を数学者への道に進ませたということがよくわかる。 彌永先生は最終的に『解析概論』で有名な高木先生に師事し類体論の発展に貢献することになるのだが、彌永先生がご活躍された当時の日本の数学者のレベルは本当にすごかったといっても過言ではない。

この当時の数学者の方々は英語、ドイツ語、フランス語を自家薬籠中のものとして、海外の一流の学者、特にヒルベルトが健在のドイツに修行しに行く。そこで彌永先生は友人にも恵まれ、自分の数学能力を研鑽し、高木先生の類体論の完成に貢献することになる。このエッセイがユニークなのは彌永先生の家族について色々と語られていることもある。福沢諭吉とも縁が深く、生まれ育ちから彌永先生は、恵まれた環境にあったといえる。彌永先生の過去のエッセイはどちらかというと、数学者との交流に主眼を置いていたのに対し、このエッセイでは自分の生涯について綴られており、数学者ではないぼくも色々と感銘を受けた。

彌永先生は、首相になった福田赳夫氏と同期。福田氏との交友にも触れられている。彌永先生がフランス語を勉強するきっかけとなったのは、福田氏の影響だったという。そういった意味で、自分の人生の上で変化があるのは人との出会いにあるような気がする。これは全般的に言えることなのだが、現在は沢山の情報が溢れていて、リソースも豊富、何でもちょっとしたことで概略はわかる。しかしながら物事を突き詰める、ということになるとなかなかできなくなった理由は、情報の波におぼれたり、理論を理解するための時間が昔の倍かかっているという点にあると思う。情報アクセス、コピーなどについては大変充実した環境になったとはいえ、ぼくたちは何か失ったのかな?と思うときはある。便利さはぼくらの創造性を一部奪っているのかもしれない。


May.26,2007 (Sat)

円城塔『Self - Reference ENGINE』(早川書房)

Self - Reference ENGINE


 Jコレ。黄色いカヴァーが他のJコレと違うので戸惑った。読み終えて感じたのは、スタニスワフ・レム的なSF世界が展開される。ロジックやはめ込み構造を持つ物語世界が構築され、あたかも[0,1]区間の中に読者が取り込まれた気分にさせられる。実際、小説は2つの章が20の節にグループ分けされ、ある章はある章と関連づいており、ある種紺野あきちか『フィニイ128のひみつ』(早川書房)のような、テキスト間で何か意味があることを捜索する旅に自分が出た気分になった。

 ただぼくの中でこの小説は、レムやボルヘスのイメージと重なってしまっている。僕が思うに作者が相当レムに対してレスペクトを払っているということを感じさせられる作風で、大変興味深かった。巨大帯に添えられた神林長平氏の短評がいい得て妙で、確かにこの小説はオイラーの定理(指数と三角関数の関係のやつ)的でもある。つまり、一見関係ないと思われる関係がある方程式によってつながるという感覚を小説内で味わうことができる。文体は実験的であるとはいえ、ジョイス風ではなく、ややスラップスティックな感じも受ける。物語の大枠はコンピュータが自己進化し、人間を凌駕する巨大知性体という存在になって、より高位の存在に近づこうとする試みを反復の手法を利用して描いている。

 文体は理系の佐藤哲也っぽくて、人によってはすごくつぼにはまる気がする。それとご本人が研究者ということで、ぼくが第一に思い出したのは早瀬耕『グリフォンズ・ガーデン』(早川書房)。この本でもやっぱり無限が取り扱われていて、なんとなく無限と有限性の取り扱いについての考え方の相違があって面白く感じた。この小説で、大変面白いとぼくが感じた部分は、「A to Zの定理」かな。定理とか系とか意外といい加減なように思えるのは、確かにと感じる部分はある。でも、ツェルメロとか時折、数学の定理が入っていたりして、何気に読者の知識レベルをチェックされている気分になる。

 そういった意味では脳裏に巨大知性体の集合があって、それぞれ一応商集合によって分類されている感じで、系としては巨大なシステムとはいえ、分散系になっているという割と興味深い設定になっているのが面白い。その中で、さらなる上位構造を考え、入れ子構造によってある種、集合の増加列を考えて、無限の状況を作り出しているという感じがした。そのあたりは、巨大知性体のやりとりから見えてくる部分ではある。数学の素養が多少でもあると、さらに楽しめる小説だと思う。

 ぼくはかなりげらげら笑って読んでしまったのだが、こういう佐藤哲也的レム的な世界はやっぱりいいなぁと思う。時の考え方についてはラテンアメリカ的ではあるかも。ある種ボルヘスやカルペンティエールを思い出させる部分がある。それと、ラストでの終わり方はぼくが以前から感じていた「小説を読む」ということについてのひとつの答えを提示しているような気がして、読み終えたあとに刺激を受けた気がした。ということで、飛浩隆さんの短評でいう「爆笑ソラリスジョーク集」お楽しみください。


May.27,2007 (Sun)

片理誠『屍竜戦記』(トクマ・ノベルズEdge)

屍竜戦記

 デビュー作『終末の海 Mysterious Ark』(徳間書店)がぼくの好みだったこともあり、早速読んでみた。米田仁士さんのイラストが物語とマッチしていて、いい感じだった。久々に日本人の手による正統派のファンタジー作品を読めて、個人的にはうれしい。主人公ヴィンクの気まぐれすぎる性格に好みが分かれる部分があるものの、世界設定はよくできていて、400ページ近い長編なれど、ぐいぐい読ませる。基本的には主人公ヴィンクの成長物語なわけだが、彼を取り巻くキャラクターたちがなかなか面白い。この手の物語では、一歩間違えるとありきたりな方向になっていくのだが、主人公自身の内面の戦いがあったり、葛藤があったりと、読者をうまく引き込むことに成功している。

 物語は竜が襲い掛かる王国に支援者としてやってきた屍になったゾンビ竜を操る主人公ヴィンクたちの絶望的な戦いを舞台に、宗教上の対立や政治に巻き込まれながらも、屍竜使いたちがベストを尽くして、人々を守る話である。彼の故郷を滅ぼした棘黒と呼ばれる巨大な竜に復讐するために屍竜使いとなった主人公ヴィンク。そして彼は支援先の王国で再び棘黒と相対することになる。  
アイディアが面白い。竜を殺して死体となった竜をネクロマンサーとして操るというアイディアは、人間だったらあれども、竜という点がユニーク。普通は竜使いとすれば、マキャフリーの作品などがあるのだが、ここであえて退治した竜をつかって、生きている竜と対峙するという方向が新鮮だと感じた。死体ということから、当然制約があり、期限や保存、痛みの具合など、そのあたりのリアリティが面白い。そして、術者の死=操っている竜の死というのもなかなかシビアである。  そんな中無能な上司のもと、主人公たちは何とか王国を守ろうとするわけだが、色々なイベントが起こり、彼らは苦労していく。敵国だった場で、巨大な力を振るう屍竜使い。ヴィンクは「力」に対して疑問を投げかけながらも、人々のために自らを犠牲にすると同時に、竜たちに対する憧れや理解を示そうとする。ラストで彼が得たものはまさに、といっていい終わり方で、ぼくとしては満足。  ファンタジー好きな人には普通にお勧めできる一冊。リーダビリティが高い一冊でした。


May.29,2007 (Tue)

J・G・バラード『ハイ-ライズ』(ハヤカワ文庫SF)

テクノロジー三部作の一冊。『コンクリート・アイランド』(太田出版)と似たような流れになっていくのはわかってはいたのだが、生理的な嫌悪感という意味では見事に吐き気を催させるものがある。優れた作品であることは確かなのだが、『夢幻会社』(創元SF文庫)ほど評価はできない気がする。高層マンションの住人たちがひょんとしたきっかけで、上層と下層の二つに分かれて対立。そして建物に取り憑かれた人々は、建物の荒廃とともに、自分たち自身もまた退化させていく、という話。  バラードのスタンスは、滅びの美にあるとぼくは感じている。テクノロジー三部作のうち、二作を読んだわけだが(『クラッシュ』(ペヨトル工房)は近いうちに読む予定)、普通に暮らしていた善良な市民がひょんとしたきっかけで、高速道路の間にある飛び地や高層コンドミニアムにそのまま滞在することになる。その変容の過程は、ぞっとするものがある。人間はどんなミクロな世界においても、徐々に対応して、変容していくということをテーマにバラード流の一流の設定で、読者を戦慄させ、魅了する。  

 物語は3人の男性にフォーカスが宛てられる。一人は設計者であるロイヤル(上層)、中層にいる学者のラング、そして下層にいるジャーナリストのワイルダーの3人。変容が進んでいく過程で、彼らもまたそれぞれの階層に沿った形で変容していく。バラードのこの作品の場合、「上流階級」というのをうまく階層のあるハイ-ライズによって表現し、ある種の対立軸を利用しながら、ビルの変容を人々の心の動きと結びつけて、恐るべき物語をつむぎだしたといえる。だからこそ、バラードはテクノロジーを使う人々の心意気が、彼らを取り巻く世界を象徴しているのだとぼくは感じる。だからこそ、調和している状況ではしっかりとした均衡状態ではあれど、徐々に対立がなされていくことにより、ハイ-ライズは完全に荒廃し、人々はそのままハイ-ライズの虜になってしまう、ということなのかもしれない。  読んでいるうちに吐き気を感じたのは、バラードの筆力のすごさだとぼくは思う。