『ダブ(エ)ストン街道』感想めも |
「あのー、すみません。時間ありますでしょうか?もしよかったら、道をお尋ねしたいんですけれど。ダベストンってどこでしょうか?えっ、そんな場所聞いたことがないって?ダブストンなら知っているって?ああ、こないだ会った人はダブエストンって言っていたっけな。まあ、それはともかく、ご存知ですか?えっ、なんでダブストンを探しているんだって?いやー、実は恋人が迷い込んでしまったみたいで、私に手紙をくれたんですよ。で、四方八方色々な場所で調べたのですけけれど、よくわからないんです。彼女、ひどい夢遊病で、早く見つけてあげないと……。えっ!ダブストンのこと知っているって?浅暮三文『ダブ(エ)ストン街道』(講談社)を読んだから!あ、この本を読めば私の運命がわかるんだ、なるほど。えっ、私ですか?ああ申し遅れましたけれど、私の名前はケンっていいます。そうか、早く彼女を見つけないと。情報ありがとう。また本の中でお会いしましょう。再見!」
まずは目次の音楽的な付け方が実に素敵です。第一章は「目覚めよと呼ぶ声がす」(バッハの6つのコラール前奏曲集より)から始まり、第8章の「終曲」(ホルストの「セントポール組曲」より)まで、ちょっとした異色のコンサートを聞いているような気分になります。氏のダブ(エ)ストンに関する各章最初に描かれたちょっとしたイラストが実に素敵です。
この作品を読み終えて思ったことなのですが、一つは主人公は実際に恋人のタニアを探しにダブ(エ)ストンにたどり着くことができ、壮絶怪奇、奇妙奇天烈な冒険をすることになったということか、もしくは主人公は彼女を探す旅の途中で海で遭難して死亡してしまい、魂の世界でさ迷うことになったのか?という点です。前者でも後者でもどちらでも読みすすめることができたのですが、ファンタジーであるということだからあまり気にしないで読めばいいかとは思います。
ダブ(エ)ストンとなぜ表記されるか、というのはあらすじに書かれたように人によって呼称が違うからです。それは主人公だけではなくほかの物語のキャストたちがこのダブ(エ)ストンの地を色々な名称で呼ぶことからも伺えるように、まさにこのダブ(エ)ストンという土地に関しての性質を伺えることでしょう。この土地では自分たちの常識にとらわれないようなあらゆる出来事が起こり、人々は自分たちの目的を求めてこのダブ(エ)ストンの地をさ迷い歩くわけです。生き別れの弟を探しつづける男、恋人を探している主人公、ポストを求めてさすらう郵便配達人。生き別れになった子供を捜す老婦人、故郷の地で埋葬されるのを望む海賊の幽霊たち、そして自分の故郷であるアマゾンを探してさ迷う半漁人などなど。自分たちが捜し求めるものと出会えるかもしれない場所、ダブ(エ)ストン。そしてそのダブ(エ)ストンの街道にはまだ見ぬ大地が果てしなく広がり、自分が願望しているものを求めてさ迷いつづける、そんな土地。たぶん、幻想四次の世界を浅暮氏は我々にひも解いて解釈してくれたのだろうか。と思いました。
「鳥かごが鳥を求めて旅に出かける」そんな作品かもしれません。