『落ちゆく女』 |

「大昔のがらくたの発掘をしているのよ」と考古学者のエリザベス・バトラーは新聞記者のインタビューに答えた。そんな彼女は今、マヤのジビルチャルトゥンでフィールドワークをしている途中だ。エリザベス・バトラーは年老いた女…髪は灰色と茶色(千年前にマヤ人が建てた石灰石の記念碑の色だ)で、顔も歳月とともに風化している51歳の女性だ。バークレーのカルフォルニア大学で講師を勤め、野外考古学者として登録されている。へそ曲がりという形容がふさわしいかもしれないこの風変わりなリズと呼ばれる女性は時間の制約の下、限られた人手の下で遺跡の発掘作業を進めていた。同僚のトニーらと打ち合わせをした後、エリザベスは聖なるセノーテ(かつてこの都市に水を供給していた古代の泉)の方へとゆっくり歩いていった。その途中、彼女は泉から戻る女性とすれ違った。彼女の水差しからわかることは、800年ごろに生きていた、ということである。
そう、エリザベスは過去の幽霊が見えるのである。過去と現在の狭間に生きるエリザベスにはその両側が見えるのである。セノーテの水は冷たく澄んでいる。彼女は資格の石の上に座り、過去の霊たちを眺める。するとその中の影がなんと「生きている影が見える。あなたはなぜここにいるの?」と彼女に問いかけてきたのである。古代マヤ語であった。彼女の名前は「スーイー・カーク」。<炎の処女>という意味を持つ女性だ。問い掛けが終わると彼女は去っていった。果たしてその目的とは何であろうか?
ダイアン・バトラーはジェット機の窓に額を押し付けて、眼下の褐色の地面に機影がさざなみのように動いていくのを感じていた。この二週間ほどは気分が悪いわけではない。決してよくなっていないが、あれほど悪くない…そう彼女の父は亡くなったのだ。そのショックもありダイアンは実の母…エリザベスの所へと向かう決心をしたのである。風変わりな母、父と離婚してしまった母。長らく音信不通であった母はどんな人物なのか、親子で楽しむことができるのか?など想像力を働かせるのであるが、彼女らに待ち受けているものは……。
1986年に書かれた作品で、1990年に早川SF文庫の一冊として日本語に翻訳されています。イラストは上原徹さんで、マヤの古代遺跡の一部に青色を基調としたトカゲが彼方を見ているというイラストです。本作品は1987年度ネビュラ賞受賞作品で、パット・マーフィーにとっては第二長編となっております。
パット・マーフィーの生年はあまりはっきりしませんが、おそらく1955年生まれで、小さいころからお話が好きな女の子だったということで、C・S・ルイスの<ナルニア国物語>に魅了されたといいます。そして<オズシリーズ>やイーガーらのファンタジイを好んで読み、やがて興味が広がり兄の本棚から<ドック・サヴェジ>や<ターザン>などのシリーズを読んでいたとのことです。作家になるきっかけは、文学部の教授による激励で、書き続けることになったとのことです。そして1976年に、多くの新人作家を輩出してきた創作講座<クラリオン・ワークショップ>に作家志望の一人として参加し、このワークショップ終了後には<クリサリス>などのオリジナル・アンソロジーに作品を発表しはじめ、1987年、ネビュラ賞の長編・ノヴェレット両部門を受賞しました。(ちなみにこの年のライバルはエフィンジャー、ブリン、シルヴァーバーグ、ジーン・ウルフらでした。これらのライバルを押さえて受賞というのは立派なものです。)現在日本語に翻訳されている長編は本編のみ。1990年現在で、4つの著作があります。うちSFM9月号で「流れ星に願いを」という短編を読むことができます。現在、マーフィーはご主人であるSF作家のリチャード・キャドリーとサンフランシスコに在住し、マイペースで作品を発表しているとのことです。
なお後書きによれば、パット・マーフィーはマイクル・スワンウィックのエッセイによれば「一匹狼」に分類される注目される作家の一群の一人で、目立つ作風とはいえませんが、その淡々とした文章で(読まれるとわかるかもしれませんが)主人公たちの心理をつぶさに描いていくという手法をとっています。淡々と主人公たちの日常を描いていると思っていたら、知らぬ間にドラマに引き込まれていくという現実感というのが彼女の作風の特徴のように思えます。心に響く、なんともいえない寂寥感とあたたかさ、作品からそれらを感じ取れる貴重な作家の一人であるともいえます。
本作品は最初、ノンフィクション?と思える雰囲気の作品です。また幽霊を見ることができる考古学者という設定から、「もしかするとホラー?」かなどと思っていましたが、娘のダイアン、エリザベス、エリザベスの覚書(石の都市の覚書)の3つのストーリーがオムニパスで進行します。きちんとしたプロットと、淡々とした文体が登場人物の心理をうまく引きだしているように思えます。特に長い間離れ離れになっていた娘と母の心の触れ合いには心を打たれるものがあります。風変わりな母親と父親を失ってしまった娘、その娘は長い間母親と会っておらず、そのため双方ともコミュニケーションがとれないという始末。その溝がどう埋まってゆくのかを読み進めてみるのも面白いと思います。またホラー?それともSFとも思っていたのですが、どちらかというとファンタジー的な雰囲気を漂わせた小説であるなと思います。過去の人々の影および自分の姿、きっと我々が霊感と呼んでいるものが強い人は彼らの姿を認知することができたからこそ、巫女になったりしたのでしょう。
その他にはやはりマヤの遺跡の濃密な描写および、ディテールの細かさが現実感を増幅させます。(その意味でノンフィクションといってもおかしくはないのではないか?と思いました。)たとえば、娘ダイアンがメキシコの街を見学するシーンやハンモック売りのハンモック販売、外国人女性を狙う現地人の若い男、発掘調査の現状と人間関係などなど、リアリティにあふれているのです。実際、こういう描写がなければ物語には引き込まれなかったのではないかと思います。その意味では今後ルイス・シャイナーの『うち捨てられし心の都』(ハヤカワ文庫SF)と比較してみたい(同じようにマヤ遺跡を舞台にしている)一冊ではあります。ただ少々、冗長な部分もあったのでそれさえなければ、ネビュラ賞をとったのは納得できる一冊ではあります。残念ながら本作品も絶版もしくは品切れです。古本屋で見かけたら、手にしてみてください。