『壊音』感想めも


 17歳で文学界新人賞をとった篠原一の『壊音』(文春文庫)を読了。最近素敵な小説に巡り合うことが多かったのだが、この作品を読み終えてから「感性」についてぼく自身思うところがあった。無垢なものから知性あるものへ変化しようとするその過程がその幻想的で、たをやかな筆運びで書かれていました。この作品を知らなかったことをちょっと後悔しています。

「僕らは鳥を探さなければならない。鳥の卵を。この街の中にある 筈の鳥の卵を。」

 やっぱり、表題作は凄い。どう凄いかといえば、文章からイマジネーション、主人公のハジメとタキの見る街の風景、廃虚を感じることができる。その一言に尽きます。そういう作家は私が今まで読んだ数少ない日本人作家では、山尾悠子、寮美千子、天沢退三郎以来に感じることができた「幻想と現実の狭間で」という感覚でしょうか。変革の時、少年たちは「鳥を求めて」旅だって行く。パイナップルの甘酸っぱいにおいと刹那刹那の輪廻転生。この作品には確かに死と復活、新たな飛翔を感じることができました。あとは少年たちのシンクロ化された街の風景への憧憬かもしれません、読んだ人ならわかるネバーランドの住人たちへの憧れ(牧野修の『Mouse』に近いかも。)序文の坂本龍一の言葉に納得した次第です。もう一方の短編、「月齢」。こちらは「餓え」が主題。先日読み直した山尾悠子の短編、「ムーンゲート」を読んでいるような気分に駆られました。なんというか、力が抜けていく感覚なんです。終わり方も不思議ですし。主人公のユアンとレンがお互いに見た銀色の塔に飛来する隻腕の残虐な神とは?少年は月に何を感じ、そしてその飢えとは果たして何であったのであろうか?純粋さからの脱却なのか?それとも変革の予感なのか?などなど。またこういう素晴らしい本に出会えて私は幸せです。