『20世紀のパリ』感想めも |
ジュール・ヴェルヌ『20世紀のパリ』(ブロンズ新社)についての乱れメモです。ヴェルヌというとネモ船長とか古典SFを書いている人という印象が強いと思うのですが、この作品はその流れではなく、どちらかというとディストピアを描いた未来小説です。簡単に要約してしまえば、ヴェルヌが想像した20世紀のパリのもう一つの姿をこの作品で描いています。
多少思ったままを書き綴っているので、うまく表現できていないかもしれないですが、その辺りはまあご容赦ください。もしかしたら、ネタばれがあるかもしれないのでご注意。
20世紀のパリは産業が栄え、究極の形態として企業複合体が社会を支配しています。どういうことかというと、古典・文学・芸術は廃れ、実学のみが尊ばれ、人々の関心は「いかに効率的に財の配分を行い、優れた科学技術を開発し、経済発展していくのか」というある意味、精神的には実に味気ない社会です。そんな社会では古典文学はすたれ、実学書のみが売れるという恐怖の世界です。主人公デュフレノワは、大実業家の甥で、ラテン語に通じた詩人の才能を持つ人物でした。この世界ではラテン語の詩で賞を取ることは嘲笑の的であり、彼はラテン詩の賞をとってしまいます。そんな彼は叔父の銀行に勤めるのですが無論そんな社会になじめず、苦悶する日々が続きます。
そんな中、配属先にクインソナという人物がおり、彼は実は自分の亡き父の弟子であった音楽家でした。彼と主人公は仲良くなり、今の現状を語り合うのですが……。彼らを待ち受けていたのは更なる悲劇だけであった……。
こんな感じですが、主人公が伯父のユグナンの家に招待されて、伯父の書斎を見ながら、フランスの作家を検討するシーンはこの物語を読みすすめてきた人には清涼飲料水のようなシーンだと思います。本の話しがしたくても社会がそれを許さないような社会、そんな中に生まれた青年の悲劇、社会への疎外感がみごとに描かれた凄い作品だと思います。特に最後のシーンは、まるでポーやオーヴェルを感じさせるような寂しく冷たいシーンだと思います。興味のある方はぜひ手にとってみてください。 ヴェルヌの社会に対する先見性を感じられる一冊です。
誇りのために生きて、誇りのために死す。そして一つの情熱に満ちた高潔な命が失われる時、彼の愛もまた永遠のものになったのではないかと思います。