この作品は「ペガーナの神々」と「時と神々」の短編に分かれていて、「ペガーナの神々」では世界の誕生と破壊、それに神々のおわす地、ペガーナに集う神々について描かれています。後半の「時と神々」では、ペガーナの神々と人々の間に生まれる軋轢と交流を描いています。
何が凄いのか、というとこの世のはじまりの前に<宿命>と<偶然>が賽で賭けを して、勝利した者が絶対者マアナ=ユウド=スウシャイの許に赴き、「我々のために 神々をつくれ」と。そしてありとあらゆるものは<宿命>と<偶然>の戯れによって つくられたものであった。マアナ=ユウド=スウシャイは小さき神々をつくり、その 神々こそが<宿命>と<偶然>による玩具であった。そして小さき神々はマアナ= ユウド=スウシャイが目覚めるとき、神々は神々でなくなり、すべての世界は変化 するのである。無論、小さき神々の手によてつくられた我々人間をも。
というような感じで物語は進みます。気まぐれで無慈悲な神々、そして<死>の猟犬<時>に駆り立てられた人間たちは神の御心を知ろうと苦心する。神々は秘密を知ったものを罰し、無慈悲にも滅ぼしてしまう。そんな神々と人間の関係を描いたすざましい小説です。事実「運命の鳥と終末の日」という短編は北欧神話のフェンリル狼との最後の闘いである<神々の黄昏、ラグラロク>を彷彿させますし、それぞれの短編自身がギリシャ神話の神々と人間とのやりとり(ただしこちらの方が無慈悲)を思い起こします。比較の点では実際、『オシァン』とか『カレワラ』なんかとも対比してみたいのですが後者は持っていないのでまだわからないです。ダンセイニは一つの神話をつくり、その神話の凄さは永遠に脳裏に残るものになるでしょう。荒俣宏氏がほれ込んで団精二(ダンセイニのもじり)というペンネームを使ったのがよくわかりました。他の邦訳作品も読んでみることにします。