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「最終都市」

1999年9月の読書感想文


ジャック・ヴァンス『大いなる惑星』(ハヤカワ文庫SF)

 銀河系の辺境に位置する巨大な星、<大惑星>。金属は存在しない不思議な星であった。その大きさゆえか、地球のやり方に不満を持った人々がたくさん居住し、そのセクトごとに分かれて人々は宗教的自由などを謳歌していた。しかしながら、そんな中禁制の武器を持ち込んで、世界を統一しようともくろんだ者が現れた。それを察知した地球中央政府が派遣した調査団の宇宙船は不可解な事故によって、辺境の地に不時着してしまった。彼らが助かるためには六万キロ先の地球直轄領までたどり着かねばならない!しかしながら、彼らの中にはスパイが存在したのだ……。

 という魅力的なストーリーで展開される本書はじつに面白い。調査員の各人がそれぞれきちんとした職業を持つスペシャリストで、地球の小さな村共同体のある地域を踏破していく姿は、グロテスクでリアリティ溢れる背景の描写によって読者をぐんぐんと世界へと引き込んでいく。<魔王子シリーズ>や『竜を駆る種族』でもそうだったのだが、ご本人自身の船乗り体験も伴ってか、彼の作品の中には生々しさや色彩感覚に溢れた美しい描写が多く、その描写の見事さは筆舌に尽くしがたい。たとえば主人公が敵の手に捕らわれ、巫女のような役割を果たせられるシーン前の描写はグロテスクだ。ある薬品によって<口寄せ>に人々をさせるわけだが、その薬品というのが奇妙でかつグロテスクなものなのだ。この薬品が地下の牢屋にためられていると思うだけでもぞっとするでしょうが。これはぼくも大絶賛のシェイの『魔界の盗賊』的な世界に近いといえよう。ただ、これがSFたらしめているのはガジェットの違いだけであって、本質的にはファンタジー作品といえよう。僕自身はヴァンスは本質的にはファンタジー作家だと思っている。そういえば、似たようなストーリーでブラナーの『テラの秘密調査官』(ハヤカワ文庫SF)を読んだのだが、作家によって微妙に味付けや切り口が違うことに痛感するだろう。ヴァンスの妙味はリアリティ溢れる生活描写、環境描写にあると思った。


今日泊亜蘭『縹渺譚』(ハヤカワ文庫JA)

 旧仮名遣いの流麗な文章とともに展開される「縹渺譚(へをべをたむ)」は幻想的なファンタジー。今日泊氏によれば「縹渺譚」が第一部に当たるとされる。第二部とされる「深森譚(しむしむたむ)」は独白の形をとったファンタジーSF。好みは分かれるが、この作品が読めないことはじつに悲しい。中井英夫を彷彿させるような幻想的な世界なのだ。

 「縹渺譚(へをべをたむ)」では、恵美押勝と道鏡の対立と孤児院で生活する主人公と孤児院のボスの一人銀次郎との不思議な会合を描く。過去読んだ作品でこのネタをテーマにしていたものに鈴木光司『楽園』(新潮文庫)や山田正紀『夢と闇の果て』(集英社文庫)などがあるが、それらとは比較できない味がある。主人公の孤児院での孤独さや悲しみ、そして孤児院での生活習慣の生々しさなどが生き生きとした口調(べらんめぇというのかな?)で語られていて、見事。心理描写のうまさが今日泊さんの作品にある。運命の糸や、偶然というのは果たしてあるのか、そして人の縁というのがどのように未来永劫つながっているのかなどを夢というか、不思議な体験でつなげることによって、魅惑的な幻想譚に仕上げることに成功したように思えた。

 「深森譚(しむしむたむ)」は失われたロシアの宝石の謎を追って、日本銀行から派遣された別の主人公がその謎に迫っていくというもの。それに絡んでいるのが「縹渺譚(へをべをたむ)」でも重要な役割を果たした月夜野銀次郎である。彼をはるばる追いかけて主人公は北海道へと向かう。地道な情報収集により、主人公はある場所を発見することになる。その場所は「死の森」と呼ばれる場所で、生きて帰ってはこれないとされる森だったのだ。彼はその森の謎を解くべく、そしてすべてを明らかにすべく森の中へと入っていくのだが……。というのが第二部のあらすじ。好みは分かれるが、こちらはよりSF的幻想譚といえよう。アイヌの独立運動と亡命ロシア貴族の持っている宝石の謎、そして月夜野銀次郎の謎と、美女との邂合などなど読み進めていくうちに、摩訶不思議な感覚が芽生えてくる。つまり道に迷って道しるべを探している旅人のような気分というのだろうか。すべての謎が明らかにされたとき、物語は語られつくされるが、知ってしまったことへの懊悩に読者はもだえることになるだろうか。

 今日泊さんの本は今回初めて読んだのだが、とても面白かった。他にも短編集や長編をいくつか持っているので読んでみたい。


鈴木いづみ『女と女の世の中』(ハヤカワ文庫JA)

 ストリッパーで小説家だった、ある種伝説の小説家鈴木いづみの短編集。9つの短編はすべてジェンダーの問題、男と女の微妙な心理状態を折り込んでいて、当時の状況などを考えながらよむととても面白い。「魔女見習い」は女性の恐ろしさを「魔女見習い」の主婦にスポットを当てて描かれたセンセーショナルな短編。女性の嫉妬と男性の浮気心をネタに、ファンタジーテイストで仕上げられた秀作。どの短編にも「毒」があって、ティプトリーJr.的な雰囲気があった。異星人の男を好きになってしまった男っぽい美少女、魂の契約に失敗してしまった悪魔などなど。社会不適合者や落伍者の心理描写がとにかくうまい。特に表題作「女と女の世の中」は男性がミュータントとして扱われる未来の女性社会を描いたディストピア短編である。男は種の保存のためにのみ、監獄のような地区で飼育され、人間性を失い、獣のように扱われる。男性と同棲したり、結婚することは非合法なことであり、禁を破ったものは社会的に制裁される。そんな中主人公の女子高生は人の目を逃れていた少年と恋に落ち、素敵な時間を過ごすのだが……。というストーリーではじまる表題作は、もし女性が社会的メジャリティだったら……というifものを書くことによって、「毒」を交えた男性社会への皮肉を表明している。社会制度とは?慣習の不合理さとはを見事に皮肉っていて面白かった。他の作品もぜひ読んでみたい。


川又千秋『1+1=0』(角川文庫)

 川又千秋のショートショート集。これだけ多様な内容で読ませる短編集も珍しい。日常のゆがみを見事にブラックユーモアのテイストで処理したショートショートが多い。もちろんネタはSFなのだが、そのSF的ひねりが歪んでいてとても楽しい。たとえば、「スペース・ミステリイ」は船長(乗員に嫌われている)の死体を巡るどたばたものだ。「完全犯罪人」は締め切りに追われた推理小説作家が考えたネタがなんと(自主規制)になってしまうという話だし。そう考えてみるとこの短編集はSFのエッセンスやショートショートの妙味を得るための絶好の入門書なのではないかと思った。あまり見かけない本ではあるが、見つけだして読む価値はあると思う。


眉村卓『黄色い夢、青い夢』(集英社文庫)

 眉村卓のショートショート集。川又千秋氏のショートショートと比べると、不可解で幻想に似た日常のずれを扱った短編集といえる。実は……というオチやひねりは先に読んだ川又千秋とは異なり、予想できるものも多い。でも、その何気なさに眉村卓の人柄がにじみ出ているように思えた。漫画という形にすれば、諸星大二郎の初期の漫画作品集的テイストだと思う。会社人を扱った話が多いが、そのストーリーの流れには「知ってしまったこと」「認識してしまったこと」の代償がさりげなく書かれているので、恐怖を感じてしまう人も多いのではないかと思う。日常に潜む不可解で理解不能な出来事。そんな出来事に出会ってしまった人たちはどう対処するのか、ということであろうか。(これをスプラッタ的にするとクライヴ・バーカーになるのだった……。)


ロバート・E・ハワード『魔境惑星アルムリック』(ハヤカワ文庫SF)

 どんな話かというと、バローズの『火星のプリンセス』(爆)でした。肉体的に優れた主人公のイーソ・ケアンが地球でマフィアのボスを殺してしまい、ある天文学者の協力を得てアルムリックと名付けられた未知の土地へとテレポートする。この世界は彼の想像を絶するような恐ろしい場所であった。まさに弱肉強食の世界。ケアンは恵まれた身体能力を利用してサバイバルをする。そんな中英語(?!)を解する類猿人のような姿の人々に出会い、彼らの一番の戦士を打ち破ることで仲間入りをする。ところが、この星には支配階級ともよべるヤガ族という悪魔のような姿をした種族がいたのだった……。

 読み終わった後、「これって?」と思いました。バローズの『火星のプリンセス』とあらすじが似ていたので、バローズの作品かと思ってしまいました。コナンの作者ハワードの死後に刊行された作品ということは、ハワードがバローズの影響を受けて書いた作品であると推測してもいいと思いました。ヒロイック・ファンタジーはマッチョ主義で世界が構築されているので、「おれは強い。文句いうな。おまえはやられ役、文句あるか?」の図式が見事に成立しているので、ストーリー展開が単純(笑)。いくら危機的状態におかれても「主人公は生き残るし、使命に成功する」ことがわかっているので、読み物としては二流か。しかしどの時代でもサクセスストーリーは需要が高いっていうことがよくわかります。この本の読みどころはむしろ、団精二の解説かな。ハワードがなぜ自殺したのかなどなどがつづられていて面白いです。


H・R・ウェイクフィールド他『怪談の悦び』(創元推理文庫)

 前からちびちびと読んでいたH・R・ウェイクフィールド他『怪談の悦び』(創元推理文庫)読了。一言、「キップリングの「『彼等』」だけでも読め、読め。他にもM・P・シール、ブラックウッド、ミドルトンなどが収録されいていて、すべて違うテイストの怪談が入っていて楽しめます。とにかくキップリングの「彼等」は読まないと後悔物でしょう。特に子供を持たれている方々は必読というか、義務ものでしょう。

 ラドヤード・キップリング「彼等」は怪談という一言ではくくれない短編。この短編を読み終えた後、不覚にもぼろぼろ涙がでてくる。お恥ずかしいかぎりなのだが、それはキップリングの物語が持つ「力」がぼくの内的世界に大きく揺すぶったからだろう。作者キップリングは『ジャングル・ブック』(註:E・R・Bと混同されがち)の作者で、日本でも多くの人々に愛読されているイギリスの作家。彼がこの傑作を書きはじめたのは1904年。その背後には自分の最愛の娘の死があった。その頃、彼は隠棲の地を求めて自動車でサセックスの田舎の地を巡り、その静かで清らかな木立の奥に理想の家を見つけたのだが、その家の中を駆け回る最愛の娘はいない。娘を失った悲しみをこの物語にキップリングは封じ込めたのだ。この短編を読んだら、また泣くだろう。それくらい破壊力のあるすごい短編だったのだ。

 主人公はドライブの途中、静謐な木立に囲まれた雨風によって古びた苔むす石の館を見つける。その館の窓のところで、一人の子供が自分に手を振っているように見えたのだ。そんなとき、大きな日よけ帽をかぶった老婦人が自動車の音を聞きつけてやってきたのだ。彼女は盲人だった。彼女に子供たちのことを告げると、とても嬉しそうなそぶりで子供たちについて話してくれる。子供たちは自動車に興味があるので、ぜひ車でぐるりと庭をまわって欲しいと老婦人は頼む。

 「子供たち、子供たち!御覧なさい、面白いものが見られてよ!」と老婦人は優しい声音で子供たちに呼びかける。切ないあこがれがこめられたその声。子供たちはとても人見知りをするので、彼等の前に姿を現さない。ちょっとしたやりとりのあと、老婦人は「……子供たち、本当にわたくしを慕ってくれているんですもの。この世に生きている甲斐といったら、これしかありません。思慕ってもらえるという−そうでございましょ?子供たちのいないこの館なんて、考えてみるのもいやです。……」という。

 他の短編で、気になったのはフローベールの幻想長編を彷彿させるM・P・シール「ゼリュージャ」。怨念のすさまじさを読み取れるH・R・ウェイクフィールド「ダンカスターの17番ホール」。マザコン男の不幸を描くメイ・シンクレアの「天国」。幽霊達の存在が身近に感じられるグラント・アレン「ヴルファーデン塔」、恐ろしい思い込みが世界を変えてしまうブラックウッドの「中国魔術」などなど、幻想的怪談が多く、とても素晴らしいアンソロジーに仕上がっている。キップリングの「彼等」は必読!読むべし!


カシュウ・タツミ 『混成種-HYBRID-』(角川ホラー文庫)

 第一回日本ホラー小説大賞佳作作品の本作は、J・P・ブレナン「スティルクロフト街の家」を彷彿させるSFホラー。この植物にはきっと人間への恐怖を呼び起こすような何かがあるのだろう。主人公の黒田博士は天才的な科学者。「金属植物」と呼ばれるそのセンセーショナルな発明品は外科医の友人の協力を得て、あるこちに代用できることが判明した。下半身不随などで苦しむ人々の神経の代用品として利用できることになった!臨床的な実験のみを残して、理論的には完成したこの「金属神経」は完成した。そんなある日、友人の林の運転ミスで黒田は下半身不随の自動車事故にあってしまう。黒田は自らを実験台として、この偉大なる発明の成功を世に示したのだが……。

 鋭い人はお分かりかもしれないが、これはれっきとしたSFホラーであり、昔ならばSFにきちんと分類されていた作品である。(選者の荒俣さんが翻訳されたシフ編の『マッド・サイエンティスト』(創元推理文庫SF)のときに思った感想。)自己顕示欲の強いマッドサイエンティスト黒田の破滅の物語と言い換えても過言ではない。彼の破滅は予期した通りなのだが、ラストのシーンではタブーもへったくれもなくなってしまい、ぞっとすることだろう。というよりも、生物の生きる意志というものを侮ってはいけないということだろうか。PEと扱っているテーマは微妙に違うものの、カシュウタツミ氏の作品が第一回の佳作に選ばれている意味は考えてみると面白い。とにかくさくさく読めて面白い本だと思う。


殊能将之『ハサミ男』(講談社ノベルズ)

 殊能将之『ハサミ男』(講談社ノベルズ)読了。なるほど、これはネットでの評判通りだ。メフィスト賞受賞作。まず「目黒区鷹番」という地名や学芸大学という地名を選んだ時点でやられた気分になった。あのあたりの描写も確かに正確で、興味深く読んでしまった。そういうディテールの細かさもさることながら、文章がとても読みやすく、その分厚さの割にはすいすい読めてしまう。次のターゲットの美少女を物色していた<医者>という多重人格を持つ主人公が殺人事件に巻き込まれてしまい、解決していくというもの。基本的にハサミ男の一人称と事件捜査をしている警察官たちの会話で進行してくのだが、ラストのあれにはミステリーなれしていないぼくのような素人にはびっくりするでしょう。井上夢人『プラスティック』的ではありますが、そのネタをサイコキラーという題材を元にうまく処理をしていて、こういう切り替えになれていない人にはとても楽しめるように思える。今後注目したい作者の一人にカウントされてもいいでしょう。


久美沙織『電車』(アスペクト)

 久美沙織『電車』(アスペクト)読了。構造がとてもユニーク。ロシアの入れ子人形的なホラーといえばわかりやすいだろうか。ゲーム会社から依頼されたシナリオを渡すために新幹線で移動している主人公は「電車」というタイトルのホラーアンソロジーを読みはじめる。その本は電車の中では読んではいけないという……。禁をやぶった主人公は幼年期に起こったある出来事を思い出すことになるのだが……。というのがあらすじ。入れ子構造という風に形容した理由は、主人公の視点を通じてホラーアンソロジーを読んでいるという形になるからだ。この形式はとてもユニークかつ実験的で、ちょっとしたショートショートを読んでいるという気分になれる。ただこのショートショートはほとんど本筋に関係ない。恐怖を読者に与える効果(ボディブロー)なのだ。本筋の方は驚愕のラストといえばラストなのだが、あるところで読めてしまう人もいるのではないかと推測する。ある種の都市伝説的なガジェットをうまく利用して、昇華させるあたりは流石久美沙織と思った。恐怖感を盛り上げる短編群が話の流れを切っているように見えるのがちょっと残念。ただ収録されている短編は「あ、あるある」と思う人も多いだろう。意欲的なホラーの実験作品といっても過言ではないだろう。


L&N・ゴールドストーン『古書店めぐりは夫婦で』(ハヤカワ文庫NV)

 面白かった!限られたお金でお互いの誕生日プレゼントを買うということをきっかけにして、夫婦そろってコレクターになってしまった夫婦の物語風エッセイ。ぼくのスタンスもゴールドストーン夫婦と同じで、初版とかあまり気にしないで購入して読んでいる。一貫性のない本棚ではなく、一貫性のある本棚をつくろうと思えばそれなりに簡単で、ジャンル別に本棚をつくっておけばいい。それは文庫にしろハードカバーにしろそういうもので、「自分本棚」をつくるために古本屋を回って欲しい本を手に入れるというのは正しい行為だと思う。しかしながら、稀覯本のようなたぐいになると桁が一桁違うので、見ているだけになってしまう。そんな稀覯本を見るまでのコレクターになってしまった二人は、古本屋の主人達との会話によってだんだんと洗練されていく。オークション、カタログ、古書市などなど。まさに古本人のたどる悪の道(笑)へと転落していく。この本の一番の売りは、やはり生々しい会話とあきらめた本の値段、初版本につけられた恐ろしい価格などなどである。バロウズの古書価(日本でも高いが)が高い理由など、どのページにも楽しさ満載でさくさく読めてしまう。古本屋巡りをしている人には百倍楽しめるけれども、そうでない人たちもとても楽しめる本だ。


天沢退二郎『オレンジ党と黒い釜』(筑摩書房)

 天沢退二郎『オレンジ党と黒い釜』(筑摩書房)読了。林マリさんの版画装丁が素敵な本で、美本で入手できたのが嬉しい。寮美千子さんの和光大学におけるリーディングパフォーマンスに行く電車の中で読了。転校生のルミは引っ越しした家で奇妙なものを見かける。人間の形をした黒く、不気味な者共である。そんな中ルミは六方小学校に転校生として転入する。ルミの隣の席の少女、李エルザは彼女に親切に接してくれる。そんな転入してからまもないある日、ルミとその父親はピクニックに出かけるが、不思議な声に引き寄せられた父親は行方不明になり、ルミ自体もだんだら墓地で不思議な体験をして気を失ってしまう。そんな中、彼女を助けてくれた一党がいた。李エルザをリーダーとした<オレンジ党>という女の子二人、男の子二人で構成されたグループだ。彼等はルミと同様、片親を不思議な事故で亡くしており、<ときのおじいさん>という不思議な力を持つ老人に導かれて、邪悪な勢力である「黒い魔法」の使い手たちと戦っていたのだ。この世界には3つの勢力があり、それぞれがさまざまな形で反目・協力しながら均衡を保ってきたという。しかしながら最近、黒い魔法の力が強まり、黒い魔法を封印した釜を探しだして壊さなければならないという。彼等は協力してこの困難な冒険を成し遂げようとしたのだった。

 この本が入手困難なのがとても残念な限りとしかいいようがない。『光車よ、まわれ!』(ちくま文庫)と双璧をなすといっても過言ではない本書は「闇」に対する根源的な恐れを読者に想起させる素晴らしい本である。ダーク・ファンタジーという言葉で区切るのは失礼かもしれないが、ダーク・ファンタジーの大傑作と太鼓判を押したい。闇に立ち向かう少年・少女の姿が幼年期の自分の姿に重なることだろう。何気ない自然描写には、自然と戯れた幼児期の自分の姿を思い出す。小さいころに鬱蒼とした森の中に入って一日を遊んで暮らした人も多いと思うが、夕暮れが近づくにつれ、自分には属さないもう一つの世界を感じて、さっさと森から出ていった人も多いことだろう。闇にある恐怖、その闇に染まる恐ろしさが『光車よ、まわれ!』と同様、怖くなってしまうくらい見事に書かれている。幼きころの自分が感じたことを思いだしてしまうような大傑作だ。