『歌の翼に』感想めも |
トマス・M・ディッシュ『歌の翼に』(サンリオSF文庫)読了。ディッシュの最高傑作と名高い『キャンプ・コンセントレーション』(サンリオSF文庫)や破滅的なアメリカの未来を描いた『334』とはがらりと変わって、希望に満ちたとても素晴らしい作品であった。「希望」をテーマにディッシュは新境地をわれわれの前に提示してくれた。こんなに切なくて、そして忘れることが決してできないような「希望」を小説の形でぼくに与えてくれた。この作品を読むきっかけとなったのは、SFM2000年2月号の「憂鬱の女神のもとに来たれ」という短編の後の中藤龍一郎氏によるデイッシュ作品の解説であった。
野口幸夫訳『キャンプ・コンセントレーション』(サンリオSF文庫)での後書きで、『334』(サンリオSF文庫)はダンテの『神曲』にたとえると<煉獄編>、『キャンプ・コンセントレーション』は<地獄編>、そして本書『歌の翼に』は<天国編>であるという解説があるのですが、この順に読んでいけば、デイッシュ作品による天国への遍歴への道がわかることでしょう。<天国編>である本書は「歌」と「飛翔」をテーマとして、ある美青年の栄光と挫折を描いています。中産階級よりも下の家庭にうまれた主人公ダニエルが体験する出来事は生憎が交じり合ったカクテルのような不思議な人生であったといえるでしょう。
ダニエル・ワインレブの母親は彼が5歳のとき、失踪した。彼女は「飛翔すること」を学びたかったという。だが、「飛翔すること」は法律で禁じられていたのであった。ダニエルは町の有力者の息子と親友になり、楽しい日々を過ごしていた。ところがある日、ダニエルとその有力者の子供はある演説へと向かったのだが、親友で有力者の息子はダニエルが映画を見ているすきに、失踪してしまう。ダニエルは友の失踪について彼の父親に話したが、取り合ってもらえず、無実のダニエルを逆に「違法な新聞を配った」という罪で刑務所に収容されてしまう。鉄格子の中は、残酷非道な囚人たちへの扱いおよび汚職で満ちていた。さらに囚人たちには、P・W錠なる薬を渡され、刑務所の境界線を越えてしまうと無線装置が働いて、囚人が飲み込んだこのP・W錠が爆発する仕組みになっていた。刑務所内で「歌を歌って飛翔する」夢をいだいたダニエルは、刑期を終え、ハイスクールで大金持ちの娘ボヴァと出会う。彼女はダニエルに共感を覚え、友達となり、そして恋に落ちる。彼らは結婚することになり、ダニエルは幸福の絶頂にいた。彼らはハネムーン旅行へと旅立った。彼らは国立第一飛翔基地へと向かい、そこの飛翔機械に入って歌を歌って肉体から精神を開放しようとしたのだった。成功するボヴァ、失敗するダニエル。ボヴァはダニエルと取り残して、一人行ってしまったのだ……。
この物語は巻末の解説にあるように、「飛翔ものSF」にカテゴリーされる作品です。精神を開放して、世界を飛翔するフェアリーになるためには「歌の力」が必要でありました。刑務所に入って以来、大空を飛翔することを努力しつづけるダニエルには次々と悲運がこれでもか、これでもかと訪れます。妻ボヴァの飛翔、戻ってこない彼女の体の管理にかかる費用、ニューヨークでの歌手デビューまでの苦労などなど、不幸が連続してだんだんと、ダニエルのひたむきさが崩れていきそうになるさまに読者ははらはらするし、共感を覚えてしまうかもしれません。しかしながら、この不幸にもめげず「歌手」となり、大成功をおさめたダニエルの初志貫徹の意思の強さには感動しました。エピローグで、ダニエルが飛翔してボヴァと出会えたのかは謎なのですが、その謎こそがラストに悲しげだが、希望溢れる余韻を残しているのではないかと思いました。
デイッシュはいまいち評価が定めにくい作家だとは思いますが、本作品は本当に傑作。この傑作が読めない現状は本当に残念な限りです。翼人ものの傑作として本作品は多くの人に読み継がれるべきだと思いました。