『聖槍』


イラスト:辰巳四郎

ナチ復活を鍵を握る古代の遺物とは?

あらすじ

 …イエスのところに来てみると、すでに死んでいるのを見て、その足を折ることはしなかった。しかし、兵士たちの一人がその槍でわき腹を突いた。すると、すぐ血と水が出てきた…(新約聖書III『ヨハネ文書』<ヨハネによる福音書>より)

 エドウィン・オースティン特務曹長は毛布にくるまってぶるぶると震えている一人の哀れな男を見ていた。この一見哀れに思える人畜無害の小男が実は終結したばかりの、世界を巻き込んだ総力戦において世界史上もっとも恐ろしいユダヤ人の大量虐殺−−ホローコースト−−を行った張本人であるからだ。逮捕された時、このナチスドイツの軍人は片方の目に黒い眼帯をつけ、記章をすべて取り外した制服を着ていたが、確かに眼帯を外し、縁無し眼鏡をかけるとその男に極めて似ていた……。特務曹長は慎重に彼を見張っていた。数日前にナチ親衛隊のある将軍がシアン化合物のカプセルで自殺していたからだ。彼は男を身体検査したのであるが、軍医が男の下あごの右側、奥歯の一本かけたその場所に、小さなカプセルを発見したとき、男は軍医にかみつき、男はカプセルを噛んで絶命したのである。絶命した男の名前はナチス親衛隊長官、ハインリヒ・ヒムラーである……。

 裁判所”ゲットー”のど真ん中に興信所を構えているハリー・ステッドマンは共同経営者のマギー・ワイスと一緒に、長年苦労した末に、高い評価を勝ち取っていた。この二年間、彼らの仕事は失踪人の追跡調査から、結婚相手の素行調査、そして評価が上がったおかげで、産業スパイや詐欺の事件まで取り扱えるようにまでなっていた。ステッドマンは自分のオフィスに入る前に、車の中で話している男女の視線を見て不安に駆られたのである。秘書のスーから折りたたんだメモを受け取ったとき、彼の不安は的中したのである。そのメモには「ズウィがよろしくいっておりました」とだけ書かれていた。そう、モサト・アリヤ・ベト、イスラエル秘密諜報機関の元長官、ズウィ・サミルのメッセンジャーからのメモだったからである。(過去、ステッドマンは軍人としてイスラエルに協力していた人物であった。)そして車にいた男、ゴールドブラットと呼ばれる男が、彼にある依頼を申し込んだのである。その依頼とは以下のようなものである。「ステッドマンが愛した女性の弟バルク・カナーンが世界のテロ組織に武器を供給していると言われている武器商人ギャントと接触したのであるが、行方不明のままである。彼を探してくれ」というものであった。過去のつらい出来事を絶ち切ろうとしているステッドマンは彼の依頼を断ったのであるが、そのことが彼を巻き込んだ恐ろしい事件の引き金になるとはその時点では彼も予測していなかったことであろう……。


著者ジェームズ・ハーバード(James Herbert)と
作品について

 1978年に書かれた作品で、1988年に早川SF文庫の一冊として日本語に翻訳されています。イラストは、ナチスの鉤十字が掘られた中央にペイントされ、五芒星が掘られた髑髏の石像の左目の眼窩からキリストを貫いたロンギヌスの槍が輝き、下には十を持った手が描かれている、という感じです。

 著者ジェームズ・ハーバードは、イギリスのモダンホラー作家。現在はサセックスで奥さんと二人の娘に囲まれて幸せに過ごしているとか(1989年現在。)経歴などについては早川モダンホラーの各著作からはわからないので、割愛させていただきます。わかっていることは、1974年ニュー・イングリッシュ・ライブラリーから処女作『鼠』(邦訳はサンケイ文庫、関口幸男訳)によってデビューを果たした。内容は『ムーン』の後書きの山下泰彦氏によれば「核実験によって巨大化した鼠に襲われる恐怖を描いた作品」だそうです。二作目の『霧』(サンケイ文庫、関口幸男訳)では、「人の脳を冒し、狂暴化させるガス(バイオハザード2みたいですな。)の話」だそうです。風間氏のガイドにも掲載されていた本であるので、興味はありますが……。他にもサンケイ文庫からは『ザ・サバイバル』(関口幸男訳)、『仔犬になった男』(関口幸男訳)があります。早川NV文庫からは、都会の喧騒から逃れてきた森のコテージに逃れてきた夫婦がそのコテージで体験する奇怪なお話『魔界の家』(関口幸男訳)、本書『聖槍』(関口幸男訳)、超能力を持った男の悲劇を描いた『ムーン』(竹生淑子訳)、心霊オカルト調査物の『ダーク』(関口幸男訳)、奇跡を見たとされる聾唖の少女を描いた『奇跡の聖堂』(相沢次子訳)がある。他に邦訳があるかはわからないので、知っている方は教えていただけると幸いです。


感想

 この作品は以前高田馬場のbook-offで見かけて買おうかどうか悩んでいて、結局買わず、その後専門店で入手したというまあ結果はオーライだったという作品です。風間氏のホラー関連の著作を読んでいて<お下劣ホラーの帝王>(笑)という話を聞いていたので、いったいどんな作品なのかと思ったのですが……本作品は十分堪能できました。やっぱり国際情勢とユダヤ人の憎悪、オカルト、ナチスドイツ、トゥーレ協会、探偵、ハードボイルド、美女というツールをここまですっきりとしたストーリーとしてまとめられるハーバードの力量に舌をまいている次第です。最初の導入部でSS長官のハインリヒ・ヒムラーが出てきたとき、「いったい何の伏線なのか?」と思っていたのですが、主人公のステッドマンが登場してきてからは、だんだんと不気味な出来事に巻き込まれていく主人公の状態がスピーディでとても迫力がありました。

 他にもライバルとなるギャントの真の姿を知ったときには結構びっくりしました。そしてあの人物の姿についても……。まさか円卓の騎士を想定しているとは思ってもいませんでしたが、その意味ではアーサー王伝説における「聖杯探索」の冒険のストーリーを知っていると「おお、ハーバードはこんなところでこういう風に変えているのか!」と納得するでしょう。暴力的な描写がますます場を盛り上げており、最後の陰謀が明かされてゆく様は、なんだか恐怖を通り越して不気味な世界に入ってしまったようです。(権力者に囲まれて晒し者にされる、という気分はどういうものか?ということです。)他にもステッドマンのタフさがハードボイルドにも通じていて、本書を一言で述べるとすれば、「ハードボイルドホラー」ということになるのではないかと思います。本書も残念なことに絶版のようで、古本屋を回るしかないようです。実際モダンホラーセレクションという赤い印が以前はついていたのですが、現在書店の棚に残っている作品からも削除されて、普通の本として流通しております。(どうやらあまり人気がなかったみたいで……。ソールの『惨殺の女神』も売っていないし……)ナチスホラーものとしては読ませる作品だと思うので、見かけたらぜひ手にとって見てください。


本について