『夏への扉』



夏への扉は何処へ……

あらすじ

 ぼく(主人公)と飼い猫のピートはコネチカット州のある古ぼけた農家に住んでいた。家賃は安いし、申し分ない家だった。ただし、この家にはドアが11個もあったのだ。飼い猫のピートは冬になると決まって、夏への扉を探すのだ。彼はその人間用のドアの少なくともどれか一つが、「夏」に通じているという固い信念を持っていて、自分用のドアを試みて、ドアの外に白色の不愉快きわまりない雪を見つけると、外にはでようとせず、彼はぼくに人間の用のドアを開けるようにせがんでくる。そしてぼくが11か所のドアを一つづつ彼について回って、彼が納得するまでドアを開けておき、さらに彼は次のドアを試みるという巡礼の旅を続け、見極めがつくと納得する。それでも彼はどんなにこれを繰り返そうとも、夏への扉を探すのを決してあきらめようとはしないのだ。そして1970年12月3日、ぼくも夏への扉を探していたのだ。

 主人公であるぼく”ダニィ”は天才肌の技術者で、いくつかの家事ロボットを発明し、友人や恋人とこじんまりとした会社を経営していた。ところが彼の知らない間に彼の恋人だと思っていた秘書は友人と恋仲になり、ふたりで彼の発明や地位を奪おうと画策していたのだ。何もかも奪われたぼくは、傷心のうちに冷凍睡眠保険に入り、復讐を試みたのたのだが……。


著者ロバート・A・ハインライン(Robert A. Heinlein)と
作品について

 1957年に書かれた作品で、まずは早川SFシリーズとして翻訳され、1979年に早川SF文庫の一冊に収められました。この作品がなぜ賞がないのか不思議なくらい、泣けるお話であり、心があたたまるお話です。

 ハインラインの著作は日本ではたくさん翻訳されており、特に有名なのはこの『夏への扉』と少年の成長を書いた、『銀河市民』や遺伝子操作の問題を扱った『未知の地平線』や長寿人種をあつかった『メトセラの子ら』などその著作数は多数のジャンルにわたり、どれもこれもすばらしい作品になっています。(個人的にはこの『夏への扉』と『銀河市民』はハインラインの著作の中でも特に好きな2品です。)

 著者自身は1907年生まれのミズーリ州バトラー生まれの作家で、1988年に惜しまれながらも死去。最初海軍兵学校を出て、士官生活を送るが病気のため退役。次にロスのUCLA大学院に入学するが、再び病気で中退。以後様々な職業に携わるが、不況時代だったアメリカではいずれもうまくいかず、SFを書くようになった。1939年、処女作「生命線」がジョン・W・キャンベル・JRに認められてデビュー。以後活発な著作活動を続けた。

 またハインライン氏は猫が大好きなようで、『夏への扉』でも”世の中のすべての猫好きにこの本を捧げる”という風に書かれています。またインタビューでも「猫は自由だ。自分の意志に従って行動する」という風におっしゃっていて、氏の猫好きが相当なものであったことが言葉からうかがえます。事実、氏の作品には猫がよく登場してきているにお気づきになった方も多くいらっしゃると思います。

 創元推理文庫の文庫データボックス「カツミのこんなのはいかが?」(田中克己)(ロバート・シェークリィ『残酷な方程式』所収)に『夏への扉』ができたきっかけとなったあるエピソードがあるので長くなりますが、紹介をしておきます。(これで、なぜあらすじに猫の話の部分に大きく割かれていたかをご理解していただけるかと思います。)−−−「猫といえば、昔、北の方の寒い地方でしばらくすごしたことがあった。もちろん猫を飼っていた。家には外に通じるドアが7つあったんだが、ある雪の寒い日に、猫が外に出ようとして、私にドアを開けさせ、雪が降っているのを見て、寒そうだなあ、と諦めた。今度は別のドアに行って同じことをし、次はまた別のドアにいって……。結局7つのドア全部がだめだと知った猫は、こっちを見て不満そうに『ニャア』と鳴いた。その時、妻のジニーが言ったんだ。『夏への扉はどこでしょうねえ』これがインスピレーションをわき起こし、わたしはあっというまにひとつの小説を書き上げた。もちろん『夏への扉』という題目でね。」−−−
何とも心温まるエピソードではありませんか。(^_^)


感想

 もう、この作品は「読め!」の一言です。コールドスリープを使ってのタイムトラベル物としてはすばらしいの一言につきます。あまり詳しい内容をいうと楽しみが半減するので、あまり内容には触れませんが、近未来について1957年の段階で書き上げたハインライン氏の豊かなイマジネーションには脱帽します。現在読んでも、「ああ実現しそうだなあ」とか思ってしまいます。あととにかくラストがいいです。ラストはむちゃくちゃ小気味がいいですし(なぜかは読んでのお楽しみです)、胸がすかっとします。ちょっと一部分SF思考になれていない人は戸惑うかもしれませんが、もうこれは書店で見かけたら買うしかありません。(事実1997年4月の段階で41刷!というロングヒットを続けている作品で、SFマガジン初代編集長である訳者の福島正実氏が惚れ込んでしまって、自身が翻訳をされたというのが納得します。福島氏の訳は名訳なので、その歯切れのいいテンポの翻訳を読んでいくうちに、引き込まれていくと思います。)というわけで、SFだけれども十分一般の人たちにもお勧めできる一冊だと思います。


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 先日、大阪大学文学部の宮風耕治さんから『夏への扉』の別の視点からの感想をいただきました。併せてお読みくださるとありがたいです。(宮風さん、貴重なご意見ありがとうございます。)m(_ _)m、以下宮風さんのメールからです。

 『夏への扉』は僕も読みました。
ハインラインにしてはマイルドな仕上がりと周りでは評判です。 この作品の設定にも核戦争が使われていて、 「六週間戦争」なる核戦争でワシントンとかの アメリカ東海岸が壊滅していたと思います。 でも、この設定にはほとんど意味がないように感じられます。 そのときに冷凍睡眠法が開発されたことぐらいかなと思います。

 ところで、この作品は家庭用ロボットについて 言及している点で、注目しました。 主人公は何よりも実用性に重きを置く技術者であって、 タイムマシンを開発したトゥイッチル博士のような科学者ではない。 「オートメーションのまだ浸透していない最後の領域はどこか? いわずとしれた家庭である。」(p.41)
「全世界の女性を、長いあいだの家事への奴隷的束縛から解放し、 いわば第二の奴隷解放宣言をするに等しい意義があるのだ。」(p.56)
とのべる彼はあらゆる仕事のできるロボットを 「高級自動車一台を買うぐらいの価格」で作ろうとする れっきとした資本主義的な人間なのである。 そういえば、「月へいった男」も商売をしに月へいくのであって、 ロマンのみでいくのではなかったと思います。

 しかし、こんなことばかり考えている私も暇ですね。 今日は電車のなかで小林泰三「酔歩する男」を読んでいた。 タイムトラベルの理論はまさにインチキなのに、 そのタイムトラベルのせいで主人公たちが虐待されるのが 何ともユーモラスだった。 どこに飛んでいくかわからない時間旅行というのは、 見ている分には何ともサディスティックですねえ。 『夏への扉』のタイムマシンも未来へ飛ぶか過去へ飛ぶか わからなかったけれども、うまくいってしまった。 話がハインラインに戻ったところで、メール返します。


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