『ハリダンの紋章』 |


時は現在より1万年ほど後、宇宙進出に成功した人類は、居住することの可能な惑星に植民地を築きつつ、次第に勢力を拡げていく。そしてついに、テレパシー能力を持ち、人類と同等の科学技術を持ち、人類よりも歴史が長いとされる人類種、アシュール人と遭遇した。初期の段階においては、平和が維持されていたがアシュールの勢力圏に入植した人類が税体系に不満を持って反乱を起こし、そこに辺境の惑星が介入したために、アシュール人との間に惑星間戦争が勃発したのである。アシュール人は大艦隊を率いて人類に対して攻め寄せてきたが、その時人類の主要な惑星は己の派遣争いに忙しく、アシュール軍は人類の入植している辺境の惑星を陥落させていった。このような情勢を見て、辺境地域の一歴史教師だったクリストファー・シムは、わずかな艦隊を率いて出撃し、強大なアシュール軍に対してゲリラ戦を挑んだのであるが、圧倒的なアシュール軍にしだいに追いつめられ、ついにリゲルの闘いで玉砕したのである。しかし、シムの玉砕は人類の惑星を目覚めさせ、彼らは結束してアシュール軍を撃退し、もとの勢力圏を確保することに成功したのである。その後は、散発的な戦争はあったものの、おおむね均衡状態が保たれていた。
物語はその200年後に始まる。辺境の惑星で古美術商を営む主人公アレックス・ベネディクトは唯一の肉親であるおじのガブリエル・ゲイブが恒星間飛行中に忘却界に突入してしまったのである。ゲイブはアマチュア考古学者であり、アシュール戦争にまつわる歴史的な遺物を捜索する途中に事故に巻き込まれたのである。遺言によっておじの莫大な全財産を相続したアレックスは故郷に戻っておじの意志を引き継いで、調査に乗り出したのである。どうやらおじは、アシュール人と人類の歴史において人類の英雄とされるクリストファー・シムの謎に挑んでいたということがわかったのである。故郷に戻る直前、おじのプロジェクトを記憶したファイルが何者かによって盗まれてしまったのである。ファイルを盗み出したのは誰か?そしておじが見つけだそうとするものは何か?膨大な資料の中から、歴史をたどる銀河の旅に出発したアレックスであったが……。(あとがきを参考にしました。)
1989年に書かれた作品で、1991年に早川SF文庫の一冊として日本語に翻訳されています。イラストは遺跡にたたずむ人物と赤と青を基調とした惑星の神秘を描き出しています(上巻)。下巻の方は緑を基調としており、構図は似ていますが、宇宙戦艦のようなものが描かれています。(カバーイラストは安田尚樹さんです。)
本作品は彼の長篇第二作目に当たります。本作品で特に面白いのは、英雄クリストファー・シムが歴史教師であり、特にギリシャ史に精通していたということです。(作品を読んでいくとわかるのですが、後にギリシャ語で書かれた表現が見られます。)そのことが後にわかるのですが、特にギリシャとアケメネス朝ペルシャとの間に起きた一連のペルシャ戦争の知識があると面白いです。戦争の流れはこんな感じになります。B.C.500年、アケメネス朝ペルシャの王ダレイオス1世はスキタイ遠征のための遠征費賦課に対し、イオニア諸市(特にミレトスを中心として)が反乱を起こした。アテネがそれに対して、援助をしたことが戦争の原因であった。ダレイオス1世はイオニア諸都市を圧倒的な兵力をもって陥落させ、アテネにも攻めよせてきたが、ミルティアデス率いるアテネ重装歩兵軍がマラトン(マラソンの起源といわれる)撃破し、勝利を収めたのである。ペルシャ軍はこの敗北で、兵をいったん引き上げたが、ダリウス1世の子、クセルクセスはさらに強大な軍勢を率いて、B.C.480年に攻め寄せてきた。このときスパルタ王レオニダス麾下のテルモピュレーの守備隊は海沿いの隘路でペルシャ軍を阻止したのであるが、壮絶な玉砕を遂げることになる。しかしその直後、アテネ−スパルタ連合軍は同年のサラミスの海戦で約2倍の規模を誇るペルシャ軍を撃破し、クセルクセスを敗退させた。こうして、ペルシャ戦争はギリシャ側の勝利に終わり、アテネ中心のデロス同盟が結ばれることになる。こうして俯瞰してみると、アシュール戦争がこのペルシャ戦争をベースに描かれているのがわかるのではないかと思います。
著者ジャック・マグデヴィットはアメリカのフィラデルフィア生まれ。税関史、タクシー運転手、英語教師を経て、現在(1991年)はジョージア州税関区で職員養成官をしているそうです。1981年に短篇を<トワイライトゾーン>誌に発表してデビュー、それ以来有望なSF新人として活躍しています。最初の長篇"The Hercules Text"(1986)は1987年のローカス賞処女長篇賞作品となっています。邦訳は短篇として「約束」(SFマガジン1987年9月号)と、新潮文庫のアンソロジー『スターシップ』に「クリプティック」の2本がありますが、長篇を含めて入手が難しい作家であると思います。
この作品も去年たまたま古本屋で購入して、そのまま他の本を読んでいたために忘れていた一冊です。(苦笑)先日家のSF文庫を整理していたら、『ハリダンの紋章』と書かれていて、イラストが幻想的であったのが目を惹いて整理をそっちのけで、読み始めてしまいました。最初はただの探索ものだと思っていた(失礼!)んですけれど、だんだんと主人公のアレックスが亡くなった叔父の足跡を様々なライブラリーや研究所、そしてシュミレーションから知識を得ていく部分はあたかも、複雑に絡まってしまった毛糸の糸をほぐす過程に似ていて実に面白いです。その過程で、SF的なガジェットが満載されているのが、とても魅力的です。その一例としてやはり、実際のアシュール人との闘いの一部分をシュミレーションできるVR装置が捜査に役に立っていて、まるでハードボイルド物の警官が現場から証拠を見つけだすかのような感じでした。そしてその謎解きが、ギリシャ戦争などの古い歴史的な事実とオーバーラップしていたということもあって、ギリシャの歴史が好きな人にはたまらない一冊になっていると思います。
謎もかなり複雑です。真の英雄の姿を発見するのに彼を待ち受けていた困難、とはなにか、そしてプロローグに出てくる修道院の謎は?といろいろとあるのですが、最期には思わず「なるほど!」と思わせる部分、さすがと思いました。ひとたび英雄であった人物の本当の姿が明らかにされていくにつれて、如何に我々が偏見や色眼鏡で人物を脚色していってしまっているのか、それを解明するプロセスでもあります。その意味では、「偉大な人物であるということ」はとても恐ろしいことではないかと思います。残念ながら、重層的な推理SFである本作品も入手困難です。6年前の作品なので、地道に古本屋を当たられるのがいいと思います。