『夢の国をゆく帆船』感想めも


 ロバート・ネイサン『夢の国をゆく帆船』(ハヤカワNV)を読み終えました。ネイサンの作品を読むのは始めてですが、ハヤカワノンフィクションにこんな作品があるなんて、とても驚いております。翻訳年度を見ると自分が生まれて間もない頃に出版されており、現在手元にあって読んでいるのはなんだか不思議な気分です。ちょうど一世紀前に生まれたネイサンは、生涯にわたってファンタジーを書き続けた作家で、日本でも翻訳はたくさんあるのですが、見かけたことがないのがちょっと残念な限りです。

 なんというか、先日再読したキース・ロバーツの『パヴァーヌ』の第5旋律を彷彿させるようなお話で、夢があってとても楽しめました。こういうファンタジー作品が少なくなっているのが、何だか残念な限りです。ネイサン自身もクリス・ネヴィルとの会話の中で、「ファンタジーとは、おこったことなどなく、おこり得るはずもないこと。だが、おこったかもしれないと思わせること」と定義しているそうですが、『夢の国をゆく帆船』はまさにそういう作品だと自分は思いました。

 あらすじは以下のような感じです:「ニューヨーク市ブロンクスに住む大工のペケット氏は、船乗りになることを夢見るあまり、ひょんなことから車輪付きの手製ヨ ットに乗り込み、妻を捨て家を捨て、仕事を捨て、車輪付きの手製ヨット<サラー・ペケット号>に乗って放浪のたびに出かけることになる。船客は美人ながらも内気でしっかりした考えを持つウエイトレスのメリイ、貧しい歯医者であるウィリアム青年、そして途中の農家でもらった子牛一頭である。彼らはフロリダをめざし、野を越え、山を越えて帆走するのであるが……」

 しがらみのある日常生活から、ひょんな調子で脱出した主人公のペケット氏。前途に希望がもてず、現実的な妻の手によって、彼の夢の具現化した<サラー・ペケット号>を売り払われようとしたとき、彼は現実から脱出し、夢を実現することになります。この瞬間こそが、夢を求めて旅立とうとする人たちの気持ちをよくあらわしているのではないかと思います。彼の夢は<海の上>ではなく、<陸の上>でヨットを帆走させることで実現するわけです。昔のアメリカなら、陸の上で手作りのヨットが帆走する、ということは実にありうることであったでしょう。そして、途中で乗員・乗客として乗ってくるウェイトレスのメリイと求職中のウィリアムはしっかりとした考えを持つ若者で、現状に不満を持っている点ではペケット氏と同じで、彼らもまた帆船に夢を抱いて彼の旅に同行することになります。それはまるで、自分を遠くのどこか見知らぬ国へと誘ってくれるための乗り物であるかのように。

 そしてやはり、この旅も残念なことに浮かばないヨットが河に沈むことで終わりをつげます。若い二人は夢を発見し、お互いのありのままの姿をさらけ出し、一緒に生きていくことを誓いあいます。帆船は彼らに夢を与え、現実をもたらします。そして すべてを失ったと思われたペケット氏も妻の愛を再び得ることになります。一つの夢を失った代わりに、彼らに残されたのは夢よりも素晴らしいものだったのでしょう。 矢野徹氏がこの作品を読んで、自分の人生を変えたという気持ちが若輩者ながらわかるような気がしました。こういう作品を今後も読んで、素直に感動できるといいなぁと思っています。