そのバンドを結成してから、麗らかな陽射しと柔らかな色が俺の野望を粉々に打ち砕いてくれる季節が四回、燦々と照りつけるものに乾きとけだるさを与えられる季節を三回、一時停止の為に植物が俺の足下で乾いた音をたてる季節が三回、空から降ってくる水蒸気の塊に身も心も突き刺されたような気分になる季節を三回過ごして来た。
狭くて少し湿った香りのするライブハウスで幾度となくライブをして、幾度となく拍手をもらって来た。俺達にそれだけ実力があると、信じて疑わなかった。
そんな四回目の夏。

Deuil-Side ASH-            Anfang

 俺は夏休みに入るのを切っ掛けに、バンドのメンバーやその恋人、親しい友達をキャンプに誘った。バンドの打上にキャンプというのもどうかと言われそうだったけど、前々から何人かに提案されていたから別 に構わないと思った。俺達が行きたいから行く。それだけのことなんだし。もちろん、全員がOKした訳じゃないけど、考えていたより大人数で行けそうだった。
 「んじゃ、アッシが行き先決めてくれよ」
 「言い出しっぺはお前だろ?篤にばっか押し付けんなよっ」
 …まあ、こういう事も少なくないけど。
 「…自動車持ってるのが三人だから三グル−プに分けて、当日の朝迎えに行くんでいいスよね。荷物は…キャンプ道具一式スかね?」
 俺の意見で場は簡単にまとまった。いや、それくらい皆なんで決まらないんだろう…。
 「アッシと女連中は料理道具な」
 「したらオレらがテントとかシートとか寝袋とか」
 「ま、そんなモンだろ、で行き先は?」
 一度まとまれば早いのがコイツ等の良い所。あとはすんなり決まって、当日を待ち遠しく思えば良いだけだった。行き先は某所河原のキャンプ場。俺は花火を買うのを忘れないようにこっそりとメモ帳に書き込んだ。

 「到着ーっ」
 一斉に自動車から砂利の上に下りると既に周辺の林が紅く染まる程日が傾いていて、早く準備をしなければ日が暮れてしまう所だった。幸い、殆ど他のキャンプもなく、大きなテントが四つ、近い場所に張られる。
 「先に大きな石集めてかまど作るスよ!じゃないと夕飯抜きッス!」
 「はーい、アッシ先生、夕飯は何ですかー?」
 俺は笑顔だけして教えなかった。けれど、大体の察しがついたようで、楽しみにしてるとだけ言って、石拾いが始まった。

 バラバラと大きな石が幾つか運ばれて来たところで、突然悲鳴が聞こえて俺は考えるより先に声のした方に走っていた。
 「だ、誰かぁっ!」
 メンバーとその彼女が怯えた顔で走ってくる。そして俺に縋るなり叫ぶ。
 「ア、アッシ!い、犬が、犬がっ…!」
 「犬?」
 見れば四、五メートル先に一匹の犬が涎を垂らしてこちらを見据えていた。頭を低くして獰猛に唸るシベリアンハスキーに酷似した犬。あからさまに敵意を見せているそいつは、どう見ても純血のハスキーには見えない。違和感があった。
 「何かしたんスか?」
 「な、何もしてないっ!と、突然のっかられて、に、逃げて来たんだっ!」
 否定の言葉が震え、彼女の方は泣きながら更に遠くに逃げようとする。俺は近くにあった太い流木を手にして少し犬に近付いた。
 …犬が、笑った。そう見えただけかも知れなかったけど、牙を剥いたその表情に、嫌な笑顔を見た気がした。
 俺は躊躇いながら流木を掲げた。さすがに殺してしまうことはないだろうが、怪我をさせるのも嫌だ。痛いだろうな、ついそんな事を考えてしまったその時、左腕から鋭い痛みと鈍い音が伝わった。犬が僅かな隙に俺に噛み付き、腕を引き裂こうと体重を掛けて振り回す。俺は流木で犬のあばらのすぐ下辺りを思いきり突いた。
 「ギャインッ!」
  悲鳴をあげた犬は俺の腕を離すがそれでもまだ掛かってくる。地面に衝突した犬はくるりと身体を反転させて俺の足に食らい付こうとしたが、俺もみすみす食らい付かれてやらない。足を大きく蹴り上げて顎を蹴り飛ばす。しかし犬も俺と同じ気持ちなのか、すぐさま身を翻して俺の振り上げなかった方の足に掛かってくる。流木で突進して来たその頭を地面 に叩き付けた。犬は再度悲鳴を上げ、今度は何処かに逃げて行ってしまった。
 「あ、篤っ!大丈夫かっ!?」
 何人か顔面を蒼白にしながら俺に駆け寄って来た。無理もない、左腕は面白いくらい出血していた。
 「救急箱っ!おい、誰か車からもってこい!」
 そんな声を聞いたところで、俺は気が抜けてしまって…声が遠くなるのを意識したまま、暗い闇の中に溺れていってしまった。

 「おい、篤、篤っ」
 身体が揺すられて目がさめる。少しだるい感じのする身体を起こすと、左腕に痛みが走った。俺が呻けばこいつらが心配する。声は喉のところで押し殺した。
 「大丈夫か?…血は止まったんだけどな…」
 どうやら自動車の中で寝かされていたらしい。煙草の匂いを消す為の消臭スプレーの匂いが充満している。ふと左腕の下辺りだったシートの部分を見ると、俺の血で少し茶色く汚れていた。左腕には包帯が巻かれ、時々自分の脈を感じた。
 「篤、もうバーベキュー始めちゃうけど、出る?出られなさそうなら適当に持ってくるけど…どうする?それとも、先に帰る?」
 「あー…行くッス。ちょい待って…」
 俺は身体を起こして大きく伸びをしてから自動車から下りた。なんだか熱っぽい。いろいろな不安が頭をよぎる。
 −まさか狂犬病?それとも別の病気?傷口が化膿してる?でも消毒はしてあるみたいだし…
 「アッシ!」
 「おっ、起きたじゃン!」
 仲間は俺を不安と安堵の入り交じった顔で迎えてくれた。大丈夫、無事だ、と答え、用意されていた椅子に腰掛けてパーティーに混じった。…待てよ、俺があんな状況でもパ−ティ−やるんかお前等っ!呆れて顔の筋肉がひどく弛緩してしまい、力の無い笑いを俺は溜息と主に世に出していた。

 あれ?と、誰かが声を上げた。
 「薪足りないじゃん、もうすぐ無くなっちゃうよ?」
 さすがにこれだけの大人数だと足りないものが出てもおかしくはない。肉や野菜、ご飯はまだある様だったけど、薪はもうすぐ無くなる。
 「あ、俺とってくるスよ」
 「え、あ、篤!」
 俺は止められる前に席を立って林に踏み込んでいった。…本当のところ、食欲もあんまり無いし、少し人から離れたかった…心配はしているらしく、妙な気遣いが心苦しかった。パキパキと小枝の爆ぜる音、しゃりしゃりと鳴る青々茂った雑草、時折木の根に足を取られながら、乾いた枝を探して拾う。
  …妙な感じだった。さっきから頭の中で極彩色の光の帯がぐるぐるぐるぐる渦巻いて、かといって気分が悪いわけではなくて…むしろ何故か昂揚していた。ヘンな感じ。ヘンな感じ。あー…飛んでけそう。
 気付いたら地面と顔が密着してたけど…もう、顔をあげることも出来ないくらい、俺は眠気に襲われていた…

 −夢を見た−
 …俺がライブハウスの控え室にいると、スーツを来た男が入って来て…俺に何か言う。聞こえないけど、何を言ってるかは分かる。「我が社でドラムスかヴォーカルとして活動してみないか」…聞き飽きてンだってーの。俺だけ。俺だけなんだよ、いつも。他の奴等は?「残念だがあまり目を見張るものはない。ドラムスは需要があるし、ヴォーカルなら歌手としてのソロデビューでも良い」…誰に言ってンだってんだ。俺は、大学で知り合ったあいつらと一緒にやるからイイんだ。馬鹿野郎。そう言って部屋の外に押し出す。
 夢だって分かってるのに。
 不快感が襲って来て苛々する。
 何人そうやって俺だけを使おうとしたんだ。
 なんで…なんで俺だけなんだ。

 

Deuil-Side ASH- Anfang Ende

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