足が震えた。耳が落ち着かなくて、髪もちょっと逆立ってざわついて。
なんだろう、俺は今までこんなに…こんなに素敵なものに出逢ったことがあっただろうか。

Deuil-Side ASH- Der Vampire, der schoe Stimme hat

 電話に出たのは雇われたのであろう機械的で機能的な声だった。俺はちょっとがっかりしたような気分で面 接の約束をして、電話を切った。一体どんな人なんだろう。俺は買い物袋の中身を片付けながらその手がゆるゆるとしか動かないことに気付くこともなく、考え事にふけっていた。片づけが終った頃にはとっくに夕飯の時間を過ぎていて、俺は珍しく冷凍食品の類いだけで夕飯を済ませてしまった。
 「…はぁ」
 缶ビールも最近じゃ珍しくもなく売られている。日本製の缶ビールをグラスに開けて、俺は一気に煽った。それ一杯でもう十分だった。緩い浮遊感にぼんやりしながらシャワーを浴び、歯を磨く。心地よい羽布団にくるまれるような気分で布団に潜り込んだ。明日の仕事の為に眠らなけりゃいけない。

 面接の日が来て、俺はどんな服を着ようか迷いに迷った末、いつも通りに黒のズボンに白のワイシャツを着た。実の所、この服装はコックの制服…というか指定色なのだが…この際、仕方なかった。他はジ−パン程度しかなかった。

 面接会場は町の一角にある講堂だった。事務所とかはないらしくて…まあ、メルヘン王国にバンドやらなんやらという概念自体が薄かったから…その講堂を一部借りての面 接となった。俺が会場についた時は既に何人ものヒトが並んでいて、俺は面接の順番も最後の方だった。
 見れば手に手にギターやらベースやらを持つ奴も見かけるが、誰もが扱い慣れていないような、そんな顔をしているように見えた。

 何時間待っただろうか、ようやく俺の番が回ってきた。
 緊張しながら、奥の扉の金属の取っ手を、汗ばんだ手で引いた。
 「失礼します」

 入って真正面、デスクに肘をついて俺を観察する、白っぽい髪の人が居た。きっと、あれがユーリだ。背中には真っ赤な羽があって、なんとなく蝙蝠っぽい形をしている。目も真っ赤で、白い肌の上で凄く浮いているような感じだ。
 「どうぞ」
 差し出された手は、デスクのすぐ前の椅子に座るよう促していた。

 声の、あんまりの透き通り様に、俺は意識を奪われそうだった。

 今まで聴いたどんな声より、俺には甘美な響きに聞こえた。

 「アッシュさん…年齢は問題ないな。ドラムスの方は後ほど聞かせてもらおう。料理は…地球の料理を嗜むのか。中々興味深い。だが、嘘は頂けないな」
 ユーリは一息に話し切ると、俺の目を真直ぐ見てきた。
 嘘。確かに嘘は書いた。ばれたのか。
 「生まれが南部地域になっているが…人狼は北部でしか生まれない。何せ奴らは縄張りを離れる事を怖れて、出てきても中央部で足踏みだからな」
 そうだったのか。俺には判らない事…俺が、人間だったって、そういう事実が突き付けられてる気がした。綺麗な声は俺の耳に、本当の出身地を、と囁きかけた。
 「…日本です」
 途端、美しい顔が、妖艶に笑みを作った。その時口の端から零れた牙が、吸血鬼を思わせる。多分間違っていないのだろう。蝙蝠が二、三匹、窓に張り付いて寝ている。
 「そうか、お前が王の言っていた人狼か」
 コツ、とブーツが鳴った。立ち上がったユーリは案外小さい。華奢な体が俺に近づいてくる。その匂いは薔薇みたいな、百合みたいな匂いだった。
 「会えて嬉しいよ。まさかドラムスができるとは思いもしなかった」
 ユーリは俺に手を差し伸べた。俺は立ち上がって握手し、深く頭を下げた。その身長は俺より一頭小さく、手の平も女みたいに小さい。視界に入るブーツはどう見ても女物に見えた。なんだろう、さっきから、ずっと呼吸が苦しい。
 「ドラムスはもう貴方で決まりだな。どうだろう、私を地球に連れていってくれないか?」
 断れなかった。断りたくなかった。どうして俺はこんなにも、この吸血鬼に惹かれているのだろう。女の様な細い体も、化粧ッ気の無い顔も、少し長い髪も、長い睫 も、時折ちらちら覗く牙も…全部が俺には、綺麗っていうか、そんな言葉で表せないような、凄い、なんかに見えた。

 結局時間のせいでそれ以上は話せなかった。けど、出る前に外の喫茶店に待つように言われて…俺は、はい、と、返事を返した。

 

 

 「またせたな」
 席に座って五杯目の珈琲を口にした時、後ろから澄んだ声が俺を呼んだ。すぐ横を黒いシルエットが横切り、正面 の椅子に影を落とす。白い体と正反対の黒いコ−トが、神秘的な存在感を引き立てていた。
 「何か取りますか」
 俺がメニューを渡すと、小さく頷いて紅茶とショートケーキを頼んだ。なんだか、女と一緒にいるみたいだ。
 「アッシュさん」
 「いや、呼捨てで」
 さん付けはむず痒かった。どこでも俺はアッシュで、さんなんてつけるものじゃない。
 「…では、アッシュ。活動の話から始めても?」
 もちろんノーとは言わない。
 ユーリは、まずメンバーはまだ決められない部分がある事を告げた。それから、どういった方向性の音楽が良いか、日本ではどんなシステムで音楽をやれるのか、また費用の面 なども聞かれた。もちろん、俺に全部判るわけじゃないので、判る部分を適確に、判らない所はちゃんと判らない、と言ってから臆測を話すに留まった。ユ−リは判らなければ説明を求め、時に自分の意見も述べてくれた。
 「…なるほど。ならばいっそ外見を生かしたバンドがいい、と」
 ユーリは音楽の方向性についてよほど悩んだらしい。しかし、その知識は豊富で、日本のバンドの代表格の殆どを知っていた。その中で、ヴィジュアル系と呼ばれる類いの音楽は、歌詞や外見が奇怪であればあるほど、また美しくあればあるほど、人気が高い事を、ユーリは強調して話した。
 「こう言っては何だが、吸血鬼の血族は皆、他人を魅惑する為に美しく生まれる。姿と、声色は人を引き付けるのに丁度良いんだ」
 なるほど、これでヴィジュアルバンドをやると言うのなら売れる気がする。何せ既に俺が魅了されてしまっているのだから。
 「まあ何はともあれ、メンバーをきちんと決めてから、だな」
 ユーリはいつの間にか、ケーキも紅茶もきちんと空にしていた。実の所、フォークで口にケーキを運ぶ様に、俺はちょっとクラクラきていた。物を食べる口の艶かしさは、昔いた彼女に見い出していたけど、この人のはまた別 格だ。…まあ、男にもそれだけ色気ってのが備わる事があるんだろうな。
 「またすぐに連絡するよ」
 席を立って、俺が会計を済ませると、ユーリは俺に半額を渡した。
 「いや、コ−ヒ−代のが掛かってるし、ユーリさん紅茶とケーキだけッスから」
 俺が返そうとすると、ユーリは悪戯っぽく微笑んで
 「いや、呼捨てで」
と、俺の口調を真似た。
 「私への授業料だと思ってくれ。これから色々教えてもらわねばならないしな」
 ぱさり、と羽が広がって、ユーリはふわりと空へ飛び上がった。さっきより大きな羽が、羽ばたきながらユーリを遠くへ運んでしまう。

 なんとなく、居場所が出来たような気がした。

 

Deuil-Side ASH- Der Vampire, der schoe Stimme hat Ende

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