邪魔なら殺せばいい。
VCSS -2- Three Hope
ただ、生まれた時から可能だっただけなのだ。ほんの少し、物体に対して、気持ちや心、もしくは意思と呼ばれるものを押し付ける。その大きさで、彼は物質に対して重力をかけることが可能だった。
気が付けば上半身には包帯だけ、下半身もボロのズボンしか穿いていない状況で、彼は月並みにも数人の白衣の男に取り囲まれていた。まだ身長がのびる年頃だろうか、青年と言うにはあまりに幼い、少年と言うには大人びた、そんな印象だが、顔に浮かぶ表情は幼さを感じさせるあどけないもので、今は意思も稀薄に周囲を見渡している。その眼は、通 常白目の部分が漆黒の輝きを持ち、瞳は真っ赤に染まっていた。そして瞳と同じ色の長い髪の毛が、ポニーテールの様に結われている。しかし、ざんばらでばさばさと広がっており、馬の尻尾と言うよりは、何か肉食の獣を思わせた。
何を考えるよりもまず、彼は今自分がそこにいる男達に拘束されている事実を知る。ぼんやりと、まだ霧の掛かった思考の中、邪魔だ、と彼の意識は呟いた。
途端、周辺の物が壁に打ち付けられ四散する。どよめく人の中、彼を中心に一番近くに居た三人がぐしゃりと奇妙に潰れた。まるで紙で作った立体の人形を、上から押しつぶしたかのような、奇妙な潰れ方だった。
「ははッ」
彼が笑う。一瞬驚きと恐怖に人々が静まるが、一人が奇声を発して手近な銃で彼を撃った途端、阿鼻叫喚となる。銃弾は床に叩き付けられ、銃を持った男の腕はひしゃげて、床にクレーターの様な凹みを作っていた。二度目の奇声と共に、彼がまた笑った。
「…邪魔」
玩具で遊ぶ子供の笑顔。次の瞬間、彼を中心に部屋全体が重力の球体に押しつぶされた。部屋は暗く、薬品の匂いが立ち篭めていた。一つだけ灯った電球の灯りが、床に赤い液体の存在を知らせる。その赤い液体が跳ねた。電球の近くを、裸足の足が一歩一歩ゆっくりと踏み締める様に赤い液体に波紋を描く。一歩、一歩。その足が、彼の足が、元は生きた人間だったたんぱく質の塊を踏んだ。
「…脆い」
呟くなりケタケタと愉快そうに笑う。声変わりこそしているが、熟した色のない、若い声だ。それでも、年齢は、若い、としか分からない。一歩、一歩と、笑いながら、行き止まりで彼は笑うのを止める。一筋の光の漏れる場所。ひしゃげたドアの先は外、そうでなくても灯りがある事は明白だった。そ、とその光の筋に、指が触れる。轟音と共に光が辺りを満たした。見れば彼の手の平を中心に、壁が丸く抉られていた。重力が、壁ごと扉を吹き飛ばしていた。あっという間に、光が部屋に満ちる。
彼は部屋を出た。その後には血で作られた足跡と、三人の人間が、無惨にも巨大な鉄球に押し潰されたかのような丸い凹みを自分ごと床に穿ち、臓物という臓物を全てぶちまけている様だけが残った。壁には押し付けられた人間の形の赤いペ−ストがべったりと張り付いている。部屋の済に、少しだけ白さを残した布切れや、装飾品の破片、肌が落ちていた。彼は吹き飛んで横たわった扉をしげしげと眺めた。そこには丸い体の真っ白な生き物が佇んでいて、さらにその生き物の下のドアに、アルファベットで何か書いてある様子だった。
「ほぅ」
白い、小さな生き物は、一つ鳴いた。どうやら梟らしく、首を傾げた。ちょこちょこと歩いて扉から降りると、きょろきょろと辺りを見回した。
彼は梟にも興味がある様子で、後を追いかけたが、先に扉の文字を覗き込む。
「…グラヴィティ」
確かに、そこにはそう書かれている。言葉の意味としては重力、まるで彼の力を表しているかの様だった。
「…俺」
ぼそりと、呟く表情は何かを得た様に生き生きとして笑みを作る。そして、そのまま梟に目が向けられた。思えばどこにいたのやら、彼の破壊行動に無傷でそこに存在し、彼から逃げることもしない生き物。もう一つ鳴くと、その体には小さ過ぎる翼が空を掻き、ぽんっ、と、足で床を蹴って飛び立った。けして遅くはないが、追いつけないことはない早さで、廊下を飛んでいく。天井と床の中間の幅を保ちながら。
「待てッ!」
しばらく見送ってから、ふと気付いた様に白梟を追いかけ始めた。まだ視界にいるその玉 のような生き物を、彼は走って追って行く。扉は静寂の中、未だひしゃげてそこにあった。
気がつけばコードが繋がったまま、そこに立ち尽くしていた。
元々当時のハイテクノロジーでしかない、ローテクノロジーで作られたマシンだったはずだった。とは言え、青年は自分の出生はおろか、身体を構成する機械やその他の物の内容すら知らない。いや、今は、知らない。以前は良く熟知していたのだ。データとして。
「…ええと」
別に誰に話す訳でもなく、頬を掻く。少し俯き加減になっても、真っ赤な髪の毛は短い為になびくこともない。青年は胸を見遣り、無数の絡まったコ−ドがそこから生えていることを知る。
「…なんなんだろ、俺」
少なくとも明らかなのは人間ではなさそうだと言うことだけだった。
「まぁいっか。とにかく…何か、何か探さないと」
青年が歩き出す。その後に、引きずられた長いコード。鉄板で打ち付けられた床の上を、ガツガツと音を立てて引っ掛かったり、傷つけたりして行く。青年はそれに気付かず、ただ彷徨った。