だだっ広い砂漠だ。
とにかく砂で溢れている。
暑いな…VCSS -6- Desert of encounter
ようやく塔から這い出し、鉄板が終わった先には砂漠が広がっていた。エレクトロは遠くの空と砂漠の山を眺めながら小さく溜め息をつく。砂漠の広さに落胆したのではない。その先にあるものが見えないことに肩を落としたのでもない。ただ、何かが胸中を過り、それに溜め息をつきたくなっただけだった。
「俺は機械だろ…」
自問自答する。今彼の心を過ったのは間違いなく『郷愁』と呼ばれるものだ。まさか砂漠に感じたわけではないだろうが、と自分にさらに問う。なぜ、と。
懐かしさを感じる。
走り出したいような気分でもある。
反面、酷い焦燥感と危機感も刺さる様に存在する。
「…とにかく、歩かないとなぁ…」
まっすぐ前に目を向けて、エレクトロは裸足のまま砂漠へと踏み込んで行った。太陽らしき熱物体はエレクトロの体力を順調に消耗させた。それを照り返す砂も集中力を奪い、時折吹く突風が砂を巻き上げるのが身体にへばりついている。しかし彼の体力はまるで底なしであるのかの様だった。只管に歩き、その足は止まることが無い。だが、ほんの数分でそんな状態だ。
それでも引き返さないのは、とさらに自問しようとしたその時、目の前に白い球体が現れた。厳密には球体というより、丸い身体に無理矢理羽を生やした梟のディフォルメ…しろろであった。
「お…なんだ、ここまで来てたのか」
手を伸ばせばすとんと砂漠に降り立った。そして、そのままちょこちょこと小さな足で砂漠の山の頂上へと向う。やはり聞く耳は持っていないらしい、と再び小さく溜め息をつき、立ち止まって照りつけられた身体を山の頂上へすすめる。
「おっと」
はた、と立ち止まり、エレクトロは足元の白い梟を見下ろした。どこか誇らしげにほう、と翼をはためかせる。
眼前にはまさしく砂漠が広がり、先へ先へと砂漠と空が彼の矮小なるを笑い、照りつけて急かす。しかし眼下となると岩石の山が立ち並んでいた。それが幾らか遠くに見える。…つまり、エレクトロが今立ち止まっている場所こそが岩石、岩山の上だった。
輝くと表現するにはいささか力が籠ったような太陽が眩しすぎるとは言え、絶景に彼は見とれる。先ほどまでいた暗く、身動きも取れない程狭い空間とは違い、自由過ぎる程自由に空気が動く世界だった。
「あー…落ちたらひとたまりもないな…」
しゃがみ込み崖の縁に手をかけ、ゆっくりと覗き込む。そこに意気揚々と歩み、突き進もうとしたら途中で気付いても肝を冷やしたに違いない。
「お前は…幸運でも運んでるのかな?」
梟はそれにこくんと頷いた様に見えたが、本当にそうかどうかは無表情な黒い嘴も瞳も窺わせない。その表情に返答は諦めたのか、彼は砂を払って岩肌を露出させた。その岩肌に指をかける。と、一カ所が真直ぐに割れ、その割れ目に指をかけ、今度は大きく引き上げる。呆気無く、岩肌は剥がれて中身のコードや端末を露出させた。
「ともあれ、下に降りるなら回り道は面倒だよな」
端末の間に見隠れしている差し込み端子に胸から伸びるコードを突き刺し、それが引っ張っても抜けないことを何度か確認した。
「お前はどうする?」
彼が梟に問いかけると、梟は軽く羽ばたいて崖から跳んだ。ぱたぱたと必死に羽ばたき、ゆっくりと落ちて行く。あまり飛翔能力に優れていないのか、のっぺりした羽は上昇の兆しを見せない。
エレクトロは肩を竦め、塔を降りた時と同じ様に、ロッククライミングの要領で崖を下り始めた。
「よ…っと」
じゃり、と砂がコードと自分とのつなぎ目に入り込み、顔をしかめて片手で払う。とは言え発汗機能を備えた彼の手や腕にも砂はまとわり付き、払えども払えども取れるどころか自分の皮膚に貼付いた砂を一緒に飛び込ませるばかりだ。いい加減に取れないことに諦めがついたのか、一度かくっと頭を項垂れ、しかし何か思い直した様にコードを掴み直し、岩壁を蹴った。
それから数分でどうにか彼は岩棚に降り立った。既に汗だくで、咽頭に仕掛けられた水分補給器が軋むのを感じる。水分補給が必要、とは思いながらも、その肝心の水分が全く見当たらない。視力が捉えうる限り、オアシスらしきものも、給水できそうな施設すらない。本当に砂漠なのだと言う実感だけがエレクトロを包み込む。
「……ま、なんとかなるか…」
根拠の無い自信を胸に、一歩踏み出そうとしたその時。
エレクトロを吹き抜ける風の向きが変わった。それもやたらと突然、吹き終わる兆しも見せない内にぴたり、と。しかし吹き抜ける音は止まらず、その方向だけが違うことに気付く。彼は周辺を探索する機関を総動員させ、じっくりと、かつ素早く自分以外の存在を確認する。思えば白梟はまたも存在を隠し、エレクトロには発見することもかなわなかった。
「…」
耳を澄ませる。微かに砂利が動く音がした。それも風と風の隙間を縫って聴こえる。その音源が足元であることを察すると、エレクトロは風が砂を吹き飛ばす間に岩棚に臥せり、下を覗き込む。そこはもう一段の岩棚になっていて、赤いメットを被ったローブ姿の少年が居た。顔は窺えないが、マシンガンを構える腕や、軸にして身体を支えている包帯でぐるぐる巻の左足の細さは少年特有のそれで、身長も影から判断するとさほど高くない。しかし誰を狙っているのか。
エレクトロが視線の先を少年と共にすると、その先はもう砂漠の地面の上だった。そこまで降りて来たのかと、独り彼は自身に呟くが、すぐに視線を追う。メットの少年の更に下には、燃え盛る炎のごとく逆立った髪の毛を持つ男がいた。こちらも顔や表情を知ることはエレクトロには出来ない。彼の髪の毛も負けず劣らずの赤さなのだが、視線の先の男の髪の色は少しばかり、透明感のあるオレンジが感じられる、そんな色だった。
はたしてどういう状況なのか。少なくとも視線の先の男はエレクトロにも赤いメットの少年にも気付いておらず、また周辺で破壊活動や争いが行われた形跡は無い。単純に少年が燃える髪の男を狙っているのだ。理解不能の状況の中、突然、風が、豪、と吹き荒れた。
鋭い破砕音が静寂を打ち消す。マシンガンから一発だけ弾丸が飛び出し、その弾丸は既に黒い破片となって砂に沈んでいた。初めてメットの少年と赤い髪の男の視線が結ばれる。それが合図であるかの様に、赤い髪の男はくるりと振り返り、心底嬉しそうに口の端を釣り上げた。
「見つけた」
その手がメットの少年に翳される。少年は何を察知してか岩棚を飛び下りた。その動作は単純な者で、戯れの様ですらある。だが途端、今少年がいた場所が丸く抉れて、岩棚が崩れた。瞬間、既に少年はマシンガンの引き金を目一杯に引いている。しかしその弾丸は相手の足に擦っただけで、致命傷を与えられないままトリガーを戻された。燃える髪の男は砂を掴み放り投げる。それが中空で停止した。まるでそうであることが普通 なのだと言わんばかりだが、その砂を投げた手が砂を押す様に翳される。砂はすぐに高速で、それこそ弾丸の様に少年を目掛けて飛んだ。しかし砂は砂だったとでも言うのか、砂の弾丸は少年が厚手のローブを身に纏う様にくるりと振り回しただけで簡単にただの砂に戻った。だが少年の眼前に燃える髪の男の手の平が迫る。あと仰け反るのが一瞬遅ければ、先ほどの岩棚の様に少年の頭も崩れ去っていたのかもしれない。少年は仰け反っていた。そしてその足を勢いに任せて高く振り上げる。燃える髪の男の顎を直撃し、今度は男が仰け反ったところで少年はマシンガンを再び放った。その勢いで後方へと吹っ飛び、背を強かに岩肌に打ち付けながらも転倒は回避する。エレクトロは激しい攻防に半ば呆然としていた。自分がローテクの産物であることを理解している所為かもしれないが、戦闘力において、今激しく戦っている二人に劣っているであろう自分では、もしかしたらこの世界では生き残れないのかもしれない。軽い絶望感もあるが、反面 で諦めもついていた。
しかし、生きる者に諦めなど許されるはずが無かった。
突然背後に機械音を聞き取り、振り返るとそこには、六足稼動の戦闘兵器がガラスの目玉 を光らせていた。それが一体であればどれほど気持ちも救われただろうか。エレクトロはその視認出来る限りの数を確認して眉をしかめて小さく面 倒臭い、と呟いた。数百にも昇る数の機械兵器が、岩棚に貼付き、その岩棚の上やすぐそこの壁にもびっしりと貼付いていた。おぞましい程の無機質な視線がエレクトロだけではなく、後ろで戦う二人にも向けられている。今まで先の二人に見とれていた間に接近を許したかと思うと、エレクトロは自分のローテク加減に幻滅するのだった。
「おい!」
瞬時に振り返り、できる限り大声を張り上げる。他になんと叫べば良いかも選ぶ時間は無かった。二人が振り返った途端、エレクトロは心底安堵していた。それがどうしてかは彼自身にも分からなかったが、ともかく二人が争いをやめ、即座にその攻撃を機械兵器に向けたのは幸いだった。マシンガンは正確さに欠けるが、ほとんどの弾が弱点と思われる連結部やカメラを壊し、翳された手の先に居た機械は奇妙にひしゃげてエレクトロのすぐ傍に落ちてくる。エレクトロはというと、とにかくまずは岩棚の下の二人の方へ走っていた。エレクトロは自分が把握する限り、高い戦闘能力を有していない存在と認識している。この場で巻き添えを食らうよりは二人の後ろで大人しくしていたかったのだ。
嬉々として手を振るう燃える髪の男に、冷徹な眼差しで適確な判断を下して機械兵器を打ち抜く少年。互いに争っていたのは忘れたのか、今は背を合わせて徐々に距離を縮める蜘蛛とも蟹ともつかない奇妙な機械共をただ壊していく。エレクトロが逃げ込んで来たのにも反応すら示さない。
しかし、蜘蛛機械共には格好の的になったのだろうか。二人の攻撃がほんの数瞬滞った途端、そこに存在した少年が持つマシンガン以外の全ての銃口が三人の、その場に置いて異質な者達を狙い、突如として銃弾の嵐を浴びせ出した。
発射音が空気中に現れようとする音らしいものを叩き潰す。しかし、その弾丸は三人の目前に迫る前に爆ぜ割れる。エレクトロが不信に思い、首をめぐらせば、燃える髪の男が翳した手を中心に、ドーム状のバリアが貼られている様だった。ちょうど飛んでくる弾丸が丸い範囲で塞き止められている。いつのまにか後ろに回り込んだ機械兵器の弾丸も、背後の部分で球状と思われる曲線の壁に阻まれている。しかし、このままでは拉致が開かない、と思ったのは、エレクトロだけではなかった。
「なあ」
いつの間にかノ−トパソコンを開き、何かを打ち込みながらメットの少年がエレクトロに問う。
「アンタ、なんかないの」
「は?」
意図を掴めず、困惑する。すると少年は彼の方に向き直った。
「じゃあいいからさ、名前教えてよ。モタモタしてるとグラヴィティの体力が切れる」
明らかに年下であろう少年は、全くと言って良い程に礼節等は弁えていない様だった。しかしそれを討論する余裕は実際に無い。
「エレクトロ・チューンド」
「認証」
少年は目にも止まらぬ指捌きであっという間に彼の名前を入力し、そのままかたかたと乾いたキーボードの音が続く。もしこれが先ほどの様な指捌きであれば相当な数のキーを押していることになるが、それもさも当然といった顔つきで少年はついに指を止めた。
「エレクトロ、こっち」
顔をあげるなり呼び捨てで手招き。さすがのエレクトロもこれにはカチンとこなくも無かったが、渋々従い座り込む少年の隣に屈む。と同時に引き寄せられ、首の後ろの蓋が指でカチンと押し上げられ、端子がむき出しになった。すぐさまそこにノートパソコンに刺さったケーブルの反対側がそこに突き立つ。
「うぉ!?」
あまりに唐突な一連の行動、その間三秒に満たないのではないかという鮮やかな手付きに思わず驚きの声を漏らすと、悪戯に少年は笑いかけた。
「アンタ凄いね、弱っちそうに見えんのに、大量破壊兵器だ」
「は!?」
つかの間、会話が終了する頃にはエレクトロの回路が情報量と書き込み速度の押し寄せる波に耳障り過ぎる雑音を響かせた。その回路に書き込まれていくのは彼の知らない『彼』の本質たる領域、失っていた記憶にあたる部分。そこには現状を打破する最高の手段が載せられてた。
「……うわぁ、ちょっとコレはショックだ」
そうは言っていても、その顔には先刻とは違い何かを諦めた欠片など見えもしない。どちらかといえば少しだけ、現状を楽しむかのような、だが力の抜けた笑いがゆったりとした笑みを彼に浮かべさせ、立ち上がらせる。
ぱり、と何かが破けるような音がした。未だ壁を作り続けるが自分は戦いに出たい燃える髪の男…グラヴィティもそれに気付き、少年と共にエレクトロの周辺を凝視した。破れる音は徐々に断続的になっていき、それは視覚を伴い出す。小さなパルスが集まりだし、大きな電気のうねりに変化した。うねりはそうなってもまだ拡張を止めず、幾本ものうねりは徐々にエレクトロの周囲を囲み出す。
「アーミー」
そうなってからようやく、グラヴィティが口を開いた。
「…どうする」
その口は禍々しさを感じさせる程吊り上がっていた。外界ではまだ銃弾の雨嵐が止まないのに、疲労の為か少しだけ腕が震えている。しかしそれでも、何か嬉々とした光を瞳…その瞳もまた、本来白目である部分が漆黒に染まり、虹彩 や瞳孔らしい部分が真っ赤という、異形のそれだった…をエレクトロに向けている。
「さあ、エレクトロに聞いて」
アーミーと呼ばれたメットの少年もどこか満足そうにその電気が光の球となって大きさを増していく様を眺めていた。
「あー……俺が、言うの?」
スパークでぱしぱしと小石などが当たった時できる傷に良く似た傷がむき出しの腕に幾つも後を残す。
「とりあえず、俺の傍にいてくれればいいと思う。 合図したら俺の足元に」
光の球の上をそろり、と彼の腕が撫でた。アーミーとグラヴィティはそれに従い、まだ大きくなる電気の塊をじっと凝視する。
ようやく異変に気付いたか、戦闘兵器達の中に攻撃を止める者が現れだした。光の放つあまりのエネルギーはエレクトロによって押し殺されている為に感知も遅い。逃げようと戦闘兵器がもぞりと動こうとするが、既に砂漠の砂さえも覆い尽くす程の大群、結局動けぬ ままに終わる。
その電気の球が、ふわり、とエレクトロの頭上へ持ち上げられた。
「今だ!」
アーミーの声と共にグラヴィティは重力壁を消し、エレクトロの足元に滑り込む。次の瞬間、一面のスパーク。雷の様に一瞬だけフラッシュする電光が、砂漠を照らす熱物体より眩しく光る。そしてその白い世界から解放された砂漠には、光の発信源たるエレクトロと、その足元に避難した二人を覗いては動く者はいなかった。周辺を囲む兵器という兵器は皆一様に焦げた鉄板とコ−ド、そして構成部品の残骸と溶けたガラスとなっている。
「…強い」
それは単にエレクトロを讃えたのか、それとも他意を含むものなのかは分からなかったが、グラヴィティは満面 の笑みで呟いた。アーミーは周辺を見回し、ノートパソコンの調子を見る為に電源を入れる。当のエレクトロはがっくりと肩を落とし、長い溜め息を吐いた。