確かに都市は点在していた。
今は廃虚が点在しているが。
VCSS -7- The child mind.
「何、コレ…」
カチャ、と。瓦礫を踏むタイヤも軋む程に積み重なった残骸の山。眼前には未だ形を残すが人気の消えた街、都市と、崩壊したコンクリートやレンガ、アスファルトに鉄の山々が積み重なる。そこに立ち尽くす彼女自身もそこに暮らす只の一人の人間に過ぎない存在だったはずだった。今は…様子が違う。
踏み出す毎に破砕音が耳に届く。みしり、ぱきりという音が意識に障る。それでも、都市を壊した張本人を突き止めずに居られなかった。確かに都市という物が点在していた。形状、文化がどうあれ、そこは確実に人の生活の場である。しかし、今は屍体もなく、ただそこに都市の名残りを残すのみだった。
どこかに恐怖を抱きながら、彼女は都市がまだ形を残す場所へと足を運ぶ。先ほどまでなかったはずの大きなタイヤの付いた靴が、足場の不安定さから自身を守っているかの様だった。反面 、その靴がもたらす恐怖もあった。その靴は自分が知らない物で、また自分が想像もし得ない物だった。しかし、今はその靴がないことを想像できないし、また彼女が何者であったかも分からない。その存在を証明する物が何一つ無いのだ。少なくともこんな瓦礫の上を歩く生活をしていたとは思えなかったが、それすらも徐々に掠れる記憶の彼方。カチャ、と、また踏んだ瓦礫の下の屍体の真っ白な腕に怯えもしない自分に怯えた。
ようやく、都市の真ん中へと足を運ぶ。まだ逃げまどう人々がちらほらと見えた。それでも彼女の方へは来ない。彼女がいるのは、まだ瓦礫の上だからだ。何か、恐ろしいモノがそこにあるのだと、彼女は直感的に身を隠しながら歩き出す。とにかく都市の真ん中へ、真ん中へと足を進める。そして、あともう少しで中央駅に到達しようとしたその瞬間、轟音が中央駅を崩したのだ。
隠れる彼女を知らず、中央駅から人々が逃げ出す。避難のつもりが逆に誘い込む罠となった結果 だった。彼女がそろりとその現場を覗けば、赤い…いや、赤黒い風が、巻き起こるのを目撃する。
そこに一人男がいたのだ。真っ白な髪の毛に、黄色いアイマスク、そして幾何学な組み合わせの黒と赤のコート。彼はうっすらと、しかし仄暗い笑みを浮かべ、少しだけ首を傾げてゆるり右腕が持ち上がる。
「…えへ」
小さく開いた口から漏れたのはまるで子供のような笑いだった。爆ぜた。人が血飛沫を上げ、肉塊を飛ばし、内臓の粉じんを撒いて、人の形を失った。湿りゆく地面 が濁った水分を弾く音が残る人々を恐怖に駆り立てる。その最初の被害者は触られたわけじゃない、ただそちらへ手が向いただけた。黒い指と赤い手の平がその体に向いて、だがその他には何もないはずなのだ。近くに居た一人が仰け反る。そこへまた手の平、人は爆ぜた。まだ何百人といる人間が次々に爆ぜ割れ飛び散り、逃げる足が飛び請う腕が取れ肩が千切れ胴に穴が開く。その後ろの建物にも、穴が開く。
(遠距離だと少し威力が落ちるのかしら…)
彼女が一人思う内に、男は逃げた人々を追って走り出した。その唇は絶えず動き、何かを歌っている様だった。そっとタイヤを動かし、その後を追う。その声は悲鳴に混じり、それでも掠れも消えもせずに耳に届く。
「みんな、みんな、ジェノサイド、一人、残らず、皆殺し、みんな、みんな、ジェノサイド、一人、残らず、皆殺しっ」
嬉々として笑みを深くしながら歌う声、その歌は酷く残虐なのに、歌う本人の声があまりに弾む所為か、それが人殺しが歌っている様にすら聴こえない。まるで小さな子供が意味も分からずに卑猥な歌詞の歌を口にするだけのような。
「みんな、みんな、ジェノサイド、一人、残らず、皆殺し、みんな、みんな、みんな、みんな、みんな、みんな、みんな、みんな、みんな、みんな、みんな、みんな、みんな、みんな…あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは」
その歌は途中でリズムを失い、最後には哄笑に変わっていた。狂ったかと思われる程の笑い声と阿鼻叫喚の交響曲、街中を満たすのは殺され行く人々の怨嗟と懇願の声、そして屍体の流す血液と零す肉片の音だ。彼女は恐怖に再び立ち尽くした。殺される人々を助けることが出来ない己の臆病を罵り、その人々が死ぬ ことに恐怖すらしない自分を罵り、彼の兇行をただ見ていた自分を罵った。どうすればいい、いっそ、自分が存在することも疎ましい、とその足元に目を向ける。
「うぅー」
唸る声。それは足元の瓦礫を持ち上げて立ち上がった何かが発した様だった。立ち上がっても彼女の膝程の、何か。瓦礫をそっと外してやると、そこにライオンのぬ いぐるみが立っていた。
「あー…ありが、とお」
口が半月の形。腹話術人形のようなそれは、誰が手を貸さずとも動いていた。
「…にげなきゃ…」
ぬいぐるみは三角形の目を彼女に向け、彼女の方へ指が三本しかない手を伸ばした。
「こわいのがくる」
きみもにげよう、と、ぬいぐるみは背伸びをして手を伸ばした。彼女は一つ頷き、ライオンのぬ いぐるみの手を取った。そして、ぬいぐるみを抱き上げる。おお、と驚くぬいぐるみを他所に、走り出した。「あはー…あーあ、ぜぇーんぶ、殺しちゃったぁ…」
手を振り上げて伸びをする。戯れに手を胸に突き立てて殺した為に服には返り血が飛び散っていたが、既に吸い込まれてしまっていた。
「こんなにハンデ、つけたのになぁー…つまんないなぁ…可哀想ー」
へへっ、と笑い、足元に転がる少年の頭を蹴り飛ばした。あまりの勢いに、頭だけがねじ切れて飛んでいく。
「なんだかぁ…哀しいなぁ…」
みたされなぁい。と。笑う。目元が見えないが、口元だけは、他に何かの感情を持ってるとは思えない、ただ笑うだけだった。そのまま首をめぐらせ、ふと、気付いた様に顔を上げた。そこで初めて、きょとんとしたような顔が見える。しかし、俯いて髪の毛が隠してしまった。
「ギガ…じゃない…似てる。 …殺せるかな、殺したい」
ぐいと胸の内から込み上げるものを息と一緒に吐き出し、上を見上げ、地を蹴った。顔には、やはり、笑みが貼り付いていた。
「うわぁ!」
「きゃぁっ!」
悲鳴が同時だったのは後に見えた都市の残骸、中心部が突如崩れ去ったからだ。一瞬にして廃虚と化す一つの都市。その存在には何が起こったのかも分からない。
「…おってくる」
ライオンのぬいぐるみはきゅうっと彼女の腕にしがみついた。彼女もぬいぐるみを抱きしめ、一層早く足を動かす。既に街から随分離れてはいたものの、その破壊によって轟音が耳に届いた。そして、そこから飛び出した一筋の高速物体の迫る音も、耳にする。
彼女の耳に、笑い声が殷々と響いた。