早過ぎた故に、遅過ぎたんだ。

It's too late. [gigadelic&GENOCIDE]

 日々は飛ぶ様に過ぎていく。俺は自分の身体を鍛えるついでに、行ける範囲を歩き回っていた。
 
俺と兄弟の"Mother"が置かれた部屋の周辺には生活地区がある。それが俺にとっては大きな救いだった。
 クリーニング室にはクリーニング済みと書かれたいくつかの箱には、密封された抗菌ビニールにピッタリと包まれた衣服があり、子供用も大人用も揃っていたのでいくつかを選んで身に着けた。ただ、下まで漁っていると体力が持たなそうだったので、簡素な白い実験着を身に着けるだけで精一杯だったが。
  食堂と称された広い部屋は、もう腐り過ぎて匂いもない土塊のような食品が冷蔵庫を埋め尽くしていた。だがキッチン部分の非常時用の扉の奥には非常食の貯えが抱負にあり、固形プロテインと流動食、原始的な乾パンや干し肉と薫製を始めとした乾物が瞬間冷凍専門保存庫に並ぶ。普通 の冷凍庫と違い、一瞬の冷凍を保存するために冷凍庫内は人体が入れる状態でなく、俺が自分の手で必要な物を取り出す事は出来ないが、電動アームがパネル操作で動くので必要なものは取り出せた。難を言えば、相当長い時間放置しないと解凍されない事だろうか。最初の数日は身体が"Mother"の外の環境に慣れず、食物が喉も通 らない状態だったから良かったものの、発見が遅ければ解党前に餓死の可能性も否定できなかったかもしれない。とにかく、今は食物を解凍しつつ、解凍の早かった流動食で繋いでいる。
 ついでに武器庫を見付けた。正しくは緊急用電子兵器保管庫で、ここの人間が非武装だったらしいことを伺わせる。中には小型粒子砲やらプラスティック爆弾やらが転がり、部屋の奥には武器を修復する為の作業台が構えていた。今の所は必要無いだろうが、もしかしたら使うかも知れない。鉄板やら何に使うのかも分からないような形状の外装なんかも置かれているのを横目に見て、腕時計があれば良いな、と思ったりした。

 兄弟が眠る"Mother"の日付けと時計は一秒刻みに消えていく。

 

 その日付けが一日を切る頃には、俺は相当の体力を得ていた。長い廊下を全力ダッシュで三往復したってちょっと息がきれるだけだ。ジャンプした後、着地した途端に踞る事もないし、食糧を"Mother"のある部屋に引っ張ってくるのを苦痛に思う事もない。クリーニングルームから服を探すのだって、もう訳ないんだ。自分で気に入る服を捜せる事は結構楽しかった。赤い上着に大きな書きなぐりの黄色いバツがついた服の袖が余るのを、引きちぎってノースリーブにする。それから半ズボンを引っぱりだして、帽子も手に入れた。帽子にはgigadericと書かれていて、大きさを表すギガが気に入って手に取り、気に入った。
 部屋に戻れば、俺はいつも大分大きくなった兄弟を眺めた。俺よりも背が高くて、手足も長くて、ちょっと俯いてる顔も俺にはあんまり似ていない。睫 毛が長くて、鼻が高くて、唇は薄い。俺は自分の顔はどうか分からないけど、少なくともこの兄弟が美しい、とか綺麗とか、とにかく綺麗なことを表す言葉の含まれるような容姿をしてるのは判った。俺とお揃いの真っ黒い髪の毛が、"Mother"の羊水と一緒に揺れる。あと20時間だ。あと20時間待てば弟は俺の前に現れる。嬉しくて嬉しくて興奮して、何故かなんだか涙がぼろぼろ零れて落ちた。

 弟の為に大人用の服を引っ張って来た。どれが似合うかな、きっと俺よりも何でも素敵に格好良く着られる。羨ましいけど、俺の自慢の兄弟。誕生日だから、何か美味しい物を持ってこよう。最近冷凍庫以外にも保管庫を見付けたから小麦粉とかはあるんだ、初めてだけどケーキを作ろうかな。でも、俺よりもきっと器用に生まれてくる兄弟はそれを見たら俺の不器用に失望するだろうか。それなら美味しいお菓子を探そう。早く生まれて。あと10時間。

 "Mother"の横で眠った。目覚めてすぐに、まだ兄弟が出てきていないことに少し安心する。タイマーはあと2時間。昨日から興奮しすぎて眠っていなかったから、丁度良い睡眠になった。"Mother"の中で呼吸の泡が海月みたいに水面 に上昇して消える。中を満たしている溶液は少しづつ少なくなっていって、顔が出た辺りで兄弟は目が醒めるはずだ。呼吸器官の確認を終えて、始めて意識が戻る。あと2時間が待ち遠しくて堪らなかった。
 また"Mother"の隣に座り込もうとしたその時、にわかに"Mother"内部の溶液がごぽごぽと濁った音を五月蝿く立てる。何事かと溶液を見れば、中身が泡立って粘液状にゆるゆるとした流動を起こしていた。"Mother"の中、兄弟は酷く苦しそうにがぼ、と気泡を大きく口を開いて吐き出し、それに伴い溶液が黒い濁りを起こす。
 「ヤバい!」
  異常な事態に、すぐさま手近にあった四角い金属の棒…多分、建設材を手に、"Mother"の表面 のガラスをブチやぶろうと殴りつける。だが"Mother"にはヒビが入っただけだ。もう一撃、ヒビを広げる。兄弟は首に手を這わせる。顔は真っ黒な液体が阻んで見えないが、このままでは死んじまう。もう一撃"Mother"を殴りつけた所で、一気に溶液が流れ出た。兄弟は凝固して黄緑色のゼリーになった溶液を身体の所々にまとわりつかせながら転がり出た。
 そして俺は驚愕する。
 お揃いのはずの黒髪が、真っ白に、漂泊されたかの様に、なっていた。どうして、と俺は誰に問うでもなく、そして自分自身で答えを見付けた。あの時、成長率を急激に上げたりしたからだ。その所為できっと成長不良を引き起こした。俺の馬鹿。そうして自責の念に駆られながらも即座に兄弟に駆け寄り、ゼリーの発する硫黄とレモンを混ぜたような鼻を刺す臭いと格闘しながら、その身体を起こす。俺よりも大きい分、並み大抵のことじゃなかった。しっかりと脇の下から抱え、呼び掛けるのにも触れる事にさえも反応しないのを見て取り、ただ呼吸するだけの身体を、"Mother"の足元、硝子の飛び散らなかった所へ背を寄りかからせる様に座らせた。
 胸部、腹部に硝子で酷く傷付けたのか、裂傷が縦横に走るらしいが、ほとんど血に染まって傷口の場所も判らない。ゼリーが触った場所は傷口を瘡蓋が塞いでいたが、その後はくっきりと茶色く残っていた。これだけの傷でも、出血量 が微々たるものだったのは幸いだ、もしかしたら溶液の粘膜が出血を防いだのかもしれない。
 その時、不意に兄弟の指先が動いた。前髪の貼り付いた顔を眺めると、うっすらと目が開くのが見える。細く開いた瞼から、零れんばかりに濡れた
薄い紫色の瞳が見えて、俺は少しだけ安心した。どうにか、生きている。意識も取り戻したし、少し時間がたてばすぐに行動もできるだろう。ようやく…その時が来たんだ。俺は兄弟にまず、なんと声を掛けようか、と迷い、何回か口を開き掛けようとしながら閉じて、やっとのことで一言を吐き出した。
 「おはよう、兄弟」
 音声に反応を示したのか、俺の方をじっと見る。
 「ちょっと待ってろよ、そこの包帯をすぐに持って来るからさ」
 立ち上がり、ガラスを避けながらテーブルへ向かう。消毒液も包帯も緊急用に準備しておいて良かった。
 直後、べしゃ、と何か湿った物を叩き付ける音がして、俺は嫌な予感と一緒に振り向く。
 兄弟は俺の方に手を伸ばしながらバランスを崩したんだろう、尖ったガラスの破片の上にべったりと横たわっていた。が、何事もなかったかのように起き上がる…その身体の全面 、そして頬や顎は、熟れた果実がその実を爆ぜたような切傷がいくつもあった。だのに、兄弟は右腕一本で溶液に濡れて滑る床を捕まえる様にしながら俺の方へ俺の方へと、ほんの数ミリメートルずつ進めた。切傷が、数ミリメートル毎に増える。
 少量の出血も傷が多ければ多量と変わらない。なんてこった。俺は俺の兄弟から大事なものを奪っちまったんだ!

 溶液に浮かぶ手の平くらいの大きさのガラスの破片を、無理矢理掴んだ。血が、熱い。切れたのを察知した神経が、ガラスを放したがるのを逆に握り込む事で抑え、兄弟がやってくるルートに立ちふさがる。
 「…あー…ぅあ…」
 活動を開始した喉から、不明な言葉が溢れだした。その喉にも切傷が大量に残ってる。俺の所為だ。大事な兄弟をこんなにしてんのは俺だ。真っ白い髪の毛、真っ白い肌、それが血塗れで這いつくばって、静かに俺に手を伸ばして、俺を呼んでる。お前に、呼ばれる資格、ねえよ、俺…。

 「あー」

 それでもまだ、手を伸ばす。分かってる。俺には兄弟をこんなにした責任がある。償わなきゃなんねえ。
 ずるずると、蛞蝓か何かの様に軌跡を残して這いつくばっていた兄弟が、俺の足を掴んだ。緩く、力のない指だ。その持ち上がった顔を、俺はしばし記憶に留めてから、
 手に持ったガラスの刃で、横一文字に切り付けて傷付けた。
 ぎりぎりに張り詰めたソーセージを、何の前触れもなくいきなり切ったら、こうやってぱっくりと開くんだろうな。血が一瞬噴水みたいに吹き出して、兄弟はきょとん、とそれを見た。
 「…いいか、それが、痛みだ」
 刃を捨て、傷口を濡れた指でぐっと押す。怯みやしねえ。痛覚が無いから、傷が出来ても怖くないんだ。
 「覚えろ、痛みだ。 痛いのは生態反応だ。 生命の維持に関わる欠損が肉体に起こる時、神経の破壊が起こす脳への危険信号だ。 切ったりすりゃ血も出る。 血が沢山流れるのは危険だ。 いいか、傷から血が沢山流れたら危険なんだ。 怪我をするのも痛くて血が出るから危険だ。 覚えるんだ。 生まれたからには何度だって怪我をするんだからな」
 いたみ、と、声無き声が呟いた。その確かめる様な響き、自身の中身と照らし合わせているんだ。情報自体はある、だが、それが感覚に結びついてないから、痛みという概念は解っても痛みを感じているかどうかが分かってない。
 それが照合された途端、まるで産声の様に泣き出した。ふぁあだのうあぁだのと五月蝿かったけど、生まれてすぐに泣かなかった赤ん坊が泣き出した時って、こういう気持ちなのかもしれない。ゼェゼェえづいてるのが苦しく感じるのも『痛み』の確認から引き出された感覚なのかな。
 ともかく俺はぐずってる兄弟を比較的綺麗な床に引き摺っていき、細かく傷口を抉るガラスを慎重に取り除いて、消毒液をぶっかけたらまた大泣きした。それが落ち着いてから顔の傷…真ん中の、俺がつけたのだけは無理だったが、細々した傷を皮膚用の接着剤でどうにか張り合わせる。残り少なかった接着剤は顔の傷をくっ付けきった所でストックもなくなって、兄弟の体中に切傷とガラスの摩擦で出来た傷が残る事になった。

 全部が俺の責任だ…俺が後先考えずに、成長を異常に早めたからだ。
 「ごめんな…」
 泣きつかれて眠る兄弟の白髪の頭を、ぎゅうっと抱きしめた。寝息が身体を上下させ、力の抜けた身体は失血でさらに白く変色している。兄弟を俺が普段使っている椅子を繋いだ簡易ベッドに寝かせて、俺は祈った。どうか、どうかこの俺が不幸にした兄弟が、失血なんかで死にません様に、って。

 

 

It's too late.
to the N.E.X.T.

2005/05/23
レポと論文の煮詰まりをもがもがしながら仕上げてみました。
ぶっちゃけ鼻の傷を作るシーンが書きたかっただけです。