それはまるで子供をあやす御伽の国の様でいてまた人々を戦かせる民謡の世界であるようにも見え神話と云う名の人々が縋り付く為に造り出した幾多もの話に現れる異形の者達の空間だった。俺と云う存在すらその一つと成り果 てた今となっても恐怖は変わること無く胸に存在し時にそれが内面が変化していないと自分に言い聞かせる為の材料となり外見の変化への嫌悪感を多少は和らげてくれるのだ。
Deuil-Side ASH- Stadt
既に傷は塞がっていて、消毒は済んでいた。ボライスは人狼などの種族は傷の治りが早いことを教えてくれた。けれど、俺にはやはりそれは否定すべきことなのか、と考えてしまう。できることなら今すぐに帰って自分のベッドで一寝入りして、目が醒めたら全部夢だったと言いたかった。
それが許されるはずもなく。
病院の中は整然としている上に、診察室の前以外はひっそり閑としていた。診察の順番待ちをしている者の中には浮遊している光の塊や、下半身が馬の人間…確かケンタウロスとかいうやつが極自然にそこに存在していた。その目の前を通 り過ぎて正面玄関に歩いていく。看護婦がお大事に、と声を掛けて来た。ありがとう、と返しながらも、俺は看護婦の服を着た蜥蜴人間を見ていた。
病院は少し街の外れにあって、道の向こうに街があって…その中心と思しき場所に城がそびえ建っている。
「あれはね」
俺の視線の先にある者に気付いたらしく、城を指差してボライスは言った。
「メルヘン王国の国王の城なんだ。今はディノーシオって王様が国王だよ」
俺はふぅん…と、小さく返事をして城を眺めた。俺の感覚がおかしくなければ、あの城はだだっ広い。高さもかなりある。日本には…地球には、あんなに大きな城は無かった。一体何の意図であんなに大きく作ってあるんだろう。
「アッシュも、後で王様に謁見しに行かないとね」
「謁見?なんでスか?」
ボライスは確かめたいことがあると、王から託けがあったと言った。
「色々と、ね」
「そスか」
何を確かめると言うのだろうか。いまいち理解出来ないまま街の中に入る。小道のようなそこは建物と建物の間の狭い路地で、誰も居ない。しかし、前方に見えて来た道が広くなってる所には大勢の人々がひしめいている様に見えた。建物は何となく無国籍を感じさせる。レンガ造りの背の高いビルの様な建物、白いコンクリートで出来たデパートと思われる建物、色とりどりの屋根と壁。ファンタジックというには些かリアル。
ボライスは何の躊躇いもなく、あっさりと人々がひしめき合う人込みに入っていく。俺はその後に続きながら、その人込みの異常に気が付いた。
ぶつからない。
ほとんどぶつかることなく人の波が動く。酷く肥満している者や腕や足が大きいもの、背が高い者と、まるで十人十色の者達は、まるで実体がないかの様だった。それでもぶつかってしまう者はいて、ぶつかった者同士で一言謝ってそそくさとまた歩き出す。子供ですらぶつからない。
「ボライス」
声を掛けると彼は首をかしげた。
「聞いてもいいスか?」
「いいよ。なに?」
俺はドラゴンがすぐ横を這っていったのに一瞬驚いたが、すぐに質問した。
「さっきから誰にもぶつからないッス。こんなに人がいるのに、なんでスか?渋谷とか…地球だったらこれだけ人がいればぶつかるッス」
ああ、とボライスは立ち止まった。それでもぶつからない。
「…僕達は、特に、地球で恐れられるような種族は、あんまり、他人と関わりを持ちたがらない人が多い。僕も…実は君と話すまでは、君を助けたとはいえ、あんまり関わりたくなかった。…けど、僕は放っておけなかったんだ」
関わりを極端に避けている…それならばお互いぶつからないように避けて歩いているということか。なんだかそれは淋しい気がしてしまう。
「先に城に行くから。僕の後に付いて来て」
ボライスは人懐っこい笑みを浮かべると早足に歩き出した。ボライスは、途中で何度も人にぶつかる。俺は…もしかしてぶつからない俺の方が関わりを避けているんじゃないかと、そんなことを思ってちょっと滅入った。城は予測通りだだっ広い。門は開けば百人そこら簡単に通れそうだし、城自体も大きい。
門の横には怪獣が二匹、鎧と兜を着けて槍をたずさえていた。二匹とも青っぽい色で、じっと立っている。小さい頃にイベントか何かで見た怪獣のきぐるみがちょうどこんな感じで、大きさもそう思うとピッタリだった。
ボライスはその広い城に入ると真直ぐ進んで行った。お決まりのような赤い絨毯ですら凄い幅がある。装飾品の一つ一つも大きく、少なくとも蝋燭を立てる燭台をあんなに大きくする必要はないなと、下らない考えが頭の中でいろいろ動いている。「ディノーシオ国王陛下、少々お時間を戴いて宜しいでしょうか」
ボライスは絨毯の上に跪いていた。俺もそれに習うが、まだ赤い絨毯は続いていて、その先は暗くて良く見えない。
「そう堅くなるな、ええと…その隣のがそうか?」
妙に高い所から声が頭上に降ってくる。
「はい…アッシュ、名乗って」
小声で指示されて、跪いたまま、事前にボライスが指示した通りに挨拶する。
「お初お目にかかります、アッシュと申します」
「…フフ、ボライス、入れ知恵したな?」
可笑しそうに笑う声。そして、鈍い振動が床から伝わってくる。思わず顔を上げると、そこには身長が四メ−トルはあろうかという怪獣が仁王立ちしていた。
「ふむ…アッシュ…か…」
王冠を被った緑色の怪獣は腕を組みながらその白い鼻先を近付けて来た。頭を一飲みとはいかないまでも、その大きさには圧倒され、俺は息を飲んだ。
「災難だったな、アッシュ」
その目には微かに憂いが見える。鼻先で押されて体が一瞬浮遊感に支配され、それが立てという合図であると悟った俺はすぐさま立ち上がった。目線の高さに赤い両目が並び、その獣じみた瞳に恐怖心を抱くが、そこに見えた理性と憂いが怯えた俺を吹き飛ばしてくれた。
「お前に被害を与えた犯人は既に見つかっていて、今は城の地下に拘束されている…全く、とんだことをしてくれたよあの男は」
眉間の辺りに皺が寄って、怒りをあらわにしたうなり声を漏らす。怪獣…国王はついて来なさい、その一言と一緒に少し先の闇に消える。
「行こう」
ボライスが先に歩き出す。俺は少し躊躇して…それから走るように二人を追い掛けた。闇の中は暖かく、何故か安心感を得た。体中を撫でるような闇を通り抜けてしまうのはとても残念だったが、その先に地下に続く石造りの階段が見えると緊張感が蘇る。城の地下に行くのに、国王はその階段を使ったが俺達は無礼にもその背に乗っていた。というのも、この城はそれ自体が大きな仕様なので、俺達だと階段の昇り降りだけで酷く時間が掛かってしまうからだ。
「さて…」
国王の足が止まり、俺達も背から降りる。そこには幾つもの鉄格子の扉があり、そのうちの一番奥の扉は鉄の扉で、格子窓がはまっていた。そこから凶悪な罵詈雑言が聞こえると、国王は足を踏み鳴らしながら近付いて行った。
国王の手が乱暴に鉄の扉を開き、じゃら、と鎖の音が地下の空間に反響する。
「アッシュ、来るがいい。これがお前の人としての人生を狂わせた張本人だ」
俺は半ば走る様にしてその扉に駆け寄った。
そこには前髪の生え際に白い毛が混じる黒髪の男が鎖で壁に縛り付けられていた。鎖は微妙に赤味を帯びていて、その根元は壁に埋まっている。
男は俺を見てゲラゲラと下品に笑った。いかにも軽薄そうな男。
「ハッ!成功してるじゃねェか!」
卑屈に口元を笑みの形にゆがめながら、男は肩で笑った。
「これでコイツが地球に帰りたいとか駄々こねた日にゃ手に終えねえだろうな?え?王サンはどうすんだよ?こいつを野放しにして地球に帰してやんのか?そんなことしたら和平条約なんざ結べねえよな?なんたって不法侵入になるんだからな!」
つまり俺が帰ると国が不利になるということらしい。俺は…もう、地球の住人ではないから。
「フン、人間なんざワガママに欲で動いてんだからよ。お前も帰りたいだろうが?」
六つの目が俺に向けられる。不安の目、期待の目。
「俺は…」帰りたい。
「帰りたいッス。…けど、今帰ったら、きっと、大騒ぎになって、俺、自分の家に帰れる自信がないッス。それに…きっと俺だって分かってもらえないスよ」
こんな姿じゃあ。
こんな大きな耳と赤い眼と緑の髪と犬みたいに上向いた鼻じゃあ。
俺が見ても俺に見えないんだから。
鎖でつながれた男は獣の声で吠えた。
「畜生!帰りたいなら帰りたいって強情にやってみろよ!?」
もう答える気にすらなれなかった。
「アッシュ」
国王の声が安堵につつまれている。
「本当に悪いことをしたな…。王国内にいる間、できるだけのお前の希望に添えるようにしよう。何でも言ってくれ」
贖罪のつもりなのだろうか。でも、嫌じゃなかった。鼻の奥がジリ、と痛む。泣き出しそうなのを堪えながら、仲間や家族の顔を思い出していた。
城を後にして、街の北の方にボライスと並んで歩く。ぶつからない人込みをのろのろと歩きながら、電気屋のガラス越しにテレビを見た。映っているのは地球のニュ−ス。政治の話題だったが、どう見ても地球の政治家の顔ぶれだった。
アッシュ、とテノールの声が呼ぶ。
「ここが僕の家」
いかにも住宅街、そんな場所にボライスの家はあった。白い壁と青い屋根の二階建て。隣の家が両方とも赤い屋根だから、その青は映えていた。
「上がってアッシュ、君の部屋に案内するよ」
ボライスに続いて玄関で靴を脱ぎ屋内に上がる。
木で出来た壁は暖かみがあって落ち着く。そこそこ広いリビングダイニングとキッチン。階段を上がって右手の部屋が俺の部屋になることになっていた。
「一応ベッドとテーブルはあるけど…他に必要な物があったら言ってね」
屈託なく笑うボライス。けれど、一つ疑問に思うことがあった。この広い家に一人で住んでいたのだろうか。…けれど聞かなかった。
「お世話になるッス」
一礼して、俺は部屋に入った。ボライスはごゆっくり、そういって一旦自分の部屋…俺の部屋の真向かいの部屋に入っていった。
部屋の中に入って、ベッドの上を見るとそこには服がおいてあった。上には簡単な手紙。
「サイズがあってるといいな」
俺はまた一つ疑問を抱えることになった。そういえば、日本語が通じているな、と。
Deuil-Side ASH- Stadt ende