幻想的、その言葉は今目の前にあるこの光景を言うのだと、俺は切ない程に感じた。色とりどりの花々は月明かりを吸って光り、路傍の石までもが歌を歌っているような。けれど、俺は気付かなかった。その幻想的な光景の裏に、何が潜んでいるかなんて…
Deuil-Side ASH- Das Fest vom Leben und dem Tod
街灯は消えているというのに、街は明るく、道を行く人々…異形達と言った方がさっぱりする気もするが…も、足取りが軽い。仏頂面 の石人形や無表情の人魂にさえ、陽気さが感じられるような。
「今日は、ね」
銀色の犬が、そんな俺の視線の行き先に気付いて話し掛けてきた。
「年に一度のお祭りの日なんだ。名前も無いようなお祭りだけど、僕らにとって重要な日」
小人の子供が提灯を持って走り回る。川沿いでは人魚や妖精が跳ね回って魚をとっている。石畳の道では灰色ではない、微妙な色の違いを持つ石達が自己を主張して、ステンドグラスの上を歩いているようで。誰かがミルクをこぼし、それが光る雫になって宙を漂い、何処かで楽隊が演奏を始めれば、つられて踊り出す者もいる。
銀色の犬は、月に酔うとぼんやりしたりするけど、心配しなくていいよ、と笑った。「アッシュ、考えたことがある?」
「何をスか?」ボライスは人の隙間をすり抜けながら飛び跳ね回って、誰かが投げたお菓子を上手く口で受け止めていた。俺もそれに習う。お菓子を投げているのは、街でレストランを営む者や、食品を扱う者がほとんどで、中には自宅で作ったクッキーなどを投げている者や、メルヘン王国の別 地域の食べ物を投げている者もいた。
その一つに狙いをつけて跳んでキャッチした。俺の口に、懐かしい味が広がる。それは煎餅だった。
「ボライス、ボライス!」
必死で噛み砕き、飲み込んで随分前に行ってしまった彼を呼ぶと、銀色の光となって、彼はひしめく者達の隙間から飛び出してきた。
「どうしたの、アッシュ?」
俺は興奮のあまり上手く言葉が出なかった。さんざんどもった挙げ句、
「煎餅を食ったッス」
それしか言えなかった。けれど不思議なもので、ボライスには、ちゃんと伝わっていた。
「そう…懐かしかった?この日の為に、人間に近い形の人達が買ってくるんだよ」
珍しい味だものね、和菓子はと、彼は…多分、微笑んだ。何せ獣の顔は表情が分かりづらい。
「地球の食べ物は珍しいっていう訳じゃないけど、やっぱり人間に似てない人達は、買いに行けないから。今日は貸し借り抜きでそういう物を食べられる日だから」
見れば確かに。一つ目の巨人が投げられたお菓子を手にしてはしゃいでいる。小さな妖精が金平糖を口に目一杯頬張り、怪獣の子供が懸命にクッキーを受け取ろうと跳ね回る。
また足下に何かが降ってくれば、それは綿飴だった。フワフワとしたそれを、駆け足にやって来た植物人間の子供達が一斉に手にしようとして綿飴を散り散りにしてしまった。
「アッシュ、ここの住人だって、いつか死ぬんだ…大半は」
子供が去り、ボライスは歩き始める。俺は毛皮に張り付いた綿飴を舐め取りながらなんとかそれに続く。
「満月の日に人々が騒ぐ理由を教えてあげる」
銀色の流れは容易く北にある小高い丘に向かって行く。俺は綿飴を諦めると、ボライスにおいて行かれないように、必死で人込みを走った。
途中で、何度もぶつかった。「アッシュ、来てごらん」
走る間にすっかり俺は月の光に酔ってしまった。半ばぼんやりした思考回路はボライスの言葉に素直に従って、足を丘の頂上の大岩に向けさせる。その上にボライスは座り込んでいる。ここにきて、と短い一言。俺はその隣に座って、その下を眺めた。何と言えば良かったのだろう。
まるで、光は幻のように消える。
「あれが、メルヘン王国での葬式の一つなんだよ」
あれは葬式なのだろうか。人々は円を作って並び、その真ん中に横たえられた何人かが、青白い光に包まれている。
「メルヘン王国では、大抵は人は満月の日に寿命が来る。だから…この日に、葬儀場に集まって、皆で弔うんだよ」
その一人、大きな蝙蝠の身体は、暫くすると…光の球に形を変えて消えていく。次の年老いたドラゴンは花になって小さく佇み、またその次の妖精と思しき人は小さな泥人形に変わってしまう。
光の球以外は全て誰かが手に取り、大事そうに持っている。
「ああやって、ね、光になった人は、次は別の世界で生まれ変わるんだ」
たとえば地球とかホワイトランドとか…ボライスの視線は空に向けられている。光は確かに、闇色の空に吸い込まれて消えた。
「どこに、行くんスか」
俺は何ともなしに尋ねていた。自分の声がどこか上ずっているのは、きっと月に酔ってしまったからだと、勝手に決めつけた。
「あの花や人形の、元の命っていうのは」
ボライスは軽く足下の岩を小突いた。
「死んで、別の物になったら、それが壊れるか死ぬまでは魂の安息なんだ。その後、壊れたり死んだりしたら、新しくメルヘン王国の住人として生まれ変わる…それで、この岩はね、メルヘン王国の最初の王様」
彼は寝転がって、岩に身体を擦り付ける。
「王様はね、長生きしたし、たくさんの事をやって来たんだ。だから、長い間お休みして、いつかは…いつかは、またきっと王様になる」
その言葉の響きは伝承を信じる子供のそれだった。うっとりと、しばらく岩に身を伏せていたが、やがて立ち上がると、帰ろう、そう言ってゆっくり歩き出す。葬儀のが終わると、人々は祭り騒ぎに身を投じて、まるで何もなかったように騒いだ。…まだ彼らの涙は止まっていない。
「あんまり、死者を悲しませてはいけないからね」
…満月の騒ぎの中で、俺は、ぼんやりと、俺も満月の日に死ぬのだろうかと、月を見やった。翌日には、いつも通りの、静かな朝に戻る。
初めての満月は、俺にとって、刺激的で、それから…怖かった。
…月に酔っている間、なんでも出来そうな気がしてしまった。なんでも気にならなかった。奔放になっていた自分を思い返し、やはり…人殺しにならなかったとしても、いつか、罪を犯すような気がしてしまった。
Deuil-Side ASH- Das Fest vom Leben und dem Tod Ende