誰も居ない場所で

   
三人は再生まれた

 

Born from the fullmoon

 「…う…」
  小さく呻き声を上げて、ユーリはなんとか頭を起こす。両腕は動かず両足も動かない。無理に引っ張れば痛みと鎖のジャラジャラと言う耳障りな音だけが聞こえる。
 「…な…に?」
 霞む意識では自分の置かれている状況が不自由であることを思い出すのが精一杯だった。冷たい色の石畳と熱ささえ感じる炎が眼に飛び込み、その中に幾人かの人陰を見る。マスカレードか、とユーリのぼやけた脳が呟く。彼らは一様におかしなマスクを被っていた。どれもこれも滑稽で大抵は生き物の形だったが、幾つかは何の生き物か判らない。
 「はなして…」
 少しずつ意識が戻る。鎖を引いて脱出を試みるが無駄だった。

 「…うぅ」
 ふと、ユーリは床に横たわってうめき声を上げたのがアッシュだと気付いた。ぐったりと横たわり、薄く瞳を開くが意識が混濁してるのか焦点が定まらない。
 「アッシュ、アッシュ!」
 叫ぼうとするが声が掠れてしまって少しも届かない。
 そのうちにマスクの人物の一人が外の光が当たる場所にかかげられた火の元に跪いた。よくよくユーリが眼を凝らすと、そこには奇妙な円が描かれており、その真ん中に火がかかげられ、まるで人一人が入りそうな鍋が掛けてあった。
 「アッシュ…」
 再び呼ぶがアッシュは全く反応しない。
 ユーリは直感的に、それが怪し気な宗教のようなものの集まりだと悟った。すぐにでも逃げ出したいが、アッシュはそこでぐったりとしているしスマイルの行方は知れない、そして身動きすら出来ない自分が悲しかった。
 マスクの一人がアッシュの腰辺りに何やら毛皮のようなものを巻き付けた。
 鍋の前の一人が、その中に何かを投げ入れる。ユーリは吐き気を催した。猫の死体が皮や骨を剥がれ、肉だけになる様を直視してしまったのだ。しかし吐くに吐けなかった。腹の中は空っぽだった。

 「 どうぞ、彼を狼人間にさせたまえ
  男を食べる者にさせたまえ
  女を食べる者にさせたまえ
  子供を食べる者にさせたまえ
  どうぞ、血を恵みたまえ、人の血を恵みたまえ
  どうぞ、今夜それを恵みたまえ
  偉大な狼の霊よ
  彼が心、彼が身、体
  彼が魂を全て捧げよう 」

 まるで唄の様に恐ろし気な言葉が唱えられる。周りのマスク達が後に続く。不協和音となってその室内と同じ言葉が満たす。ユーリは気が狂わんばかりの拷問を受けている気分だった。何時の間にか気付いたアッシュも顔をしかめ、鎖で地面 に這い蹲らされたままじっと耐えている。
 やがて鍋から救い上げた匙がどろりとした液体を落とし始めた頃、鍋が火から外され、アッシュのすぐ傍までゆっくりと、数人のマスクによって運ばれた。

 「あああッ!」

 悲痛な悲鳴を上げたのはアッシュだった。熱された鍋の中身を、幾つもの匙が彼に塗り付ける。
 「アッシュ、アッシュ!」
 叫びは届かなかった。アッシュは熱さと火傷の痛みで半狂乱となり、手首や足首に酷く生々しい赤い血の跡が出来るまで鎖を引っ張り続けた。

 

 ついにアッシュは気絶した。鍋の中身を全身に受けベトベトになり、今までを見ていなければその塊がなんなのか判らないような酷い有り様だった。
 「アッシュ…アッシュ…」
 ユーリは名前を呼び続けたがアッシュはピクリともしなかった。唇を噛んで飛び散った血液、少しだけ見える衣服の端、ユーリにはどれもが痛々しい。うなだれてアッシュの無事を祈るばかりだった。
 しかしユーリも悲しみに浸ってはいられない。別のマスクが何か尖ったものをユ−リの首筋に突き刺す。絶境がこだまする。尖ったそれはユ−リの首筋に穴を残した。
 「う、ああ、ああ…」
 痛みに息が切れる。ユーリは必死に何が起きたのかを探ろうとしたが無駄 だった。気付けば目の前にグラス一杯の赤い液体が用意されている。彼は顔を背けるが、一度見てしまってから、顔を背けることができない。無意識のうちにグラスに顔を近付けていた。突然に乾きが襲い掛かり、ユーリはそのグラスの中身の味すら気にせずに全て飲み干していた。
 肩で息をするユ−リ。不思議なことに一呼吸毎にその髪や肌から色が抜けていく。まるで絵の具や何かが落ちるかの様にどこかへ抜け落ちてしまうのだ。伏せられていた眼が、ゆっくり上げられると 、既にその瞳すら色が抜けて赤い光を宿していた。
 「あ、あああ、ああああッ…!」
 熱を持つ身体。ユーリはアッシュの姿が網膜に焼き付いて離れないかの様だった。そして居なくなったスマイル。二人が無事かどうかも判らない。アッシュは全身に大火傷をしているだろう。スマイルはどうなのだろうか。
 「くそっ…」
 マスクの一人が身体に触れた瞬間、ユーリがその手の平に噛み付いた。

 同時に、眩いほどの閃光が走り、数瞬の間、一体は真っ白な空間と化していた。

 

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