知らない場所で
う
三人は再生まれたBorn from the fullmoon
「アッシュ、ユーリ、ねえ、起きて、起きてってば!」
スマイルが穏やかな眠りを醒ました。一匹は欠伸をして暖かいベッドからどうにか這い出し、もう一人はうなって寝返りをうつ。
「ユーリってば!ユーリユーリユーリ!」
ユーリの包まった布団をスマイルは引き剥がす。
「…な、んだ…?」
ユーリは薄く赤い眼を開き、不機嫌そうにスマイルを見やった。
「いいから早くー!」
アッシュはコートやイアマフをユーリの足下まで引っ張り、スマイルは一人で荷物をまとめ、ユーリがコ−トとイアマフと帽子を身に着けた途端に外に走る。アッシュとユーリは慌ててその後を追った。
スマイルはどんどん村から離れた山と山が繋がっている、谷間の方へと走り、さらにその谷間を渡ってしまう。山小屋からは大した距離ではなかったが、ユーリとアッシュは見失うまいと必死に走った。「スマイル!一体どうしたんだよ?」
ユーリが立ち止まったスマイルに怪訝な顔で声をかける。スマイルは息を切らせながら、正面 に佇む巨木の根元にある、うろを指差した。
「…行けば、分かる…」
スマイルは今度はゆっくりとした足取りでそのうろの中へと進入した。それほどまでに、その木は大きく、また非常に太かった。ユーリとアッシュも訳が分からないままに中に進む。
中は少しだけ分かれ道があるような状態で、奥に進むに連れて寒さが和らぐ程に長い天然の通 路が存在していた。
「これ…」
スマイルはその行き止まりに手を付いた。
「なに、それ…?」
ユーリはさすがに少々驚いた様子だった。スマイルが手を付いているのは、木製の押し扉だったのだ。木の中に、しかもこんな山奥の巨木に誰がこんなものを作るのだろうか。
「いい、ユーリ、アッシュ、多分、あっち側は別世界だよ」
スマイルが好奇心で上ずった声でユ−リに告げる。
「想像とか妄想じゃない、あれは、本当にそういう場所だよ。僕は今まで生きてきた中であんなものを見たことはないからね」
ユーリは眉を寄せた。スマイルが震えているのが分かる。けれど、何を言っているのかがいまいち明確ではないのが問題だった。
「ユーリ、アッシュ。じゃあ、扉を開けるからね…」
少しだけ軋んで、扉は開いた。そこは晴れた銀世界だった。一面の雪がキラキラと輝き、針葉樹が凍り付いてガラスのツリーを連想させる。
「外…?」
ユーリは一歩踏み出した。まぎれもない雪の感触、アッシュも鼻を押し付けたりして雪かどうかを懸命に探ろうとするが、結果 的にはユ−リと同じ結論だった。
「ねえ、ほら、見てよ」
見たことも無い針葉樹の森の向こうに、大きな城がそびえ建ち、雪の照り返しの所為もあってか輝いている様だった。
三人は入り組んだ森を通って、白銀の城の前に辿り着く。「さっき僕、一人でここに来たんだ。それで、お城の最上階まで行ったんだけど」
城門は開いていて、三人は雪で滑りそうな石畳の道を歩く。スマイルは好奇心を押さえきれないのか飛び歩いている様だった。
「すっごいんだ。ホントに」
城の扉はスマイルの一押しで開く。中も石で出来た冷たい城は、三人を拒否はしないが歓迎もしなかった。ユーリは高い天井とそこに掛かる絵の破れてしまった額縁や古ぼけたカーペットを興味津々に観察する。アッシュはアッシュで甲冑の兵士や悪魔を模したガーゴイル像に、幼い頃に読んでもらった魔法使いの絵本を思い出していた。「こっちこっち!」
スマイルが回廊の先にある格子戸の前に立っている。ユーリとアッシュもそこに向かうと、スマイルは格子戸の横についたスイッチを押した。
ガラガラと騒音を立てながら鎖が籠をしっかりと掴んで持ち上げてきた。格子戸は横に開き、籠の中に三人を招く様に揺れた。
「これで一気に一番上までいけるんだ」
スマイルが跳ねて乗り込むと籠は揺れたが、鎖は頑丈に軋んだだけだった。
「一番上には何があるの?」
ユーリは首を傾げる。アッシュも鼻を鳴らす。
「いいから!」
スマイルに腕を掴まれユーリが引き込めれると、アッシュも置いて行かれてはたまらないと籠に乗り込んだ。
スマイルが籠の中にあるレリーフの施されたスイッチを押すと、籠も格子戸も閉まって、鎖が籠を引き上げる。「到着〜!」
最上階は屋上で、籠の戸が開くなりスマイルは走って上品な金色に輝く柵に張り付いた。
「ほら見て!」スマイルの指の先には、村があった。村には人が溢れ、家畜や農作物を売り買いする声が聞こえてきそうなほど賑わっている。
「あれ…」
ユーリは眼をゴシ、と擦った。
「スマイル?」
不安そうにスマイルに尋ねる。
「アレって…」
スマイルは、うん、と頷いた。
「人間はいないんだ」喧噪たる村には人はいない。皆一様に人から離れた姿をしており、確かにそこには絵本でしか見たことがないような世界があったのだ。
「ここだったらさ…僕らでも普通に生きていけるんじゃないなかなぁ」
スマイルの声には確かに迷いと不安が混ざっていた。ユーリは絵本の住人の行き来するのを見ながら眼を伏せる。
足元ではアッシュが座り込み、項垂れている。尻尾も消沈して動かず、ユーリの視線に気付いて顔をあげると、か細く鼻声で鳴いた。耳はペッタリと伏せられ、全身で迷いと不安を表す。
「ユーリ決めてよ」
スマイルはユーリの肩に手を置いた様だった。その手は震えている。「…」
ユーリは空を仰いだ。
「あー…」空は晴れやかに澄み渡り、その太陽は今まで居た場所と変わらない光を持っている。
ユーリは一つ息をした。
「いいかも」
スマイルが頷き、アッシュも同意を表すようにぱたり、と尻尾を振った。
ユーリは柵に掴まって遠くを見た。
「確かに、さ…僕らは、今まで居た場所に戻りたくないのかも」
アッシュは一声鳴いた。
「ほら…なんの話だったっけ。英雄が帰ってきた時、その姿を見た人達が石を投げ付けたって話。僕らはそうなるのが嫌なんだよ。…英雄なんかじゃないけどね」
ユーリが柵に体重を乗せたその時だった。ギシッと耳障りな音がして柵が壊れた。
「ユーリ!」
スマイルが慌てて手を伸ばすが間に合わない、短い悲鳴と共にユ−リは落下した。
かに見えた。
何か薄いものが風を切る音がして、スマイルは頭上を見上げた。
「うわーッ!」
アッシュが何度も吠えて回る。ユーリは真っ赤な蝙蝠の様な羽で風を受け、彼等の上空に飛んでいたのだ。
「た、助かった…」
ユーリは安堵の息を漏らしながらゆっくりと石の床の上に降りた。羽は小さく畳まれたが、確かにユ−リの背中に存在していた。
「ユーリ、かっこい〜!」
スマイルが嬉しそうに声を上げ駆け寄る。アッシュも千切れんばかりに尻尾を振って嬉しそうに何度も鳴いた。
「と、とにかく…あの村に行ってみよう」
何となく照れくさくなったユーリはそうそうに籠の所に向かう。
スマイルとアッシュは、顔を見合わせて笑った。